鳥ポケモンの囀りでアオキは目を覚ました。
まどろみ、うつらうつらとしながらゆっくりと体を伸ばす。寝返り、カーテンの隙間から差し込む光がもう朝になったことを教えてくれる。ちらりとサイドテーブルの置き時計を見れば、まだアラームの時間より早い。
……もう、すこしだけ。
再度瞼を落とした時、チルタリスのハミングが聞こえた。綺麗な歌声に癒されながら耳を澄ませた時、チルタリスの声に混ざって人の声が聞こえた。
……ひと?自分はここに一人暮らしなのに?
反射的にガバリと起き上がって、周囲を見渡す。アラームを事前に止めた。それから足音を立てないようにゆっくりと寝室を出て、リビングへ向かう。
吹き抜けのリビングは朝日を取り込んでキラキラと光っていて、特に荒らされた様子はない。
声はキッチンのほうから聞こえていて、アオキは段々と覚醒しつつある頭でそちらへ向かった。
「ふんふふん……愛してーるのエールをあげーる……」
小さな鼻歌。それにあわせてチルタリスが透き通るような声で歌う。
キッチンに入ったアオキの視界には、ダイニングテーブルの上でハミングするチルタリス、皿を手に忙しなく動くイエッサン。
それから、こちらに背を向けてコンロと向き合いながら鼻歌を歌う少年。
……そうだった。
自分は昨日から親戚の子を預かることになったのだ。
そう、この少年の名前は、
「……ヤシオ」
「ウォアッ!って、アンタか!飯もうちょいだから顔洗ってこい。寝癖やべえよ」
「……はい、おはようございます」
「ん、ああ、おはよ」
名前を呼ぶとびっくりした声をあげてヤシオが振り返る。
自前なのか纏っているエプロンは桃色のもので、なんとなく彼の相棒のプクリン色だから選んだんだろうなと思った。
鼻腔をくすぐる朝食の香りに後ろ髪引かれつつ、言われるがまま洗面所へ向かう。なんか重いと思っていたら腕にネッコアラがしがみついていた。
──ヤシオが朝食を作りたいと言ったのは、昨晩、夕食を取るために外へ出た時だった。
来来来軒の油の染み付いたテーブルを挟んで向かい合い、ラーメンのお供に餃子を食べつつ、ヤシオが言った。
「アンタって朝食う派?」
「がっつり食います」
「もしオレが朝飯作ったら食う?」
「……そういう気は遣わなくていいんですが」
「アンタに気を遣うとかじゃねえんだよ。人んちに世話になってんのにオレがなんもしてねえって状態が嫌なだけだわ」
「あなたって、案外真面目ですよね……」
「んだコラ悪口かオラ」
「いえ、あなたのしたいようにしてくれたほうが自分としても楽です。あと飯を作ってもらえるのは正直有難い」
「ん」
自分の家だと思って好きにしてください、と言おうとして、やめた。普通に考えて他人の家をそう簡単に自分の家だとは思えないだろう。
こちらが言わずとも、彼がそのうち慣れていけばいい。
「……自分は替え玉しますが、ヤシオはどうしますか」
「する」
「すみません、替え玉ふたつ。……あと餃子とチャーハンも。あ、ヤシオも食べますか?」
「チャーハンはいらねえ」
「じゃあ餃子はふたつ、チャーハンはひとつで……。あ、半チャーハンじゃなくて通常サイズので……はい……お願いします……」
「デブ」
「え?……今デブって言いましたか?」
「は?言ってねえけど?」
「……なんだ、聞き間違えか……」
「……んへへ」
(子供だな……)
そんなこんなで、ヤシオが家事を手伝ってくれることになった。
回想終了。
顔を洗ってダイニングに戻ると、ヤシオがちょうど完成した料理をテーブルに置くところだった。
彼が手に持ったものを見てアオキは思わず問いかける。
「……それはなんですか?」
「あ?だし巻きそぼろ丼」
「だし巻き、そぼろ丼……?」
「いや、アンタが朝はがっつり食う派だって言ってたから……。え?朝がっつり食うって丼物いけるって意味であってるよな?」
何かをやらかしたのかと思ったのか、こちらの顔を見て焦ったようなびっくりしたような顔を見せるヤシオにアオキは首を振ってみせた。
「あ、大丈夫です。その認識はあってます」
「ああ、ならいいけどよ」
「初めて見る料理だったので気になっただけです。朝食ありがとうございます」
「……おう」
少しホッとした顔を見せたヤシオは彼自身の分とアオキの分のふたつの丼をテーブルに置くと腰掛けた。アオキもその正面に座る。
「いただきます」
「ん」
先ほども口にしたが、目の前にある丼はアオキにとっては人生で初めて見るものだった。
白米の上にそぼろが敷き詰められていて、さらにその上に切られていない焼いて出来上がったままのだし巻きがドンと置かれている。だし巻きの上にかけられたネギが彩りとして丁度いい。
シンプルながら、かなりインパクトがある丼だ。
だし巻きを箸で一口大に切ってから、そぼろや白米と一緒に口に運ぶ。だし巻きがなかなかに分厚いのもあって、一口が大きくなった。大口を開けて食べる。瞬間、思わず呟いた。
「旨い……」
素朴な味付けのだし巻きと、ご飯に合うよう少し濃いめに味つけられたそぼろがとにかく合う。
噛んだ瞬間にじわりと口の中に広がる出汁の味と、それをかき消さないのにしっかりと味のある肉、そのふたつを支える白米の存在が、頭の回っていない表現をするなら『完璧』だった。
「え、うま……え?なんですかこれ……うっま……旨すぎる……」
「うるせえ!世辞はいらねえ!静かに食え!」
「いや世辞とかじゃなくて……うま……」
「卵と肉なんだからうまいに決まってんだろうが!」
ストレートに褒められて照れたヤシオが声を荒げるが、アオキとしてはそれどころではない。
確かにだし巻きの形は少し崩れているし、そぼろが玉になっているところある。そういった隙はありつつも、むしろそれがいいとすら感じる。どう表現すべきか迷うが、店で出てくるような料理というよりは、家庭料理として完璧だった。自分の家で予告なくこれが出たらかなり嬉しい、というあの感覚。
箸が進むアオキの様子を、ヤシオは褒められたが故の照れと嬉しさを仏頂面で隠しつつ伺う。
共に生活をする上で、食の好みが合わないというのは大きな問題だ。
だからこそ、ヤシオは一番最初に自分の料理のレパートリーのうち、かなり自信があるほうの料理を選択してアオキに提供した。それが割と好評のようで、内心とても安堵している。なんとも思ってないふりをしつつ、ヤシオも食事を進めた。
「……あの、」
「んだよ」
「おかわりってありますか」
「え?いや、だし巻きはねえよ。白米とそぼろならまだあるけど」
「すみません、もらいます」
「おー……マジで朝から食うなあ、アンタ……」
空になった丼を手に炊飯器へ向かうアオキを見ながら、ヤシオはむず痒そうな顔をした。
そんなヤシオと目があったイエッサンが笑顔でサムズアップする。思わずぎゅっと眉間に皺を寄せた。……反抗期なんだよこっちは。
とまあ、そんなこんなで、
「いつまで飯食ってんだ今日仕事なんだろうが!」
「……朝から旨いもん食ったので今日はもう休日にしたいです……」
「うるせえ!とっとと準備しろ!」
だとか、
「流石にアンタの部屋には入んねえけど、家の掃除とか洗濯くらいはしとく。家にいるアンタの手持ちには飯やっとくけど、誰にどのフードとか指定あんの?」
「すみません、助かります。飛行タイプの子たちは今日留守番なので、こっちの引き出しのフードを。それぞれ袋に書いてある記載の通りにしてくれれば大丈夫です」
「おう、わかった」
とか、
「ああ、ヤシオ」
「なんだよ」
「忘れてました。合鍵を渡しておきます。出かける時は戸締りだけお願いします」
「あんがと。ちょっと買い物行こうと思ってたんだわ」
「出かける時も、自分の手持ちの子は基本家の中で好きにさせておいてください。トロピウスも、本人がボールに戻りたいと言わなければ庭にいさせていいです」
「ん、おっけ」
「困ったことがあったらこちらのことは気にせず連絡してください。すぐには出れないかもしれませんが、折り返しますので」
「おう」
「では、いってきます」
「ん、いってら」
などと、やりとりを交わしてから、アオキは家を出て、ヤシオはスーツ姿で出かける彼を見送った。
それから音を立てて閉じた玄関扉を見て、ヤシオはストンと気が抜けたように肩を落とす。
「……なんか、久しぶりに人が出かけんの見送ったわ」
足にくっつくプクリンの頭を撫でながら、思わずそう呟いた。