アオキとヤシオの同居生活は驚くほど穏やかに続いていて、平日はアオキが一日の大半仕事で家にいないとはいえ、特に諍いやストレスなど無く過ごしていた。
(……割と、快適だな)
独り身で三十路過ぎの男が一人暮らし慣れをしてしまうと、もう他人と暮らせなくなるとよく聞くが案外そんなことはなかったらしい。
正直意外だ。自分はパーソナルスペースに他人がいることにストレスを感じるタイプだと思っていたのに。
日曜日の昼過ぎ、食事を終えてソファに座ると膝の上にカラミンゴが乗っかってきて動けなくなる。寄せてくるその頭を撫でながら、ふと窓辺を見た。
陽の光が差し込む窓辺でプクリンの毛繕いをする少年の背中が視界に入る。
プクリンはされるがまま世話をされていた。多分いつものルーティンなのだろう。他人の慣れた手つきを眺めながら、ふと思考が動く。
ヤシオを預かって、とりあえず1週間ほど経った。前述した通り、現在のところ関係性に問題はない。
昨日の土曜日など、ヤシオと2人でテーブルシティまで買い物に出かけている。
朝出かける前、アオキの私服を見た15歳の少年に「ダッッッッッサ!!!え!?私服ダッッッッサ!!!え!?やだ!!オレアンタの隣歩くのヤなんだけど!!!」と言われて着替えさせられたり、テーブルシティに着いた瞬間真っ先に紳士服屋に向かわれて仕事用のワイシャツと私服を買わされたり、昼食を取ってから食べ歩きをしたり、ヤシオからの「あのポケモンなんてーの?」という質問に答えたり、トイレットペーパーと洗剤を買ったりした。
……あれ、ヤシオの買い物してなくないか?
それに気がついて、帰路に就きかけていた足を止めた。
問いかけても「特に買いたいものとか無いんだけど」と返すばかりのヤシオに「このまま帰ると立場が無いので奢らせてください。この通りです」「直立不動じゃねえか」と強請り倒して、キャップと手持ちの子たちへのお土産を買わせてもらう。初めて他人に貢いだ……と思った。
キャップについては初めこそ「別にいらないけどアンタがそこまで言うなら……」とさして興味なさそうな顔で店に入ったが、入ったら途端にかなり真剣に選んでいて、手に取ったものを被っては「アオキさんこれどう?」「こっちは?」とこちらに聞いてきた。
……なんか割と可愛いところあるなと思った。
ただそれぞれのキャップの違いも、彼に何と言ってやれば良いのかも分からず、とりあえず「良いと思います」「かっこいいです」「似合ってます」をローテーションしていたら普通に怒られた。
「褒めんの下手すぎ!褒められ甲斐がねえ!」
「褒められることに甲斐を求められても……」
「せめてもうちょいだけ本気で褒めろよな」
黒いシンプルなキャップを被ったヤシオにそう言われて、考え込む。こちらを覗き込むような視線を受けながらうなづいた。
「じゃあ、言います」
「おう」
こちらを見つめる目を、見つめ返す。
「……コンテストとかあったら、」
「ん」
「あなたが優勝だと思います」
「……今のが本気の褒め?」
「わりと……」
途端に噴き出された。腹を抱えてけらけらと笑って、それから「下手くそ!」と口角が上がったまま言われる。
それから被っていたキャップを脱いだヤシオはそれをアオキに向かって渡した。
「ん、買ってくれんだろ、シショー」
そう言って、笑顔を向けられる。
経験のない呼び方に違和感。嫌ではないが妙にむず痒い。
冗談だとわかっていたけれど、向けられた笑顔や言葉から気を許されたことが感じられてしまって、咄嗟に返事に迷う。
渡されたキャップを受け取りながら、結局つい憎まれ口を叩いてしまった。
「……不良にタカられてる時ってこんな感じなんですかね」
「は!?可愛い弟子のオネダリだろうが!」
「……はあ、可愛い……可愛い……?」
「ア゛!?」
弟子可愛いかもしれない。
回想終了。
……弟子、可愛いかもしれない。
回想を終えてもそう思った。
そう思ってから自分が師匠らしいことを何一つしていないことを思い出して真顔になる。詐欺では?
「すみません、ヤシオ。少し話いいですか」
「ん、なに」
ソファと窓辺、お互い今の位置のまま話をしてもよかったのだが、ヤシオはわざわざ作業を中断してソファまで来てくれた。
こちらとしては有難いが、毛繕いを中断させられたプクリンからの「そのお話は私のもふもふタイムを中断してまでする話かしら?ん?こちらにも聞かせていただける?」という視線が痛い。
──これは本当に余談なのだが、この1週間程度でプクリンはアオキの家の中のヒエラルキーの上位に立った。
そもそも別に元から明確なヒエラルキーがあるわけではないのだが、なんとなくムクホークがリーダー役だとか、ノココッチは穏健派だとかそういうレベルの話だ。
それを前提に手持ちたちの様子を見ていると、プクリンはどうやらポケモンたちの中だと発言権が強いらしい……というのが最近の観察から見えてきている。
基本ポケモンは弱肉強食の側面が色濃い。
つまるところ、単純に強ければ立場が強くなる。
そういう意味だとプクリンはこの中では比較的強いポケモンになるだろう。
なぜなら、冷凍ビームを覚えているからだ。
閑話休題。
アオキの隣、ソファが1人分空いている。
ヤシオがそこに腰掛けようとした時、アオキの膝の上にいたカラミンゴがするんとそこに滑り込んだ。
「お」
「え」
「ンゴ」
「プクゥ……?」
なんで?
思わずカラミンゴを見るが、何食わぬ顔でアオキの隣、ソファの上に座り込んでいる。座る場所を奪われたヤシオが変な体勢で固まっていた。
……弟子が手持ちにいびられている……?
何とも言えない空気に周囲は静まり返り、プクリンに至っては「ハァ?」みたいな顔をしているが、カラミンゴは肝っ玉なので意にも介さず欠伸をしていた。……え?メンタル強……。
「カラミンゴ先輩、アオキさんの隣がいいンゴ?」
変な語尾でヤシオが問いかけると、カラミンゴが肯定するように「ンゴ」と鳴いた。それから何か言いたげにヤシオに向かってブンブンと首を振る。
アオキは自分の手持ちなのでカラミンゴが伝えたいことがわかった。
ヤシオもカラミンゴのジェスチャーで察したのか、「え、ああ、うん……」と困惑しながらも先輩の言うことに従って、……アオキの膝の上に腰掛けた。
……なんで?……いや、わかるが、え?
ジェスチャーから察するに、カラミンゴはヤシオに「俺はアオキの隣に座るから、お前そっち座れよ」と言いたかったらしい。
自分の言った通りにした後輩を見て、カラミンゴは満足げに「ンゴ」と鳴いた。
「……えっと、ヤシオ」
「え、流石にごめん。重いよな」
「気にしないでください。あの、カラミンゴは自分の膝に乗るのが好きなので、」
「あの、わかる。好意なんだよな、多分。自分の好きな場所を譲ってくれたっていう……」
「それです……」
アオキの家の中の関係性において──プクリンは当然例外とするが──アオキの手持ちから見てヤシオは後輩という立場である。
ポケモンたちなりに、可愛がったり、世話をしたり、見守ったりするべき生き物と認識されているのだろう。
……うん、手持ちたちが弟子を可愛がっているようでよかった。
それ以上は考えないことにした。
ヤシオもそう思ったのか、あまり体重をかけすぎないようにしながら「話ってなに?」と促してくれた。
「はい、トレーナーとしての指導の話なのですが、」
「ああ、うん」
「明日から平日は毎日1日1回、トレーナーとバトルをしてください」
「……1回だけ?」
「1回だけです。勝敗にどうこうは言いませんが、勝つつもりで戦ってください。まあ、言われなくてもそうするでしょうが」
「まあ、そりゃあ」
「1回だけなのでよく考えて勝負をしてください。万全の準備と戦術を用意して、最善手を選ぶことに努力をすること……」
「おう」
素直にうなづく彼に少し安堵。
それから、本題を切り出した。
「そしてあなたがした勝負を、毎日夕食の後にでも自分に教えてください」
「…………教えるって、例えばどんなことを?」
「相手がどんなポケモンを出して、どんな試合運びをしたのか、その時にあなたが何を考えていたのか、そういうあたりです」
「……それだけ?」
「それだけです。まずは」
「まずは」
言葉を鸚鵡返しして、首だけでこちらを振り返って不思議そうな目を見つめてくるその顔を見る。疑問はありながらも、その内容に不満はないようだ。
「頑張れそうですか」
「たりめえじゃん」
目の前の背中を軽く掌でポンポンと叩く。
それを受けたヤシオは立ち上がると、振り返ってアオキを見た。
「では、明日から」
「ん」
そんなわけで、明日から頑張ろうね!という運びになったのだが、この指導はとあるちょっとしたトラブルによって数日延期することになる。
さて、そのトラブルが起こったのが、その日の夜。
リビングの灯を落として、アオキもヤシオも互いの部屋に戻り、もうそろそろ寝るか、といった頃のこと。
就寝の準備をしていたアオキの部屋にノックの音が響いたのがことの始まり。
この家でノックができる者は限られていて、そうなると自然と誰が来たのかは察せられる。
扉を開けば想像通りそこにはヤシオがいて、ヤシオの後ろにはプクリンとイエッサンもいた。
「どうかしましたか」
「……あのさ、床でいいから今日アオキさんの部屋で寝させてくんねえ?」
枕を抱えたヤシオと、その後ろで毛布を持っている2匹。ヤシオはやけに仏頂面をしていて、後ろの2匹はなんというか……なんと表現していいのかわからない顔をしていた。
「……とりあえず、中へどうぞ」
「ん」
「プ!」
「キュ」
1人と2匹を中へ招き入れた。そうすればヤシオはどこか俯き気味に、プクリンは元気よく、イエッサンはアオキに一礼をして入ってくる。
私室であるが故に椅子は一つしかないため、彼らをベッドに腰掛けさせた。
プクリン、ヤシオ、イエッサンの並びで座る彼らに、アオキは椅子に座りながら問いかける。
「どこで寝てもらっても構わんのですが、一応理由を聞いてもいいですか」
「…………」
元気なく俯いているヤシオが、少し顔を上げて伺うようにアオキを見る。言いづらそうな顔をしながら、いつもよりずっと小さな声で呟いた。
「……言っても笑わねえ?」
「まあ、努力はします」
「…………」
何か言いたげな目で見つめられたが、もしかしたらこれからヤシオがめちゃくちゃに面白いことを言うかもしれないので下手な約束はできなかった。
少し躊躇うヤシオの背中をプクリンとイエッサンが撫でる。それに慰められて、ヤシオが口を開いた。
「……お、」
「お?」
「…………おばけいる……部屋に……」
俯きながら強張った顔でそう言う弟子にアオキは思った。
弟子、可愛いかもしれない……。
土曜日のお出かけのところ、最初「シショー」ではなく「オニーチャン」って言わせてたんですが、アオキさんが出頭しようとしたのでやめました