きくりさんに幼馴染を生やしてみただけの話 作:きくりスキー
幸せスパイラル
酒カスベーシスト。一部の者の間で囁かれているあだ名。当の本人は知らないが、そう呼ばれても仕方がないことをしているのは紛うことなき事実である。
まず、大体いつも飲んでいる。年がら年中常に飲んでいるとまではいかないが、相当な時間飲んでいる。ベースを弾いている時間とどちらの方が多いのかと思われることも少なくない。おそらくだが、ここ最近は酒の方が多い。
次に、大体いつも酔っている。いつも飲んでいるのだからそれ相応に酔っている。酒にある意味では強く、ある意味では弱いので、飲み過ぎで倒れるまではいかないものの、まともに見えたり聞こえたりしていない時がある。酷い時は酔ってどこかで倒れているのでなるべく目を離してはいけない。
そして、ライブの時も酔っている。ぎりぎりの所で毎回という訳ではないが、一升瓶を持ち込んで飲みながら弾いた挙句、口に含んだ酒を霧状にして噴射したり、一升瓶で弦を押さえて弾こうとして出来ずに放り投げたりと、いくらライブだろうが人気バンドだろうが少し問題のある行動を取っている。そういった行動に着いていける者だけが残るため、ファンは精鋭が揃っている。
そんな行動のため、酒カスベーシストという不名誉なあだ名を付けられた。むしろその程度で済んでいると言えるのかもしれない。
「やっぱり良くないですよね。バンドマンだからで許容される限界越えてますよ、多分」
「いやバンドマン関係なくヤバいだろ。あいつアル中どころじゃないし」
そう呆れたように言う伊地知先輩。同時に深いため息が漏れる。
伊地知先輩は大学時代の先輩で、同じバンドマンでもある人だ。ギタリストであるその実力は本物で、レーベルからスカウトが来るほど。ただ、色々あって誘いは断っているらしい。
バンド自体もその人気は凄いもので、ワンマンライブも難なくこなせるし、物販も余裕で完売する程。
「……」
「一応何度か医者に連れて行こうとはしたんですけどね。無理でした」
「無理でしたって……ああ、あいつの家族も一緒にやったけど逃げられたんだったか」
1度だけきくりの家族と共にきくりをとっ捕まえて連れて行く計画が立ち上がったが、きくりの勘のいい逃走により断念。
俺としてはきくりに無理やり何かをさせたくないので、なるべく穏便に事を済ませるようにしている。まあウジウジしているようなら話は別だが。
「うぅぅ……」
「ええ。俺はそれから無理に連れていくのは辞めましたけど、あっちは諦めてないらしくて」
「それはまあ、何も言えんが……」
「……ぁぁぁ」
「ま、それはどうにかなるよう色々試してるので安心して下さい。きっとなんとかなります」
「それならいいんだ。……ところで、それ。大丈夫なのか? さっきから呻き声が聞こえるんだけど」
そう言って指差した先にいたのは、ドアの前に寝転がるきくりだった。
昨日も飲みに飲んで泥酔状態でここ、伊地知先輩の家に転がり込んだらしい。きくりが来たから引き取ってくれというロインを受けて来た。今の時刻は午前0時だ。
「大丈夫です。ここに来るまでに買ってきたいつも使ってる方の胃腸薬と、特製の味噌汁を渡しましたから。もう少ししたら復活すると思いますよ」
常備している胃腸薬と毎日研究、改良している食品シリーズ第1弾である味噌汁。そして飲料用の水。この3点セットがあればきくりはそう時間がかからずに復活する。今はグロッキー過ぎて何も手が付かない状態だから、唸っているだけだ。
「へえ……ところで、その味噌汁って貰えたりするか?」
「いいですよ。多めに持ってきましたし、なんなら明日の分もあります」
ここにいるのであればと思い、謝礼も兼ねて多めに持ってきていた。なんだかんだお世話になっているし、きくりも気を許している人だ。これからもきくりと仲良くして欲しい。
「それは嬉しいな。虹夏も喜ぶ」
「懐かしいですね。昔、伊地知先輩の代わりに作った時でしたっけ」
「そうだな。あの時、お前とあいつがいなかったらどうなっていたことか」
伊地知先輩が熱を出して倒れた時のことだ。妹である虹夏ちゃんが心配だからと呼ばれ、代わりにご飯を作ったことがある。ちなみにきくりはその時虹夏ちゃんと遊んでいた。
虹夏ちゃんとは伊地知先輩の妹だ。そこそこ歳が離れていて当時は小学生だった。あの頃は色々とあったから、倒れてしまったのは疲労が溜まっていたのが原因だったのだと思う。
「僕たちがいなくても、伊地知先輩ならどうにかしてそうですけどね」
「さてな。ま、とにかくあの時のことは感謝してるぞ」
実際、伊地知先輩は虹夏ちゃんの為なら大体のことはやる人だから、発熱ぐらいでは障害にならないかもしれない。そう考えると頼って貰えて良かった。もしそれで悪化していたら困っていただろう。お世話になっている先輩が倒れたのに何もしないなんて、それこそ有り得ない。
「うぅぅ、康ちゃーん」
「あー、よしよし。ほら、そろそろ帰るよ」
「……子供か?」
よろよろとふらつきながらこちらに来るきくりを抱きとめて宥める。ここで一緒に頭を撫でておくと更に甘えてくる。より抱き着いてくるその姿はとても可愛らしい。
ただ、実際は甘えてるというより、酔いが緩和されてるだけだったりする。油断していると服やらなんやらに吐瀉されるから気をつけなければならない。伊地知先輩は何度か被害にあっている。
「それじゃあ伊地知先輩、ありがとうございました」
「ああ、じゃあな」
「またねー、せんぱぁーい」
素直に別れの挨拶をしたあたり、今回は酔いが弱めかもしれない。原因は一概に言えないから何とも言えないが、迷惑をかけすぎなかったというだけで十分だ。
◇◆◇
背負ったきくりに負担がかからないように、ゆっくりと下北沢を歩く。いくら下北と言えど、深夜になれば人影は少ない。月明かりと街灯に照らされた道は深夜ならではの空気がある。
「今日はこの辺りで飲んでたのか?」
「ん〜? 多分そう!」
元気に言うきくり。今日は本当にこの辺りで飲んでたんだろう。あの時間に伊地知先輩の家にいる時点でそう遠くから来たという訳では無いとふんでいたが。
きくりは色々な場所を飲み渡ることがあり、たまにとんでもない場所まで行っていることがある。ライブ終わりの時は特に確率が高く、酷い時は隣県まで行っているので注意しないといけない。この間は神奈川まで行っていた。
「そうか……ベースを忘れず持ってきてて偉いぞ」
伊地知先輩の家に着いて2番目に気になっていたきくりのベース、スーパーウルトラ酒呑童子EXをしっかり持っていて安心した。3番は伊地知先輩、1番はもちろんきくりだ。
きくりは飲み歩いている最中にどこかの店にベースを忘れていくことがある。一応は命より大事と言っているのだから忘れないで欲しい。酒は忘れないのにベースは忘れるのだから困る。
「そぉ? えへへー」
今日は酔いが弱めかもと思っていたが、そんなことは無かったかもしれない。いつも以上に甘い。俺としては嬉しいが、早めに帰ってゆっくり寝かせた方がいいだろう。
これでも明日はライブ本番だ。ライブ前日にこれだけ飲んでいるのは、本当に大丈夫なのかと毎回思う。慣れたとはいえ、少し怖いことに変わりは無い。特製の料理やらなんやらを準備しなければ。
「スゥ……スゥ……」
「……寝ちゃったか」
下北沢の家まであと少しという所で、耳元から穏やかな寝息が聞こえてきた。寝てしまったらしい。あれだけ酔っていたのに、寝ている時は静かなのだから凄いギャップだ。
昔から寝ている時は本当に静かで、寝相もいい。根の良さが出ていて少し嬉しくなる。今でも変わらない部分があるのだと。
翌日。手厚く保護したきくりはしっかりとライブを成功させ、打ち上げと称して再び飲み歩いたのはまた別の話。