『マリンさん――』
――――。
『マリンさん、起きてください!』
――――‼︎
……――――?
『大丈夫っすか? これから仕事ですけど……』
――?
――、――――、――――?
『鷹嶺ルイ? アイツは今日居ないですよ?』
――――――。――――――――。
……――――!
『マリンさん、ホントにどんな夢見てたんっすか……?』
――?
――……――…………。
『ほら、行きますよ。みんな待ってますから』
――――――――!
*****
「――待って‼︎」
「んにゃっ――!」「うわっ、ビックリした……」
覚醒と同時に上体が飛び起きた。
はあはあ、とヤケに五月蝿い息遣いが聞こえる。
吐息の主が自分だと気付いたマリンは、その時初めて起床した事を自覚した。
正面に見える壁から視線を落とし、下半身に掛かる毛布を見る。
ぽたぽたと水滴が垂れて、全身汗まみれである事にも気付いた。
――――何が、あった……?
記憶が判然としない……
「やっと目が覚めたんだにぇ〜! よかったよマリンたぁーん!」
さっきまで……。
アレは夢……?
「みこち。気持ちは分かるけど安静にさせろ」
そしてコレが…………現実……。
「船長、体調はどうですか?」
そうか……。
思い出した――――。
「鷹嶺ルイ……」
「「――??」」
掠れる声で名前を口にした。
今回の事件で暗躍した、あの人の名前。
目覚めてからもマリンの瞳は半分虚で、抱き付いたみこにも、それを宥めるポルカにも――気付いてない様に見える。
マリンの唇が震えていた。
「船長……?」
ポルカはみこと顔を見合わせた後、マリンの肩に優しく手を乗せた。
でも、反応が無い。
ポルカとみこも鼓動が騒ぎ始めた。
こんなマリン、見たことが無い。
マリンに顔を寄せようとすると、不意に身体を回してベッドから足を下ろした。
意識的か定かでは無いが、ずっと俯いていて目を合わせられない。
「船長……」
「ちょっと……トイレ……」
ポルカの手を払いのける様に手を回して立ち上がる。
見守る2人には益々危機感が募る。
ポルカは反射的に肩を掴み直した。咄嗟の動作で、少し力が強かったかもしれない。
「……場所、知らんでしょ? 一緒に行く――」
「だいじょぶです……」
「大丈夫、って……何が。変なとこで漏らされたりしたら困るんで――」
「だいじょぶ、ですからッ‼︎」
「っ――⁉︎」
強引にポルカの手を振り落とした。
みこが一瞬怯え、ポルカも怯む。
――マリンとは思えない。
2人の時間が停止した様に錯覚した。
ガチャリと扉が開く音がして、マリンが退室しようとする姿を前に、再び時が動き出す。
「ま、まって船長! 何か抱えてんなら話してくれよ!」
「ホントに何も無い、から」
「マリンたん……みこも、話聞くよ?」
「大丈夫だってば」
「なんで――⁉︎」
「あんたらに話せるわけ無いでしょうがっ‼︎」
必死に訴えるポルカとみこの思いを無碍にして、マリンが怒鳴った。
血走った目に涙を溜めて、それを撒き散らしながら2人を睨む。
ぼやける視界の中でみこが泣いていた。
ポルカが悲壮な姿で口を震わせていた。
大きな語弊があるが、弁明の余地は無いし、言葉に嘘はない。
罪悪感が寂寥感の上にのしかかって、身体が重くなった。
オマケに自己嫌悪が腹の底から溢れてきて、吐きそう……。
堪えきれずマリンは部屋を飛び出した――。
みこは泣き崩れ、ポルカは懸命に手を伸ばしたが……届くはずもなく……。
「っ…………」
「廊下まで響いてるよ、マリリン」
扉を開けて飛び出すと、誰かに激突した。
その人の服に涙が付着する。
マリンが醜い顔を上げるよりも早く声がして――それが誰なのか分かった。
積み重なる感情を押し殺し、震えるマリン。顔を上げられずにいると、その人はさっとマリンの身体を包み込み、優しい鼓動を聴かせてくれた。
「ポルカちゃん、ごめんぺこだけど、まつり先輩呼んできてもらっていい?」
「ぇ……っと……」
「ラミィちゃん、みこ先輩に肩貸してあげて」
「はーい」
「それとフレア。マリリンの仲間を別の部屋に集めてきて」
「え、あたし……わからないんだけど……」
ぺこらが安らぐ声色で周囲に指示を出した。
ラミィは場に似合わない元気な返事をして、早速行動に移る。
しかし、ポルカは感情の整理がつかずに動けないし、フレアはそもそも一味メンバーを知らない。
「ポルカちゃんと仲良いぺこでしょ。2人で行ってきて」
「あ、の……」
「すまんぺこな。気持ちは分かるけど、今はぺこーら達に任せて」
「…………はい」
悔恨の念に奥歯を噛み締めながらポルカが部屋を出る。
フレアに背中を摩られて感情の嚥下を促されたが、中々割り切れない。
それでもぺこらに言われた通り、まつりを探し、一味も近場の部屋に集めた。
みこもラミィに連れられて2つ隣の部屋へと移動し、室内にはぺこらとマリンだけが残る。
ぺこらの胸の内で啜り泣くマリンをベッドに座らせた。
隣に座ろうと一度引き離そうとすると、服をがっしり掴んで離れない。
顔を上げたくないんだ。
今は縋るものが欲しい。精神的にも物理的にも。
母と離れたくない園児のように、マリンはぺこらにしがみついていた。
「マリリン。どしたん?」
「んー……んー……」
胸を貸したまま頭を撫でて尋ねてみたが、泣きながら首を横に揺さぶる。
ぺこらの胸元が涙でびしょ濡れになった。
「マリリン。顔見せて」
「んー……」
今でも十分マリンの心境は察せるが、やはり面と向かってこそ読み取れる物も多々ある。
頭を引き離して目を合わせるよう諭すが、また首を横に振る。
涙がベッドのシーツに大きなシミを作った。
ぺこらは困り果てた。
強引に顔を上げさせるか、せめて泣き止むまで待つか……。
子どものように泣きじゃくるマリンを前に立ち往生していると――
バンッ、と扉が開いた。
「マリンっ‼︎」
勢いよく入室してきたのは、もう1人の異世界出身者、夏色まつり。
ポルカが退室してから、まだ5分と経っていない。
ぺこらとまつりの目が合う。
まつりの息は荒く、肩が激しく上下していた。
「何があったの⁉︎」
扉から手を離すと勝手に閉まる。
まつりが足早にぺこらの隣まで寄ると、ぺこらは困り顔でまつりを見つめ返した。
「マリン、どしたん?」
「んー……んー……」
まつりの問いにも変わらない反応。
肩に手を乗せると小刻みに跳ねる。
「それじゃ分かんないでしょ。ちゃんと言って」
「んー……、んー……」
「マリリン。ぺこーら達の事、信じれない?」
「んー……」
「じゃあ言って。何でも聞くから――ね」
ぺこらがマリンの空いた肩に手を乗せると、マリンの震えが弱まる。
2人の手から温もりが伝わって、マリンの心を温める。
「んぅっ…………おごっ、ら゛ない――?」
「言わなかったら怒る」
まつりの返答に小さな安心感を覚え、更にマリンの震えが弱まる。
まつりとぺこらはそっと手を離して、マリンの両サイドに座った。
少々圧迫感を与えるが、無理矢理にでも喋らせなければどんどん逃げて行く。
10秒ほど唇を震わせてマリンが言葉を探していた。
その時間も静かに待機し、2人はマリンの言葉をじっと待つ。
「ずっど……ぅっ、ず……ずっど、悲じがった……っ」
声を詰まらせながらひた隠しにして来た思いを吐露する。
「あずきせんぱいも゛っ、すいぢゃんも゛っ……てぎ、だったじ……! みんな、ぜんぜんっ、みんなじゃ、ないじっ――!」
「「…………」」
「でぼっ……ながまがふえでっ、みんなやざじぐて……! ぺこだと、あずきせんぱい、とめだらっ……ながまに、話そうっで! 決めてた、のに゛っ‼︎」
涙が一層勢いを増して溢れ出る。
その涙にはマリンの抱え切れない感情の全てが籠っていた。
「せっかぐぺこだをたずげたのにっ……! ルイが――‼︎ ルイが――‼︎」
ぺこらは目を伏せた。
マリンが涙を拭う為に使っていた手を頭に持って行き、自分を叩き始める。
「もう…………いやだ……! 帰りだい……! 元の世界に帰りだいよぉ……」
小さくなって嗚咽を漏らすマリンを跨ぎ、2人が目を合わせた。
一味を……退室させて良かったと思う。
「ん……寂しかったね」
ぺこらが横からマリンの頭を抱き寄せた。
先よりもよく、ぺこらの鼓動が耳に響く。
周期の早い律動がマリンの全身を小刻みに震わせ、慰める。
マリンの思いは2人にも痛いほど分かる。
2人だって異世界出身で同様に苦しい思いをした。
だから親身になってあげられる。
それでもまつりはひとつだけ不服な事があった。感情に畳み掛けるようで躊躇したが、結局口にする。
悲哀に満ちた瞳で、言葉を震わせながら。
「なんで……なんであの時、まつりに……言ってくれなかったの……」
「……、……」
その問いにぺこらが小さく口を開けた。
先程まで、何故マリンが打ち明ける事を拒んだのか。恐らくその理由と繋がる。
込み上げる想いがマリンの喉を詰まらせる。
「ぅっく……ぅっ、ぐ…………だっで……」
まつりの眉がぴくりと動いた。
「だっでぇ……っ……まつりも゛、ぺこら、も゛っ……わだじより、ずっと、前に来ででっ……もっど、ざびじいはずなどに……っ! なのに、わだじがっ、そんなこどで泣いてだら……嫌……でしょ……ぅ?」
「――っば……ぅ……こ、んの……バカ‼︎」
躊躇した一言をまつりは口にした。
怒らないようにしたかった。でも怒りたくなった。
ぺこらも少し膨れていた。
「どれだけの仲だと思ってんの……‼︎ そんなんで嫌になったりしないに決まってんじゃん‼︎」
「ぅっ……ひぐっ……っ……!」
「でもまつりも……悪かったよね。ごめんね……どれだけの仲とか言っといて……マリンの気持ち、気付けなくて……!」
「んー……! んー、んー……!」
息を詰まらせながら涕泣するマリンにまつりはそっと寄り添って、共に涙した。
ぺこらの胸には2人分の重圧が掛かるが、それらを抱き止めてマリンの頭を泣き止むまで撫でてやった。
――――――。
啜り泣く音は10分後に途絶え、更に5分後には鼻を啜る音も聞こえなくなる。
涙で水浸しになった服からマリンを離すと、漸くその顔が光を浴びた。
涙と鼻水の跡が複数箇所に残っており、照明で煌めいている。
目も鼻も頰も赤く腫らしていて、虫に刺されたみたい。
「整理ついた?」
「…………ん」
ぺこらが顔を覗き込むと、マリンが一層紅潮して視線を逃した。
泣き止んで少し冷静になると自分の激しい鼓動が聞こえた。
逃した視線の先にちらりとまつりの泣き笑いが見えて、益々赤くなる。
もう視線のやり場がない。
「マリリン、ちょっと顔、よく見せて」
「な、っんで……」
「いいからさ」
「待って――! ホントに――‼︎ 恥ずかしい、から……っ」
マリンの頰を挟んで顔を引き寄せると、熱中症かと言うほど真っ赤になって視線を逃す。
だがぺこらはお構いなしに腫れた顔を見つめてにこっと笑って見せた。
「うん――3年前と同じ! ぺこーらの知ってるマリリンぺこだわ‼︎」
「っーー――――――‼︎」
また発熱して倒れないか心配になる。
「ある程度落ち着いたみたいだからさ、マリリン。2つ聞かせて」
「ま、待ってぺこら……私まだ落ち着いてない。本当に――めっちゃ熱い」
「マリンってやっぱさ、乙女だよね〜」
「――うるさい!」
まつりに茶々を入れられ熱が下がる。
2人の掛け合いを見て問題なしと判断したぺこらが、早速一つ目を切り込む。
「一味……あー、ポルカちゃん達に話さんかったのは、なんでなん?」
「ぁっ…………」
早々にダメージの入る質問でマリンは窒息しかける。
適度に喘いで呼吸を整えると、言葉を探し始める。
「誰にも言わないぺこだから、素直に言っていいぺこよ。言葉選ばずに、思ってる通りに」
「っ……」
真っ直ぐな瞳から隠れるように目を伏せた後、もう一度顔を上げてぺこらを見つめ返す。
まつりの目も見た。
もう、涙の痕跡も無い。
「一応……船長だから、みんなを心配させちゃいけない、って……。それと、内容も、その……異世界の事、だったし」
「そうぺこな」
「……2人は、さ。誰かに話してないの?」
率直な想いを語ると逆に2人に質問を返した。
2人は迷わず答える。
「まつりは誰にも」
「ぺこーらも言ってない」
「ぅ〜……そうよね……」
初っ端からポルカに明かした自分が愚かしく思えた。
マリンは枯れたはずの涙を目元に浮かべてとほほと肩を落とす。
今ではそこから派生して、AZKi、アキロゼ、トワ、フブキ、おかゆが確実に知っている。
「でもまつりもね、ししろんとルーナには口滑らせてるから、若しかしたらその2人は勘付いてるかも」
「あー、2人とも鋭いぺこだしね」
異世界人、とまでは見破れずとも何かしらの憶測は立てていそうだ。
「……それでぺこら、もう一つは?」
「んあぁ、それはこれからの事」
「「――――」」
一度弛緩した空気が重くなって、心が引き締まる。
「思った通りに言うぺこよ」
「うん」
「これから、どうしたい?」
「――ルイの所に行く」
「さっきは、帰りたい、って言ってたぺこよ?」
「うん。でも、このままじゃ帰れない。フブちゃんの記憶や、皆を盗られたまま、見捨てて帰りたくない」
そもそも帰り方が分からないが、それとこれは別。
マリンは決意に目を赤くして即答した。
ぺこらもまつりも、真摯な瞳で受け止める。
「ん、良かった」
「そうじゃなきゃケツ引っ叩いてたよ、絶対」
「そうぺこな〜」
ぺこらとまつりがほっと安堵すると、空気がたちまち弛緩する。
「……」
マリンは俯いて顔を隠した。
そして、誰にもバレないようにそぅっと口角を上げた。
最後の涙を振り落として顔を上げる。
「2人とも……ありがと」
「んーん、まつりも悪かったから」
「ん。それにマリリンも――」
「――?」
ぺこらがマリンの前にかがみ込んだ。
羞恥心を拭って――不意に抱きついた。
「――⁉︎ ぺこら⁉︎」
「――ありがとうマリリン。ぺこーらの事、助けてくれて」
心が昇天しかけた。
涙は流しきったはずなのに……。
真横からの恨めしそうな視線が怖い。
「……うん。無事で良かった」
ぎゅぅーっと史上最大の抱擁を返した。
ぺこらの胸元がびしょびしょで、それがマリンの服にもうつる。
「…………」
まつりは開きかけた口を閉じる。
いつもの様に「まつりにも」と強請りたかったが……ぺこらが必死に隠す涙を目にしてしまい、茶化す勇気が無くなった。
2人の抱擁はたった10秒の短く長い時間だった。
「ん…………じゃ、マリリン」
「うん」
熱い抱擁を解くと、2人は最後にもう一度見つめ合う。
そこにはいつも通りの慣れ親しんだ2人がいた。
「きっと仲間が2つ隣の部屋で待ってる」
「……うん」
「行ってあげて」
「うん」
マリンが重たい腰を上げた。
ベッドがぎっと軋む。
枕元に置いてあった愛用の海賊帽を掴んで扉の前に立ち――。
「2人とも、本当にありがとう」
「ん」
「いぇい!」
「――大好き」
マリンは海賊帽を深く被って部屋を後にした。