今から8年ほど前、風真いろはは「おもちゃの国」で平穏に暮らしていた。
家の畑仕事を手伝いながら、武道に励みつつ、時折島を散策しては野生動物を狩ったりする、やや野生的ではあるものの、至って普通の暮らしを送っていた。
そんないろはの住まう「おもちゃの国」には約100年前から幽霊伝説がある。
海上や山を漂う幽体を見た。ひとりでに物体が動き出した。ドッペルゲンガーを見た。夜の山から女の啜り泣く声が聞こえた。青白い人魂を見た。
その内容は様々あり幾つかは噂とともに捏造された物だろう。
ただどの噂も、長年に渡り囁かれ続ける事から、この島には本当に出るのだろう。
やがておもちゃの国の幽霊伝説は周辺地域へと広まり、正体不明の幽霊が住まう島――Ghost is Anonymous、通称GAと呼ばれる様になった。
さて、そんな島で暮らしているいろはであるが、彼女はホラーの類が苦手である。人も幽霊も、ホラーとなれば同じく恐怖の対象となる。
だから夜遅くに山や海には行かないし、買い物で街に出る際は必ず墓地前を通らないように遠回りしていた。
所がある日、いろはは重大なミスを犯してしまう。
昼のうちに山へと出掛け、普段通りの道を通っていたが、野生動物を追って道を逸れてしまった。
忽ちいろはは迷子になり、日は暮れ、森に明かりは無くなった。
「うぅ……ここどこぉ……????」
目頭に涙を浮かべて牛歩で山を彷徨う。
鳥が羽ばたけばビビり、動物が動けばビビり、風が吹けばビビり、終いには自分の足音や鼓動にビビる始末。
がさっ!
「ひぃぃっ‼︎」
また鳥が飛んだ。
腰を抜かして大きく尻餅をつき、落ちていた枝をお尻で踏み折る。
その音で連鎖して驚き、泣き始めた。
「風真歩けないよぅ……誰かぁ……」
泣くと言っても子供みたく泣きじゃくる訳ではない。
ただ涙を流し続けるだけ。
「大丈夫?」
「ひぃぃっ‼︎‼︎」
足音も無く迫って来た人に背後から声をかけられ、肩を跳ねさせる。
体感10メートルは跳んだ。
いろはは目に涙を溜めて振り返る。
ぼやける上に暗くて見辛いが、人が立っていた。
「うぅ……ひとぉ……」
「迷子?」
「ぞうなんでずぅ……」
「こっちおいで、案内してあげる」
女の子がある方向を指差して進み始めた。
いろはは藁にも縋る思いで立ち上がり後を追う。
「あ、違うや、街はこっちだ」
数メートル進んだ後、少女は踵を返して正反対の方向へ。
早くも縋った藁に不安感を覚える。
しかし、見知らぬ人とは言えこの窮地で遭遇してしまえばもう、安心できるまで側を離れられない。
涙を流しながら少女の後をコガモのように必死に追い掛ける。
「ねえ! どうしてこんな夜遅くに山にいたの?」
「へ⁉︎ そ、それは……動物を狩りに来て……迷子になって……」
「ずっと⁉︎」
「うぅ……だっでぇ……」
「えっへへ‼︎ 変な人」
少女はクスクスと笑った。
いろはは揶揄われた様に感じたが、本人にその意志はなかった。
ムッとしていろはは涙ながらに言葉を返す。
「そういう貴女は、こんな夜中に何をしてたんですか!」
「私? 私は……うん、ちょっと……お散歩」
「夜にお散歩⁉︎ しかも幽霊山を⁉︎」
「………………」
「貴女の方がよっぽど変でござる‼︎」
「…………」
少女は黙り込んだが、いろはは何も感じなかった。
――――やがて山道の灯りが見えて来る。
「ほら、あそこが山道だよ」
「はわぁ、助かったぁ――!」
いろはの目から嬉し涙が溢れ出る。
感情の起伏の激しさが面白いのか、少女はまたクスッと笑った。
「あの、ありがとうございますっ!」
いろははご機嫌に少女の片手を掴んだ。
「…………」
「っ」
はずだった……。
両手で右手を握った筈が、両手がパチンと音を鳴らした。
位置ズレした? いや違う。
少女が恐れる顔でいろはの手を見つめる。
いろはは全身を震わせながら、恐る恐る女性の手を見た。
「――――」
途端にいろはの顔が青褪める。
全身と肝が一気に冷えた。
冷静になって少女の全貌を確認すると、もう、疑いようが無かった。
手が透けている。
身体は浮いている。
そして心無しか肌寒い。
「ひっ……」
お互いの心臓が飛び跳ねた。
「ひぎゃぁあああああああ‼︎」
いろはは猛スピードで山道を下って行った。
取り残された女幽霊は独り淋しげに山の奥へと消えて行った。
*****
幽霊に出会った日は怖くて全く寝付けないまま夜が明けた。
そして次の日は寝不足で身体がフラフラしたので外出せずに家で安静に過ごしつつ、幽霊のことを懸命に記憶から消そうとするが消えず。
更に翌日――幽霊と遭遇した2日後だ。
いろはは買い出しの為に街へと繰り出した。
護身用と称して刀を携えショッピングモールなどを闊歩するのである。
3時間ほど街を彷徨き、日用品や食料品、衣類など必要な物を購入して帰路へついた。
その道端でいろははとある噂話を耳にした。
その内容が「一昨日の深夜、山に啜り泣く女の幽霊が出た」である。
極力考えない様にしていたが、その噂を耳にしてからいろはは気が気でない。
幽霊が何人居るのか知らないが、あの日いろはの見た幽霊は道案内してくれた1人だけ。
身体的特徴から幽体である事は間違いないが……道案内してくれる親切心があり、普通の女の子と変わらないオーラもあった。
そして何より……いろはが逃げ去る直前に見せた、哀愁漂う表情が忘れられない。
恐怖心ばかりが先行して――親切へのお礼すらしていない。
啜り泣く女の幽霊が、いろはの出会った幽霊と同一人物なら――あの時見せた表情は……。
帰宅後いろはは早々に夕食を済ませ、恐怖心と葛藤しながら、真夜中の山へと踏み入った。
薄明かりのある山道を進み、ある程度の深さまで進むと道を外れて更に深淵へと踏み込んでゆく。
全身震えながら刀を構えるとカタカタと音が鳴り続ける。
草木を掻き分けて山中を歩き、小声で叫んだ。
「ゆ、ゆうれいさ〜ん……いませんか〜……? 居なくても、いいけど……」
今のいろはの最大限の声で幽霊を呼ぶ。
暗闇の中、小さな照明だけを頼りに進むいろはは、恐怖心と戦い過去の自分を責め立てる。何故単身で深夜の山に繰り出したのか。
(風真はバカか⁉︎ バカなのかぁ⁉︎)
涙が溜まるお陰で目が乾燥しない。
「あの――」
「ひゃぁあ‼︎」
背後から突如お声がかかり跳び上がる。
体感5メートルは跳んだ。
「誰ですか⁉︎」
「ぇ……呼ばれたから、来たんだけど……」
刀を構えて振り返れば、先日出会った幽霊がいた。
いろはは安堵と恐怖で感情がぐちゃぐちゃになり、人生史上最も震えていた。
「お、よよややよ、よかった……ああ……」
「だ、だいじょうぶ?」
「だだ、だだだだだっ!」
「……っふふ」
幽霊少女が苦笑を溢した。
以前の記憶を忘れた様に振る舞っているが、「迷子さん」の認識がある事は会話を重ねるまでも無く伝わった。
なのでいろはは何度も深呼吸して心を落ち着け……。
おっと、刀は仕舞わなければ……。
かちゃっ。
「あ、あのっ! 一昨日は、あ、ありっ、ありがとうございます‼︎」
「そんな……気にしないで!」
「それと……ごめんなさいっ! 助けてもらったのに……失礼な態度、取っちゃって……」
「……いいんだよ。慣れてるから。お化けを見たら、誰だって怖いよね」
「風真、ホラーが大の苦手で……」
いろはの素直な謝礼と謝罪に、幽霊少女も本心を答えた。
最後にいろはは自身のお化け嫌いを告白する。
幽霊少女はその言葉を聞いて、目を丸くした。
「……なのにわざわざ、お礼を言いに来てくれたの?」
「――っーーーーー‼︎」
かぁぁぁっ、と全身真っ赤に火照る。
少女が放つ特有の冷気を上書きする熱で、汗が吹き出た。
両腕で顔を覆って赤面を隠す。
幽霊少女が笑った。
幽霊少女が泣いた。
笑いながら、泣いていた。
涙が世界を透過して溢れていった。
「ねぇ……明日。明日の夕方6時に、またあの山道に来られる?」
「――、――」
幽霊少女の可愛さに見惚れていたいろはは、黙って小さく頷いた。
全身の火照りも収まって、冷気が帰ってくる。
「色々お話がしたいな!」
「……、…………」
何度も頷いて気持ちを整理させた。
「ありがとう! じゃあまた明日会おうね」
「うん……」
幽霊少女は山の奥へ消えていった。
直後――
「ぁ……名前……」
名前を聴き損ねたことに気がついた。
*****
夕方6時、陽が沈む中山道へと足を進めた。
以前幽霊少女に案内された地点まで足を運び周囲を確認した。
人気は無い。
「ねぇ……ねぇ……」
「――?」
「こっちこっち」
茂みの奥から幽霊少女の声がした。
そちらを見れば少女が手招きしていたので、もう一度人目が無い事を確認して足早に近寄る。
「お待たせでござる」
「こっちだよ、来て」
幽霊少女の案内の下、山の奥深くへと進んで行く。
幽霊少女は木々を透過して進むので、いろはは遅れない様懸命に後を追う。
草木を掻き分けているうちに擦り傷が増えていったが、2人とも気にしていない。
「あの、どこへ行くのか知りませんけど、お名前だけ先に聞いときたい、んですけど……」
「あっ、そっか、忘れてた!」
控えめに声を掛けると少女はぽんと手を叩いて盛大に振り返った。
身体が半分木に埋まっていて怖い。
「私はときのそらだよ、よろしくね!」
「風真は、風真いろはでござる」
「お侍さんなの?」
「そうでござるよ!」
ふふんっ、と鼻を鳴らして刀を鞘ごと掲げると木の枝に引っかかって地面に落ちた。
ダサい瞬間を見られて赤面する。
「そ、それで――! 山奥に向かってる様だけど、どこに向かってるでござるか?」
話題を逸らす事で紅潮した顔から意識を外させる。
そらは「あー」と相槌を打って前を向き、再び浮遊で前進を始める。
「私の家だよ、山の奥の方にあるんだー」
「家? 幽霊にも家があるんでござるか?」
「あっはは……うん、まあ見た方が早いかな」
「――???」
――との事らしいので、いろはは黙ってそらの後を追った。
そのまま歩く事15分。
絶対に誰も近寄らないであろう僻地に、ポツンと寂れた家が植物に侵食されながら佇んでいた。
いかにも幽霊が出没しそうな廃墟の様な家。
「ここが……家?」
「うん、待っててね、今鍵開けるから」
そらは扉を貫通して宅内へ侵入した。
(幽霊なのにどうやって鍵を開けるんだろう?)
そんないろはの疑問も他所に、ガチャリと解錠の音が聞こえた。
きぃぃ、と廃墟らしい音を立てて扉が開き、中からそらが顔を出す。
「入って入って」
ドアを開け放っていろはを中へ入れ、丁寧にドアを閉めた。
中は外観から想像できないほど綺麗で、相当手入れされている。よほど暇人なようだ。
「コーヒー? 紅茶?」
「……紅茶で」
「苦手な味とかない?」
「……うん」
「りょーかーい」
そらはキッチンの流し前に立つと、やかんと紅茶のパックを呼び寄せる。
棚からそれらが独りで動き出し、そらの手元へ。
蛇口を捻ってやかんに水を溜めて火に掛ける。
小さな塗装の剥げたマグカップを2つ手元に寄せ、軽く水洗いするとカップの中にティーパックを入れ、水の沸騰を待つ。
いろはは物体が浮遊する光景に一瞬瞠目したが、ポルターガイストの噂も時折耳にする。そらが全ての怪奇現象の原因なのだと自己完結した。
「あの……そら、ちゃん?」
「んー? なにー?」
「何でこんなとこに住んでるでござるか?」
「…………」
俯いて、一度答えを躊躇ってみる。
でも直ぐに口を開いた。
「……聞いてくれるの?」
「――?」
「ちょっと、暗い話になっちゃうし……会ったばかりだから」
「いいでござるよ。風真も気になるから」
本心は凄く聞いてほしい。それが態度から滲み出ていた。
いろはは快諾してにっこり笑いかける。
そらは「じゃあ……」と口調の割にはノリノリでいろはの対面に座った。
「話を聞く前に前提として知っておいて欲しいんだけど」
「うん」
「私は『ホラホラの実』の能力者。様々な心霊現象を起こす事ができる」
「え――⁉︎ 能力者だったの⁉︎」
本当に幽霊だと思っていたいろははビックリ仰天。
声を張って盛大に驚いた。そらが嬉しそうに笑い、話を続ける。
「そしてこの能力故に、私は歳を取らないの」
「歳を……取らない?」
「そうなの」
「え、じゃ、じゃあまさか……」
いろははこの島の幽霊伝説の真実に踏み込みかけた。
「私は100年ほど前からずぅーっと、この島に住んでるの」
「100、年……」
いろはの10倍ほどはおばあちゃんだった。
そらの容姿はどう見ても10代後半の少女だが、実年齢をカウントすればとうに100歳は超えているわけだ。
「私は100年ほど前にこの能力を得た」
そらは薄れもしない100年前の記憶を語りだす。
「中々利便性の高い能力で、日常生活でも使ったりしてたんだけど、それを見た街の人たちは私の事を気味が悪いって遠ざけたの」
「――――」
「仲の良かった子達から、呪われる、って除け者にされたり、私の家にお札を貼り付けて厄除けだとか言われたり……散々だったよ」
「……酷いね」
「うん……」
元よりホラーに耐性のあるそらには理解できない思考だった。
幽体だからと石も投げられた。
能力一つで国の嫌われ者になったのだ。
「だから家を出て、山奥にこんな家を建ててひっそり暮らしてたの」
「そういう事だったんだ……」
「気付けば私を知る人は島から殆ど居なくなって、いつの間にか私は島の地縛霊扱い」
「……」
街へ戻らないのか?と聞きかけて引っ込める。
国中からのイジメを受けて、誰が戻ろうと思うだろうか。無神経にも程がある。
「……どうして幽体で家を出てるでござるか? それも夜に」
「ん……? 幽体で外出するのは、癖かな。石投げられてたから。夜に出るのも人目を避ける為。そのせいで完全に夜型になっちゃったけど」
そらの背後でぶくぶくと沸騰する音が聞こえた。
慌てて火を止めに行く。
慎重にカップへお湯を注ぎ、紅茶の味を染み込ませ、いろはへと提供した。
爽やかに鼻を突き抜ける酸味。
レモンティーだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
同時に一口啜り、コトッと卓上へ戻す。
「ねえ、いろはちゃん」
「ん?」
「私とトモダチになってほしいな」
「オッケーでござるよ!」
いろはは二つ返事で答えた。
「――! ホントに‼︎」
「勿論‼︎ ずぅーっと一緒にいるでござる‼︎」
「ずっとは無理だよ、私歳取らないもん」
「じゃあ、風真が生きてる限りずっと!」
出来ない約束はするべきでは無い。
それは分かっていても、いろははそらを見捨てることが出来なかった。
「約束するよ!」
「えへへ……ありがとう‼︎」
2人は小指を立てて交差させた。
2人は、いつまでも一緒にいる事をこの日誓った。
そして友達の様な談笑を朝まで続けたのだった。