背後から接近する足音がある。
1年以上会っていないはずなのに、誰だか分かる。
この駆けてくる足音。
好奇心のままに進む、とても軽い足。
そんな足取りで、僕を追いかけないで……。
病みの中にいる僕にとって、フブキちゃん、君は……。
あの人の言う通り。
知ってたんだよ。
だっていつでも僕は……要らない子だったから。
「おかゆん! 待って!」
ラッシュを控え、人の増え始めた港から少し離れた市街地。
スーパーなどに紛れて、やはり娯楽場が点在する通り。
まだ朝早い方なので、開店しているのは24時間営業の麻雀店など。
ゲームセンターも開店前でまだまだ閑散としている。
こんなに静かなこの市街地は、初めて見る。
そんな静かな市街地を、フブキの声が海からの潮風と共に通過する。
「……」
一度足を止める。
別に、励ましてもらう為に落ち込んでない。
ただ少し、後ろめたい気持ちがある。
だから振り返らずに、葛藤していた。
「……」
そして、何も言わず、また歩き出す。
「おかゆん!」
フブキが更に駆け寄り、右腕を掴む。
生温かい、フブキの手。
「……せめて、あっちで」
懈さを隠さず、右腕を無理矢理上げて、ある方向を指差した。
こんな人目につく場所で、する会話じゃ、ないでしょ、どうせ。
フブキはコクリと頷き、手を離した。
そして、鈍いおかゆの歩幅に合わせて、望む場所へ。
体感時間は長かった。
ただ無言で、隣に並ぶこともなく、ゆっくりと歩いたから。
「…………」
進路の半分ほどで、目的地を察したフブキは悲哀に満ちたおかゆの背を黙視し、数秒後に逸らした。
そんなフブキの内心も露知らず、おかゆは負の感情を蓄積していた。
何をしても長いこの時間を耐え抜き、漸くおかゆの目指した場所へと辿り着く。
フブキの目に焼きついて、剥がれることのない地形。
過去とは異なる景色が、フブキには区別できなかった。
あの砂浜。
景色はそこそこにキレイだが、釣りができるでも、遊泳ができるでもないこの浜に人はまず立ち寄らない。
何をするにしても、他により適した海がある。
だからここは、いつだって4人だけの思い出だ。
ここはみんなの思い出の場所。
写真に残したあの砂浜だ。
そこに佇み水平線を眺めるおかゆに、フブキは苦い顔をした。
「それで……何?」
「ぇ……?」
「僕に何か用事?」
「え……あ、ああ……うん……」
おかゆに呼び寄せられたが、引き留めていたのはフブキ。
用があるのはフブキだ。
色々が混沌として、気分が逆転していた。
そう、今はおかゆを船に乗せること。
その為に彼女を励ますこと。
今のフブキの目的はそれだけ。
だからそれ以外は心の奥底へ収納する。
「おかゆんも一味に入ろ、ね?」
「さっき言われたでしょ、僕は邪魔だって」
再勧誘は予想された内。
おかゆも淡々と自嘲気味に答える。
何度も潮が寄せては返す。
その音に呼応するような呼吸音。
「そんな事ないよ。あの人は一味じゃないし、ちょっと強いから上から目線なんだよ。ムカつくよね」
ハハっと笑って、勝手にぼたんの言葉を撤回する。
乾いた笑いにもフブキの言葉の撤回にも反応せず、遥か彼方を見つめる。
「…………」
気不味くなり、フブキはキョロキョロと視線を泳がせた。
おかゆの表情が見たい。
でも、急に立ち位置を変えられない。
まだ2人には距離がある。
親友のはずなのに、今は距離がある。
「1年ほど前、フブキちゃんが変な人を連れてきたの」
「え……」
ボソッと、独り言のように呟いた。
咄嗟に記憶を巡らせるが、覚えがない。
洗脳後の話をしている。
「強かった。抗いようがなかった。でも僕は、逃げ延びた。何でか分かる?」
「それは……」
「ん……? それは、何でだと思う?」
言葉につまり俯くフブキとは対極的に、おかゆは空を見上げている。
「そ、れは……」
「言ってみて、気にしないから」
冷めた声音に、怯えながらフブキは口を震わせる。
答えない選択肢がない。
それを、おかゆ本人に、言わせたくない。
妙なプライドが、フブキの中で立ち上がった。
「ミオところねに……守られたから?」
「正解」
フブキは力強く奥歯を噛み締める。
「ただ、それもほんの少しだけ。結局僕はすぐに押さえられて、そこからは記憶がない」
「…………」
「でもね、直前の会話は鮮明に憶えてる」
「会話……って?」
「――」
「っ!」
フブキの疑問に、初めて振り向く。
光の無い、まるで個性を消失した無生物のような瞳で直視された。
今までで、一番恐ろしいおかゆの姿に、絶句した。
「『この子、どうする?』『見られてるし、一応』って」
「――――‼︎‼︎」
絶句が重なり、一瞬呼吸が停止した。
一瞬の機能停止で酸素が不足する。
急いで呼吸を再開し、空気を欲するが、生暖かい潮風が口内に入り込み、気持ち悪い感触を味わった。
「僕は要らないんだよ」
「そんな事ない」
「……」
「おかゆんは要らない子じゃないよ」
怯えるように訴えかける。
おかゆを励ます為に叫ぶ。
でもまるで、詭弁を弄するようで、真っ向からぶつかれない。
本心だけど、全く響かない。
「フブキちゃんは優しいね」
「いや……別に嘘じゃ……」
「ヒドイよ」
「――っっ‼︎」
絡み合った視線が、見限るように逸らされる絶望感。
逸れた視線を追うと、大粒の涙が滴る瞬間を目の当たりにしてしまう。
反射光を反射して、砂浜にポタポタと滴下して、砂を穿つ。
「慰められたら……どうしようもないじゃん…………!」
フブキの激励が、おかゆを零落させてゆく。
装飾できず、上手に吐露できないから、ただ必要だと叫んでいた。
空回り?
ちがう。
これはフブキが口撃した結果だ。
追い詰めたのは、紛れもなくフブキ。
親友をやって10数年。
初めて見た。
悲愴に塗れて涕泣する、おかゆなんて……。
悲泣の声は波音を掻き消してフブキに押し寄せる。
泣きじゃくり、立つことも儘ならない。
悲痛な声がフブキの心を激しくノックする。
おかゆが涙を垂らす度に。
おかゆが声を漏らす度に。
フブキも涙が込み上げてくる。
逼り来る感情に涙を堪えて5分は経過した。
この慟哭を聞いて5分だ。
その果てに、フブキは――ずっと伝えたかった本心を得た。
そして、涙した。
「おかゆん! おかゆんは、要らない子じゃないよ!」
「ぅぐっ……」
言霊とは不思議だ。
同じ言葉が形も意味も、何もかもを変えておかゆに届くのだから。
「確かにおかゆんは、弱い!」
「うぅ……ぐっ……」
いいんだ、断言して。
おかゆが弱いことなんて、みんな知ってる。
事実を肯定する。
そして、おかゆが気付いていない事実を、彼女の盲点をフブキが見せてあげるんだ。
「でも、強さと必要性は関係ないから」
「……うずっ……」
「私はずっと、4人で海に出たかった。私と、ミオと、ころねと、おかゆんの4人で」
「確かに、過酷な世界だろうから大変かもしれないけど、4人なら乗り越えられると思った。4人なら、何でもできる気がした。だからみんなを誘ったの」
「強くなくたっていいの、私はみんなが側に居るだけ凄く楽しいし勇気が湧くの。だから私はいつまでも4人で海に出ることを夢見てる」
「その夢のために、ミオところねを助けに行きたい。だからお願い、力を貸して」
「…………ぅ……」
「強くなくたって、私ならミオを、おかゆんならころねを助けられる気がするの。ううん……何が何でも、私たちが助けないといけないの!」
「ぅぅ……、……」
「きっと私たちじゃなきゃ、どうにもできない」
「……うぅ……」
「おかゆん。私の夢のために、そして2人を助けるために、これからの過酷な航路に、ついて来て欲しい」
「…………」
目と目が合う。
「……でも僕は……」
視線が逃げる。
「おかゆんが居ないと、私が嫌なの。例え弱くても、おかゆんじゃないとダメなの!」
逃がさない。
視線の先に回り込む。
「……いつか絶対、邪魔になる」
「ならない!」
「――!」
逃げるな!
逃すな!
「弱い僕には……」
「人の価値は――強さで決まらない‼︎」
逃がさない。
視線の先に回り込み、フブキは叫んだ。
おかゆの瞳が潤んだ。
濡れている瞳が潤んだ。
すかさずフブキは、抱擁した。
「僕は……ぼくは……」
「おかゆんは、私の大切な親友だから」
「ぼ、くは……ぼ、くは……」
「お願い、これ以上は言わないで」
「ぼくはぁ……ああぁぁ……‼︎」
枯れ果てたと思った涙が、溢れ返してきた。
お互いに顔が見えない状態で、涙を流した。
その雫は、やはり輝く。
今日一番の声で、目一杯泣いた。
親友の存在は大切だ。
長所と短所を認め合う事ができる。
だけど、普段はそれを口にしない。
故にこんな時、すれ違いは起きるのだろう。
その山場を乗り越えてこそ、真の親友だ。
すれ違いも、喧嘩も、嫉妬もしない友達関係なんて、存在できない。
もし存在して見えたなら、それはマヤカシ。
親友とは、取り繕わずにいられる関係である。
2人は、親友に、なれただろうか。
この後お互い、心の底から笑えたのなら、きっとそうなのだろう。
*****
船上にマリンとポルカ、トワ、ぼたんがいる。
「いつまで待つんすか?」
「そりゃあ戻って来るまで」
「ゆうてもあれから1時間経ってんぞ」
「まだ1時間でしょ。急ぐ用は……無いんだし」
「今あったよね? 絶対急ぐ用事が頭に浮かんだよね?」
フブキとおかゆの帰還を待つマリンだが、トワとポルカはその選択には否定的。
強さと弱さを理解し、2人は船を降りるのではないか、海に出るとしても別の航路や仲間を選ぶのではないか。
この船へ拘る必要など皆無だ。
「そもそも。フブちゃんが船に乗るのは故郷までって話だったじゃんか」
「それは話の発端でしょ。結局仲間になったんですから」
「言質取りましたか?」
「…………」
「あたしとトワ様はちゃんと明言してる」
「でも船長もフブちゃんも仲間意識はあったし、2人だって――」
「仲間宣言は乗船の基本じゃないの?」
「…………」
トワとポルカの詰問にやがて返答できなくなる。
マリンのホロメンに対する身勝手な仲間意識が存在するせいで、人を冷静に分析できていない。
その邪魔な概念を一度、どこかで排除したい。
でも、その概念を放棄するとしたら……マリンは一体何をしているのだろう?
マリンが海賊である事から既に固定観念に納まっている。
立場が逆転して見える光景に傍観者のぼたんは口元を曲げた。
「いっつもこんな?」
「え……」
「いっつも船長さんはこんな風?」
「おん、コレが普通」
質問で割って入るぼたん。
返答に逡巡したマリンに代わってトワが包み隠さず、断言する。
「ふーん」
「……」
おかゆ同様に、ぼたんに貶されるのか?
それは――アリ、と言いたい所だが、立ち直れない未来も見えるので……ナシかな。
「な、何か……?」
「んや別に」
さっと流され身震いした。
え、まさか、幻滅された?
いや、そもそも理想がないとしたら、見限られたの方が正しいか。
「船長‼︎」
「――⁉︎」
船の外から突如大声で呼ばれた。
稲妻に撃たれたような速度で反応し、船の淵まで駆け寄る。
マリン以外は、ふらっと立ち寄るような軽い感覚でその周りへ。
3人が見下ろす先。
波止場にはフブキとおかゆのコンビがいた。
遠目からでも一目瞭然なオーラの違い。
マリンは板と階段を掛け、道を作る。
その通路を2人が足早に駆けてきた。
「船長」
「えっと……どうも……」
おかゆが畏まって姿勢を正す。
フブキは緩和剤になる想定なのか、ニコニコとしていて、空気を温めようとしている。
「ぁ――」
「一応聞きますけど、おかゆさんは、自分の意思でここへ来たの?」
マリンが声をかける寸前にポルカが割った。
マリンにはできない質問は副船長としてポルカが請け負う。
フブキの眉がピクリと動いた。
隠れているぼたんも、きっと耳を澄ませて聞いている。
「そう、です!」
両腕を強く握り、おかゆは前を見て答えた。
前に居るのは、ポルカではなくマリン。
「マリン船長さん!」
「せ、船長でお願いします……」
先輩であるおかゆの敬語は擽ったい。
「船長さん!」
「えあ〜……はい……」
さんを消してほしい!
「僕も仲間に入れてください!」
「はい勿論そのつもりで」
「はぁ〜……」
マリンの即答にトワが重たい溜息をついた。
おかゆもフブキも唖然とし、ポルカは呆れていた。
ぼたんは分からない。
「ただ……今の小1時間ほどですけど、何話してたんですか?」
「え……」
「ザックリでいいです」
この質問が面接と言っても過言ではない。
これで他が勝手に印象を決めればいい。
マリンからおかゆへの印象は、既に確立している。
他のメンバーも。
「夢の話とか……僕の……ダメな所」
「そうですか」
「…………」
マリンはおかゆの奥に立つフブキに視線を向けた。
正直、ずっとフブキが気掛かりだ。
ミオところねの事で悩んでいて、今度はおかゆの仲間関連のゴタゴタで悩んで……と。
「フブちゃん、初めは故郷まで送るって話だったけど、このまま仲間に加入でいいですか?」
「うん!」
屈託のない笑みと返事。
一切の嘘と偽りを感じない。
「……船長は言いそうにないから最後に確認するけど」
と、話を収めようとしたマリンを押し除けてポルカが口を挟む。
マリンは視線を逸らし、おかゆとフブキはキリッと姿勢を直す。
「我々は海賊なんて名乗ってますけど、正直相当弱いです。2人がどう感じるかは知りませんが、現状この中には、ぼたんさんに敵う人間すらいません」
「……」
「命の保障はできないし、このセリフを言うこともできない人間が船長をやってます」
「……はい」
「それでも――この船がいいですか?」
「「はい――!」」
おかゆもフブキもそこに相違はない。
緊張感を漂わせるポルカの圧力も、マリンの不満げな視線もお構いなしに、2人は口を揃えて答えていた。
「……副船長の最終面接突破ってとこかな?」
トワが茶化すように割り込み、空気を弛緩させた。
おかゆとフブキが、笑顔を見合わせる。
日も随分高くなった。
さあ、決まったのなら、モタモタしていられない。
気持ちを切り替えて、新たな仲間を迎え入れて、出航の時だ。
「よし、ではでは――」
マリンは船と港を繋ぐ道を外して、出航の準備をする。
「出航します、みなさん準備はいいですか?」
何事もなかったように。
数分かけて準備して、甲板の上で飲み物片手に集う。
全部で6人。
……?
「新たな2人の仲間の加入に――」
「あたし、仲間にはなってないから」
「……」
「新たな2人の仲間の加入に、かんぱーい!」
無かったことにした。
もういいよ、とドリンクを高く掲げぶつけ合う。
「で、なぁーーんで! コイツがおるんじゃぁー、パート2!」
フブキの怒号が響き渡る。
敵意を剥き出しで威嚇するように指差した。
「あたしの船長見つけるまで同行するだけ」
「賑やかになりますね!」
「ま、まあまあフブキちゃん」
一味はより一層騒々しさを増して、航海する。
猫又おかゆ、加入。
獅白ぼたん、ちょっと同行。
罪作りな子ですねぇ〜……。