オリ主君ですが、誰にもまったく名前を呼ばれなかったのでしばらく名無しのままです。
この指とまれ。
今振り返っても、誰かの指に止まったことはないし、止めたこともない。
そんな僕のことを父さんと母さんはいつも心配してくれていた。
心配をかけたのは申し訳なかったけれど、友達ができないこと自体は気にしてなかった。
出来たこともないから友達のよさなんて分からなかったし、家族がいるだけでずっと幸せだった。
事情が変わったのは妹が大きくなってからだった。
幼稚園に入った妹は、僕と違ってあの指にずっと止まりたがっていた。
でも出来なかった。指をくわえて、ただ羨ましそうに見つめるだけだった。
幼稚園を卒園しても、小学校に入学しても、大きくなっても、それは変わらなかった。
僕も妹も、誰の指にも触れることはなかった。指を立てても、誰も触れることはなかった。
その度に落ち込む妹を見た。そうして傷付く妹を、僕はずっとなんとかしてあげたかった。
「これより、五月度の脱ぼっち対策委員会を始めます」
「い、いぇ~い」
GW明けの五月上旬、ひとりの部屋で僕達は定例委員会を開いていた。
委員長は僕、副委員長は妹のひとり。以上二名の零細委員会。
兄妹二人してあまりにもぼっちだから、僕が小学校二年生の頃に立ち上げた委員会だ。
なお、次女のふたりは公園デビューをしたその日にこの委員会を卒業した。
僕もひとりもとっくの昔に置いて行かれている。兄と姉としての威厳はボロボロだった。
「では、先月の活動報告をお願いします」
「……だっ」
ゴン、とちゃぶ台にひとりが勢いよく頭をたたきつける。
痛かったのか、別の理由か、とにかく報告は涙声だった。
「誰にもっ、話しかけられなかったっ……」
「…………ひとりからは?」
「むむむ無理だよ! そんなの、お兄ちゃんならわかるでしょ?」
「うん、ごめん」
ぐるりと首を回したひとりにじっとりとした目を向けられる。
僕を含め、家族相手ならこんな風に自然に話せるのだけど。
普段のひとりはコンビニに行く時でさえ悲壮感を漂わせている。
あの情景を思えば、ひとりの言うこともよく分かる。分かってしまう。
「そ、そういうお兄ちゃんは?」
聞きながらもひとりはちゃぶ台にぺっとりくっついたままだ。
もう全身で期待してないのがわかる。どうせお兄ちゃんも0人でしょって態度をしてる。
確かに三月は0人だった。声をかけようとしても誰も目を合わせてすらくれなかった。
先生すら声をかけてくれなかった。授業でも僕を飛ばして指名する徹底ぶりだ。
「もちろん、誰にも話しかけられなかったよ」
「も、もちろん……」
でも四月は違う。僕は胸を張った。
「聞いて驚いて。7人に話しかけた」
「す、すごいっ」
「そして4人に泣かれて5人気絶した」
「!?」
事実だ。
四月、クラス替えという絶好の機会を迎え、僕は接触を試みた。
初日前後左右の人にとりあえず話しかけてみた。全員まもなく気絶した。
後日委員決めのHR、くじ引きでクラス委員に選ばれた僕は、女子のクラス委員に話しかけた。
気絶した。委員決めもなぜか最終的に僕が全員指名した。ここはくじ引きとかじゃないの?
「びっくりするよね」
「あ、あの、お兄ちゃん元気出して」
噛み締めるようにつぶやく僕の頭を、復活したひとりがおずおずと撫でてくる。
うちの妹は優しくて可愛い。こんなにいい子なのに、なんで友達ができないんだろう。
お礼を言ってひとりの手を頭からどかす。まだ委員会の途中だ。
先月の失敗を超えて、今月からもっと頑張らなきゃいけない。
「そういう訳で、先月も成果はゼロです」
「うぅぅぅ、こ、高校デビューが……」
高校一年生の四月という友達作り最大の機会を逃したことを痛感したのか、ひとりが溶け出した。
べちゃべちゃとした粘度のあるピンク色の液体がちゃぶ台に広がる。無理もない。
誰も私を知らないところで再スタートをするんだ、と張り切っていた姿は記憶に新しい。
そのために無理を押して金沢八景から下北沢まで二時間かけて学校まで通っている。
元に戻るようにひとりを捏ねながら、僕は言葉を絞り出した。
「大丈夫、まだ高校生活は始まったばかりだよ」
「は、始まったばかり……、あがっががが」
「あっ」
励ますための言葉が追撃になってしまった。
捏ねていたひとりが粘度を失いサラサラと零れ落ちていく。
床のしみにならないよう、用意しておいたバケツに丁寧に入れていく。慣れたものだ。
始まったばかり、が不味かったのかな。
このままぼっちが続いて、三年間孤独の学校行事に臨む姿でも妄想したのかもしれない。
「型に入れておこう」
三十分くらいかな。
「ごめんね、お兄ちゃん」
「ううん、こっちこそ不安にさせちゃったね」
暇だったのでのんびり勉強をしているといつの間にかひとりが復活していた。
申し訳なさそうなひとりに笑いかけると、曖昧に頷きながら許してくれた。
ああいうことを言えばひとりが崩壊するのはわかるはずなのに、つい油断していた僕が悪い。
気を取り直して委員会に戻る。まだ終わってない。
この委員会を始めて九年目。この程度の失敗は慣れっこだ。
「次に今月の活動計画をお願いします。何かありますか?」
傷だらけの活動報告を終えて、本題の活動計画に移る。
今まではいわば反省会。これからが脱ぼっちのための活動だ。
これまで数えきれないほどの計画を立て、実行してきた。
特にひとりがギターを始めてからは音楽関係の子に狙いを絞るようにした。
さりげなくバンドグッズを身に着けていくくとか、さりげなくCDを机に置いておくとか。
どれも全部失敗したけど。今のところ成功率はゼロだ。
「私に名案があります」
「なんと」
ひとりが自信満々に手を挙げていた。心なしかドヤ顔だ。
滅多に見れないひとりだ。可愛い。ふふんっ、とか、どやっ、みたいな幻覚が見える。
写真に収めたい気持ちをぐっと堪える。今はそんな暇はない。
ひとりが活動計画を、こんな風に自信に溢れて発表するのは珍しい。
中学生の頃にお昼の放送でデスメタルを流すんだー、と言っていたとき以来だ。
あれは大失敗で、後藤兄妹はやべー奴という風評を補強しただけだったけど。
「どんな作戦?」
「ちょ、ちょっと待ってて」
見せた方が早いから、と言ってひとりは押入れを開けた。
今僕達がいるのもひとりの部屋だけど、あそこが真のひとりの部屋だ。
パソコンとかエフェクターとか、ひとりの私物は大体あそこに入っている。
だからひとりの部屋は、一見女の子のものとは思えないぐらい殺風景だ。
姿見と箪笥、ちゃぶ台くらいしかない。ここだけ見ればミニマリストみたい。
ガサゴソとひとりが取り出したのは、大量のバンドグッズだった。
色とりどりのラバーバンドに山盛りの缶バッチとトートバッグ、そしてギターケース。
とどめとばかりにひとりは今も着ているピンクジャージのチャックを下した。
そこにはでかでかと英字が書かれたバンドTシャツがあった。
「ど、どう?」
「これは…」
思わず息を呑む。これは間違いなく、
「バンド女子って感じがする」
「!」
僕の返答にひとりの目が輝いた。
「これ皆つけて明日から学校行くってことでしょ?」
「う、うん」
「さすがひとり」
いける。これならいける気がする。
全身から放たれる音楽女子アピール。間違いなく話しかけられる。
中学生の頃失敗した作戦と大差ない? いや、規模がまったく違う。
校則に違反しない程度のさりげないグッズやCDでは、気づかれてなかったのかもしれない。
このむせかえるほどのバンド女子感に気づかない人はいないだろう。
「缶バッチはトートバッグに? 全部つける?」
「うん! お願い!」
そうして僕達二人は明日の準備に取り組んだ。
明日はきっと歴史的な日になる。ひとりに友達が出来る日だ。わくわくする。
「あ、Tシャツは今日着ちゃってるから別のにしなよ」
「えっ、でもこれお気に入り」
「だめ」
「……はーい」
「へへっ」
「……」
次の日。学校が終わり、僕とひとりは公園で打ちひしがれていた。
僕が通っているのは下北沢高校で、ひとりは秀華高校。
学校が違うからいつもどこかに集まってから下校している。
今日ひとりが指定したのは、どっちの学校からもそこそこ離れた公園だった。
公園で見つけたひとりは今朝登校時の様子から変わっていた。
ラバーバンドは消え、トートバッグは缶バッチが見えないように抱え込んでいる。
ジャージもいつものように首元まできっちり閉められている。完全なる敗北者の姿だった。
曰く、大失敗だった、らしい。
教室に入った瞬間に注目は集めたそうだ。
その瞬間の冷え切った空気を思い出すだけで心臓が止まりそうになる、とひとりは溢す。
その後もちらっと目を向けられることはあっても話しかけられることはなかったみたいだ。
休み時間ごとに今日の秘密道具を外していく姿が鮮明に思い浮かぶ。胸が痛んだ。
「ごめんねひとり。無責任にいける、なんて言って」
「……ううん、お兄ちゃんは悪くないよ」
考えてみれば、僕も陰キャでぼっちだ。
僕とひとり、二人のセンスで問題ないと太鼓判を押した時点で間違いだったのかもしれない。
第三者、ふたりでもいいから意見を聞くべきだった。
『あはは、おにーちゃん、おねーちゃん、ぴえろさんみたい』
幻聴が聞こえる。
きっとこんな風にツッコミを入れて、僕達の暴走を止めてくれただろう。
ふたりは辛辣でも可愛いなぁ。思わず目が遠くなる。
「あっ」
突然ひとりが声をあげ、公園の片隅を凝視し始めた。
何かと思えば、くたびれた雰囲気のおじさんがベンチに座るところだった。
僕達に負けないくらい、深い深いため息を何度も吐いている。
お兄ちゃん、とひとりが僕の袖を引いた。ひとりの顔を見て頷く。
そう、この程度の失敗がなんだ。まだ僕たちは高校生、まだ諦めるには早すぎる。
おじさんもあんな暗い雰囲気を出してるけど頑張ってる。僕たちも頑張らなきゃ。
そう思っていたらおじさんに女の人と子供が駆け寄っていった。
奥さんとお子さんみたいだ。さっきまでの雰囲気が嘘のようにおじさん、
いやお父さんは立ち上がると家族団らんしながら立ち去った。僕たちの目は死んだ。
「はぁ……」
ひとりのため息が重い。ついでに何かぶつぶつ呟いている。
ごめんなさいとかすみませんとか、謝罪に聞こえないこともない。
多分さっきのおじさんに対して、一緒にしてごめんなさい、とか考えてるんだと思う。
元々重かった雰囲気が、重力すら感じそうなほどどんよりとしている。
僕はともかくひとりは、このまま帰るのはちょっと辛いかもしれない。
今から二時間かけて帰るころにはお腹もすいて、もっと落ち込んじゃうかも。
最悪の場合、また僕が家まで担いで運ぶ必要がある。
「ひとり、僕ちょっとコンビニ行ってくるけど欲しいものある?」
暗い目のままひとりは僕を見上げた。
光も何もない虚無の目。僕そっくりだ。慣れない人が見たら悲鳴を上げるかもしれない。
重症だ。このまま電車に乗せたら、二人ともテロか何かで捕まりそう。
「……コーラ」
「うん、他に何か食べる? 僕はコロッケとか買おうかなって」
「か、唐揚げ棒食べたい」
「わかった、ちょっと待っててね」
よし、コンビニスナックとコーラに希望を託そう。ささっと買って、ささっと戻ろう。
出来る限りの速足で僕はコンビニへ向かった。だから僕がその声を聞くことはなかった。
「あーっ! ギターっ!!」
この日のことを振り返るたびに思う。この時コンビニに行ってよかった。
あの人達の出会いを、僕が邪魔することがなくてよかったと。
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「卒業」