ぼっちの兄もまたぼっち   作:差六

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前回のあらすじ
「他人は敵」




第十七話「敵はどこにいる」

 僕は他人が嫌いだ。

何が嫌いかなんて話、考えてもろくなことが無いからすべきじゃない。

だけどこれは僕の過ち、僕への戒めだ。だから、簡潔にまとめよう。

 

 小学校二年生の頃、僕は既に遠巻きにされていた。

入学式の日のトラブル、それから一年間続くあれこれ。

あの後藤、と言えば学校中で通じるくらいには悪名が響いていた。

 

 と言っても、僕はあまり気にしていなかった。

当時から周囲に関心が薄かった僕は、むしろ人に合わせる必要が無くなった、

これで好きなように本を読める、と喜んですらいた。

それ以上に考えが及ばないほど、あの頃の僕は馬鹿だった。

 

 自分の過ちを理解したのは二年生になってすぐ、ひとりの入学式の日だった。

幼稚園でまったく友達が出来なかったあの子は、心機一転してこの機会に頑張ろうとした。

実際に頑張って、勇気を出して、同級生に声をかけようとした。

そして、その同級生の親にそれは阻まれた。

 

「駄目よ。あの子、あの後藤君の妹なんでしょ」

 

 最初は意味が分からなかった。

なんで僕の妹であるだけで、ひとりが避けられてしまうのか。

困惑した。怒りもした。でも、最後には納得してしまった。

 

 僕の評判は最悪だった。それこそ、魔王だなんて大真面目に言われるくらいに。

そんな子の妹、関わりたいと思うだろうか。関わらせたいと思うだろうか。

僕だって思わない。それが答えだった。

 

 失敗に終わった入学式。それでもまだひとりは諦めてなかった。

僕も僕で、ひとりのために自分の評判を変えようと挑戦し始めた。

だけどそれからもずっと、僕は魔王で、ひとりの勇気を受け取ってくれる子はいなかった。

 

 ひとりに友達が出来なかったのも、度を超えたコミュ障になったのも、僕のせいだ。

まだまともだったひとりから、友達を作る機会を奪ってしまった。

コミュニケーション能力を磨く機会を潰してしまった。全て僕の責任だ。

僕がちゃんとしていれば、あの子はきっともっと、楽しい学校生活を送ることが出来た。

だからこの十年間、僕はひとりが友達を作れるようにずっと努力してきた。

結局、ひとりは自分でちゃんと友達を作れて、僕の力なんて必要なかったけれど。

 

 僕は、僕が嫌いだ。

ひとりのことをちゃんと見もせずに、僕を通じて拒絶した他人が嫌いだ。

自分だってこんな偏見で、関係のない他人を見ている。

それなのに僕は、身勝手な嫌悪と怒りを今も抱き続けている。

 

 

 

 

 

 演奏が始まってすぐに気づいた。

ひとりの調子がよくない。音が固い、迷っている、怖がっている。

思えば家以外でひとりの演奏を聴くのは初めてだ。

結束バンドに入った時に、人前で、誰かと一緒だとダメダメだとは言っていた。

それでも、まさかここまで落差があるとは考えていなかった。

 

 そして僕も、ひとりのことを言えるほど余裕はない。

最近練習していたと言っても、ひとりと比べればお遊びに近い。

間違えないように、気持ちを出さないようにするのに精一杯だ。

 

 そんなひとりと僕がいながら、なんとかライブが成り立っているのは廣井さんのおかげだ。

不安定な僕達を支えるように、時にスコア通りに、時にアドリブを入れてベースを弾く。

今までひとりの勉強のため、いくつかライブに行ったことがある。

その全てと比較しても、廣井さんのベースはずば抜けたものだった。

天才という自称も、今となっては信じられる。

 

 斜め後ろに立つひとりの様子を見る。俯き、目を閉じながら演奏している。

開始前廣井さんが言っていた、人目が怖いなら目をつむればいい、という助言を実践していた。

ひとりはよく押入れで演奏している。ほぼ真っ暗で視界が無いのは今と同じ。

それなのにここまで酷くなっているのは、人目が怖いから。

一緒に演奏している僕達と目が、心が合っていないから。

 

 ひとりの代わりをするように、僕は周囲を確認した。

足を止めて聴いているのは十人くらい。あとはちらりと見て通り過ぎて行くだけ。

少ないけれどこの路上ライブは、あくまでチケットを二枚売るためのものだ。

この十人、その内誰か二人の心を動かすだけでいい。

 

 だけどそんなこと、そんなことが本当に出来るんだろうか。

お面のおかげか、観客は誰も怯えていないようだ。

だけど隙間から見る限り、夢中で聞いているようでもない。

もの珍しさに足を止めた、というのが一番近いと思う。

 

 繰り返しになるけど、今の僕達の演奏は酷いものだ。

ひとりの不安定な旋律に僕の無感動な音。

廣井さんは上手いけど、あくまでも僕達のサポートに徹しているから目立たない。

 

 僕達が勝手にここで始めて、勝手に動揺して、勝手に不安になっているだけ。

今この人達はただ聞いているだけ。何も悪いことなんてしていない。

していないのに、僕はまた八つ当たりを、この状況に理不尽な苛立ちを覚えつつある。

そんな自分に更なる苛立ちを感じていると、声が届いた。

 

「が、がんばれー!」

 

 驚きで指が止まりそうになった。急いで心を閉ざす。感情を止める。

理性と感覚だけで体を動かすようにした。

 

 ありえないものを聞いた。がんばれ。ひとりにむけられたもの。

見ず知らずの人が、こんなものを聞いて、どうして。

お面越しに声の方を向くと、浴衣を着た女の人が二人いた。

 

「ちょっとあんた、何言ってんの?」

「だって、ギターの人なんか不安そうだったから、つい……」

 

 長い髪のお姉さんが、短い髪のお姉さんに問いかけていた。

ひとりを見つめるその表情に嘘はない。さっきの言葉にも嘘の響きは無かった。

この人は、本当にひとりのことを心配している。

 

 気がつくと、ひとりの音が安定していた。

俯いていた顔を上げ、閉じていた目も、片方だけ開けている。

半分の光で、他人を、観客たちを見ていた。

 

 分からない。どうして、どうしてひとりが今急に安定したのか。

どうして、あのお姉さんがひとりのことを心配してくれたのか。

他人なのに、何も知らないのに、あの子を心配する理由なんて、何一つないのに。

なんで、どうして、分からない。何も思い浮かばない。頭が疑問で埋め尽くされる。

 

 不意に、ベースの音が強く響いた。楽譜に無い不協和音。

廣井さんが間違えた? 違う、そんな訳が無い。ここまでの演奏で分かる。

あの人は絶対に、こんな単純なミスなんてしない。

思わず振り向くと、彼女は僕を見つめていた。それで分かった。

今のはきっと、僕に声をかけるためだ。

 

『敵を見誤るなよ』

 

 演奏を始める前、あの言葉を伝えた時と同じ目をしている。

同じ目をして、今もう一度僕に問いかけている。

あの時、僕は分かってると答えた。他人は敵だって。

でも僕は本当に、また同じことを言えるのだろうか。

 

 思えばここに立つまで、多くの人達に助けてもらった。

今日だけでも、お巡りさんに岩下さんに廣井さん。

あの人達がいなければ、こうして路上ライブなんて出来なかった。

 

 そもそも、こうしてひとりがライブなんて出来るのも、皆のおかげだ。

ひとりを見つけ出して結束バンドに、今の全てに連れ出してくれた伊地知さん。

個性を、ひとりを認めて、受け入れてくれた山田さん。

ひとりの勇気を受け取って、結束バンドに入ってくれた喜多さん。

皆のことを、結束バンドのことを、他人だから敵だなんて、僕は吐き捨てられるんだろうか。

そんなこと出来ない。考えるまでもなかった。僕はもう、皆のことを好きになり始めている。

 

 そう思った時、視界が広がった。お面が外れた。お祭り用だし、作りが甘かった。

演奏中だから、抑えることも掴むことも出来ない。そのままひらひらと地面に落ちる。

そもそも僕は、そんなことしようとも思えていなかった。目の前の光景に気を取られていた。

 

 さっきまで見えなかったものが、よく見える。足を止めた人、観客の姿、表情。

お姉さんのように心配する人、何かに感心する人、ただはしゃいでいる人。

色んな表情があった。だけど、そこに僕らを否定するような、拒絶や侮蔑の色はなかった。

 

 そうだ、僕の答えは変わらない。僕は他人が嫌いだ。

いつだって好き勝手に噂して、上辺や偏見で決めつけて否定する。

だけど今目の前にいる人達は、皆は、そうだ、きっと敵じゃない。

演奏を通じて、今こうして僕達のことをちゃんと見てくれている。

 

 僕は一歩下がって、ひとりの横に並んだ。今もひとりは片目で演奏している。

もったいないな、って思った。だから、触れる程度に背中を軽く押す。

この程度なら、ひとりの演奏は揺るがない。

驚いて目を見開いたひとりがこっちを向いた。

反射的にもう片方の目も開いている。よし、上手くいった。

 

 成功したことに笑みをこぼすと、ひとりは微かにむっとして僕を睨んだ。

珍しい表情だからいつまでも見ていたい。だけど、今ひとりが見るべきは僕じゃない。

僕は、正面を向くようひとりに促した。

 

 一瞬不満げだったひとりも、すぐにそれを忘れた。

観客の浮かべる表情が変わっていた。心配も感心も、全てひとりの演奏が興奮に変えていた。

今だってひとりの演奏は、ギターヒーローの時とは程遠い。

それでも、さっきまで失っていた力、心を揺り動かす不思議な魅力に満ちていた。

ひとりがギターをかき鳴らす度、その魅力は増していく。

その力に導かれるまま演奏を続け、僕達は最後の音を切った。

 

 

 

「結束バンドで、あのバンド、です。ありがとうございました」

 

 演奏を終えると、観客から拍手が起こった。たった十人程度。

それでもその拍手は、称賛は、笑顔は、僕達の心に響いた。

ひとりと一緒に、なんとなくその拍手にぺこぺこと頭を下げてしまう。

廣井さんはドヤ顔だった。流石現役のバンドマンだ。歓声に慣れている。

 

 頭を下げていると、遠くで僕達を見ていたお巡りさんと目が合った。

声には出さず、口の動きのみで問いかけてくる。もういいか、と。

さっきの演奏を思い出す。きっと今日はあれ以上に出来ない。僕は頷きで答えを返した。

 

「おーい、ここでの演奏はやめてくださーい」

「ぅぇっ!?」

 

 棒読みだった。もうちょっと演技してほしい。

それでもひとりには衝撃だったみたいで、胃がひっくり返ったような声を出している。

補導も逮捕もされないから、そんなに驚かなくても大丈夫なのに。

 

「ねー、許可証あるから平気って言ってなかった?」

「重いです。あれはビラ配り用だから、駄目だったみたいです」

「そっかぁ、じゃ、しょうがないねー」

 

 座っていたはずの廣井さんが、のしかかりながら聞いてくる。

二人を交番に預けた時に、お巡りさんに路上ライブをしていいか聞いたけど、駄目と言われた。

ただ、一曲くらいなら止められないかもなぁ、ともわざとらしく言っていた。

今回はその優しさに甘えさせてもらった。

 

「あのー」

 

 お面をつけてた怖い男、それに絡む酔っ払い、震え続けるピンクジャージ女子。

そんなヘンテコ三人組に声をかけてきたのは、あの浴衣のお姉さん二人組だった。

ここに来てから作った、チケット販売を知らせる貼り紙を持っている。

いつの間にか剥がれ落ちていたらしい。これを持ってきてくれるということは。

 

「すみません、このチケットってまだありますか?」

「二枚下さい!」

「えっあぇ」

「はい、どうどう」

 

 治まりかけていたひとりの振動がまた強くなった。

今度は喜びだと思うけど、一見さんには分からないだろう。

肩に手を乗せてなだめる。どうどう。

 

「一枚千五百円でーす! はい、まいどー!」

 

 いつの間に抜き取ったのか、廣井さんがお姉さん達と、チケットとお金を交換していた。

手癖が悪いけど、助かったから何も言えない。

 

「ありがとうございましたー! ほらほら二人も!」

「お買い上げありがとうございます」

「あっはい、あ、あっありがとう、ございます!」

 

 廣井さんに促され、僕とひとりもお礼を告げる。

噛みまくりのひとりのお礼も、彼女たちは微笑ましく見守るだけだった。

 

「路上ライブ、初めてだったけどよかったです!」

「次のライブも期待してます!」

 

 そんな期待の言葉も、ひとりと僕にかけてくれた。あれ、ひとりと僕に?

僕は次のライブ、というかこれからライブはしないけど。

 

「すみません、僕は結束バンドじゃないので、ライブには出ません」

「えっそうなんですか?」

「でも、僕よりずっと素敵な子が出るので、よければその子も応援してあげてください」

 

 喜多さんの姿を思い浮かべる。

厳しいことを言うと、喜多さんは歌もギターもまだまだだ。

それでもあの華やかさは、きっと彼女たちを惹きつけるだろう。

 

 僕の言葉にひとりが首を傾げている。喜多さんのこと知ってるのかなって顔だ。

そういえば、結局結束バンドメンバーとの関係は、色々あって何も話してない。

情けない話になるけど、いつかは話さないと。でも今日は疲れたし、今度でいいや。

 

 

 

「廣井さん、なんでそんな勢いよくお酒飲んでるんですか?」

「ヤケ酒だよぉ!!」

「えぇ……」

 

 二人組のお姉さんたちを見送って、片付けを進めていると廣井さんがお酒に溺れていた。

路上ライブもチケット販売も大成功に終わったから、やけになる理由は無いと思う。

無いのに浴びるようにお酒を啜る彼女に、僕もひとりも引いていた。

 

「二人ともライブ中にぐっと成長して、私は嬉しいけど、その若さが眩しすぎるんだよ……」

 

 二人とも。ひとりは分かるけど、僕も。僕も何か、成長できたのかな。

分からないけど、廣井さんがそう言うなら、きっとそうなんだろう。

さっきのライブを通じて、僕は彼女のことを信じつつあった。

このしおしおの姿を見ると、信じていいかちょっと迷いが出てくるけど。

 

「ねぇ、ひとりちゃんのチケット、もうないの?」

 

 片付けを終えた頃、廣井さんに問いかけられた。

ノルマは一人五枚。父母僕とさっきのお姉さん達で五枚。

ひとりが調子に乗って、十枚くらい余裕、とか引き受けてなければチケットはもう無い。

 

「あっ、ご、ごめんなさい。さっきので最後です」

「そっか、残念。当日買うしかないかー」

「えっ、き、来てくれるんですか?」

「もちろん! 私、もう二人のこと好きになっちゃったからさ」

 

 へらへらと笑いながら、廣井さんは恥ずかしいことを言っていた。

それは置いといて、ライブに来てくれるのは嬉しい。

だけどこのまま帰して、廣井さんは果たして当日ライブに来れるんだろうか。

お酒で行き倒れるような人だ。日にちと時間と場所、どれかを忘れそう。

 

「廣井さん、僕のチケット買いますか?」

「えっいいのー?」

「………………ぇ」

「はい、いいです。ひとりはその顔やめてね」

 

 死人が出そうな顔をしているひとりを置いといて、僕は廣井さんにチケットを売った。

やっぱりライブに行くのをやめた、という訳じゃない。

そうじゃないから、その顔は本当にやめてほしい。怖い。

 

「悪いけど今度スターリーに行った時に、僕の分はまたもらってきてくれる?」

「……あっ、うん。分かった」

 

 まだライブまで日にちはある。その間に僕の分は改めてもらえばいい。

そう伝えると、ひとりの顔は元に戻った。よかった。死ぬかと思った。

 

「あと、ロイン交換してくれますか?」

「なんか急にぐいぐい来るね。もしかしてー、お姉さんのこと、好きになっちゃった?」

「十段階中四くらいです」

「微妙だ!?」

 

 チケットを持っていてもなお忘れそうだから、連絡先も教えてもらった。

ただ、連絡先を交換した本当の理由は別にある。訃報用だ。

これで廣井さんに何か不幸があっても、僕にも連絡が来るようになった。

失礼な話だけど、彼女はお酒とか事故とかで知らない内に亡くなってそうだ。

ここまでお世話になったのだから、せめてお線香くらいはあげたい。

あとは、まあ、うん。何かあったら連絡があるかなって。

困ったことがあったら、こう、連絡してもらえれば、ね、何かお手伝い出来るかなって。

 

 ちなみにひとりは、僕の四点評価に驚きすぎて変なポーズをしていた。肩痛めそう。

家族以外は一律0点以下ってことを知ってるからね。

今は、そうじゃない人達がいることにも気づけたけど。これもその内話そう。

 

 

 

「じゃあひとりちゃん兄妹、またねー!」

 

 チケットを売って、ロインを交換して、今度こそ廣井さんと別れた。

とんでもなく変で、困った人だった。酔ってるし、吐くし、絡んでくるし。

 

「変な人だったね」

「……うん。でも、格好良かった」

「そうだね。僕も、そう思っちゃった」

 

 それ以上に格好いい人だった。不覚にもそう思った。

それに、大事なことも教わってしまった。

敵を見誤るな。何もかも敵視してしまう僕にとって、今日一番の収穫だ。

 

 ライブ中も思ったけど、今日だけで色んな人に、他人にお世話になってしまった。

廣井さんに岩下さん、お巡りさん、浴衣のお姉さん達、観客の方々。

他人は敵だ、とかなんとか言っておきながらこれだ。自分に呆れる。

でも、不思議と悪い気はしなかった。廣井さんの言う通り、成長出来たのかもしれない。

 

 今日を振り返って感慨にふけっていると、廣井さんが何故か引き返してきた。

忘れ物か何かかな。それとも機材が重いから手伝ってほしいとか。

それくらいなら、僕も喜んで手伝おう。

 

「チケット代で電車賃無くなりました。貸してください……」

「……ライブの日、返してくださいね」

 

 やっぱりこの人尊敬するのやめようかな。

 

 

 

 帰り道、ひとりと並んで歩く。お祭りの会場とは逆方向だから、人通りもほとんどない。

祭りの喧騒を遠く感じながら、のんびりと歩いていた。

慣れないことを多くした疲労感がある。そしてそれ以上の達成感があった。

 

 ひとりもそんな感じだ。疲れてはいるけど、嬉しさを隠せていない。

路上ライブの成功、チケットを売りさばけたこと、色んな喜びを噛み締めている。

喜び過ぎて、あんまりふらふらするから、途中からは手を繋ぐことにした。

 

 手を繋いでからは、僕が引き止めるからふらふらはしなくなった。

代わりに、手を気持ち振り回してはしゃいでいる。

もっと小さかった頃、小学生の頃を思い出す。

 

「よかったね、ひとり」

「うん!」

 

 声をかけてもニコニコしたままだ。

これなら、聞けるかな。今なら素直な感想を聞かせてくれそう。

楽しそうなところに水を差してしまうかもしれない。だけど聞かずにはいられない。

 

「今日の僕の演奏、どうだった?」

 

 途中、我を見失いそうになった。

誰も気絶してないから、なんとか持ち直せたとは思う。

だけど、もしかしたらひとりに気づかれてしまったかもしれない。

僕があんな汚い悪意を持っていることを、この子には知られたくなかった。

珍しく顔を上げて歩いていたひとりは、僕の質問を聞いて振り向いた。

 

「凄く楽しい、嬉しいって、伝わったよ」

 

 そう答えるひとりは、あの頃のような屈託のない笑顔をしていた。

 




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「逃走」
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