前回のあらすじ
「よく逃げる兄」
結束バンドのライブ当日はあいにくの天気だった。季節外れの台風が直撃して、空は大荒れだ。
それでも電車が止まらなくてよかった。なんとか無事にスターリーまでたどり着けた。
今日はまだ皆に会わないと決めているから、ひとりには先に行ってもらった。
ひとりと別れて、ある程度時間を潰してから僕もスターリーに移動した。
入口の扉付近を見ると、謎の物体が吊るされている。黒く滲んだ目で僕を見つめていた。
皆で作ったてるてる坊主だと言ってたけど、おまじないより呪いに使うものに見えた。
属性的には喜多さんより、僕とかひとりに近いと思う。
扉を開けてそっと中を覗き見る。ひとりは、結束バンドのメンバーはいない。
お客さんはちらほら、既に何人かはいた。こんな天気だから、思ってたよりも少ない。
見回してみても、僕の知っている人、僕を知っている人はいなさそうだ。
これなら僕が入っても大丈夫かな。
なるべく音を立てないように店内に入る。よし、誰も僕を見ていない。
このままライブが始まるのを静かに待つのもいいけど、まずは店長さんに挨拶しよう。
ひとりがいつもお世話になってるから、せめてそれぐらいはしないと。
店長さんはすぐに見つかった。カウンターに伏せてる。
隣には黒髪のお姉さん、多分スタッフさんが座って背中を撫でてている。
具合悪いのかな。夏バテとか? そこも心配だし、声をかけよう。
「店長さん、お久しぶりです。大丈夫ですか?」
「えっ、ど、どうも?」
「そちらの方は初めまして」
「あっはい、初めまして」
起き上がってこっちを見る店長さんは、顔全体に疑問を浮かべていた。
目じりにはかすかに涙が見える。そんなに体調悪いのかな。
この様子だと僕のこと覚えてない、もしくは分かってない。
今日はちゃんと変装してきたから、その成果かもしれない。
かつらと眼鏡を取って、抑えていた髪も解放した。ちょっと涼しくなった。
「僕です。後藤です」
名乗ると、店長さんの顔が白けたものになった。覚えられてはいた、ただ予想外に冷たい。
「なんだお前か。今日は来ないと思ったぞ、恩知らず」
「その節はすみません」
初めてスターリーに来た日、色々と助けてもらったのにあれから一度も来ていない。
理由はもちろんあるけど、来れないこともなかった。恩知らず呼ばわりもしょうがない。
店長さんに僕がなじられていると、横のお姉さんが興味深そうに僕を見ていた。
じっと見つめられる。今日は威嚇する気がないから、目も合わせられない。
微妙に居心地が悪い。
「もしかして、後藤さんの?」
「はい。兄です」
「なるほど、君が噂の。あ、私はここでPAをやってる者です」
噂の。どんな噂だろう。
ほうほう、と僕を頭の天辺から爪先まで眺める姿に悪意は感じられない。
だから魔王云々じゃなくて、兄としての話だとは思う。
前と違って、ひとりの兄だと堂々と名乗る僕を店長さんは訝しげに見ていた。
「いいの? ぼっちちゃんの兄だって普通に言って」
「ちょっと心境の変化があって、覚悟を決めました」
「虹夏たちには?」
「まだです。でも、ライブ後には」
「ふーん。ま、頑張れよ」
適当な言葉とは裏腹に、声色はどこか優しい。
それが分かってるのか、お姉さん、PAさんもくすくすと微笑んでいた。
店長さんはそんな僕達を睨むけど全然怖くなかった。僕を見習ってください。
店長さんは僕達を睨むのをやめて、代わりに僕の持っているものを見た。
かつらと眼鏡。今日のために用意した変装セットだ。
「つーか、それなに?」
「変装です。今日はまだ隠しておきたいので」
「いや変装なのは分かるけど、なんでキノコヘアー?」
「ひとりと下北に馴染む変装ってなんだろうって話して、こうなりました」
酒、タバコ、女遊び、その三つを兼ね備えた下北沢バンドマンスタイルがこれらしい。
以前山田さんがそんなことを言っていたそうだ。偏見に満ちている気がする。
馴染むかどうかはともかく、長い前髪と眼鏡で目が隠れるから、僕に合っていると思う。
説明している間に変装しなおした。昨日練習したから一瞬だ。
「どうですか、飲酒、喫煙、女遊びやってそうですか?」
「どう見られたいんだよ。というか、どれかやったことあるの?」
「ないです。未成年ですし、遊ぶ女の子の友達もいません、そもそも友達0人です」
ひとりは卒業したけど、僕は今もぼっちだ。
胸を張って答えると、店長さんが頭を抱えた。その姿勢のまま聞いてきた。
「……今日はずっとその格好?」
「一応そのつもりです」
「そうか。じゃあなるべく私の近くにいるようにしろ」
近くにいろ。居場所に困っていたから助かるけど、どうしてだろう。
不思議に思っていた僕に、PAさんが耳打ちしてくる。
「メンヘラとか引き寄せそうな雰囲気しますから」
「メン、えっと?」
メンヘラ、何かのスラングだったりするのかな。
聞いたことがあるような、ないような。どちらにせよ意味は知らない。
理解していない僕の様子を見て、PAさんは何か納得したように、なるほどこれはと呟いた。
「……んー、変な人を引き寄せそうだから、私が守ってやるって意味だと思います」
「そうなんですか? ありがとうございます」
「………………店内でトラブルが起こると面倒なんだよ」
ふん、と鼻を鳴らしながら言い放つ。顔は逸らしっぱなしだ。
僕でも分かる。照れ隠しだ。前も思ったけど店長さんは凄い優しい。
伊地知家の遺伝子にはきっと優しさが詰まっている。
店長さんの言葉に甘えて、隣に座った。
店長さんは相変わらず、机にもたれて気だるそうな姿勢をしていた。
低気圧に弱い体質なのかな。その状態のまま顔だけ僕の方を向いてきた。
「そういえばお前一人か。お母さんとお父さんはどうした」
「妹を見てくれるはずだった祖母が来れなくなってしまって、二人とも家です」
「……それならしょうがないな」
「チケット買ってくれたお姉さん達二人も、こんな天気だと怪しいですね」
「ん? あとの一人はどうした、五枚売れたんだろ?」
「最近連絡が取れなくて、多分亡くなりました」
「は?」
廣井さんは忘れてる、覚えててもどこかで行き倒れていると思ったから、昨日連絡した。
まったく繋がらなかった。使われていないという通知まで来た。
予想通り、多分亡くなったんだと思う。結局お線香はあげられなかった。ごめんなさい。
しんみりと手を合わせる僕に、店長さんは引いていた。
微妙な空気になりつつあった頃、入口の扉が乱暴に開け放たれた。
「うぇ~い、ぼっちちゃん兄妹、きくりお姉さんが来たよー!」
なんか来た。
「今日ってお盆でしたっけ?」
「あれ生きてるよ、足あるだろ」
というか廣井だったのかよ、と店長さんが呟く。
よかった、生きてたんだ。無縁仏にお線香をあげずにすんだ。安心した。
それにしても世間って狭い。店長さんと廣井さんは知り合いだったらしい。
店内の視線を集めるのも気にせず、廣井さんがまっすぐこっちに向かってくる。
正確に言うと、千鳥足だからまっすぐじゃない。ぐねぐねだ。
「先輩久しぶり~、今日はライブ見に来ちゃいました~」
「うわっめんどくさっ、てか酒くさっ」
そしてそのまま店長さんに抱き着いた。店長さんは嫌そうな顔をして鼻をつまんでいる。
今日も酒臭いらしい。僕とPAさんは、黙って椅子を動かして二人分ほど離れた。
「おまっ、おい、逃げるな!」
「あれー先輩、この子誰ですか? 若い燕ってやつですか?」
「何アホなこと言ってんだよ。自分が誰からチケット買ったのか忘れたのか?」
店長さんの言葉に、廣井さんは興味の対象を僕に移した。
両肩を掴まれ至近距離で顔を覗かれる。今日も酒臭い。
既にPAさんはもっと遠くに避難している。早い、これが大人の処世術。
「ん~?」
逃げようと思っても、逃げる場所が無い。じろじろと舐め回すように見られる。
酒臭い以外特に害も無いから、好きなように見てもらおう。変装のテストにもなる。
そう思ってたけど、なんだろう、落ち着かない。
考えてみると、僕はいつも怖がられているから、こんな風に見つめられることはない。
変な気分だ。そわそわする。こういう時、視線はどこに置けばいいんだろう。
「ここまで来てるんだけどなー、この眼鏡がいけないのかなー?」
よく分からない気持ちに困惑していると、ひょいっと眼鏡を取り上げられた。
反射的に廣井さんの方を向く。目が合った。
一瞬硬直したけど、すぐに廣井さんの顔に笑みが広がった。
「あー! なんだ、君かぁ! びっくりしたー、なにそれイメチェン?」
「イメチェンじゃなくて変装です」
「変装? なんで?」
かくかくじかじか。簡単に事情を説明した。
廣井さんは僕とひとりが兄妹だと知っている。無駄かもしれないけど、口止めもした。
僕の説明をふんふんと言いながら聞いていた彼女は、胸を叩いて宣言した。
「わかった! お姉さんにどんと任せて!!」
「いえ、何も喋らないでください」
「えー?」
廣井さんは悪い人じゃない。尊敬もしている。それはそれとしてあんまり信用できない。
どんと任せたら、取り返しのつかない事態になりそう。
僕の気持ちが伝わったみたいで、不満そうに口をとがらせる。
そして店長さんを指さして、大体さ、と切り出した。
「魔王くらいなんでもないよ。君の横に座ってる人も魔王だよ」
「え?」
思わず店長さんを見てしまう。二人分の視線を感じて、彼女は舌打ちした。
「なんかね、昔働いてた楽器店で凄い強権振るってて、御茶ノ水の魔王って呼ばれてたんだって」
「
「その親近感に満ちた顔をやめろ」
まさか僕以外にもこんなあだ名で呼ばれた人がいたなんて。
店長さんに制止されても、この親近感は止まらない。仲間、仲間がいる。初めての魔王だ。
自分で言うのもなんだけど、多分今目が輝いてる。生まれて初めてかもしれない。
そんな感じで店長さんを見ていると、突然椅子を回転させられた。
ちょうど半回転して、僕は壁と向かい合うようになる。
そんなに鬱陶しい視線だったかな。だったら反省して謝らないと。
だけど違った。店長さんがこんなことをした理由はすぐに分かった。
「お姉ちゃん、お客さんどんな感じー?」
「……見ての通りだよ」
伊地知さんの声だ。いつの間にか近くに来ていたらしい。
残念ーと彼女は声をあげている。一番残念なのは僕だ。
仲間を見つけた喜びに、完全に警戒を怠っていた。最近怠り過ぎだ。
横目で確認する。四人いた。結束バンド勢ぞろいだ。
会場の様子が気になって、皆で出てきたみたいだ。
初めてのライブでこんな状況だから、心配してしまうのだろう。
いつもならここで慌てふためくところだけど、今日は違う。
出くわすことも想定していたし、変装もしている。
直接話しかけられなければ、どうということもないはず。
「えっと、お姉ちゃん、この人達は?」
そんな気はしてた。
こんな近くに座ってたら、姉の知り合いだと思うよね、確かに。
伊地知さんの疑問には、店長さんが答えてくれた。
「こいつらは、あー、あれだ、後輩だ」
「やっほー、ぼっちちゃん来たよー」
「あっ、お姉さん。よっ、よかった、生きてたんですね」
「生存確認が最初に出る人なの?」
存在を主張している廣井さんを見て、ひとりが安心していた。
あの子もやっぱり僕と同じ心配をしていたみたいだ。
そして、わーわー言っている廣井さんを貫通して、僕にも視線が届く。
このまま廣井さんが誤魔化してくれると期待したけど、そうはいかなかった。
「あっ、この子はねぇ、ぼっ」
「おっとぉ、また酔ってるなぁ廣井ぃ」
「ばばばばば」
素早いアイアンクローだった。
暴力はいけないけど、時として有効だということを学ぶことが出来た。
廣井さんは信用しちゃいけないなってことも学べた。
この状況だと僕が返事をしないといけない。
アイアンクローからコブラツイストに移行した二人を見てそう思った。
だけど普段通りの返事じゃ駄目だ。この格好に相応しいものをしないと。
演じろ。思い込め。再現しろ。
今の僕はバンドマン。酒、タバコ、女遊びを繰り返す下北マン。
明日を考えず、今日だけを思い、夜ごと享楽にふける人間。
それで、こう、なんというか、アンニュイな雰囲気で生きている男。
頭の中で設定をまとめ上げる。そう、これが僕の答えだ。
「……どうも」
出せた言葉はこれだけだった。これただの不愛想な人だ。
僕は演技力もゴミだった。実践してみないと分からないこともあるよね。
「えっあっはい、どうも」
「……今日は、楽しみにしてます」
「よ、よろしくお願いします」
それだけ言うと、そそくさと伊地知さんは引き下がった。
あれ、なんか上手くいった。まったく気づかれている気配はない。
どうしてかは分からない。まさか名演技だった? 下北マンってただの不愛想なの?
僕が戸惑いを覚えていると、また入口が開く音がした。
そこにいたのは、あの日チケットを買ってくれたお姉さん二人組だった。
濡れたねー、なんて言葉を交わしながら入口をくぐる。こんな天気の中来てくれた。
「あっひとりちゃん!」
「あっ、き、来てくれたんですか……?」
ひとりも駄目かと思っていたようで、声をかけられて表情を輝かせる。
比較的まともにひとりが対応をしてるのを見て、喜多さんは疑問に思ったようだ。
自然とお姉さん達に話しかけている。まったく物怖じしていない。流石だ。
「後藤さんのお知り合いの方ですか?」
「はい! 私たちひとりちゃんのファンです!」
「今日も台風吹き飛ばすくらいカッコいい演奏、期待してますね!」
ファンからの声援に、ひとりは恍惚としていた。
慣れていない人には刺激が強い顔だ。あれを見られたら、お姉さん達も帰ってしまうかも。
幸いなことに、彼女達はひとりの様子に気づかず、店内を見回していた。
何かを探しているみたい。だけど見つからなかったようで、ひとりに問いかけていた。
「あれ、お兄さんは今日一緒じゃないの?」
「ぬへへぇ、私のファン……はっ、あっ、えっと、お兄ちゃんは」
ちらりとひとりがこっちを見た。彼女達は僕の顔を知っている。
彼女達だけなら変装を解いても構わない。むしろ解いてお礼を言いたい。
だけど今日はそうもいかない。僕は黙って首を横に振った。ひとりに誤魔化してもらおう。
「あっ、お、お兄ちゃんはその、一日中壁になってます」
「壁!?」
意味わからないけど、魔王よりはいいからいいや。
壁になった僕を探すように彼女達は、何故か喜多さんと山田さんも、店内をもう一度見回した。
その途中で目が合った。僕と分からないだろうけど、会釈はしておいた。
「……!?」
すると身を隠すように逃げられた。慣れた反応だけど、ちょっと変な感じ。
いつもみたいな命の危険を感じたから、じゃない気がする。
この格好のせい? この変装本当に大丈夫かな。避けてくれるならいいのかな。
顔に出さないよう悩んでいると、店長さんが廣井さんを床に放り投げた。
「もう本番近いぞ。遊んでないで調整しろ」
「うぅ、でもお客さんどれくらい来てるか気になっちゃって」
「客の数なんて関係ない。多くても少なくても、やることは変わらないだろ」
「そうだけどさー」
いつの間にか、廣井さんはノックダウンされていた。
彼女を打ち倒した店長さんは、追い払うように手を振るう。
ぶーぶー言いながらも、伊地知さん達は言われた通りに引き返していった。
「……やっぱり、来てないかな」
「伊地知先輩、誰か探してるんですか?」
「あっ、いや、なんでもないよ」
「? それにしてもリョウ先輩の言ってたようなバンドマン、実在してたんですね!」
「あそこまでの完成度は中々ない。あれは相当遊んでる」
「正直ちょっと怖かったよ。あんな後輩がいるなんて、お姉ちゃんは流石だなー」
「…………あっ、へへっ、そっそうですね」
皆がまた練習しに戻る中、最後尾にいたひとりがこっちを見た。
目が合ったから、微笑んで手を振る。ぎこちないけど両方とも返してくれた。
凄い緊張してる。大丈夫かな。無意識に手に力が入る。汗をかいていた。僕も緊張している。
心配、焦燥、不安、たくさんの気持ちがお腹の中で渦巻いている。
だけど今日の僕はただの観客。ひとりのも自分のも、発散する事なんて出来ない。
息と心を整えて、時計を見る。そろそろだ。ライブが始まるまで、あと少し。
「そういえば廣井さん、携帯繋がらなかったので心配しました」
「あっ、ごめんねー。ぶっ壊しちゃった!」
変装はキノコヘアーぼっちちゃんに眼鏡と女殴ってそうな雰囲気を足した感じです。
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