前回のあらすじ
「星歌さんは優しい人」
「一つ言っとくけど、ライブ中は大人しくしてなよ」
ライブが始まる直前、店長さんにそう言われた。言いたいことはなんとなく分かる。
「こんな天気だ、来た客も気が立ってる。そんな中で下手な演奏をしたら」
「その、素直な反応がある、ですよね」
店長さんは意外そうな顔をした。
心外と言えば心外だけど、店長さんの知ってる僕は過激派のシスコンで魔王だ。
こうして事前に、優しく言い含めてくれるだけ温情かもしれない。
「ちゃんと聴いて、その反応なら仕方ないと思います」
「……意外だな。虹夏から聞いた話だと、もっとおっかない反応すると思ってた」
「いい気持ちはしませんけど、演奏を聴いてどう思うかはその人次第です。
その演奏がよくないものなら尚更です。むしろ、受け止めなきゃいけません」
僕の言葉に、彼女は眉間に皺を寄せて黙り込んだ。
納得していない、いやどちらかというと心配している。僕を、いや皆を?
その心当たりは僕にもある。
「店長さん。今日のライブは、失敗しそうなんですか?」
「………………なんでそう思った」
まず、店長さんの言った通り雰囲気が最悪だ。
天気のせいもある。だけどそれ以上に味方がいないのが大きい。
皆が誘った中で来てくれたのは、お姉さん二人と廣井さんだけだ。
他の観客の目当ては結束バンド以外。当然皆を見る目は厳しくなる。
ホームなのに事実上のアウェイとなっている。
祭りの日、路上ライブで観客の方達に僕達は助けられた。
でも今回は最悪の場合、皆には逆の力が働くかもしれない。
そしてこれが、今の結束バンドにとって初めてのライブだということ。
練習と本番は良くも悪くもまるで違う。二回しかライブをやっていない僕でも実感した。
特に、初心者の喜多さんにはその差異は重く響くはず。
根本的に技量の問題もある。
伊地知さんと山田さんの腕前は分からない。だけどひとりと喜多さんのはよく知っている。
こんな状況だと、ひとりは路上ライブ序盤のような演奏になるかもしれない。
口には出せない、出したくないけど、あれは人前に出せるレベルじゃない。
そして喜多さん。僕の責任も大きいけど、まだ歌もギターも物足りない。
練習でそれだから、初めての本番じゃどれほど力を出し切れるか。
半分も出せれば僕は褒めてあげたい。でもそれは僕だからだ。
他人、何も知らない観客からすれば、喜多さんの事情なんて関係ない。
この二人をどれだけリズム隊、伊地知さんと山田さんが支えられるか。
今日のライブが無事に終わるかどうかは、二人次第だと僕は思ってる。
「これだけ悪条件が揃ってれば、嫌でもそんな想像をします」
「聞いてどうする。帰るか?」
店長さんは挑発的に言った後すぐに、はっとして気まずそうに目を逸らした。
観客だけじゃない。店長さんも心がささくれ立っている。無理もない。
こんな中に妹が、伊地知さんが出るんだ。不安な気持ちにだってなる。
僕だって表には出さないけど、嫌な考えがぐるぐるしている。
「帰りません。今、僕に出来ることはありますか?」
「何?」
「何か皆の力になれることがあるなら、何でもやります」
そう言うと、店長さんは手を顎に当てて考え始めた。僕はまったく思い浮かばない。
だけど数多くのバンドのデビューを見守ってきただろう店長さんなら、何かあるかも。
期待を込めて待っていたけれど、首を横に振られてしまった。
「…………ないな」
店長さんでも、僕の立場で出来ることは思い浮かばないらしい。
思わず肩を落とすと、そこに大人しくお酒を飲んでいた廣井さんが手を回してきた。
頬と頬がくっつく。口が近いからその分息が直接かかる。恐ろしく酒臭い。
邪魔なのでどけようと顔を押すと、抵抗しながら話し始めた。
「えー、一番大事なのあるじゃないですか!」」
「廣井さん、今真面目な話なのであっちでお酒飲んでてください」
「声がでかい。あんまりうるさいと摘み出すぞ」
「二人ともツン激しいー。妹がいるとそうなっちゃうの?」
「は?」
「は?」
「あっ、ごめんなさい……」
つい店長さんと二人して睨んでしまった。
さっきまでの勢いが嘘のように、廣井さんが縮こまる。
だけどすぐに廣井さんはお酒を口にし、気を取り直して宣言した。
「楽しむことだよ!」
「は?」
「だから、楽しむこと! しけた客相手じゃあ、やっててつまらないじゃん!!」
一瞬何を言ってるのか分からなかった。楽しむこと。
だけどなるほど、確かに一番大事なことかもしれない。
自分のことを、やることを好きになって、認めてもらえるのは嬉しい。
反対に、敵意を向ける人、無関心な人をどう思うか、僕はよく知っている。
「……そう、ですね。確かに。楽しんでくれると、演奏する側も嬉しいです」
「でしょ?」
「認めるのが癪だけど、そうかもな」
僕が肯定すると、店長さんも忌々し気に頷いた。
そんな僕達を見て、気分が良くなった廣井さんは、胸を張って得意げな顔をしている。
そして講師か何かのように指を一本、顔の横に立てた。
「そういうわけで君が、私たちがすべきことは、どんな演奏でも楽しく聞くこと!」
「ありがとうございます、廣井さん。また教えてもらっちゃいましたね」
「はっはっはー、師匠って呼んでもいいよー!」
「それは嫌です」
「あれー?」
呼んでいいよー、てか呼んでよー、と絡みつく廣井さんを手で押さえる。
アルコールで力が抜けているからか、脱力していて妙に抑えづらい。
変な格闘を続けている僕達を無視して、店長さんはステージを見ていた。
「そろそろ時間だ」
時計を見る。店長さんの言う通り、もうすぐ開催時間だ。
廣井さんが教えてくれたアドバイス、楽しんで聞く。頑張ろう。
だけど楽しんで聞くって、どうすれば出来るんだろう。とりあえず聞いてみよう。
「ところで廣井さん、楽しく聞くってどうすればいいんですか?」
「えっ、難しいこと聞くね。……可愛い子でも見てればいいんじゃない?」
「お前最悪だな」
「分かりました。ずっとひとりだけ見てます」
「お前も相当だな」
『はじめまして、結束バンドです! 本日はお足元の悪い中お越しいただき、誠にありがとうございます!』
『あっはっはー、喜多ちゃんロックバンドなのに礼儀正しすぎー』
そんな寒気を感じるMCから、結束バンドのライブは始まった。
無言でライブを見つめる僕の脇腹を、店長さんが肘でつつく。
「……大丈夫か。目つき悪いぞ」
「……いつもです。店長さんこそ、顔強張ってますよ」
楽しく聞こう。笑顔で見守ろう。そう決めたはずだった。
そんな決意も空しく、僕と店長さんの顔は見事に引き攣っていた。
小声でお互いに指摘し合うけど、二人とも修正しきれない。
僕が言えたことじゃないけど、どっちも子供が見たら泣くような顔だと思う。
「二人とも顔怖いよ、もっと楽しく笑顔笑顔!」
「お前は逆にどうしてそんな笑えるんだよ」
「ゲロと一緒に人の心も吐いたんですか?」
「うわこわっ」
僕達を尻目に、廣井さんはいつも通りの笑顔だった。
この地獄のような雰囲気で、この笑顔。信じられない神経だった。
「皆一生懸命演奏してる、微笑ましいじゃないですか」
「よくこの空気で言えるな」
店長さんが顔を前に向ける。会場の空気は、ライブ中とは思えないほど冷えていた。
想像していた通り、結束バンドのライブは上手くいっていない。
さっき寒気を感じたように、まずMCが駄々滑りだった。
面白くない中身に、僕と同じくらいの大根具合。掴みを完全に失敗した。
そんな空気の中で始めたからか、演奏も正直酷いものだった。
この間僕達がした、路上ライブ序盤に匹敵するかもしれない。
むしろ廣井さんという調整役がいない以上、こちらの方が乱れている。
まず期待をしていたリズム隊の二人、伊地知さんと山田さんが崩れてしまっている。
伊地知さん、ドラムは音が軽くて単調だ。肩に力が入っている。演奏に集中しきれていない。
視線の動きから緊張と、周りを意識しすぎているのを感じる。
バラバラになった演奏をまとめようとして、自分の演奏を出来ていない。
山田さん、ベースは独奏している。伊地知さんとは逆だ。何も見ていない。
周囲の重圧から身を守るため、自分の世界に閉じこもっている。僕にも覚えがある。
演奏自体は上手い方だと思う。でも、それは個人としてだけ。バンドとしてじゃない。
土台を作るべき二人が不安定だった。だから、それに乗るギター二人も揺れている。
喜多さんは予想通り実力を出せていない。いつも以上にミスが多い。
そのミスに引っ張られて、歌もおろそかになってしまっている。声は上擦り、時々ずれる。
この状況で歌詞を飛ばした様子が無いのは、むしろ褒めるべきかもしれない。
ひとりは、安心しちゃいけないけど、思ってたよりもずっと大丈夫だ。
大体路上ライブ序盤と終盤、ちょうどその中間くらいの調子だと思う。
元々合わせるのが苦手だから、かえって不調な皆に釣られることなく演奏出来ている。
ただ、今のひとりでは、そんな皆を引っ張るほどの実力は発揮できない。
だから、マイナスではないけどプラスにもなれていない。
バラバラな個性が一つになって音楽になる。いつか聞いた山田さんの言葉だ。
今のところ一つになれていない。実現出来ていない。理想にしかなっていなかった。
そうして、盛り上がりをまったく見せずに一曲目は終わった。
ステージ上の結束バンドには、演奏を終えた安心感も、ライブを楽しむ興奮も見えない。
隠そうとはしていたけれど、ただ焦燥と不安だけが目に浮かんでいた。
「一曲目、ギターと孤独と蒼い惑星、でした」
MCの伊地知さんと喜多さんの声が震えている。
その様子が見えているのか、見えていないのか、気にしていないのか。
とある観客が漏らした言葉が耳に届いた。
「やっぱり、全然パッとしないわ」
「早く来るんじゃなかったね」
無神経な言葉に苛立ちを覚える。だけど僕にそう思う資格はない。
無関係なバンドがこの演奏をしていたら、僕も似たようなことを思うかもしれない。
もちろんこうして口に出すような、品のない真似をするつもりはない。
ただその態度は、気持ちは、演者にも伝わってしまうかもしれない。
その観客二人から視線を切る。僕は八つ当たりしがちだ。
これだけ苛立ちの込もった状態で目が合えば、間違いなく気絶される。
今気絶者が出てしまえば、ライブどころじゃなくなる。
一度深呼吸して、代わりにひとりを見ようとした。
そしてその途中にあの、ひとりのファンのお姉さん達が目に入った。
こんな演奏を聴いても、彼女達に失望した様子はなかった。
ただ心配そうに、不安そうにひとりを、ステージ上の皆を見ている。
今日もあの人達は味方でいてくれている。
その表情を見て、僕の苛立ちは少し治まった。
そうだ、ここにいるのは敵だけじゃない。敵だとしても味方にしてしまえばいい。
あの子なら絶対に出来る。改めてお姉さん達からひとりの方へ目を向ける。
ひとりは、いつものように俯いていた。だけど僕が視線を移してすぐ顔を上げる。
自然と目が合う。少しの間、ほんの数秒間見つめ合う。
そこで僕が出来たのは、やるべきことは、笑顔で頷いて、背中を押すことだけだった。
今のひとりにそれ以上はいらない。必要ない。
「よかった」
「何?」
店長さんの目じりが上がる。こんな状況で何を言ってるんだ、と目が語る。
さっきまでの僕も、よかったなんて言われたら同じ反応をすると思う。
今は違う。ひとりと目が合った。あの子の目に宿るものを見た。
緊張、焦り、動揺、あらゆる負の感情、心を沈めていくもの。
そして、それらを焼き尽くすほどに強い、青い炎のような意思。
「店長さん、このライブ成功します」
「は? お前、何を言って」
ひとりが一歩踏み込んだ。そして本能のままにギターを弾き始める。
きっと打ち合わせなんてしていない。その証拠に他のメンバーも唖然と目を向けるだけ。
誰がどう見ても制御できていない大暴走。でもそれでいい。
心に響く。私を見ろ。私はここにいる。私の声を、音を聞け。
ひとりの衝動が、願いが、思いが、欲望が、全て音楽として出力される。
ライブハウスにいる人全てを、今圧倒している。
楽しんで聞く。そんな意識なんてする必要はない。
気持ちなんて、全てひとりが導く。連れていかれる。持っていかれる。
「僕のヒーローが、成功させます」
僕が好きな、信じた、かつて全てを捧げると誓った僕の光が、そこにはあった。
「お疲れ様、ひとり。かっこよかったよ」
「ぅぇへへ」
ライブ終了後、打ち上げ前にひとりが一人になった隙を見計らって声をかけた。
一秒でも早く褒めてあげたかった。それくらい、あの時のひとりは輝いていた。
本当なら帰る時、二人で電車に乗る時まで我慢するべきだと思う。
だけど今の僕には、そこまで耐える余裕が無かった。
もう頭も撫でちゃう。抱き上げてくるくる回しちゃう。幸いどれも喜んでくれた。
「演奏もこの間の路上ライブよりずっとよかった。ううん、それよりあの時、よく踏み出せたね」
「ぬぅうへへへ」
これ僕の話聞いてくれてるかな。笑い方変わってるし、多分聞いてくれてるよね。
ちょっと不安になる。この子本当にさっきと同一人物なのかな。あの輝きはどこへ。
いや、きっと今日の格好いいひとりは、もう疲れて眠ってしまったんだろう。
今ここにいるのは可愛い、うん、僕としては可愛いひとりだ。何の問題もない、はず。
ひとりの不可思議な笑顔を楽しんでいると、やがて元に戻った。
正直ちょっとどうかなって思ってたけど、いざなくなると少し物足りない。
癖になる笑顔だった。またその内見せてくれるといいな。未来の笑顔に思いを馳せる。
当のひとりは、いつの間にか僕の手を握ってどこかへ連れ出そうとしていた。
「じゃあお兄ちゃん、打ち上げ行こう」
「僕は行かないよ?」
「???」
ひとりは心底不思議そうな顔をしていた。こっちは文句なしに可愛い。
「ライブ終わったよ?」
「……ライブが終わったら、皆と会うって約束のこと?」
「うん」
「えっ、このタイミング?」
「うん」
濁りの無い、綺麗な目だった。何の疑問も抱いていない、透き通った目だった。
これは本気だ。僕を打ち上げに連れて行って、皆に紹介しようとしている。
それは不味い。間違いなくひとりに怒られて、打ち上げが台無しになる。
「あっ」
そんな時、聞き覚えのある声がした。振り向くとそこには伊地知さんがいた。
事件現場に遭遇してしまったような、酷く青ざめた顔をしている。
まさか僕だとバレて、でもそれだと変だ、おかしい。
最近の伊地知さんは僕を見ても怯えないでいてくれる。
彼女は一瞬躊躇して、それから僕達の方へ早歩きで近づく。
そして僕を素通りしてひとりの手を握り、急旋回。そのまま僕に会釈した。
「お、お疲れ様です! ぼ、ぼっちちゃん、もう打ち上げ行こっ」
「えっあっでも」
「ね、皆待ってるから、ね!」
「あっはい」
そうして勢いよくひとりを引っ張っていく。助かった。
あのままひとりにどうして、どうして、と詰められたら、多分何もかも白状していた。
一息ついて、そうだ、お疲れ様って言われたのに返してない。言わないと。
「お疲れ様です」
「えっあっはい」
すれ違いざまに言って、僕はその場を立ち去った。
僕もひとりたちの打ち上げが終わるまで、どこかでご飯でも食べよう。
気分もいいし、何か豪華なものにしようかな。今日は焼肉だー!
「ぼ、ぼっちちゃん、大丈夫? 何もされてない?」
「え、えっと、何もって何ですか?」
「それは、その、何というか」
「あっ、あの、ライブのことを褒めてもらってただけで」
「……私の早とちりかー。ちゃんと挨拶もしてくれてたし、失礼なことしちゃったかな」
「あっ、あとは、頭撫でてもらったり、抱き上げてもらったりとか、ふへへ」
「…………は? 今そこで?」
「へへっ、あっはい」
「………………ぼっちちゃん、これからは男の人に声かけられたら、必ず誰か呼ぶように」
「え?」
「いい? ぜっっったいに、一人でついて行っちゃ駄目だよ」
「あっはい」
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「焼肉」