前回のあらすじ
「山田はよかれと思ってやった」
「こんにちはー!」
ひとりに気を取られたけど、元気よく戸を開いたのは喜多さんだった。
二重の意味で予想外のお客さんが来て、僕と伊地知さんは揃って目を丸くする。
そして二人の後ろには、なんと店長さんまで立っていた。
「喜多ちゃんにぼっちちゃん、ってお姉ちゃん!?」
「なんだその反応。来ちゃ不味かったか?」
「いやそうじゃないけど、来ないって言ってたから」
下北沢高校の文化祭も他と同様、一般のお客さんでも入場出来る。
出来るけど、その内容がとんでもなくつまらないことは周知の事実だ。
だからまったくと言っていいほど外部からお客さんは来ない。
前もってひとりに、聞かれたから喜多さんにもそう伝えたから、来るとは思わなかった。
「占いか。お前のところって、もっとお堅い感じじゃなかったか?」
「いやー、色々あって」
「つーか魔王タイムってなんだよ」
「い、いやー、色々あって」
説明出来るはずの山田さんは今も寝ている。皆が来て騒がしくなったのに身動き一つしない。
そんな彼女を喜多さんは、キタキタ音を立てながらじろじろと眺め続けていた。
誰も止める気配はない。女の子が女の子の寝顔を見るのはいいんだ。勉強になる。
そうして山田さんの寝顔をひとしきり堪能していた喜多さんが、机の上のカードに気がついた。
「あっ、タロット。今ちょうど占いやってたんですか?」
「うん。後藤先生に占ってもらってたよ」
「ほほう。……じゃあじゃあ先輩、私もやってもらっていいですか!?」
押しと圧力と光が強い。喜多さんも占いとか好きなんだろうか。
言われた通り僕がやっても構わないのだけれど、今日はひとりもいる。いい機会だ。
二人にはもっと仲良くなってほしいから、ここは任せてみよう。
「僕も出来るけど、せっかくだからひとりにやってもらったら?」
「えっ、後藤さんも出来るの!?」
「あっはい、い、一応」
女の子は大体占いが好きだって偏見を、当時の僕は持っていた。
だから、ひとりも出来るようになれば友達を作る一助になるかも、とも考えていた。
それで一緒に練習したのだけど、そもそも占うためには自分から話しかける必要がある。
そのことを僕達は完全に忘れていたから、この作戦は根本から破綻していた。
「複雑にやると聞く方も大変だから、今日は簡単なやつにしたよ」
「あっそっか。なら、私もそうする」
ひとりと喜多さんに、僕と伊地知さんはそれぞれ席を譲る。
その時にさりげなくひとりに釘を刺しておいた。
何も言わず放っておくと、見栄を張って難しいことに挑戦しそう。そして変な失敗をしそう。
焦るひとりとはしゃぐ喜多さん。最近見慣れた組み合わせを横目に、僕は店長さんに尋ねた。
「ひとり、やっぱり集中できていませんでしたか?」
「気づいてたのか」
唐突な質問だったけど、店長さんはしっかりと答えてくれた。
傍目にも分かるほど、ひとりは練習に集中できていなかったらしい。
心当たりはある。皆分かっていると思うけど、確認のためにも僕は言葉にした。
「文化祭でちゃんとライブ出来るのか、ずっと不安になってるみたいです」
「そっか。それを見かねて喜多ちゃんが連れ出したって感じかな」
無自覚だと思うけど、外に連れ出すショック療法を取るのがなんとも喜多さんらしい。
喜多ちゃんは優しいなー、なんて言っていた伊地知さんが、何かに気づいたように眉をひそめた。
「あれ、じゃあお姉ちゃんはぼっちちゃん達の付き添い?」
「……あぁ、道案内とか、そういうあれだ」
「えー」
顔を背けながら店長さんが答える。どう見ても何かを誤魔化していた。
僕達が疑いのまなざしを向けていると、占いをしている二人が口を挟んできた。
「あっ、あれ、でも店長さん、その前にお出かけの準備してました」
「おめかしもバッチリって感じだったよね」
「おい、余計なこと言うな」
店長さんが止めるけどもう遅い。伊地知さんは嬉しそうに、からかうように笑っている。
それを見て店長さんは、わざとらしく鼻を鳴らしていた。もう誤魔化せないと思います。
「別に、元々来るつもりだったとは言ってない」
「私、何も言ってないよ?」
「ぐっ」
店長さんが話す度に伊地知さんのニヤニヤは深くなっていく。
微笑ましい光景だけど、このまま放っておくのも店長さんが不憫だ。
普段とてもお世話になっているし、ここは僕なりの助け舟を出してみよう。
「それで今日は、三人で来てくれたんですね」
「……あー、それが」
僕の言葉に彼女は目を逸らした。今度は恥ずかしそうじゃなくて、気まずそうだ。
不思議に思った僕と伊地知さんが同時に首を傾げると、その答えが正門の方から聞こえてきた。
「ちょっと困ります! 校内での飲酒なんて、何考えてるんですか!?」
「酔っ払いが何か考えてるわけないだろー!」
「自分で言うのか!? というかその荷物は、え全部酒!? あなた本当に何なんですか!?」
「友達に会いに来ました、廣井きくりでーす! ごとうひとりくんどこー!!」
なんか混ざってますね。そのツッコミは胸にしまっておいた。
廣井さんも一緒に来たけど校門で捕まったらしい。考えてみれば当然だった。
いつもそうだから忘れそうになるけど、あの振る舞いは社会的に色々なものに触れている。
どうしよう、迎えに行った方がいいのかな。店長さんを見ると、黙って首を横に振られた。
「今日は三人だ。よろしく」
「お姉ちゃんとぼっちちゃんと喜多ちゃんの三人だね」
「椅子三つ出しますね」
そういうことになった。警察が来なければこのまま放っておこう。
そんなことを話している間に、ひとりの準備も終わったようだ。
シャッフルしたカードを並べ、そこから一枚カードを慎重に抜き取る。その手は震えていた。
所詮占いだからこれで未来が決まる訳でもないのに、無駄に緊張している。
占われる側の喜多さんの方が苦笑いして、リラックスしているくらいだった。
そしてひとりは更に震えを強くしながら、引いたカードを表にした。
「あっこれは、ま、魔術師の正位置です」
「へぇ、これ魔術師っていうの。なんだかかわいいわね!」
「えっ可愛い……? あっ、これはチャンスや才能を示してます」
だからその、と続ける。視線は彷徨っていて、どこにも自信を感じない。
だけどやがて喜多さんの顔へ目を向けて、一生懸命に語り掛けた。
「き、喜多さんなら、自信を持ってやれば、絶対大丈夫だと思います」
「後藤さん…………ありがとう!!」
「う゛っ」
喜多さんの輝きにひとりの目が潰れた。いつものことだから僕ももう反応しない。
少ししてひとりも復活した。よく潰れるから治るのも早い。冷静に考えると意味が分からない。
「ほ、他に何かありますか?」
喜多さんにお礼を言われて、ひとりもすっかりその気になっていた。
いたずらにカードをぺたぺたと触り、続いての占いごとを求めている。
そんな提案を受け、喜多さんはちらりと僕達を見てからひとりに答えた。
「んーと、そうね。……じゃあ次は恋愛運をお願い!」
「れ、れれれ、恋愛ですか!?」
恋愛と聞いて、ひとりは無意味に切っていたカードを落とした。
そして顔を赤くしたり青くしたりしていた。信号機みたい。
恋愛を占ってほしいと言われたのだからしょうがないと思う。
ひとりに、そして僕にはまだ早いことだ。二人してその辺の機微がまったく理解できていない。
実際のところひとりはどうするつもりなんだろう。自爆するのかな。
「あっ、じゃ、じゃあこれで」
「おみくじ!?」
悩んだ挙句、ひとりはおもむろにおみくじを取り出した。全てを神に任せようとしていた。
混乱しておみくじを振った後、縋るようにして僕を見上げてくる。
「お、お兄ちゃん、代わって」
「うん。任せて」
妹に頼られたのだから、代わらない訳にはいかない。
期待に応えられるかどうかは別として、僕はひとりと入れ替わるように座った。
「喜多さん、念のためにもう一回、何がいいか教えてくれる?」
「恋愛運です。……何度も言うとなんか恥ずかしいですね」
恋愛、恋愛か。
「じゃあこれで」
「天丼!?」
僕もおみくじを取り出した。持ってきてくれた人ありがとう。使うとは思わなかった。
振ってみるとシャカシャカと景気のいい音がする。やっぱりこれって本物なんじゃ。
疑いを込めておみくじを振る僕を見て、喜多さんは目を白黒とさせていた。
「えっ、先輩がタロットとか、そこの水晶玉で占ってくれるんじゃ」
「他はともかく、恋愛系はちょっと」
占いは示唆や兆候を読み解いて行うものだ。
さっきまでやっていたタロットなんかは分かりやすい。
引き当てたアルカナの意味から、それが指し示す事柄を読み解き、導き出す。
それが恋愛だと僕はさっぱり出来ないだろう。まったく経験がない。何も分からない。
「恋愛って全然分からないから、適当なことしか言えないと思う」
「そうなんですか? 先輩ならなんとかなりそうですけど」
「そこまで言ってくれるなら、一度やってみるね」
出しっぱなしだったタロットをもう一度シャッフルし、一枚引き直す。
今回はワンオラクルだ。結果だけを表す。引いたカードは正位置の世界だった。
「完全調和を示しているから上手くいく、と思う」
「…………それだけ?」
「それだけ」
もの凄い不満そうな目で喜多さんに見られている。仕方ない、もう一回だ。
次は伊地知さんの時と同じツーオラクルだ。現状訪れるだろう結果と、その対策を示す。
引いたのは結果が逆位置の戦車、暴走や失敗、停滞を意味している。
そして対策が正位置の太陽、成功や成長、幸福を表している。
戦車と太陽か。言葉の印象的にも、アルカナの意味的にも、どっちもなんとなく喜多さんっぽい。
示されたアルカナを、輝く笑顔で期待する喜多さんを観察する。言うべきことは決まった。
「……喜多さんらしく頑張れば、多分なんとかなるよ、きっと」
「そこまで適当なんですか!?」
そう喜多さんはツッコむけれど、これ以上何を言えばいいんだろう。
今の僕では何一つ建設的な発言が出来ない。恋が愛がなんだって感じだ。答えをください。
そんな欠片も頼りにならない僕を見て、残念そうに伊地知さんが呟いた。
「恋愛は対象外かぁ。お姉ちゃんの婚期とか見てもらおうかなーって思ってたのに」
「お前なんてこと頼もうとしてんだ。余計なお世話だからほっとけ」
そう言って店長さんは伊地知さんのつむじを押し込んでいた。
対抗して伊地知さんはサイドテールで反撃している。姉妹のじゃれ合いだ。
婚期、結婚運とかそういうことかな。それなら問題ないはずだから、僕は二人に提案した。
「結婚運なら出来るよ」
「なんで?」
恋愛は感情だけど結婚は契約だ。そういう観点からなら僕でも分かる。
僕の提案を受けて、伊地知さんが嫌がる店長さんを、あれ、本気で嫌がってない気がする。
興味ないとか口にはしているけれど、本気で抵抗はしてない。ポーズだけだ。
そのまま、あくまでも仕方ないな、という姿勢を崩さず僕の前に座った。本当は気になるのかな。
どっちでもいいか。妹の伊地知さんが何も言わないで見守っているから、僕もそれに倣おう。
カードをシャッフルし直して、アーチ状にして二枚引く。今回もツーオラクルだ。
そうして引いたカードを見て、僕とひとりは絶句した。
「……」
「……なんだ、どうした?」
「…………もう一回やらせてください」
これは、駄目だ。どう読み取っても最悪だ。フォローしきれない。
ツーオラクルは簡単だから解釈が狭い。頑張っても言いつくろえない時がある。
カードを回収して再シャッフル。もう一度占う。
「おー、さっきより本格的だね」
「占いって感じしますね」
当初伊地知さんにやろうとしていたケルト十字式に変更した。
このスプレッドなら拡張性が高いから、どうにかいい結果に落ち着けるはず。
カードを配置して、それぞれめくり結果を確認する。
「で、どうなの?」
「………………」
「おい、どうした。大丈夫か?」
「…………………………もう一回、もう一回だけお願いします」
小アルカナも取り出す。大アルカナだけじゃ、たった二十二枚じゃ占い切れない。
もっとちゃんとやらないと。店長さんは少し怪しいところもあるけど、優しくていい人だ。
ただの偶然だとしてもこんな結果を見せる訳には、解説する訳にはいかない。
「………………………………………………………………………………」
「……何か言えよ」
「ごめんなさい」
「謝んなよ、そういうのが一番怖いんだよ!!」
「結婚だけが人生じゃないと思います」
「やめろ!!!」
魂からの絶叫だった。そして涙目だった。
その声で山田さんが起きた。不思議そうに、勢ぞろいした結束バンドと店長さんを見ている。
「皆揃ってどうしたの。魔王タイムは一回五百円だよ」
「こんなに傷つけておいて、金まで取るのか……?」
「うち無料だよ」
そんな感じで下北沢高校の文化祭は無事に終了した。
途中解放された廣井さんが来たくらいで、魔王タイム中は皆以外誰一人として来なかった。
結局いつもの人達と、いつものように話して遊んでいただけのような気がする。
それでも去年とは比較出来ないほど楽しかったから、思い出に残るものになった。
この後クラスで打ち上げもあるらしいけど、色んな事情から僕は遠慮した。
伊地知さんも、多分山田さんも心配そうにしていたけれど、今回はそういう理由じゃない。
僕は僕の一番のために、今日はどうしても早く帰りたかった。
僕の部屋でふたりをいつも通り寝かしつけ、そのまま寝そうになるのを必死にこらえる。
僕の予想が正しければ、もう少しで来るはず。もし来なければ僕から行こう。
そうして待ち始めてから数分くらいして、控えめに戸を叩く音がした。
ふたりを起こさないように静かに立ち上がり、戸に近付いてノックに答えた。
「起きてるよ」
「……もしかして、待ってた?」
「うん。来ると思ってた」
戸を開けると、枕を持ったひとりが恥ずかしそうに立っていた。
高校に入ってからはなかったけど、昔は何か悩みや辛いことがあると、よくこうしてきた。
一緒に布団に入って、眠るまでずっとお話しする。いわゆる添い寝だ。
なんでも眠る前の曖昧な状態だと、いつもより上手く悩みが話せるらしい。
ひとりとふたり、それに僕。三人で寝るのに一つの布団だと流石に狭い。
だからもう一枚、ひとりの部屋から静かに運んで、僕の布団の横に敷く。
その間ひとりは僕の部屋で、ずっともじもじと不思議な動きをしていた。
準備が出来たから二人揃って布団に入る。それから寝返りを打ってひとりの方を向いた。
「今日はどうしたの?」
本当は分かっているのに白々しいかな。
でも気持ちの整理もつくだろうから、出来ればひとりの方から話してもらいたい。
なるべく優しく聞いて、ひとりの決心がつくのを待つ。
「…………文化祭のライブ、私ちゃんと出来るかな?」
予想通りの悩みだった。それならちゃんと答えを用意してある。
違う悩み、仮に恋愛とか言われてしまったら、そのまま僕が誰かへ相談したくなる。
そんなことはなかったから、僕自身の答えをひとりに告げよう。
「大丈夫だよって言っても、中々信じられないよね」
「うん。あっお兄ちゃんのことがじゃなくて」
「分かってる。自信が持てないんだよね」
暗闇の中、ひとりが黙って頷く気配がした。ここまでは想定していた。
だから予め頭の中で組み立てていた通りに、僕はひとりに提案をした。
「ひとり、手相占いしようか」
「えっ?」
「手、貸してくれる?」
「う、うん」
困惑しながらも差し出された左手を優しく握る。十数年握り慣れたそれを眼前に運んだ。
「……暗くて見えない」
「えぇ……」
ひとりの手なんて散々見ているから、目を瞑りながらでも本当は出来る。
だけど今僕がしたいことは占いなんかじゃない。これはただの取っ掛かりだ。
握る場所を手のひらから指先に移動する。伝わる感触が、柔らかいものから硬いものに変わった。
「昔と比べると、指凄く硬くなったよね」
「いっぱいギター弾いたから」
誇らしそうにひとりが答えた。薄暗くて見えにくいけど、きっとそんな顔もしているはず。
可愛らしいなと思うと同時に、昔を思い出してつい笑いが零れてしまった。
「ふふっ」
「……どうしたの?」
「ほら、最初の頃にさ、『ゆ、指が痛いっ。お兄ちゃん、私指もげちゃうかも!?』
って大真面目な顔で言ってたこと、思い出しちゃって」
「っ、っ」
「ひとり、ふたり寝てる、寝てるから」
恥ずかしくなったひとりがぽすぽすと、空いた右手で僕のお腹を叩く。まったく痛くない。
こんな風にひとりが攻撃してくるのは珍しいから、ますます微笑ましくなってしまう。
僕がそういう反応をする度に、ひとりがまた同じように叩いてくる。無限ループだ。
「ごめんね、脱線しちゃった」
「……もう寝るっ」
「待って待って、言いたいのはここからだから」
ついついひとりを可愛がってしまっていると、拗ねられてしまった。
何をやってるんだ僕は、自分の欲望に負けてる場合じゃない。やるべきことをやらないと。
そのために軽く繋いでいたひとりの左手を、両手でしっかりと握り直した。
「大丈夫、ライブは絶対に成功するよ」
これだけだと根拠のない励ましだ。実際ひとりにも響いていないようだ。
だけど根拠は、僕の自信は、今この手の中にある。
「この指がそう言ってる」
小さく暖かい手。それに似つかわしくない、硬くなったひとりの指。
ひとりの努力の結晶だ。触れるたびにいつも、僕は愛おしい、誇らしい思いになる。
「だって音楽は、頑張ってる人を絶対に裏切らないんでしょ?」
「えっと、それって?」
「自分で言ったのに忘れてる。ほら、前ふたりがタンバリンの練習してた時、言ってたでしょ」
「……?」
「いい言葉だなって感心したんだよ?」
まったくひとりは覚えてないみたいだ。本当に感心して感動したのに。
友達と喧嘩して落ち込むふたりを慰めていた、あの時のひとりは立派なお姉ちゃんだった。
逆に考えよう。覚えてないぐらい、意識してないぐらい本人としては当然のことなんだ。
「ひとりがずっと頑張ってきたって、努力してきたって、僕は、この指は知ってる」
ギターを始めてから、ひとりが弦に触れない日は無かった。
晴れの日も雨の日も、暑い日も寒い日も、嬉しい日も悲しい日も、いつだってどんな時だって。
この三年間ひとりが練習し続けたことを、どれだけ努力を重ねてきたかを僕は知っている。
「そんなひとりを、音楽は裏切らないよ」
音楽は頑張っている人を、努力を裏切らない。至言だと思う。
その言葉の通り、努力を、時間を積み重ねた分だけ、どんどんひとりは上手くなっていった。
ずっと努力が報われなかったひとりが、やっと頑張れることを見つけられた。
それを見て僕が、父さんと母さんがどれだけ嬉しかったことか。言葉になんて出来ない。
だから僕は音楽を信じられる。ひとりが、皆がライブを成功すると信じられる。
「大丈夫だよ。僕も皆も、今までの努力も、全部ひとりについてる、全部ひとりの味方だから」
そこまで語っても返事はなかった。代わりにすやすやと、可愛らしい寝息が聞こえる。
寝ちゃった。今日は慣れない下高や久しぶりの占いで疲れただろうし、仕方ないかな。
繋がれたままの左手を離そうとする。動かない、握りしめられている。離してくれなさそうだ。
というより、そのまま腕ごと抱え込むように抱き着かれてしまった。
下手に解けば起こしてしまいそうだ。起こすのも忍びないし、今日はこのまま寝よう。
僕が言えることは、言いたいことは大体言えたと思う。
だけど結局、ひとりがどこまで僕の話を聞いてくれたかなんて分からない。
どこまで僕の思いを、励ましを理解してくれたのかも分からない。
ただ、部屋に来た時よりもずっと安らかになった寝顔を見て、僕も安心して眠りに落ちた。
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