前回のあらすじ
「山田の借金は原作より少なかった。廣井は逆に多かった」
「後藤さん、さっき何買ったの?」
「あっ、これは差し入れ兼お礼だよってお兄ちゃんが」
「お礼?」
新宿行きが決定して用事が出来たから、少しだけ皆には待ってもらっていた。
その用事、買ってきた物を見て、喜多さんがひとりに質問していた。
彼女が代表していたけれど、残り三人とも同じ疑問を抱えているようだ。
いや、山田さんは違うな。あれは飢えた目だ。抱えているのは疑問じゃなくて食欲だ。
だけどこれは渡せない。これは路上ライブの時の、岩下さんへのお礼の品だ。
以前からずっと、いつかお礼をしなきゃいけないとは思っていた。
いたけれど、どうしてもハードルが高かった。岩下さんのいる新宿FOLTは他人の巣窟だ。
無作為に僕が行けば多くの被害者を出して、かえって迷惑をかけてしまう。
ひとりにだけ任せるのはあまりに無責任だし、多分途中で行き倒れる。
そういう訳で今の今まで先延ばしにしていたから、今日はいい機会だった。
それに岩下さんは電話で話した印象だけど、立派な、真っ当な大人のようだった。
高校生の、子供の僕達からお礼の品を送っても遠慮されてしまいそうだ。
その点差し入れという形にすれば、僕達も渡しやすいし彼女も受け取りやすいだろう。
今回は差し入れとして、焼き菓子の詰め合わせとエナジードリンクを選んだ。
このチョイスは店長さんに相談したら教えてもらえた。差し入れとしては無難らしい。
今はひとりにお菓子を持ってもらって、エナドリは僕が抱えている。
その差し入れを見て、廣井さんが嬉しそうに話しかけてきた。
「二人ともありがとね。でも次からは、お酒貰えるともっと嬉しいな!」
「僕達未成年です」
そうして差し入れを片手に、皆で新宿FOLTへ向かう。
途中ひとりが人通りの多さに帰りたくなったようで、僕にくっつき始めた。
最初に袖、それから指、手、腕と来て、最終的に背中に張り付いた。セミみたい。
腕あたりまでは微笑ましく見られていたけれど、背中になってからは呆れられている。
「後藤先輩、歩きにくくないんですか?」
「慣れちゃった」
普段からひとりと歩く時は、速さやテンポを合わせるようにしている。
だからこの状態になっても、歩幅を意識するくらいであまりいつもと変わらない。
そんなことを話していると少し感心された。それ以上に呆れが増えた気もする。
そのまま変則的二人三脚でしばらく歩いていたけれど、急に背中のひとりがもぞもぞし始めた。
なんだろう。落ち着くポジションを探していたりするんだろうか。
そのまま静観して歩いていると、唐突に何故か髪留めを取られてしまった。
まとめていた髪が解かれて、はらはらと背中のひとりに落ちていく。
「どうしたの、ひとり?」
いたずら、ではないだろう。
ひとりは滅多にそんなことをしないし、する時はこんなものじゃ済まない。
髪は鬱陶しいからまとめているだけだ。こだわりも特にない。
だから解かれても構わないけれど、こんなことをしたその真意は気になった。
「髪のカーテン作れば、落ち着くと思って」
髪のカーテンとはいったい。一瞬悩んだけれど、すぐに何を言っているか分かった。
僕の髪は長い。そこに潜り込んで背中に張り付けば、確かにカーテンに包まれるようになる。
言ってることは分かったけどそれでも謎だ。本当にこれで落ち着けるのかな。
「……落ち着く?」
「うん。完熟マンゴーより落ち着く」
完熟マンゴー、つまりダンボールに勝った。これは喜ぶべきところなんだろうか。
そんなことを言うひとりは満足げだ。答えを聞いてもいまいちその感覚が分からない。
だけど言葉の通り、ひとりはさっきよりも本当に落ち着きを取り戻している。
この体勢で悪目立ち具合が強くなった気もするけど、ひとりがいいならいいや。
そうして客観的に自分達の様子を想像していると、変なことに気がついた。
僕の髪とひとりの髪が繋がって、もの凄い長髪みたいに見えているはず。
なんだか面白い気がする。早速ひとりにも言ってみると、感心したように目を輝かせていた。
これは皆にも教えないと。新しい一発芸が出来てしまった。
「見て見て皆、一発芸」
「あっ、ちょ、超ロン毛です」
「……後藤くんって、実は馬鹿なの?」
ベーシスト達には大うけだった。
到着した新宿FOLTは、スターリーとも違う面白い雰囲気だった。
どこか重厚な、ピリピリとした空気が流れている。店内の客層もなんとなく柄が悪い。
そんな彼らから視線を感じる。彼らはじろじろと品定めでもするように、僕らを見ていた。
皆はここの雰囲気に圧倒されてるようで、そんな視線には気づいてなさそうだ。
見慣れない僕達が入ってきたからか、廣井さんがいるからか、それとも特に理由もないのか。
何でもいいけど鬱陶しいな。皆にバレないよう、向けられた視線全てに丁寧に僕も返していく。
やがて一様に机か壁か天井を見始めた。チラシがたくさんあって読み応えあるよね。
大体は退治完了したけど、まだ一つだけ視線を感じる。タフな人がいるようだ。
その視線にも同じように返す。するとそこには、見覚えのあるツインテールの子がいた。
「あっ大槻さんだ」
「げっ」
もの凄く嫌そうな顔を大槻さんはしていた。気絶も怯えもしない。今日も大槻さんは元気だ。
ちょっと嬉しくなった僕を見て、喜多さんが不思議そうに口を開いた。
「後藤先輩、お知り合いですか?」
「うん。SIDEROSってバンドの大槻さん。歌もギターもとっても上手だよ」
皆に紹介しようと思って、もう一度大槻さんのいた方を見たけど、そこには誰もいない。
今更彼女が気絶するとは考えられないけど、念のため床も確認する。こっちもいない。
首を傾げる僕を見て、廣井さんがおかしそうに笑っていた。
「大槻ちゃん人見知りだから、この人数にびびって逃げちゃったみたいだね」
「ひ、人見知り……」
大槻さんが人見知りだと聞いて、ひとりが親近感を覚えていた。
面識は無いけど、ひとりは大槻さんの顔を知っている。動画で見たことがあるからだ。
あれは、山田さんに打ち明け話をする前の日だったかな。
大槻さんに言われた通り、ひとりと一緒にSICKHACKとSIDEROSのライブ映像を見た。
そしてひとりは、そこに映る大槻さんの姿に衝撃を受けていた。
彼女はある意味、ひとりがかつて夢見た形そのものだ。
卓越したギターとボーカルで観客を魅了し、歓声を浴びるフロントマン。
かつてふわふわと、なんとなく妄想していた姿が現実となってそこにいる。
しかも同年代だ。ひとりが意識しない理由はなかった。
だから会って仲良くなれれば、ひとりのいい刺激になると思ったのだけど。
逃げられてしまったものはしょうがない。今日は廣井さん達SICKHACKが目当てだ。
大槻さんとのことはまた改めよう。皆がバンドを続けていれば、いつかまた会う日もあるはず。
気を取り直して、先導する廣井さんに皆でぞろぞろとついて行く。
彼女はそのまま店内を我が物顔で、カランコロンと進んで行った。
そして店の奥に辿り着くと、座ってお金を数える男の人へ親し気に声をかけた。
「おーい、銀ちゃーん。きくりちゃんが来たぞー」
「あ゛ぁ゛?」
声をかけられた彼は見るからにイライラしていた。そしていかつい見た目をしていた。
怒りの籠る鋭い眼光に大量のピアス、ジャラジャラと音を鳴らすシルバーアクセサリー。
見た目も振る舞いも、それなりに威圧感がある。僕以外の四人が息を呑む音が聞こえた。
揉め事が起こらないよう後ろに控えていたけど、前に出た方がいいかもしれない。
そうして一歩踏み出して、誰かの手でそれは止められた。伊地知さんの手だった。
「お、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
若干怯えながらも伊地知さんが代表して挨拶をした。
僕は相手の、銀ちゃんと呼ばれた彼の反応を注意深く観察する。
あまり友好的なものでなければ、止めてくれた伊地知さんには悪いけど僕も動こう。
だけど僕の考えは杞憂だった。彼女の挨拶を見て、彼は両手を合わせて感激している。
しなやかな、女の子っぽい反応だ。失礼だけど驚いてしまった。
「そんなにビビらなくても大丈夫だよー。銀ちゃん見た目こんなんだけど、中身ただの乙女だからさ!」
「あら、随分可愛くてピチピチのお友達連れてきたのね! あたし、吉田銀次郎三十七歳よ」
そう話す男の人、いや女の人の方がいいのかな。初めて会う性別の人だから判断がつかない。
一度横に置いておく。とにかく店長の吉田さんは、さっきと打って変わってとても優しそうだ。
後ろから見ていても、もう敵意や怒りは感じない。あれは多分廣井さんに向けたものだ。
ここでも怒りを彼女は買っているらしい。何をすればそんな各地で怒られるんだろう。
「驚かせちゃってごめんなさいね。つい怒っちゃって、恐かったでしょ?」
「い、いえ、大丈夫です」
そう言いながらちらりと僕を見る。もっと怖い人を知ってますから、とでも言いたげだった。
思うところも無くは無いけど、結果的に伊地知さんの力になれている。気にしないでおこう。
微妙な気持ちを封じていると、視界の外から廣井さんを呼ぶ声がした。
「おい廣井、遅刻するなっていつも言ってるよな」
「もうリハーサル終わっちゃいましたヨ~!」
声の主は黒髪の女性、その隣には金髪の外国の方がいた。
見覚えがある。ライブ映像で見た。ドラムの岩下さんとギターの、確か清水さんだ。
それぞれ苛立ちと不満を目に浮かべ、廣井さんにぶつけるように話している。
その途中にこっちに気づいたようだ、ちょうど一番前にいた伊地知さんに声をかける。
「もしかして、結束バンドの方ですか?」
「あっはい。そうです」
そうしてその後、流れるように挨拶、自己紹介が済んだ。極めてスムーズに終わった。
これが真人間同士の会話。ここ数か月を振り返っても、初めて見るかもしれない。
なんて戯言を言っていてもしょうがない。今日の目的その一を果たそう。
そう思って会話がひと段落したところを狙い、体勢を整えてからひとりと一緒に声をかけた。
「すみません、八月に機材を貸していただきました後藤です」
「お、同じく、ご、後藤ひとりです」
「……あ、あぁ、あの時の。あの後大丈夫でしたか?」
「はい。おかげで、無事にライブが出来ました。ありがとうございました」
「あっ、ありがとうございました」
ひとりと一緒に頭を下げる。ライブのことだけじゃない。
今ここに僕がいられるのも、友達が出来たのも、考えてみれば彼女達のおかげだ。
そう考えると頭なんていくらでも下げられる。むしろ上げられない。
「お世話になったのに御挨拶が遅れました。申し訳ないです」
「あっありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。いつも廣井が御迷惑をおかけしてます」
お礼を言いに来たのに、謝罪を言われてしまった。多分頭も下げている。
僕はそこまで迷惑をかけられていないから、なんだか恐縮してしまう。
伊地知家のことは、うん、黙っておこう。ライブ前なのに大変なことになりそう。
「これ差し入れです。よければ受け取ってください」
「あっありがとうございました」
「……なるほど。ありがとうございます。いただいておきますね」
多分、お礼も兼ねてるって察せられてる。それでも受け取ってもらえた。
想像していた通り、大人でいい人だ。今日ちゃんとお礼が言えてよかった。
「あっ、ありがとうございました」
「あの、それでこの子はどうしてこんなにお礼を?」
「すみません。人見知りなので、お礼を言おうって気持ちだけが先走ってます」
一緒にお礼を言おうね、と事前に言ったらこうなってしまった。
不思議な挙動だけど、ちゃんと相手にお礼の気持ちは伝わってる。僕としては合格点をあげたい。
そんなひとりに岩下さんが困惑していると、清水さんがこちらへ近づいてきたようだ。
「志麻、子供虐めちゃダメだヨ!」
「虐めてない。これは、あれだ、廣井のことで話してただけだ」
そして清水さんは心底、とにかく心から不思議そうな声をあげた。
「ンー? というか、なんで君たちそんな体勢してるノー?」
「イライザ、デリケートなことかもしれないから」
気まずそうに、触れたくなさそうに岩下さんは清水さんを注意した。
そんな態度にもなるだろう。僕とひとりは今、とても不可思議で失礼な体勢だ。
逃げたり崩れ落ちたりしないよう、僕はひとりを背負っている。
そしてひとりには、間違っても岩下さん達に被害を出さないよう、僕の目を塞いでもらっている。
控えめに言っても意味不明、狂気を感じる状態。冷静に対処してくれた岩下さんの情けを感じる。
「二人羽織初めて見たヨー!」
若干違うと思う。だけど清水さんはとても楽しそうに笑っていた。
受け入れられてしまった。よく分からないけど、平和に済んだからよしとしよう。
無事に挨拶も出来て、お礼も言えて、今日来た目的の半分は達成した。
今はもう半分の目的、廣井さん達と別れてライブが始まるのを待っているところだ。
いい場所を探して皆でうろうろしていると、思い出したように喜多さんが口を開いた。
「そういえば伊地知先輩、廣井さんのバンドってどんなジャンルなんですか?」
「知らないよ?」
「お風呂とかたかられてるのに!?」
あまりにも適当な伊地知さんの返事に、喜多さんが目をひん剥いた。
その様子に伊地知さんが苦笑いしながら続けた。
「いやあの人、家で音楽の話まったくしないから」
「え、じゃあ何のお話ししてるんですか?」
「さあ?」
「さあ!?」
欠片も興味を持ってなさそうな伊地知さんの返事に、再び喜多さんが叫んだ。
「廣井さんの言うこと真面目に聞いてたら、胃に穴が空いちゃうよ」
「えぇ……」
僕なんてスターリーで会うだけでも、ごっそりと体力を持っていかれる時もある。
そんな廣井さんと自宅で過ごすストレス、どれほどのものだろうか。
以前伊地知さんにお礼しなきゃ、なんて漠然と思っていたけれど、もっと真剣に考えよう。
あと伊地知さんだけじゃなくて、店長さんにもお礼とお詫びに何かしよう。
「え、えっと、じゃあ後藤先輩、先輩はご存じですか?」
「一応ね。サイケデリックロックらしいよ」
「さいけ、えっと?」
喜多さんは舌が回らないようで、言い切れないまま不思議そうな顔をしていた。
最近はあまり聞かないある種古典のようなジャンルだから、彼女が知らないのも当然だ。
しかし説明をするにしても、どうやってまとめよう。結構難しい。
簡潔に説明するのなら、ドラッグのような曲調が特徴だよ、というのが一番近いと思う。
だけどこれは間違いなく誤解を招く。廣井さんがやっているというのも、もっと誤解を招く。
一回聴いてみればなんとなく分かると思うけど、その前に喜多さんは逃げるかも。
彼女の行動力は凄まじい。そして時々、ひとり以上に明後日の方向へそれを発揮する。
「サイケデリックロックは、ドラッグによる幻覚や感覚の変化をロックで再現しようとした音楽」
僕が悩んだ一瞬の隙をついて、もう山田さんが解説を始めていた。
それを聞いた喜多さんは、予想通り目を丸く、大きくしていた
「えっ、それって」
「歪みやリズムを使って不可思議な世界観を構築するのが特徴的」
「いや」
「サイケデリックロックは1966年頃に誕生したから古典的ロックの一つだね」
「ちょ」
「当時はドラッグに関する危機感も薄くて演者も観客も皆キメていたらしいよ」
喜多さんの疑問や不安を、山田さんは何も聞かず早口解説で全て踏み潰していた。
この分だとなんだかんだで大丈夫そうだ。喜多さんが変なことをする暇もない。
山田さんも暴走してるけど、喜多さんが相手してくれている。二人のことは放っておこう。
「前ライブの映像見たけど、廣井さん達凄い上手だったよね」
「うん。お姉さんだけじゃなくて、バンド全体のレベルが段違いだった」
「へー、普段の様子じゃ想像できないなぁ」
見てないだけかもしれないけど、廣井さんが伊地知さんの前でベースを握ったことはない。
というよりもしかすると、楽器を持ち歩く姿すら見ていないかもしれない。
少なくとも僕は路上ライブの日以来見ていない。最近はお酒を持つ姿しか記憶にない。
「あっ、これ新宿FOLTのチャンネルです。み、見ますか?」
「……んー、見ない! ここまで来たら、本番まで楽しみに取っとく!」
ひとりにそう答える伊地知さんは、見るからにライブの始まりを心待ちにしていた。
廣井さん本人はともかく、メンバーの二人や集まりつつあるファンの様子。
ライブ前特有の雰囲気が伊地知さんの期待と興奮を煽っていた。
そういえば、放っておいた二人はどうなったんだろう。大丈夫かな。振り返って様子を見る。
「という訳でサイケデリックロックは現在のロックにも多大な影響を与えている」
「はい」
「郁代も興味が湧いたなら一度聴いてみるといい。おすすめのアルバム貸す」
「はい」
「そっかじゃあ今度持ってくるね。あっ初心者は二枚目からがおすすめだよ」
「はい」
山田さんの猛攻に破れて喜多さんは、はいと繰り返す機械になっていた。
そして山田さんおすすめのアルバムを借りることになっていた。
実際表現力の勉強に大きく役立つと思うから、僕からもおすすめしたい。
そうして皆と雑談していると、何の前触れもなく、照明が落ちた。
急に出来た暗闇に、フロア全体からどよめきが広がる。再びひとりが僕の背中に張り付いた。
停電、ではないだろう。周りを確認すると、微かに何かの機材が光っているのが見えた。
耳を澄ませてもざわめきは観客からだけ、スタッフからはない。ということは、これは演出かな。
周囲を観察していると、ステージの幕が上がり始めた。
同時に色とりどりの光が目に刺さるように輝き、心躍る音が響き出す。
ライブが始まった。それを察した観客達が一斉に、大きな歓声を上げた。
暗闇の中目を凝らしていたから、ステージの光がより一層眩しく見える。
なるほど。一度光も音もゼロにすることで、最初の注目度を引き上げてるのか。
そんな風に冷静に観察出来たのはここまで、ライブ開始直後までだった。
何度も動画で見たから知っていた。来る途中、山田さんがバカテクバンドとも言っていた。
だから、SICKHACKが高い技量を持つバンドだと知っていた。知っているつもりだった。
そう、つもりだった。僕の認識はどこまでも甘かった。
サイケデリックロックというジャンルは、その特性上スタジオでの演奏でこそ輝く。
そしてそれは動画よりも、現地で聴く方がより一層感じられる。
知識では理解していた。実感は、今追いついてきた。
曲の特性上、リズムは不安定で音は歪む。それを岩下さんと清水さんは完璧に表現していた。
ドラム、岩下さんはどこまでも揺れて不安定な変拍子を完璧にとらえ、力強く叩く。
ギター、清水さんは幻想的な譜面をあくまでも冷静に、けれど魂を込めて弾いている。
そして何より、廣井さんのカリスマ性が、魔性の魅力が全てを支配していた。
ベースが上手いとか、歌声がいいとか、単純には、明確な言葉では語れない存在感がある。
危ないと、恐ろしいと、関わってはいけないと、頭では理解している。理性が警告をあげる。
それなのに魅了されて、引き寄せられて、まだ、もっと、ずっと聴きたいと思わされる。
きっとこれがサイケデリックロックの本質、ドラッグのような魅力と危うさなんだろう。
吸い寄せられるように、演奏中の廣井さんと目が合った。
いつものとろけた目じゃない。どこか深いところへ引きずり込まれそうな、渦巻きのような目。
そんな目をしながら笑っていた。絡みつくような、妙な生々しさを含んだ笑み。
思わず目を奪われる。そしてそのままずっと、一度も目を離すことなんて出来なかった。
廣井さんの言った通りだった。ライブ中、誰も僕のことなんて見ていなかった。
そして僕もずっと廣井さんを見ていたから、彼女以外と目が合うこともなかった。
ライブ中は絶対平気だと、そう断言した言葉の意味、その自信、その誇り。
それを僕が理解したのは、ライブが全部終わった後だった。
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