前回のあらすじ
「魔王はメイド好きという噂が新たに生まれた」
「くらえー!」
「ひぇっ」
視界が広がる。目の前には、僕を見て怯える人がいた。
「ふういん!」
「ほっ」
温かなもので目を塞がれる。安堵に息を呑む音が聞こえた。
「やっぱりくらえー!」
「ひぇっ」
「きゃっきゃっ」
温かなものが消え、再び目が見える。眼前からは恐怖の、頭上からは楽しそうな声がした。
いい加減そろそろ叱ろう。人様に迷惑をかけてしまっているし、教育にもよくない。
このままだといつか、魔王を従える大魔王に成長してしまう。
「ふたり、他人をおもちゃにしない」
「はーい、ごめんなさーい」
「すみません、ご迷惑をおかけして」
「い、いえ」
僕達の謝罪を受けて、その人はそそくさと逃げるように立ち去る。
怯え切ってはいたけれど、気絶まではしていない。家族でのセーフティもしっかり効いていた。
お礼代わりに頭上の、肩車をしているふたりを撫でる。そしてもう一度確認を取った。
「ふたり、お父さんとお母さんと一緒じゃないけど寂しくない?」
「おにーちゃんがいるから大丈夫!」
僕の頭を抱きしめながら、ふたりはとても嬉しいことを言ってくれた。
そしてその体勢のまま得意げに語りだした。先生ぶっていて可愛い。
「あとね、こういうときに夫婦は愛を深めなきゃいけないんだって!」
「そうなんだ。ふたりは物知りさんだね」
「えっへっへー、えっへん!」
文化祭二日目、結束バンドのライブのために後藤家四人で秀華高校へ訪れていた。
早く着いたから出し物を見て回っていたのだけど、途中で父さんと母さんとは別れた。
文化祭を回っている内に青春気分を思い出して、二人でデートをしたくなったらしい。
そういうことならと、僕達は喜んで二人を送り出した。両親が仲良しなのは僕達も嬉しい。
制服着てくればよかったわー、なんて妄言は聞かなかったことにした。来年が怖い。
「次はどこ行こうか?」
「えっとねー」
そうして校内を歩いていると、ふとここではありえない臭い、アルコール臭を感じた。
ここは高校だ。どう考えてもお酒がある訳が、取り扱っている訳がない。
だからこれは誰かが持ち込んだか、もしくは飲み込んで来たかのどちらかだ。
そして、そのどちらもしそうな人を僕は知っている。しかも今日ここに来ると言っていた。
「おにーちゃんどうしたの?」
「……ううん、何でもないよ」
立ち止まって辺りを警戒する僕の耳へ、不思議そうな、舌足らずな声が届く。
あの人のことは好きだ、尊敬も回復した。だけど間違いなく教育に悪い人だ。
この間言われたこともあって気まずいし、申し訳ないけど気づかなかったことにしよう。
「おっ」
「あっ」
そう思った矢先に見つけてしまった、しかも目が合ってしまった。
慌てて逸らすけど意味は無い。見なくても、こっちに向かってくるのが分かる。
逃げようかな。ふたりを肩車している今はそれも難しい。この人混みだ。下手に動くと危ない。
「やっほー、きくりちゃんだよー。こんなとこで会うなんて奇遇だねー!」
「……」
「あれ、ねぇ無視ー? お姉さんのこと無視するなんて酷くなーい?」
言葉と行動を迷っていると、廣井さんがいつも通り僕に絡んで来ようとする。
今日もお酒臭い。僕一人なら甘んじて受けるけど、今は守るべきものがある。
ふたりにこんな臭いは嗅がせたくない。そんな可哀想なことはさせられない。
妹を守るため、僕は暴力を解禁した。
「せいっ」
アイアンクローだ。以前店長さんがやっていたのを真似してみた。
痛くするのは心が痛むから、手加減をして廣井さんの勢いを抑えるくらいにする。
急に頭を掴まれた彼女は、不思議そうにしながらも狙い通りに立ち止まってくれた。
「おぉ? どうしたの、君から手出してくるって珍しいね。なにこれ?」
「アイアンクローです」
「えー、これがー? あっはっはっはー、よっわっ!」
ほとんど触るくらいだったから、廣井さんの力でも簡単に払われてしまった。
そのまま僕に近付き、いつものように肩なり腰なりに絡んでこようとする。
そこで初めて頭上のふたりに気づいたようだ。
「あっ、小さいぼっちちゃんだ!」
廣井さんは弾んだ声を出すけれど、こっちはそんな余裕はない。お酒臭い。
気のせいじゃなければ、いつもより臭いが強い。いつもより酔っぱらっている。
そして僕が臭いを感じるのだから、ふたりにもそれは届いてしまう。
「なんかへんなにおいする……」
そう小さく零して、ふたりは僕の髪に顔を埋めた。いやいやと首を振っているのを感じる。
その感触が僕に間違いを教えてくれた。躊躇っている場合じゃない。一番大事なのは妹だ。
心を鬼にしてもう一度廣井さんの頭に手を置き、今度はちゃんと力をこめた。
「ごめんなさい廣井さん」
「えっなにが、あいたっ、いた、いだだだだ!?」
僕は柔らかいリンゴくらいなら握りつぶせる。昔やって母さんに叱られた。
本気でやったらどうなるか分からないから、廣井さんの悲鳴で威力を調整した。
今はいい感じに元気な悲鳴をあげている。これくらいがちょうどいいようだ。
酔っ払いとサングラスの不審者がそんなことをしていれば、当然遠巻きにされる。
緊急避難のためにアイアンクローをしたけど、この後どうしよう。
廣井さんが大人しくなったら連れて行くか、それともその辺に捨てるしかないかな。
「お前ら、何してんの?」
こんな、誰もが目を逸らして逃げる状況に介入したのは店長さんだった。
「店長さん、こんにちは」
「お、おう。えっと、それ何?」
「店長さん直伝アイアンクローです」
「んなもの教えた覚えはない」
直接は教えてもらっていないけど、見て学ばせてもらった。だから直伝だ。
僕の言葉と技に呆れ果てながらも、店長さんは廣井さんを回収してくれた。
「おら廣井、離れろ外だぞ。捕まりたいのか?」
「お、おぉ、頭が割れる」
「いつも二日酔いで割れてるだろ。なんだ、今日はこの辺か?」
「あだだだだだだ」
痛みに苦しむ廣井さんの頭を、店長さんは容赦なく追撃していた。
廣井さんが離れることで悪臭が、アルコールの匂いが薄れていく。
ようやく僕の頭から顔を離せたふたりが、目の前の知らない大人二人を見て疑問の声をあげた。
「おにーちゃん、この人たちだれ?」
「……うーん、お兄ちゃんとお姉ちゃんが、お世話になってる人?」
「じゃあ、ごあいさつしたいからおろして!」
頭をはたきながら催促されたから、大人しくふたりを肩から降ろす。
地面に降り立ったふたりは、元気一杯折り目正しくお辞儀をした。可愛い。
「後藤ふたり五歳です! いつもおにーちゃんとおねーちゃんがおせわになってます!」
「おー、ちゃんと自己紹介出来てる、凄い。私はきくりちゃんだよ、よろしくねー」
「ふたりは賢い子ですから。上手に御挨拶出来て偉いね」
「ふふんっ」
上手に自己紹介出来たふたりは、鼻を鳴らして自慢そうにしている。とても可愛い。
廣井さんはともかく、店長さんは何故かふたりの様子を見て固まっている。微動だにしない。
まさかふたりがあまりにも可愛くて身動き一つ取れないのか、なんてね。そんなことはないか。
小さい子に避けられがち、と伊地知さんが言ってたし、対応に困っているのかもしれない。
ふたりが自己紹介を待ってるから、僕の方で店長さんのことを紹介しよう。
「こちら伊地知星歌さん。前家に来た、虹夏さんのお姉ちゃんだよ」
「虹夏ちゃんの!? はじめまして!」
「あ、あぁ。はじめまして」
結束バンドが家に遊びに来た時、すなわち僕が逃げた時、ふたりは皆にとても懐いたらしい。
一番は喜多さんだけど、それに負けないくらい伊地知さんのことも好きになったと聞いている。
その彼女の姉と分かって、ふたりが店長さんを見る目は光り輝き始めた。
「おねーちゃんは虹夏ちゃんみたいに髪結ばないの?」
「えっと、私は」
「結んだ方が可愛いよ! ふたりやってあげるね!」
ふたりは店長さんの髪形を伊地知さんと同じにしようと、彼女の髪を弄り始める。
伊地知さんの髪形は結構難しいから、ふたりが作っているのは単なるサイドポニーだったりする。
店長さんは困惑していたけれど、ふたりが触りやすいように屈んでくれた。
「すみません店長さん。すぐに止めさせます」
「……いいよ別に。好きにさせてあげな」
初対面の子に髪を触られても店長さんは気にしていない様子だ。
それどころか、態度はぎこちないけれど所作から優しさが滲み出ている。
考えてみれば彼女も僕と同じ妹持ちだ。小さい女の子に優しいのは当然なのかもしれない。
「はー、器用な子だねー」
「……おにーちゃん」
「あら、逃げられちゃった」
廣井さんに呼びかけられて、ふたりは僕の後ろに隠れた。
失礼な態度ではあるけれど、彼女は見るからに怪しい人だ。
この対応は叱るべきことじゃない。むしろ褒めるべきことだ。危機管理意識がしっかりしている。
ただ廣井さんは、色々とあるけど、そこまで悪い人ではないと思いたい、多分、きっと。
自信がなくなってきた。それでもふたりの不安は取り除かないと。
「ふたり、この人は」
「?」
なんて説明すればいいんだろう。改めて考えてみると不思議な関係だ。
恩人とかどうとか、語れることはたくさんある。でもふたりにはまだ難しいだろう。
この子にも分かるよう簡単に説明するなら、あれしかないか。僕は渋々口にした。
「…………お兄ちゃんとお姉ちゃんのお友達だよ」
「あっ、とうとうデレた?」
デレたなんて言葉は知らないけれど、なんとなく意味は分かる。
にやついた廣井さんに若干引っかかるものはある。でもふたりを安心させるために飲み込んだ。
「おにーちゃんとおねーちゃんの!? こんな人が!?」
ふたりの大きく可愛い目が零れ落ちそうになっていた。そこまで驚くんだ。
こういう人が、そもそも僕とひとりに出来た、理由はいくらでも思い浮かぶからしかたない。
とにかく、僕達の友達と分かったことで、ふたりの警戒も少しだけ収まった。
「変な臭いするけど、それには悲しい理由があるから言わないであげてね」
「はーい!」
「あれ、これほんとにデレてる?」
こうして出くわしてしまったものはしょうがない。
そのまま店長さん、廣井さんと一緒に少しだけ文化祭を回った。
幸い廣井さんが取り押さえられることも無く、ライブの時間まで楽しむことが出来た。
「ご両親と合流しなくていいのか?」
体育館へ移動してすぐ、店長さんに気を遣われた。
ちらちらと廣井さんを見ていたから、逃げる口実を作ってくれたのかもしれない。
「もう会場にいるって連絡があったので、あとで探します」
父さんが結束バンド以外のライブも見たくなったらしい。
若い子のフレッシュな演奏を聴いて、青春の情熱を感じたいからとか。言葉選びに年齢を感じる。
それなら迎えに来てもらうより、こっちで二人を探した方がいいだろう。
「それに、廣井さんのお世話を店長さんだけに押し付けられません」
「いつも悪いな、助かる」
「ふたりもお世話するよ!」
「ふたりちゃんもありがとう」
元気よく返事するふたりの頭を店長さんは右手で撫でる。左手は繋いでいた。
元々ふたりは物怖じしない、人見知りしない子だ。僕達の妹とは思えないほど人懐っこい。
それを差し置いても店長さんにはよく懐いていた。
今だって彼女に買ってもらった飴を舐めながら、ニコニコとご機嫌そうに笑っている。
「お世話なんて必要ないよー? 今日はお酒も持ってないしさー」
「持ってなくても酔ってるじゃねーか」
「先輩、この子の文化祭でね、私も学んだんですよ」
ちっちっちっ、と指を振りながら胡乱げに廣井さんが語る。どうせろくでもないことだ。
「お酒を持ってたら学校には入れない、でも手元になければ?」
「なんだこいつ」
「ずばり、持ち込まなきゃ、現場を押さえられなければいけるってね!!」
「マジかこいつ」
「そのために今日は飲み溜めしてきました! はっはっはー、私てーんさーい!!」
「駄目だこいつ」
実際こうして入って来れてるし、昨日は世紀末の人達も見た。
魔王なんて、なんと二日連続で潜り込んでいる。秀華高校のセキュリティは甘い。
今日はお酒を持ってないと、廣井さんは熱心に主張していた。
その言葉の通り、いつもの大きな酒瓶も紙パックも確かに手に持ってはいない。
でも怪しいものだ。あの廣井さんがお酒を持たずに外を歩けるとは思えない。
「店長さん、廣井さんの胸元触ってください」
「ん? 急にどうした?」
「ちょっと確認してもらいたいことがあって」
さっきから気になっていた。廣井さんの胸あたりに不自然な膨らみがある。
恐らくあれだと思うけど間違っていたら、というか合ってても僕では触れない。
こんな変なお願いでも、疑わずに店長さんは聞いてくれた。
「きゃーえっちー」
「こいつ殺してぇ……」
廣井さんの棒読みの嬌声は店長さんの殺意を呼び起こしていた。
それを受けてか、心臓をもぎ取るような勢いで店長さんは手を伸ばす。
その手が廣井さんの胸元に着いた頃、怒りに満ちていた店長さんの顔が疑問に変わった。
「なあ、瓶みたいな感触するんだけど」
「……き、気のせいですよ。ほふー」
「おねーさん口笛ド下手だね」
音にもなってない下手な口笛で廣井さんは誤魔化そうとしていた。あれはお酒だろう。
あんなことを言いながらも、彼女は学校にお酒を隠して持ち込んでいるようだった。
アルコール依存症は病気なんだと、悲しい気持ちとともに実感した。
出来れば没収したいけれど、そうなれば確実にひと悶着起こる。
そして廣井さんは退場だ。最悪そのまま警察まで連行だ。流石にそれはちょっと。
この場は一旦見逃して、あとでお話しさせてもらおう。店長さんとそう決めた。
「にしてもお前、よく気づいたな」
「半分勘です。それより、飲ませないように注意しましょう」
「しましょう!」
飲み溜めしてきたという言葉の通り、廣井さんは普段より酔っぱらっている。
この状態でいつものように一気飲みでもしたら、そのまま吐いてしまいそうだ。
ライブハウスとかならともかく、高校でそんな事件が起こればライブは中止になる。
大惨事を防ぐためにも、僕達は廣井さんの飲酒を止める決意を固めた。
『続いては、結束バンドの皆さんです!』
そうして話をしている内に、舞台上の準備も完了したようだ。
司会の紹介とともに暗幕が上がり始める。それと同時に歓声もあがり始めた。
歓声、特に喜多さんを呼ぶ声が数多く響いている。流石の人気だった。
加えて山田さん、伊地知さんを呼ぶ声もちらほらと聞こえる。他校の生徒なのに不思議だ。
元々のファンなのかな、それとも昨日のメイド喫茶で知ったのかな。あれも宣伝になったらしい。
予想はしていたけど、ひとりは呼ばれていない。というか名前を知ってる生徒がいないと思う。
あの子もそれを察して暗い顔をしていた。でも、すぐにそんな気持ちも晴れるだろう。
ふたりが百点満点の笑顔で、ひとりのために大きく息を吸い込んでいた。
「おねーちゃーん!!」
「ひとりちゃーん!」
ひとりの目が輝いた。ふたりと同時に誰かが、どこかで聞いた声がひとりを呼んでいた。
路上ライブの、スターリーにも来てくれたお姉さん達だ。文化祭にも来てくれるなんて。
本当にひとりの、結束バンドのファンになってくれたらしい。
「ひとりー!」
「きゃー! ひとりちゃーん!!」
父さんと母さんも大きな声でひとりを呼んでいた。父さんは既に若干涙声だ。早い。
「あっ、おとうさんとおかあさんだ!」
「わっふたりちゃん、ちょっと待って」
ひとりを呼ぶ声で、父さんと母さんのことをふたりは見つけたようだ。
その方向へ駆け出していく。手を繋いでいた店長さんも一緒だ。
店長さんがいればふたりは大丈夫だ。こちらを振り返る彼女に手を振って、僕はそれを見送った。
僕も行くと廣井さんを見る人がいなくなる。何より彼女を両親の前に連れて行く訳にはいかない。
そんな僕の気も知らず、廣井さんはご機嫌にひとりのことを呼んでいた。
「うぇ~い、ぼっちちゃーん、お姉さん達もいるよ~!」
ひとりの目が淀んだ。呼ばれて嬉しい声とそうでもない声があると思う。
僕も本当なら声に出して応援したい。だけど僕は目立つ訳にはいかない。
それでも存在だけでも、ここで見守ってるよと伝えたかったから、大きく手だけ振った。
隣の廣井さんがひとりの注意を引いてくれたから、あの子も僕を見つけられたらしい。
ほんのり頬が緩んだのが分かる。少しでもひとりの力になれていればいいな。
「こんにちはー! 結束バンドでーす!!」
歓声が落ち着いたころ、喜多さんが元気よく挨拶をした。
夏休みの時とは違って、余裕と自信を感じる声だった。表情も明るく楽しそうだ。
緊張も適度にあるように見える。少し心配してたけど、これならきっと大丈夫だ。
「色々話したいんですけど、私たちのMCはつまらないらしいのでやめます!」
喜多さんの勢いのいい諦めに笑いが起きた。ややうけだ。
結束バンドのMCが笑いを取れたことに感動していると、僕に視線が突き刺さった。
伊地知さんが凄い見てくる。重圧を感じる。僕を見てないで演奏に集中して。
「なので自己紹介代わりにまず一曲、聴いてください!」
その一言とともに、僕の人生を変えるライブが始まりを告げた。
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