ひとりが退職を諦めた頃、ちょうど皆でギターを買いに行く時間になった。
今日の目的その二だ。ひとりと、皆と一緒に御茶ノ水まで買い物に行くこと。
わざわざ僕まで同行している理由は、ひとりからとあるお願いをされたからだ。
「あっ、こんなにお金持ち歩くの不安だから、お兄ちゃんに持ってきてもらいました」
「でっかい財布だなぁ……」
正直僕も不安だった。大金を持ち歩いているという意識が、ひとりに不審な動きをさせそう。
それに急な大きい収入は、気を大きくさせるという。少なくとも昨日のひとりはそうだった。
気が大きくなった、調子に乗ったひとりがどう暴走するのか。僕にも未だ読み切れない。
道中事故や事件を引き起こさないか密かに心配だったから、ひとりのお願いは渡りに船だった。
そういう訳で結束バンドと僕の五人で御茶ノ水までやって来た。
数多く並ぶ楽器屋さんの看板に、喜多さんは何枚か写真を撮った後、感心したような声を上げた。
「ねえひとりちゃん、どうしてこんなにたくさん楽器屋さんがあるんだろうね?」
元々距離感の近い子だったけど、文化祭以来喜多さんはなんだか積極的に感じる。
今もひとりの腕に抱き着くようにして密着している。仲が良さそうでなによりだ。
慣れたのかひとりも以前のように死にかけていない。このままもっともっと仲良くなってほしい。
「あっそれは」
「そ! れ! は!」
喜多さんの疑問に答えようとしたひとりの声は、より大きな同じ言葉でかき消された。
山田さんだ。極々稀に見る、きらきらとした目を浮かべながら二人に迫る。
そしていつか新宿で喜多さんをロボットにした時のように、勢いよく喋り始めた。
「明治時代に日本で最も古い歴史を誇るプロオーケストラが結成されてから都内で」
早口だ。淀みなく出てくる知識もだけど、この速さで話し続ける肺活量と滑舌の良さも凄い。
「山田さんって音楽の歴史にも詳しいんだね。さすが」
「これくらい基礎知識だよ。自慢にもならない。どやっ」
「じゃあそのドヤ顔はなんだ?」
伊地知さんのツッコミもまったく効いていないようで、山田さんはなおも語り続けた。
音楽情報の詰め込み教育だ。人によっては聞くだけで意識を持っていかれるだろう。
この後は買い物なのに、ここで体力を使い果たすのはもったいない。
聞いていて楽しくもあるので、山田さんの対応は僕が引き受けることにした。
そうして山田さんの解説を聞き始めてから十分程して、伊地知さんの足が止まった。
視線の先には大きな楽器店。まずはここに立ち寄ってみることにしたらしい。
「ここ入ってみようか」
「イシバシ楽器店。いいところなんですか?」
「お姉ちゃんが前働いてたんだって」
ついでにさっき、山田さんが老舗として名前を上げていたお店でもある。
次々と皆がお店へと入っていく中、ひとりが僕の腕を掴んで引っ付いてきた。
そのまま顔を埋めて隠しながら、周囲を警戒するように辺りを窺っている。いつものやつかな。
「皆もいるけど、今日も必要?」
「喜多ちゃんも虹夏ちゃんもいるから、逆にもっと必要かも」
「言われてみればそんな気もするね」
人当たりがよくて話しかけやすそうな二人がいる。僕達だけの時よりも狙われる可能性は高い。
声をかけられ、この子のギターを探しに来たと話を振られ、そのまま死ぬ。目に浮かぶようだ。
そうしてまごまごしているところを、先に入った三人に見られていた。
「ありゃ、またくっついてる」
「さっきまで普通だったのに、急にどうしたんですか?」
喜多さんの言う通り、外からお店に入った途端これだ。不思議にも思うだろう。
僕から説明してもいいけど、練習のためにも話せるところはひとりに話してもらいたい。
そう思って顔を埋めているひとりに合図をすると、数秒沈黙した後に口を開いた。
「あっこ、これはトーテムポールです!」
「お兄さんでしょ!?」
魔除け的な意味を考えるとあながち間違いじゃない。でも伝わらないと思う。
「魔王型トーテムポール……はっ、新しい物販品になる?」
「ならないならない」
ひとりの発言がインスピレーションを刺激したのか、山田さんが変なことを言い出した。
そもそも僕はメンバーじゃないから、物販で出されてもファンだって困ってしまうはず。
そんな僕の言葉もどこ吹く風に、山田さんは安心して、と続けた。まったく出来ない。
「私たちのも作ってガチャガチャで売る。陛下はシークレット枠。これは売れる」
「売れない売れない」
「リョウ先輩、おいくらですか?」
「買わない買わない」
山田さんの明後日方向への商品開発はともかく、この体勢の意味は伝えておこう。
今後もこういう機会があるかは分からないけれど、ひとりの生態は理解してもらった方がいい。
ただ、油断すると僕の悪意と偏見が滲み出るはず。言葉を選んで話さないと。
「これは、そうだね。虫よけみたいなものかな」
虫よけ、ひとりが店員さんに話しかけられないようにするためだ。
向こうも仕事でやっているのに、虫扱いはとてつもなく失礼なのは分かっている。
だけど買い物中にちらちらと眺める、隙を窺う姿勢はある意味虫より鬱陶しい。
それで声はかけてこないのが何とも言えない。出来ないのなら、気にしなければいいのに。
そしてひとりの場合、店員さんの存在は鬱陶しいでは済まない。
視線は身体を崩壊させるプレッシャーになるし、声かけは殺人事件を引き起こす。
お客さんが一人減って、代わりに死体が一つ増える。お店としても迷惑だろう。
なんてことを慎重に説明すると、色々あるんだねーの一言で済まされた。
疑問には思うけれど、今更この程度で驚いたり引いたりはしないようだ。慣れって凄い。
とりあえず納得はしてもらえたようだから、僕達はそのまま店内を進んだ。
「で、喜多ちゃんは二人を見て、何をそんなに悩んでいるの?」
「どちらから行こうか迷ってて」
「……怖いから、何を迷ってるかは聞かないよ」
そんな会話があったなんて露知らず、僕とひとりは店内図を探していた。
僕達兄妹にとって店員さんへの質問は最終手段だ。自分で商品の場所を把握する必要がある。
幸い今日は、エレベーター前にあったのをひとりが見つけてくれた。
「一階が雑貨と消耗品、二階が楽器で、三階がハイエンドの売り場だって」
「ハイエンド? そういう楽器があるのかしら?」
「あっ、高級品のことです。さ、三十万くらいから、数百万くらいするものもあって」
「す、数百万!?」
喜多さんが驚きの声を上げる。店内だからか小声で叫んでいた。器用だ。
数百万、と彼女はもう一度囁くように呟いた。それほど衝撃だったらしい。
そんな喜多さんを気遣ったのか自分が見たいからか、山田さんが身を乗り出した。
「気になるなら見に行ってみようか」
妙にもったいぶった、格好つけた姿勢で山田さんがエレベーターのボタンを押す。
「私のハイエンド、見せてあげる」
「リョウ先輩……!」
「リョウのじゃないよね」
三階ハイエンドの売り場に到着してすぐ、伊地知さんと喜多さんは隅に身を寄せた。
降り立った直後はウキウキしていたけれど、値札を三度見してからはすっかり怯えてしまった。
今では商品棚に近寄ろうとすらしない。ずっと遠目で見ている。
僕はというと、ひとりと山田さんの三人でギターを物色していた。
山田さんはのびのびしているけれど、ひとりは隅っこ二人組以上に委縮して僕に張り付いている。
これだとギター選びなんて出来ない。取っ掛かりのため、適当なギターをひとりに見せてみた。
「ひとり、これなんてどう?」
「……うぇっ!? お、お兄ちゃん、これ四十万だよ、予算オーバーしちゃう」
仰天した後、何も触れないようにと、かえって僕に張り付く力が強くなった。
腕がぷるぷるしているから渾身の力なんだろう。だけどまったく痛くない。心配になる非力さだ。
ひとりのトレーニングメニューを考えていると、山田さんが僕の指差すギターに目を向けた。
「ほう、中々お目が高い。家にあるよこれ」
「どんな感じ?」
「低音の響きが気持ちいい」
低音が得意なギター。重苦しい曲が好みのひとりにはぴったりかもしれない。
もう一度勧めようと視線を向けると、頭を寄せたまま首を横に振る、むむむ妖怪がそこにいた。
おでこが擦れちゃうからやめさせる。今度はその横のギターに狙いを変えて話を振った。
「それじゃひとり、これは?」
「は、はは、八十万!? だ、駄目だよ。この階にあるの全部予算以上だよ」
「このくらいなら追加で下ろしてくれば平気だよ」
念のためカードは持って来ているから、近場のATMに行けばすぐ引き出せる。
そう告げるとひとりはおずおずと、埋めていた腕から顔を出して聞いてきた。
「…………私のお金って、そんなに貯まってるの?」
「それは内緒」
「……私のなのに」
最近八桁になった。父さんと母さんにお願いして、新しい口座を作ってもらわないと。
ひとりに教えると高校中退だー、とかなんとか、いらない皮算用を立てそうだから言わないけど。
あと、山田さんが不気味に目を光らせてるから尚更言えない。絶対言わない。こっち見ないで。
そんな風に僕と山田さんが平然としていたからか、隅っこコンビも緊張が解れて来たようだ。
少し動きは固いままだけれど、三階に降りた時ほどじゃない。興味深そうにギターを眺めている。
「ねぇねぇひとりちゃん。ハイエンドって、そんなに普通のと違うのかな?」
「あっ、ど、どうでしょう。高い分だけやっぱりいいんじゃないでしょうか」
どうでしょう、なんて言ってるけれど、父さんのあのギターも実は相当なものだ。
ひとりは気づいてないし、僕も教えていない。知ったら多分持ち歩けなくなる。
それを知ってる僕も、聴き比べや弾き比べなんてしたこともないから説明が難しい。
こういう時こそ詳しい人に頼るべきだ。早速店長さんの説教を実践しよう。
「そこのところどうなんだろう、山田さん」
「もちろん違う」
彼女がこうまで断言するのだから、ひとりにはこの階で買ってもらうべきだろうか。
バンドとしてははまだまだだけど、ギターヒーローとしてのひとりはプロレベルだ。
そう考えるとむしろ、ここにあるギターくらいの方が相応しいのかもしれない。
もちろんひとりのお金で買うのだから、ひとりの意思が一番大事だ。
それはそれとして、余裕があるのだからいい物を買った方がいいと思う。
「だけど買う時に、値段で判断するのはよくない」
「音が違うのに?」
「音も含めて、一番大事なのは自分が気に入ることだよ」
だからどうやって説得しようかな、なんて考えは山田さんの言葉で止められた。
「これから長い付き合いになる相棒なんだから、何よりも自分の感覚を大切にした方がいい」
「リョウにしてはまともなこと言ってるけど」
いい言葉だけど、身持ちを崩すほど機材に入れ込む人の言うことではなかった。
伊地知さんも同じようなことを思ったのか、いつものような目を山田さんに向けていた。
年少二人は純粋に尊敬の眼差しだ。その純粋さを大事にして欲しい。
「というわけでぼっち、私このベース欲しい」
「あっえっ?」
「はいはい皆下行くよー」
「ひとりちゃんも一緒に行こうね!」
「あっはい」
そして山田さんは、自分でその尊敬を蹴散らした。
今日ずっとひとりを見る目が怪しいと思っていたら、そんな狙いがあったらしい。
もちろん伊地知さんが見過ごすはずも無く、山田さんを置いて階段を降りて行った。
残るのは立ち去るタイミングを失った僕と、物欲しそうにベースを見つめる山田さんだけ。
「……陛下、買って?」
「だめ」
ハイエンドのコーナーを冷やかした後、二階に降りて改めて楽器を物色する。
考えてみれば家で弾くならともかく、持ち歩くならこっちの方がいいだろう。
それに三階で山田さんが言った通り、結局は本人が気に入るものを選ぶのが一番だ。
「こんなにギターが並んでると、なんだか壮観ねー」
「で、ですね。ちょっとわくわくします」
「……このベースいいな。今度買おう」
ギタリスト三人組がわいわいと盛り上がるのを、伊地知さんは一歩後ろから眺めていた。
一人だけドラマーでそこに入れないからか、その背中にはどことなく寂寥感が漂っている。
皆ギターに夢中で誰もそれに気づいていないようだ。この間は僕が話し相手になっておこう。
「伊地知さんはギター弾いたりしないの?」
「私は小さい頃からずっとドラム一筋だよ」
「ずっとなんだ。だから伊地知さんのドラム叩く姿って、なんだか貫禄あるのかな」
「貫禄って。何それ褒めてるの?」
そう言ってくすくすとおかしそうに笑った後、伊地知さんは軽くため息をついた。
「でもこういう時に疎外感が凄いんだよね。これが漫画でよく見るドラマー孤独問題なのかな……」
ドラマー孤独問題なんてまったく知らないけど、寂しそうな伊地知さんは放っておけない。
落ち込んだ彼女を慰めるため、僕はその辺にあったギターケースを背負わせた。
「……何してんの?」
「気分だけでもギタリストになってもらおうと思って」
「優しさが斜め上!」
ただ咄嗟の判断だったからか、背負わせるサイズを間違えてしまった。
僕が今回手に取ったのは、ギター複数に加えて色々詰め込めるかなり大きいタイプだ。
伊地知さんが小柄なのもあって、妙にちんちくりんな印象になっている。
伊地知さんのツッコミで、喜多さんと山田さんがこちらを振り向く。
喜多さんはいつもの楽しそうな、山田さんは少し悪そうな笑みを浮かべていた。
「わぁ! 伊地知先輩、ギター始めたての小学生みたいで可愛いですね!」
「喜多ちゃんもしかして喧嘩売ってる?」
「あっちに小学生向けの初心者用ギターセットあったよ。買えば?」
「お前は売ってるよな」
方向性はともかく寂寥感は吹き飛んだ。伊地知さんも元気にツッコんでいる。
楽しそうだけど今あそこに混じると、何を言っても伊地知さんに油を注ぐ予感がする。
だからひとりの方へ向かった。さっきから一本のギターを熱心に見ているのに気がついたからだ。
「ひとり、それ気に入った?」
「うん。これカッコいいなって。どう?」
「……いいね。僕も好きだよ」
ひとりの指差すギターを確認する。価格は六万円ほど。デザインもひとりにしてはシンプル。
値段は問題なくて、見た目もひとりのお気に入り。僕から言うことは何もない。
ならあと確認すべきは音くらいだ。こればかりは触ってみないと分からない。
「じゃあこれ、試奏させてもらおっか」
「う、うん。お兄ちゃんお願い」
くるりと店内を見渡して、商品整理をしている店員さんを見つけた。あの人にしよう。
彼女を見るだけ見て、動き出そうとしない僕を喜多さんは不思議に思ったようだ。
「先輩、店員さん呼ばないんですか?」
「呼び方をちょっと考えてる」
なにせ無作為に呼べば死ぬ。
今日もサングラスはかけてるし、皆だって一緒にいる。だけど安心は出来ない。
僕は店員という人種が苦手だ。その気持ちがどこまで影響するのか分からない。
「なんだ、それなら任せてください!」
どんと胸を叩き、僕達が何かを言う暇も与えず、喜多さんは店員さんの元へ歩んで行った。
そして声をかけ、何やら談笑している。背中しか見えないから、何を話しているかは分からない。
そのまましばらく楽しそうに話し続けていた。初対面でもあんなに会話できるなんて流石だ。
数分ほど適当に楽器を見ていると、喜多さんが戻って来た。店員さんは一緒じゃない。
にこにこ笑顔の喜多さんだけだ。何かの都合で断られた? それなら笑っていないはず。
なんにせよとりあえず聞いてみよう。僕の質問に、彼女は自慢げに携帯を取り出した。
「喜多さんどうだった?」
「見てください! ロイン教えてもらいました!」
「………………な、なんでやねん!!」
「いきなりの関西弁!?」
謎の関西弁はともかく、ひとりは僕の言いたいことを代わりに言ってくれていた。
戸惑う僕達を、喜多さんも同じように不思議そうな顔で見比べていた。
もしかして、当初の目的を忘れている、とか?
「あの、店員さんは?」
「あっ」
きれいさっぱりだった。会話が盛り上がり過ぎたせいかもしれない。話し上手も時には仇だ。
気まずそうに指を絡ませ、視線をあちこちに彷徨わせた後、彼女は自分の額を軽く叩いた。
「…………てへっ?」
喜多さんは今日もあざとい。最近は安心感すらある。
その後改めて喜多さんに店員さんを呼んでもらい、試奏をさせてもらった。
一回弾いたらひとりはもっと気に入ったみたいで、そのギターを買うことになった。
今はちょうど会計が済んだところだ。そうだ、あれも忘れないようにしないと。
「領収書お願いします」
「かしこまりました」
経費申請用の領収書だ。弦のような消耗品も含めて、確定申告の時に使っている。
誤差と言えば誤差かもしれない。でもひとりのためになることだ。
どんな些細なことであっても、出来ることがあれば僕は何でもしてあげたい。
「ひとり、ギターはどうする?」
「えっと、私が持つ。持ちたい」
「分かった。ちょっと重いから気を付けてね」
元々使っていたのは父さんからのお下がりで、一応ずっと借りてる状態だった。
つまりこれはひとりにとって、初めての自分専用ギターだ。愛着だって湧くだろう。
その気持ちが伝わるくらい、感慨深げにひとりはギターを抱えている。可愛い。
そんなひとりを見て店員さんも微笑ましげだ。うちの妹は世界一可愛いから仕方ない。
嬉しそうだけど早足のひとりに続いて、皆でぞろぞろとお店を出ていく。
その途中伊地知さんがいないことに気がついた。振り向くと店員さんに話しかけられている。
店長さんが昔働いてたらしいから、その関係かな。親し気な明るい雰囲気に見えた。
だけど話し終えてこちらに歩いてくる伊地知さんは、変に疲れたような顔をしていた。
「なんかげんなりしてるけど大丈夫?」
「……お姉ちゃんここで働いてた時、御茶ノ水の魔王って呼ばれてたんだって」
そうか、ここが魔王生誕の地。そう思うとなんだかこのお店が好きになってきた。
これから何か買う時は、なるべくここを利用しよう。
その時ふと気がついた。意図せず二人きりになれた。この隙に伊地知さんにも聞いておこう。
文化祭前からしようしようと思っていたのに、ここまで引っ張り続けている。
このままだと素性を話すときみたいに、どこまでもぐたぐたとしてしまいそうだ。
「そういえば伊地知さん、店長さんにも聞いたけど何か欲しい物とかある?」
「どしたの急に?」
「これも同じだけど、伊地知さんにも何かお礼がしたくて」
お礼、と呟き返す伊地知さんに心当たりはまったくなさそうだった。
魔王係を始めとした多くのこと。彼女にとっては何でもないことかもしれない。
だけど僕にとっては大恩だ。返すべき、報いるべき大切な思い出だ。
それを聞いた伊地知さんは器用なことに、温かいけど呆れ気味な目をしていた。
「気にしなくていいのに。友達でしょ?」
「その言葉に甘えすぎるのも、あんまりよくない気がして」
「前から思ってたけど、後藤くんって頭カチカチだよね」
そう言ってコツコツと僕の頭を叩こうとするけれど、背伸びしてて大変そうだ。
親切心で少し屈んでみると、軽くこつんと頭に伊地知さんの手が触れる。
思い通り叩けたのに、満足と不満が同居した表情をしていた。触れないでおこう。
欲しい物欲しい物、と伊地知さんは呟き考えている。未だ何も出てこない。
店長さんにもだけど、突然すぎたかな。少し反省していると、彼女があっと声を上げた。
「何かあった?」
「後藤くんというか、ぼっちちゃんへのお願いなんだけど」
「ひとりに? それなら僕も一緒にお願いするよ」
そう言うとちょっとだけ恥ずかしそうに、それでいてはっきりと、彼女はお願い事を口にした。
「ギターヒーローさんの宅録、聴いてみたいな」
次回「宅録の話」です。
多分分割二話になります。