ぼっちの兄もまたぼっち   作:差六

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感想評価、ここすきありがとうございます。

この小説に恋愛及びラブコメタグはついていません。


「宅録の話 下」

 あれから伊地知さんは、どうしてか口を閉ざしてしまった。

代わりに視線を感じる。さっきから黙って僕の顔を見ている。もの言いたげな視線だ。

こういう時の彼女は、僕の中の何かを確かめようとしていることが多い。

 

「ねね、後藤くん」

 

 話しかけながら彼女は音も無く近寄って来て、触れるか触れない程度の距離で止まった。

そのまま何故か顔を耳元に寄せて囁き始める。普通に話せばいいのに、急にどうしたんだろう。

 

「二人っきりになっちゃったね」

 

 彼女の言う通り、確かに二人きりだ。今家には僕達以外誰もいない。

父さんは仕事で、母さんはふたりと友達の家へ遊びに出かけている。

皆帰って来るのは暗くなってからだと思うから、しばらくはこのままだ。

 

「そうだね。ひとりが帰ってくるまでどうする? 何かして遊ぶ?」

「……」

 

 彼女は返事もせずに、黙って僕の目を覗き込んでいた。からかいの気持ちが見え隠れしている。

最初は照れくさかったけど、これも今では慣れてしまった。そのせいで余計な考えまで浮かぶ。

これ、避けてみたらどうなるんだろう。沸き上がる好奇心を僕は抑えきれなかった。

 

「……」

「む」

 

 避けてみる。眉をひそめた伊地知さんが僕の視線を追った。

 

「……」

「むむっ」

 

 もう一度、今度は顔ごと背けてみる。彼女は身を乗り出して、その動きに追従した。

 

「……」

「むむむっ!」

 

 もう一回、今度は身体ごと。立ち上がってまで彼女は追いかけていた。

 

「……」

「むーっ!」

 

 どうしよう。困った、これ凄く面白い。

ちょっとした出来心でやってみたけど、想像以上だ。楽しい、やめられない。

右を向けば右へ。左を向けば左へ。右左右右左右に見せかけてまた左。伊地知さんを振り回す。

 

 何度か繰り返していると、息も絶え絶えな伊地知さんが、半分睨むようにして聞いてきた。

 

「……ね、ねぇ後藤くん」

「なに?」

「もしかしなくても、私で遊んでる?」

「楽しいよ」

「もうー!!」

 

 我慢の限界を超えた伊地知さんが僕に襲い掛かってきた。

僕の顔を掴もうと両手を伸ばしてくる。直接動きを抑えて目を合わせるのが狙いだろう。

見られて困ることなんてない。だから合わせてもいい。でも楽しいからもっとやりたい。

 

「んなっ!?」

 

 なのでとりあえず避けた。伊地知さんの全力が虚しく僕の横を通り抜ける。

信じられないような顔でこっちを見てたから、目を合わせ、ちゃ駄目だった。

横目でその反応を楽しんでから、何食わぬ顔で元の姿勢に戻る。

 

 難なく避けられたのがよほど衝撃だったのか、彼女はわなわなと震えて動かない。

このままにらみ合いを、目が合ってない、いや合わせないためだけど、続けてもつまらない。

もっと伊地知さんに構ってもらいたいから、ちょっと挑発してみよう。これくらいならいいよね?

 

「……ふっ」

「!?」

 

 伊地知さんの目が更に吊り上がった。もう少しで星歌さんと同じくらいになりそうだ。

 

 

 

 そうしてしばらくの間攻防を繰り返し、伊地知さんは体力の限界を迎えつつあった。

江ノ島の時も思ったけど体力が無い。これ、バンドマンとしては結構な弱点じゃないか。

喜多さん以外の三人は、楽器の練習より体力づくりから始めた方がいい気がしてきた。

 

 そんな馬鹿なことを考えるくらい、目の前の伊地知さんは顔が赤く息が荒い。

こうなるよう仕向けたのは僕だけど心配になる。思わず声をかけると思い切り睨まれた。

 

「大丈夫? 何か飲み物持ってこようか?」

「いい! 捕まえて目合わせるから座ってて!!」

「今目合ってるよ」

「もうそういう問題じゃないの!!」

 

 だいぶムキになっている。珍しい。

 

 余裕ぶって構えていると、とうとう伊地知さんが飛び込むように突撃してきた。

狙ってないとは思うけど、恐らく彼女が僕を捕まえられる唯一の方法だ。

避けるとそのまま床に墜落して痛い思いを、最悪怪我をする。だから受け止めるしかない。

 

 なるべく伊地知さんが痛くならないよう、衝撃を殺しながら受け止めた。

いくら彼女が小柄でも勢いがあるから、当然のように僕は押し倒される。

伊地知さんは疲労と達成感を滲ませながら、そんな僕の上に跨っていた。馬乗りだ。

 

「……はぁ、はぁ、や、やっと捕まえた」

「お疲れ様、頑張ったね」

「むぅ、なんで全然悔しそうじゃないの?」

「こんな風に遊ぶの初めてで、凄く楽しかったから」

「……そういうこと言うんだ、ずるいなぁ」

 

 伊地知さんはその体勢のまま、両手を伸ばして僕の頬に添えた。

 

「じっとしててね」

 

 言われなくてもそのつもりだった。だけど彼女の髪が顔にかかってくすぐったい。

それにこのままだと目にも入りそう。失礼を承知の上で払った。

それでもすぐに顔まで戻ってきてしまう。もうちょっと、根の方から払わないと意味がなさそう。

そうして手を伸ばすと温かい、何か柔らかいものに触れた。伊地知さんのほっぺだった。

予期せず触れたものに、彼女は触れられたことに、僕達は揃って固まってしまった。

 

 謝らないと。遊びの延長線上とはいえ、女の子の顔に触れてしまった。

そう考えた、考えているはずなのに、僕の口から出たのはまったく別の言葉だった。

 

「虹夏さん」

 

 急に名前で呼ばれて、彼女は大きな目をますます丸く、大きく見開いていた。

失敗した。いつか呼ぼうとは思っていたけれど、どうしてこんなタイミングで。

気まずさに目を逸らそうとする僕を咎めるように、彼女は両手に力をこめた。

そしてもっと顔を近づけて、微かな笑みを浮かべながら、からかうように尋ねてくる。

気のせいか、手から伝わる頬の熱が少しずつ熱くなっているように感じた。

 

「なあに? そんなに私のほっぺ触りたかったの?」

「……ごめんね、すぐ離すから」

「いいよ」

 

 僕の頬に添えていた手を片方離し、そのまま自分の頬へ、頬に触れる僕の手へ重ねる。

離そうとした僕の手を抑えるようだった。実際どうしてか、僕は手を離せなかった。

彼女はまったく力を入れていなかったのに。

 

「私もこうして触ってるから、お互い様だよ」

 

 お互い様。本当にそうなんだろうか。男女で違いがあるべきだと思うけど。

そんな思考も口から出ない。ただ、そっか、と返すことしか出来なかった。

彼女もそうだよ、と口にするだけで、それ以上の言葉はお互いに出てこなかった。

 

 そのやり取りをしてからしばらく、僕達は黙ってお互いの頬を触り、見つめ合っていた。

この状況は、いったいなんだろう。ほとんど自分で招いたくせに、僕は何も分かっていない。

戸惑う僕の意識を連れ戻すように、虹夏さんは添えた手指で僕の頬を押し始めた。

 

「……ちょっと硬い」

「男だから、女の子と比べるとね」

 

 お返しとばかりに、ほんの少しだけ力をこめる。温かくて柔らかい、優しい感覚が返って来る。

ひとりともふたりとも違う、初めて触れる他人の感触。違和感を覚えるべきだ。

それなのに、僕は違和感どころか安らぎを覚えている。僕は自分が分からなくなりつつあった。

 

「そういう虹夏さんは柔らかいね」

「その、女の子だから」

 

 消え入りそうな声で、虹夏さんが囁くように答えてくれた。

髪から覗く耳はすっかり赤くなっていて、とても照れている、恥ずかしがっているのが分かる。

それでも何故か、彼女は目を逸らすことも、手を外すことも、僕の上から降りることもなかった。

 

 僕は今からどうすればいいのか、どうしたいのか。何も答えが出ない中、玄関の開く音がした。

ひとりが帰って来た。偶然も含めて、僕が本当に困った時あの子はいつも助けてくれる。

ちゃんと手洗いうがいでもしてるのか、ひとりはすぐに二階へ上がらず下でどたばたしていた。

 

 今日のひとりはとても間がいい。そのまま戻ってきたら、この状況を見られるところだった。

はっきり言って誤解を招く体勢だ。どんな誤解、いやそんな誤解。駄目だ、僕も混乱している。

とにかく、この隙に体裁を整えないと。このままだとなんやかんやで最終的に僕とひとりが死ぬ。

ひとりに気づいていないのか、今もぼーっと僕を見つめる虹夏さんに声をかけた。

 

「虹夏さん」

「……なあに?」

「えっと、ひとり帰って来たよ」

「……………うん」

「だからその、そろそろ降りた方がいいんじゃないかなって」

「………………………………………………………あ゛っ!?」

 

 ここまで言ってようやく、虹夏さんは自分の体勢を思い出したようだ。

元々赤かった顔を更に、これ以上はないんじゃないか、というくらいまで真っ赤に染めた。

そして血の流れと同じくらいの勢いで、手を離して立ち上がった。

 

「あっ」

 

 平静を失っているのに、慌ててそんな風に動けばバランスだって崩す。

立ち上がりきれなかった虹夏さんが、今度は僕に覆いかぶさるようにしてきた。

一度離れた視線がもう一度交わる。さっきよりも更に近い、文字通り目と鼻の先に顔がある。

 

「あっ、え、や」

 

 言葉を忘れてしまったかのように、虹夏さんは意味のなさない音を放ち続ける。

僕としても、何を言えばいいのか分からない。どういう顔をすればいいのかも分からない。

だからかもしれない。自分でもありえない、馬鹿みたいなことを口にしたのは。

 

「……もう一回、やる?」

「っ!?」

 

 さっきこれ以上はないくらい、なんて思ったけどそれは間違いだった。

彼女はさらに真っ赤に、そして目をぐるぐると回しながら、今度は無事に立ち上がる。

ふらふらとしながらも、置いてあった自分の荷物を持って廊下へ滑り込んだ。

 

「あ、え、えっと、わ私帰るね!」

「まだそんなじ」

「今なら家に着く頃にはいい時間だし! お、お姉ちゃんのご飯も作らなきゃだし!」

「なら送」

「お、お邪魔しましたー!!」

 

 階段から転げ落ちるんじゃないか、と心配になるような勢いで虹夏さんは飛び出して行った。

あんな風に駆け出して大丈夫かな。心配だけど、追いかけるともっと酷いことになりそう。

ベランダに出て、玄関から出て来た彼女の様子を窺う。危なそうならここから止めに行こう。

 

 駆け足と早足の中間くらいの速さで歩いていた彼女は、道路の一歩手前で足を止めた。

そして慌ただしく、けれどきちんと右左を確認してから、再びスピードを上げて歩き去っていく。

虹夏さんはいつも通り、車や道路に十分気を付けていた。あれなら余計な心配はいらない。

とりあえず無事に帰れたらロインをくれるよう、連絡だけしておけばいいか。

 

 部屋に戻るといつの間にか、廊下からひとりがひょっこり顔を出していた。

 

「た、ただいま。虹夏ちゃんが凄い勢いで出てったけど、何かあったの?」

「おかえり。あったというかしたというか。ごめん、説明が難しい」

「???」

 

 あれが言いふらしてはいけないことだってくらい、いくら僕でも分かる。

幸い正直に感想を伝えたことで、ひとりもそれ以上の追及はしてこなかった。

 

「そういえば、ひとりは何か買えた?」

「えっと、うん。一応」

 

 話を変えるため、実際に興味があったため、ひとりに確認を取る。

疲れ切った様子を見せながらも、無事帰って来たひとりは小さな紙袋を抱えていた。

ちゃんと買い物できたらしい。何を買ってきたにしても立派な成果だった。

 

「お、お金が無くて、これしか買えなかった……」

「……まあ、学生らしいニューギアでいいんじゃない?」

 

 ひとりが袋から取り出したのは、可愛らしいピンク、赤、黄色、青、黒のピックセット。

お金が無いという言葉には疑問が残るけど、もう何かに使った後なのかもしれない。

明後日学校に行った時、念のため山田さんにも聞いてみよう。第一容疑者だ。

 

 

 

 買ってきたピックを早速きれいに並べて、ひとりは写真を撮りだした。

本当にこれでマイニューギアするらしい。SNS本当に始めさせてよかったのかな。

今更だけどちょっと心配になって来た。あんまり依存するようだったら携帯の契約を見直そう。

 

 僕の不安なんて知らない様子で、ひとりはわくわくした顔で写真を撮り続けている。

わくわくというかどろどろしてきた。いいねへの期待に胸を膨らませ過ぎた結果だ。

確実に裏切られるだろうから、慰める準備だけはしておこう。

 

 ぼんやりとひとりの様子を眺めながら、僕はさっきのことを思い出していた。

虹夏さんはいったい何がしたかったんだろう。あの状況は僕のせいだけど、きっかけは彼女だ。

きっかけ、二人っきりと伝えた後に僕の反応を確かめようとしていた。どうして?

僕の中に答えはない。もしくは今の僕では見つけられない。なら外に求めるしかない。

 

「ひとり、二人っきりだね」

「? うん、お母さんたち遅いね」

 

 試しにひとりに言ってみたけれど、少し不思議そうにするだけだった。

間違いなく虹夏さんが求めた反応じゃない。こうなったら率直に聞こう。

 

「変な質問なんだけど、ひとりは二人っきりって聞いたらどんな連想する?」

 

 ひとりの顔がみるみるうちに青くなっていった。

 

「……も、盛り上がらない会話、冷えていく空気、じ、地獄のような空間っ!!」

「ごめん、ありがとう、その辺でもういいよ」

 

 聞き方も聞く人も間違えた。ガタガタと震えるひとりを慰めるように撫でる。

そうしている間にどんどんひとりがもたれかかってきて、ほとんど抱き着くようになった。

文化祭以来、ひとりのスキンシップが昔と同じに戻りつつある。これもまた僕が招いた状況だ。

 

 僕は高校生になる頃、ある考えからひとりと距離を取ろうとしたことがある。

というよりひとりどころか家を離れて、東京で一人暮らしをしようと考えていた。

妹達の猛烈な反対、父さんと母さんの説得、僕の本心。色々あってそれは取りやめた。

 

 ただ、ひとりも何か感じることがあったのか、僕に甘えるのを少し控えるようになった。

寂しく思う気持ちもあったけど、僕がきっかけで、しかも自立にはいいことだ。

それでも本当に辛い時、大変な時、どうしようもない時は頼って甘えてもいい。

気づくと僕達の間には、自然とそんなルールが出来ていた。結構な頻度でその機会はあったけど。

 

 その暗黙の了解を、あの文化祭の日僕は破った。つい抱きしめてしまった。

だからこうしてひとりが甘えてくるのを、僕に抑える権利はない。

それにひとりはあの頃と比べてずっと大人になった。甘え方にも節度があるはず。

どれも言い訳だ。自覚しながらも僕は、抱きしめる手も、撫でる手も止めることが出来なかった。

 

 そうして自分を騙してひとりを甘やかしていると、なんだかもぞもぞとひとりが動き出した。

様子を見るとすんすんと鼻を動かして、何度も僕の胸元の匂いを嗅いでいた。その度に首を捻る。

まさか臭いとか言われるのかな。試しに嗅いでみても、今はひとりのしかしない。

それに自分のものは分かりづらいという。僕は世のお父さんと同じ恐怖を覚えつつあった。

 

「どうかした?」

「……ううん、なんでもない」

 

 なんでもありそうな様子で、ひとりは顔を上げた。釈然としない、難しい顔をしている。

仮に臭かったらすぐに言ってくるか、慌てふためいた顔をしているはず。そこは一安心だ。

代わりに別の疑問は生じたけれど、こっちに緊急性はなさそうだ。のんびり構えよう。

 

 一安心したところで、自分がえらく喉が渇いていることに気がついた。

虹夏さんで、いや虹夏さんと遊び始めたあたりから何も飲んでいない。

途中途中緊張するポイントがあったせいで、渇き方もひとしおだ。何か取ってこよう。

 

「何か飲み物取って来るから、一旦放してもらってもいい?」

「あっ」

「ひとりの分も持ってくるよ。飲みたいものある?」

「え、えっと、あっ、私が取って来る!」

 

 液体だったら染み込むくらいに僕へ寄りかかっていたひとりが、急に立ち上がった。

まるで僕に冷蔵庫を開けられたら困るみたいだ。後で開けに行こう。

 

 

 

「お、お待たせ」

 

 戻って来たひとりは僕に背を向け、足の間に入るように座り込んだ。

ひとりの膝の上のお盆には、コップになみなみと注がれたコーラが乗っていた。零しそうで怖い。

それともう一つ、何か薄くて包装されたものをお盆の下に隠し持っていた。お菓子か何かかな。

 

「こ、コーラでよかった?」

「うん、ありがとう」

 

 持って来てもらってなんだけど、絶妙に飲みにくい。特に置き場所が鬼門だ。

ひとりの膝、つまり体の上。この世で最も安定しない場所と言ってもいい。

言おうかなと思ったけど、僕に体を預けてコーラを飲むひとりはご機嫌に見える。

置かずに一度で飲み干せばいいか。僕はどうしようもなく甘かった。

 

 自分の駄目さ加減を見て見ぬふりをして、気を付けながら僕もコーラを飲んだ。

飲んでいる間、何度かひとりはお盆の下のものを気にしていた。

指先で弄って、ちらちらと僕を見てからまた戻す。

気づいてー、言ってー、と伝えているようにも見えた。

普段ならそれも見えないふりをして、ひとりに頑張って勇気を出してもらっている。

だけど今日はもう、心が甘やかす方に傾いてしまっていた。僕も疲れてるのかもしれない。

 

「ひとり、お盆の下のってなに?」

「あっ、え、えへ、えっと、これは」

 

 望まれるままに聞いてみると、ひとりはぱあっと嬉しそうな顔をした。可愛い。

こういう顔を見ると、ついつい甘やかしたくなるからずっと控えていたのに。

今日はもう駄目だ、せめて明日以降も引きずらないことだけ頑張ろう。

 

「ぷ、プレゼント!」

「……プレゼント?」

「が、額縁買ってきたから、プレゼント」

 

 間抜けにもオウム返ししか出来ない僕に、ひとりは説明を続けた。

 

「サインの色紙額縁に入れようかなって、この間お兄ちゃん言ってたから」

 

 そんなことも言っていた気がする。文化祭後の夜、サインを眺めながらだったかな。

結局どうするか決め切れなくて、サインは今も僕の机の中に大事にしまいこんである。

 

「覚えててくれたんだ?」

「いや、その、マイニューギアする時に雑貨屋の前通って、それで思い出して」

「ううん、思い出してくれただけでも嬉しいよ。その上用意までしてくれて」

 

 ひとりは少し気まずそうだったけど、覚えてくれていただけでも嬉しいのに、それ以上だ。

あと、これでお金が無いって言ってた理由も分かった。山田さん疑ってごめん。

 

「開けてみてもいい?」

「ど、どうぞ」

 

 包装紙を丁寧に剥がして畳む。これも大事なプレゼントの一部だ、もちろんとっておく。

言葉の通りちゃんと額縁が出てきた。ずっとひとりが触っていたからか、ほんのり温かい。

それをしげしげと眺める僕のことを、ひとりが喉を鳴らしながら観察していた。

 

 落ち着いた黒い縁に、ピンクの星が散りばめられている額縁。いつもの色合いだ。

昔からひとりがくれるものは、黒を基調とした中にピンクが差し色されていることが多い。

身につけるものから飾るもの、幼稚園の時にくれた似顔絵までピンクが混じっていたっけ。

小さい頃は女の子っぽく感じて、正直苦手に思うこともあった。

それでも毎回毎回渡されている内に、今ではすっかり好きな組み合わせになってしまった。

 

 昔を懐かしんでいる場合でもないか。僕が何も言わないから、ひとりの震度が上がり始めた。

このままだとお盆が吹っ飛ぶ。やるべきことを、いや、やりたいことをしよう。

 

「ひとり、一旦お盆机に置いて」

 

 言われるがまま立ち上がり、ひとりは抱えていたお盆とコップを机の上に置いた。

そしてまた僕の足の間に戻って来る。今日はここが定住の地らしい。

僕としても都合がいい。沸き上がる気持ちのままに、後ろからひとりを抱きしめた。

 

「わっ」

「ありがとうひとり。嬉しい、うん、本当に嬉しい」

 

 僕からもやってどうする。そんな自分からの指摘を僕は無視した。今日はもうしょうがない。

回した腕をひとりのお腹の前で組んで結ぶと、そこにひとりも手を重ねて来た。

なんとなく子供の頃を思い出す。小学生の間は、大体いつもこんな格好で過ごしていた。

 

 しばらくそうしていると、ひとりが思い出したように声を上げ、僕を見上げた。

 

「あ、あとね、お母さんたちにもケーキ買ったよ。ワンホールのやつ。冷蔵庫に入ってる」

「……大きいの買って来たね」

「そっちの方がたくさん食べられるから」

 

 以前バイトの初給料が入った時、似たようなことをひとりは言っていた。

あのお金はノルマに消えてしまったけれど、その時の気持ちもまたひとりは覚えていた。

 

「私が切ると、凄い形になりそうだから」

「うん」

「お兄ちゃんに切ってもらってもいい?」

「任せて」

 

 ここ最近ひとりの成長がどうとか、僕は偉そうに考えていた。

そんなこと考えなくてもよかった。この子は、僕の知らないところでずっと大人になっていた。

嬉しいような、寂しいような。複雑な気持ちを隠すように、僕はひとりを抱く腕に力を込めた。

 




余談ですが、ぼっちちゃん曰く兄のイメージカラーは黒だそうです。

次回「距離感の話 姉編」です。多分また二分割です。
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