「私とこいつがどうこうって、意味分からないんだけど……」
あれから私たちは、『私はむっつりです』という謎のフリップとともに、正座させられていた。
後藤くんがダンボールを敷いてくれたから、辛うじて地べたではないけど心に来る。
そんな屈辱的光景を前にして、それぞれ呆れ、心配、疑問、嘲笑の表情を浮かべている。
まだ状況を把握してなさそうな後藤くんが、なんとなく読み上げるように呟いた。
「むっつり……」
「脳内ピンクの頭思春期って意味だよ」
「えっ、そ、そんな意味でしたっけ?」
「これでも控えめな表現」
自分は違うからって、リョウが好き放題言っている。
文句を言おうと口を開こうとすると、お姉ちゃんにじろりと睨まれてしまった。
そして何故か面白そうに口を歪ませた後、後藤くんの方へ視線を移した。
「一人、お前がこの色ボケ小娘ども説教しろ」
「色ボケ……。あの、そういう分野は苦手なので、きっと上手く話せません」
「別に何言ってもいい。多分お前がやった方が効く」
その言葉に首を捻りながらも、後藤くんはそうですか、と指示を受け入れていた。
そのまま私たち二人と同じ目線までしゃがんで、しっかりと目を合わせて来る。
相変わらず後藤くんの目はお喋りだ。まったく怒っていないのが伝わってきた。
「えっと、二人ともその、年頃だから、そういうことへの興味が強いのは、うん、普通だよ」
ただ、ものすごく戸惑ってるのと、ものすごく気を遣われてるのが代わりに分かる。
「だけどね、それで約束を破ったり、あの、関係を邪推したりするのは、あんまりよくないよね」
つらい。優しいのがとてもつらい。癪だけどお姉ちゃんの言う通りだ。
お姉ちゃんに叱られるより、後藤くんにこうして諭される方がずっとつらい。
というか、男の子にこういう方面で窘められるのがとてもとてもつらい。
喜多ちゃんは分からないけど、私は昨日のこともあって超大ダメージだ。
いたたまれなくなって悶絶する私たちを、遠くから山田が囃し立てていた。
「やーい、むっつりー」
「あっ、え、えっと」
「ぼっちも言っておいた方がいいよ。むっつりにむっつりなんて言える機会はそうそうない」
「あっはい? む、むっつりー」
ぼっちちゃんまで悪い先輩に影響されて、酷い罵倒を私たちに放っていた。
私たちは恨めし気な視線を返すことしかできない。そしてぼっちちゃんは死んだ。
「まあお前ら二人がむっつりなのはいいとして、なんでそんな風に思ったんだ?」
「お姉ちゃんたちがあやしいのが悪い!」
「逆ギレかよ」
私たちの抗議にお姉ちゃんと後藤くんが目を合わせる。そして同時に首を傾げた。
不思議そうだけどそういうところだよ! なんだか通じ合ってる感じのそういうところ!!
「つーかあやしいってなんだよ。どこ見たらそうなるんだ?」
「どこもだよ! なんでお姉ちゃんたち、名前で呼び合ってるの?」
「そうだそうだー! わた、いや伊地知先輩たちは名字なのにおかしいです!」
その言葉にちょっと気まずくなって視線を落とす。もう呼ばれてます。
なんとなく言い出しづらくて黙っていると、後藤くんが喜多ちゃんを宥め始めた。
「郁代さんちょっと落ち着いて」
「うっ」
喜多ちゃんも死んだ。正直ちょっとだけ安心した。それはともかく、名前で呼んでる理由だ。
じーっとお姉ちゃんのことを見ていると、面倒くさそうにしながらも口を開いた。
「だって後藤って呼んでると、ぼっちちゃんが反応するからさ」
「あー」
「一々ビクッとしてるの見てたら、なんか可哀想になってきて」
何度かそんな場面は見た。後藤くんが呼ばれるたびに、飛び上がり震える姿は不憫だった。
二人ともぼっちちゃんのことが大好きだから、そう言われると納得できてしまった。
「じゃ、じゃあなんで後藤くんも名前で呼んでるの!?」
「ついこの間、金曜日のことなんだけど」
お姉ちゃんが廣井さんを新宿へ返送しているところに出くわしたらしい。
それを黙って見送る後藤くんじゃないから、手伝って一緒に新宿FOLTまで運んだそうだ。
そこでこんなやり取りがあったと話してくれた。
『店長さん、廣井さんどこに置けばいいですか?』
『その辺放っておけばいいわよ~』
『燃えないゴミにでも出しとけ』
『店長さん、廣井さんがお酒欲しいって暴れ始めました』
『あら、そろそろ殺そうかしら~』
『瓶に水でも入れて渡せ』
『店長さん、廣井さんが目を覚ます前に帰りませんか?』
『まあ情熱的。でもごめんね~、まだ私仕事中なのよ』
『そうだな。面倒なことになりそうだし、さっさと帰るか』
『……』
『……』
『……紛らわしい!!』
『お二人とも店長さんですからね』
スターリー内ならともかく、外には店長なんてたくさんいる。伊地知も二人いる。
一々確かめたりするのは面倒だから、私のことは名前で呼んでもいい。
「そういう流れで、星歌さんって呼ばせてもらってる」
「……廣井さんめ!」
「おいおい、あいつは悪くな、いや悪いな。いつも悪い」
そう、廣井さんが悪い。今度うちにお風呂借りに来ても追い返そう。
「次、連絡先は!?」
「連絡先って。それくらい知っててもおかしくないでしょ」
「おかしい!」
「なんか後に引けなくなってないか?」
「なってない!!」
興奮を抑えられない私を前にして、お姉ちゃんがまたため息を吐いた。何その反応。
「夏休みのライブあったろ? あの打ち上げの時、こいつに廣井引き受けてもらったんだよ」
「また廣井さんか!!」
「それで何かあったら連絡しろって。まあ、緊急連絡用だな」
納得した、してしまった。廣井さんのことを押し付けるなら、私も連絡先くらい交換する。
というかあの時から、もう廣井さんの面倒を見てたんだ。後藤くんは色々大丈夫なのかな。
お姉ちゃんに限った話じゃなくて、人の事ばかりでちょっと心配になる。
「さ、最後! 今日裏で何してたの!?」
「うっ」
ここで始めて、お姉ちゃんが気まずそうに目を逸らした。
まさかまさかの反応。本当にお姉ちゃん、何か人に言えないことをしてたんじゃ。
目線を迷子にしているお姉ちゃんに向かって、後藤くんが耳打ちした。距離が近い。
「星歌さん、内緒にしなくてもいいんじゃ」
「いやでもな、私にも大人としてのメンツが」
「ここで答えないと、私へのメンツがもっとひどいことになるよ!」
そこまで私ががなり立てると、ようやく観念したようだ。
深い深いため息とともに、お姉ちゃんは口を開いた。もの凄く言いたくなさそうだ。
「……あー、帳簿、見てもらってた」
「は?」
「だから帳簿。一部金額が合わなくてな、確認してもらってた」
「いや、え? 帳簿?? え???」
帳簿。意味は分かる。分かるけど、どうして後藤くんに確認してもらってるの?
「どうするかなって考えて、こいつ成績よかったよなって思い出したから、この間頼んでみた」
「引き受けました」
そういえばさっきも請求書と書かれた紙が、机に散らばっていたような気がする。
確かに出来そうと言えば出来そうだけど、それにしたって高校生に頼むなんて。
呆れて物も言えない。それでもせめて、ツッコミくらいは入れておきたい。
「成績と簿記の知識は関係ないよ……」
「頭いいならそれくらいどうとでもなるだろ」
「それ馬鹿の発想だよ」
「なんだとこら」
そうしてお姉ちゃんと言い合っている内に、なんとなく説教は終わった。
説教と正座も終わって、死んでた二人も生き返って、お客さんが入る前の最後の休憩時間。
どうしようもない疲労感を覚えながら、一人落ち着いていたリョウをつい褒めてしまった。
「にしてもリョウはずっと冷静だったね」
「一々そんなこと気にするほど、私はお子様じゃないから」
「くぅ、悔しいけど、クールなリョウ先輩も格好いい!」
むかつく、でも何も言えない。言葉の通り、私が慌ててる間もリョウは落ち着き払っていた。
そんな私たちを見て、ぼっちちゃんをあやしていた後藤くんが不思議そうに口を開いた。
「あれ? でも山田さんも、この間似たようなこと聞いてきたよね」
「ちょ」
「最近店長と仲良さそうだけど、もしかしてそういうあれなのーって」
後藤くんの言葉を受けて視線を向けると、リョウに思い切り目を逸らされた。
なるほど、掘り下げていけばこれが露呈するから、今日はずっと否定的だったのか。
「おい」
「……」
「おいこらむっつり山田」
「その呼び方はやめて」
「むっつり先輩……」
「ほんとやめて」
「………………や、やーい、むっつりー」
「やめてください」
お互いにむっつりと罵倒し合う私たちを見て、お姉ちゃんはまたため息を吐いて言い捨てた。
「……お前らもう、むっつりバンドに改名したら?」
「絶対嫌だ!!」
バイトの時間が終わってお姉ちゃんに報告しに行くと、スタッフルームには後藤くんしかいなかった。
「あれ、お姉ちゃんは?」
「タバコ吸ってくるって、さっき出てったよ」
お姉ちゃん、なんて間の悪い。まだちょっと気持ちの準備が出来てない。
気まずい空気が流れる前に何か言わないと。何か、何か話題。あっそうだ。
「あーっと、えーっと、ご、ごめんね、後藤くん」
「何の話?」
「ほらその、それ、帳簿の」
机の上に広がる書類とファイルを指差すと、後藤くんもピンと来たみたい。
さっきよりも増えている気がする。私たちが働いている間、彼もお手伝いしていたのかな?
どう考えてもこれ高校生に、それも無償でやらせることじゃないよ。
お姉ちゃんへの文句と後藤くんへの申し訳なさが胸を過ぎった。
「気にしないで。これは星歌さんに前お願いした、ほら、お礼の一環だから」
「あー、あれ」
「それに実践するのもいい勉強になるから、むしろ僕の方こそお礼言わなきゃかな」
「なにそれ、それじゃいつまで経ってもお礼終わらないよ?」
「困ったことにそうなんだよね」
大真面目に言うから、ちょっと笑ってしまった。そして安心した。
あんなことがあって普通に話せるか心配だったけど、始めてしまえば全然平気だ。
ほっとしたのもつかの間、後藤くんの次の言葉で、私はまた追い詰められようとしていた。
「そういえば虹夏さん、昨日のことなんだけど」
「は、はい」
「なんで敬語?」
そりゃ敬語にもなります。むしろなんで後藤くんは平然としてるの?
憮然とした気持ちを抱えていると、突然彼が立ち上がり私の方へ歩いてくる。
そして目の前で止まると、じっと私の目を覗き込む。どこか緊張が透けて見えた。
「虹夏さん」
「はいっ」
「昨日はごめんなさい。調子に乗り過ぎました」
それから90度まで頭を下げた。急に謝られて、何も反応できない私に向かってなおも続ける。
「あの時も言ったけど、友達とじゃれ合って遊ぶなんて初めてで、羽目を外し過ぎました。友達とはいえ、女の子にすることじゃなかったから、ごめんなさい」
そんなことを言われて、そんな姿勢を見せられて、それはもうたくさんのことを思った。
プラスもマイナスもある。だけど一番に思ったのは、しょうがないなぁってことだ。
勇気を出して、昨日と同じように両手を後藤くんの頬に伸ばす。そして、少しだけ引っ張った。
「痛い?」
後藤くんは瞬きを繰り返しながら曖昧に頷いた。瞳にはただただ疑問と不安だけが映ってる。
本当は痛くないけど私の行動が分からなくて、なんとなく頷いてるんだと思う。
しょうがないなってまた思った。彼も、私もしょうがないなって。だから水に流そう。
「ならこれでおしまい! 後藤くんも、もう気にしないでね!」
「……ありがとう」
「それに昨日はその、私もちょっと雰囲気に流されてたし、私にも責任はあるから」
その時後藤くんの目がきらりと光った気がした。えっ、何その目、知らない。
「……そうなると、僕も虹夏さんのほっぺ引っ張った方がいいのかな?」
「え」
「だって今、私にも責任あったって言ってたし」
それは言葉の綾、いや、でも、私がムキになったことがきっかけだった気もするし。
「で、でも、後藤くんさっき女の子がどうこうって」
「そうだけど、お互い様なんでしょ? 昨日も今日も言ってたよね」
「……それはそうなんだけど」
答えに窮する私に、後藤くんは昨日と同じようにそっと手を伸ばしてきた。
咄嗟のことに目を瞑ってしまう。肩に力が入る。心臓が跳ねる。それだけだった。
そして、予想に反して私の頬に触れたのは、硬くて冷たい感触だった。
「冷たっ!? え、何これ、箱?」
「クッキー。今日ふたりと焼いたの詰めて来た。よかったら星歌さんと食べて」
「えっと、ありがとう?」
「山田さんに皆で食べてって渡したけど、一人で全部食べちゃったみたいだから」
リョウは一言もそんなことを言ってなかった。あいつ最初から独り占めする気だったな。
予想外のことで心が追い付かない。なんとなく手の中で、受け取った箱を転がしてしまう。
そのひんやりとした冷たい感触が、私にさっきのやり取りを思い出させた。
「……触るんじゃなかったの?」
「謝ったばかりなのにやらないよ。さっきのは冗談。びっくりした?」
「すっごく。……後藤くん、なんかちょっと意地悪になったね」
「最近よくからかってくる人がいるから、その人の影響かな」
「む、私のせいって言いたいの?」
「心当たりあるならそうかもね」
今まで見たことのないからかいの光が、後藤くんの目に宿っていた。
楽しそうにきらきらと輝きながら、小さい子のような悪戯心がどこか滲み出ている。
これが私の生み出してしまった怪物。喜多ちゃんに見せたら大変なことになるかもしれない。
「今日虹夏さんと会えてよかった」
戦慄に震える私とは対照的に、後藤くんは胸をなでおろすように口を開いた。
「無事に帰れたって連絡はもらえたけど、やっぱり心配だったから」
「その、それもごめんね。急に帰ってびっくりしたよね」
「僕が悪いのは分かってる。でも今度があれば、その時は送らせてほしいな」
打って変わって、からかいなんてなかったように、今度は優しさと心配だけが感じられた。
なんとなくずるいなって思った。何がずるいんだろう。考える前に扉が開いた。
「……そろそろいいか?」
「お、お姉ちゃん!?」
いつの間に。もしかして、今までの会話も聞かれてたの?
慌てふためく私を置いて、後藤くんはファイルを片手にお姉ちゃんに近付いていた。
「星歌さん、帳簿の確認終わりました」
「おう、お疲れ。原因分かった?」
「ドリンクの仕入先から、二重で請求されてるところがありました。ここだけ締め日が違うので、行き違いがあった可能性があります。他も含めてリストにしたので、後で確認してください」
「……マジで出来たのか。ありがとな、助かった」
「いえ、何かあったらまた呼んでください」
お姉ちゃんの馬鹿の発想通り、後藤くんは帳簿のことを何とかしたらしい。
お礼を言われて満足そうにしながらも、彼は手早く荷物を片付けて出口へ向かう。
「じゃあ虹夏さん、また明日学校でね」
「あっうん、ま、また明日」
それから手を振って後藤くんは、何事もなかったかのように立ち去った。
この後ぼっちちゃんの帰り支度を待って帰るんだろう、いつも通りに、普通に。
何がどうしてか分からないけど、ずるいなって、私はまた何かに感じていた。
なんとなく、意味もなく、彼が出て行った扉を眺めてしまう。
彼に向けてか私に向けてか、お姉ちゃんは感心したように苦笑いを浮かべていた。
「あれはそのうち、相当悪い男になるな」
「……今も魔王だよ」
「なんだ、とっくに手遅れか」
そう言って笑ってから、何故かお姉ちゃんは私の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
当然髪が乱れてぐしゃぐしゃになる。お姉ちゃんを睨んでも、もっと楽し気にするだけだった。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん?」
「お姉ちゃんはどうして、後藤くんのこと信用してるの?」
「なんだ、またむっつりか?」
「そうじゃなくて! ……そうじゃなくて」
そうじゃなくて、なんなんだろう。
続きを待って、私にも分からないことを察して、それからお姉ちゃんは考え始めた。
「……色々あるな。リョウとか廣井の扱い方とか」
「二人との接し方?」
「どっちも面倒な上に大変だけど、いつもちゃんとやってるだろ?」
リョウは気難しい子だ。今まで私以外とは友達になろうともしなかった。
自分のことに口出しされるのは嫌うのに、全肯定やスルーも嫌がる偏屈さがある。
廣井さんは言わずもがな。酔っ払いの相手はいつだって面倒くさくて大変だ。
確かに後藤くんは嫌な顔一つせず、表情変わらないけど、そんな二人と仲良くやっている。
でもそのくらいで、お姉ちゃんがあれだけの信頼を見せるのかな。
「それだけ?」
「あとはぼっちちゃんの面接の時とか、ライブの時のあれこれとか」
「……なんか、たくさんあるね」
「思いのほか出て来たけど、一番はこの間の文化祭だな」
そこで言葉を区切って、お姉ちゃんはどこか遠くを見上げた。
あの日からたまに見る、何かを懐かしむような、悔やむようなまなざしだった。
「あれであいつが、あの頃の私よりずっと大人で、ずっと子供だって分かったから」
「大人で、子供?」
「……まあどっちかつーと、心配が増えたとこもあるけどな」
困ったように笑うお姉ちゃんは、追いつけないほど大人っぽい表情をしていて。
そんなものを見せられると、私にはもう憎まれ口を叩くことしか出来ない。
「…………お姉ちゃん、無理してカッコつけて言わない方がいいよ。全然似合わない」
「ふっ、まあお前には一生分からないかもな」
「何それ、馬鹿にしてるのー?」
「そうじゃない。立場が違うってだけの話だ」
「立場って何? さっきから分かんないよ」
「いいんだよ、それで」
適当で乱暴で、誤魔化すような言葉。
そんなものでも優しく撫でられながら、想いを感じるように言われたら、納得するしかない。
PAさんがお姉ちゃんを呼びに来るまで、私は黙って頭を撫でられ続けていた。
次回は「距離感の話 妹編」のはずでしたが、なんか気持ち悪くなりました。
なので予定を変更して「喜多ちゃん先生のコミュニケーション教室 護身編」を投稿します。