ぼっちの兄もまたぼっち   作:差六

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評価、感想ありがとうございます。

前回のあらすじ
妹が風邪を引いた。

喜多ちゃんと接点がどうしても作れなかったので無理やり作りました。


第五話「思春期に入ってからはつらい」

「起立、礼」

 

 スカートのひだを押さえて座る。何回かやっていたら慣れてしまった。慣れたくなかった。

動揺を抑えるためにジャージのファスナーをなんとなく弄る。

ジャージのピンク感がより目に映った。余計落ち着かなくなった。

 

「今日の数学は、この間伝えた通り小テストです。赤点の子には先生との楽しい楽しい補習です。先生楽しみです」

 

 見るからに明るい先生がそう言うと、小さく笑いが起きる。昨晩ひとりが言った通りだ。

あの陽キャ先生との補習なんてすればひとりは消滅するだろう。誰も幸せになれない。

 

「じゃあ問題配るから後ろ回してくださーい。裏返しのままだよ」

 

 手際よく先生が生徒にプリントを渡していく。

 

「は、はい、後藤さん」

「……」

 

 前の席の子がプリントを回してくれた。

今はあまり喋らない方がいい。目を合わせてから頭を下げ謝意を告げる。

何かを絞めるような、ひぇって声は聞かないふりをした。ひとりの評判が下がる音だと思う。

 

「それじゃ時間は30分。はじめー」

 

 プリントをめくる音が次々とする。僕も気が向かないけどそれに続いた。

名前欄の隣に『秀華高校 数A 小テスト③』と書かれている。

 

 そう、今僕は後藤ひとり(大)として秀華高校でテストを受けていた。

いや流石に駄目でしょこれ。なにやってんだろ僕。遠い目で昨夜のことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 ひとりが風邪をひいて数日。おかゆを持ってきた僕を出迎えたのは土下座のひとりだった。

一旦おかゆを置く。熱いし溢したら危ない。火傷になったら大変だ。

置いてからひとりの方を向くと、まだ土下座していた。

まだ風邪治ってないんだから大人しくしていてほしい。

 

「お兄ちゃんに一生のお願いがあります」

「畳みかけてくるなぁ」

 

 これで何回目だろう。百回までは数えてたけどもう忘れた。聞いちゃうけど。

 

「聞くけど、先にご飯食べようか」

「えっ、うん」

 

 おかゆをお茶碗によそってひとりに差し出す。ちなみにあーんは初日に拒否された。

よしよし、もりもり食べてる。食欲も回復してきたみたいだ。だいぶよくなってきた。よかった。

おかわり、と出されたお茶碗にまたおかゆをよそう。このペースなら全部食べ切れるかな。

お茶碗を渡すと、受け取った途端にひとりはまた勢いよく食べ始める。

 

「ちゃんとよく噛んでね、おかゆだけど」

 

 食べながら無言で頷かれた。頷いてないで噛んで?

お腹が空いてるのもあるけど、よっぽど僕に一生のお願いがしたいらしい。

凄い嫌な予感するなぁ。でも兄として妹のお願いって断れないよなぁ。

 

 あっという間に食べ終わったおかゆを台所に戻し、ひとりの部屋に戻るとまた土下座していた。

これは、恐らく今まで一番の無茶ぶりになる。ここまで徹底した姿勢は見たことない。

聞かずに立ち去るのが一番な気がする。でも、食べてからとさっき言ってしまった。

妹との約束は絶対に破れない。兄としての鉄の掟だ。

 

「えーっと、それで、お願いって?」

 

 だからひとりに話を促した。

ひとりは顔を上げず、そのまま絞り出すような声で僕に告げた。

 

「お兄ちゃん、明日私の代わりに学校に行ってください」

「………………………………………………………………………………………は?」

 

 は?

 

 

 

 

 

 

 

「あ、明日数学の小テストがあって、欠席とか赤点は補習になるの」

「大変だね」

「数学の先生はとんでもなく陽キャで、一度補習してるところを見たんだけど凄い明るかった」

「ひとりには辛いね」

「あ、あんなところに放り込まれたら私は崩壊してしまう……!」

 

 ひとりが頭を抱えてうずくまる。補習の未来に絶望していた。

どこから出してるのか分からない、糸を引っ張るような声をしている。

というか、えっそれだけ? 補習がいやだから? それだけでこんな無茶ぶり?

 

「え、そのために?」

「う、うん。だ、だめ?」

「駄目に決まってるでしょ」

 

 何でいいと思ったの。風邪で頭がちょっと弱ってるのかな。

すげなく断る僕にひとりがしがみついた。体が熱い。まだ熱あるみたいだ。

 

「お、お兄ちゃん、お願い!」

「嫌だよ。だってひとりの代わりにってことは、僕に女装していけってことでしょ?」

「だ、大丈夫! お兄ちゃん美人だから」

「そういう問題じゃないよ?」

 

 今美醜の話はしてないよ。性別の話をしてるんだよ。

女装して学校行け、というのもいじめレベルだし、替え玉テストなんて停学退学ものだ。

バレた時のリスクが計り知れない。朝刊飾っちゃう。一面をもらっちゃう。

補習の雰囲気が嫌だ、でしていいことじゃない。僕達もう高校生だよ。

 

 いつもテスト前には泣きついてくるのに、今回は前日まで何も言わなかった。

初めてのバンドやバイトで頭が一杯で忘れてたんだろう。

これなら例えテストを受けられても駄目だったと、赤点を取ってたと思う。

 

「どうせひとりが学校行けてても赤点で補習でしょ」

「お、お兄ちゃんがいつになく冷たい……!?」

 

 こんなこと言われたら、いくら僕だってそうなる。

ひとりにもわかってもらわなきゃ。つんとした姿勢を維持する。

イメージするのはこの間の店長さんだ。

 

「だから風邪治してから補習は頑張って」

「そ、そんな私にはむり、むり、むむむむむむむむむむむむむむむ」

「あっバグった」

 

 首を、体を振り回して全身で拒絶している。

凄いスピードだ。食べたばかりだから気持ち悪くなっちゃうよそれ。

感心と心配をしていると部屋の扉が開いた。

 

「こら、ひとりちゃん病気なんだから遊んじゃ駄目よ」

「あそばないー」

 

 ドタバタしているのが聞こえたのか、母さんとふたりがそこにはいた。

腰に手を当てて怒ってますよ、とアピールしている。

ふたりはいつも通り可愛い。ささくれた心が和んでいくのが分かる。

 

「ふたり、お姉ちゃん病気なんだから今は部屋入っちゃだめだよ」

「えー、でもふたりもおにーちゃんとおねーちゃんとあそびたい!」

「遊びっていうか」

「むむむむむむむむむむむむむむむ」

 

 今も全身で拒絶運動しているひとりを見る。

確かに遊んでるように見える。本人全然楽しくないだろうけど。

というかいい加減止めよう。風邪がぶり返しちゃう。

 

 

 

 ひとりの暴走を止めてから母さんに事情を説明する。

当のひとりは案の定気持ち悪くなって布団に横たわっていた。

ふたりはそんな姉をぺたぺた触って遊んでいた。ほどほどにね。

 

 説明を終えると母さんは難しそうな顔をしていた。

娘がこんな妄言を言い出したんだからしょうがない。

いくらか悩んだ後、母さんは僕の両肩を掴んだ。

 

「……頑張って!」

「は?」

「がんばってー」

 

 何も分からないまま母さんのものまねをするふたりは可愛い。

母さんは訳分からない。今日の母さんは駄目な日の母さんだ。

 

「母さん、無理あるって、駄目だって」

「大丈夫よ、昔よく入れ替わって遊んでたじゃない」

「それ小学生の時の話」

 

 確かにひとりがどうしてもと言うから、学校行事を代わりにしたこともあった。

ただあの頃は男女の成長差もあって、大体同じくらいの身長だったから出来たことだ。

今は頭一つ分くらい僕の方が大きい。絶対無理がある。

 

「お祖母ちゃんも気がつかないくらいだったし」

「あれは気がついてたけどつけなかったというか」

 

 正確には気がついていたけど、自信が持てなくて言い出せなかった、が正しい。

もし間違えてたらどうしよう孫を傷つけちゃうとかなんとか言って、最終的に首を吊ろうとしたのも懐かしい。

お祖母ちゃんはとても繊細な生き物だから、なにかとすぐ死のうとしてしまう。

あれ以来お祖母ちゃんの前で入れ替わる遊びはやってない。長生きしてほしい。

 

「というか止めてよ。娘が変なこと言い出してるんだよ?」

「それはいつものことよ」

 

 確かに。

 

「いい、よく考えて」

「えー」

 

「このままひとりちゃんが補習を受けます」

「うん」

「ひとりちゃんは補習を耐え切れず脱走、単位が足りなくて留年、留年に心を病んで退学……!」

「ありえる」

 

 なくはないよね。なんなら留年していい機会だから、と言って進んで中退するかも。

今も行きの電車とかで高校中退したいってぼやいてるし。

 

「そ、そうなったらひとりちゃんは、もうっ」

「その時は僕が養うから」

「それはそれで別の心配があるの!」

 

 怒られちゃった。たまに言うけど別の心配ってなんだろう。

父さんも母さんも口を濁すばかりでいつも教えてくれない。

この剣幕だと母さんが譲ってくれないのは分かった。別の突破口を探すしかない。

 

「ほら、制服もないし」

「おねーちゃんいつも着てないよ」

「私と同じジャージ、前あげたよね。お兄ちゃん着てくれないけど」

 

 妹たちからの攻撃が激しい。ふたりの、無自覚の援護射撃が響く。

寝ていたはずのひとりが僕の背中に張り付いて恨み言を言う。

風邪で消耗してることもあっていつも以上に雰囲気がじめっとしてる。少し早い肝試しみたい。

でも僕の気持ちも理解してほしい。いくら僕でもあのジャージを着て外は歩きたくない。

だからあのジャージはしっかりと箪笥の中に封印してある。

 

「ふたり、取ってきてくれる?」

「うん! まってておねーちゃん」

 

 珍しくふたりがひとりのお願いを素直に聞くと部屋を出ていった。

ふたりはいつも僕の部屋で遊んでいるから、どこに何があるかは把握している。

あれを持ってくるのも時間の問題だ。

 

「う、上はよくてもスカートはどうかな」

 

 ひとりはいつも、上下ジャージの上にスカートだけ履いている。

本人曰く制服を着ているというアピールのためらしい。

気に入ってるみたいだから言えないけど、その格好も友達できない理由の一つだと思う。

とにかく、ひとりになりきるためには制服のスカートがいる。

僕は細い方だけどひとりのサイズは流石に着れない。

 

「あっここに大きいサイズがあるから」

「なんであるの?」

 

 僕の指摘にひとりは箪笥からスカートを取り出した。

前もって準備してた。絶対前々からいつか代わりに学校行ってもらおうって計画してた。

もうやらないって、小学校卒業式の日に言ったでしょ。

 

 ひとりがスカートを構えながら僕に近づく。妙な迫力があった。

その迫力に押され後ろに下がると何かにぶつかった。ふたりだった。

自分の体より大きなピンクジャージを持って満面の笑みを浮かべている。

肩を叩かれる。母さんが諦めろと視線で語っていた。僕は負けた。

 

 

 

「かみかざりもつけてー、かんせー!」

 

 着替えさせられた。姿見に目つきの悪い、完成度70%くらいの後藤ひとり(大)が映っている。

思ったよりひとりになった。横断歩道くらい距離あれば誤魔化せそう。

でもこれ、大体はピンクジャージのおかげだと思う。

髪飾りとジャージがあれば、誰でもひとりになるんじゃ。

 

「結構似てるけど、ひとりにしては凛々しすぎるかなぁ」

「あ、父さん。お帰り」

「ただいま、誰もいないかと思ってびっくりしたよ」

 

 お帰りー、と二人の妹が続く。

いつの間にか父さんが帰ってきていた。

誰も下にいないから、おかえりって言ってもらえなくて寂しかったらしい。

 

「前髪でもっと目元を隠すようにするといい感じじゃない?」

「ほんとだ」

 

 父さんのアドバイス通りにすると、85%くらいの後藤ひとり(大)になった。

でもやっぱり何度見ても、ピンクジャージがかなり強い。

ひとり≒ピンクジャージの法則が今成り立とうとしている。

 

「というかなんでひとりの格好してるの?」

「それは」

 

 かくかくしかじか。通じた。

 

「ひとり、補習が辛いのは分かるけどこれは駄目だよ」

「う、うぅ」

 

 よかった。父さんはこっち側だ。

ひとりも父さんに珍しくまともに叱られて、しゅんとしている。

このまま父さんが説得出来れば、あとは暴走気味の母さんを止めるだけだ。

 

「あれ、母さんは?」

 

 いつの間にか消えていた。見回しても部屋にはいない。

そういえば、おかえりも妹達の声しか聞こえなかった。

聞いてみると父さんも見てないらしい。どこ行ったんだろう。

探しに行くため部屋を出ていこうとしたところ、ふたりがあっと声を上げた。

 

「おかーさんね、きがえてくるって言ってたよ」

「着替え」

 

 親子三人で目を交わす。全員冷や汗が流れていた。もの凄い嫌な予感がする。

ひとりの土下座の時とは比べ物にならない。とんでもないものをこれから見てしまう気がする。

謎のプレッシャーに襲われ、身動きを取れないでいると目の前で扉が開いた。

僕たちの目もひん剥いた。

 

「制服なんて何年ぶりかしらー」

 

 母がいた。制服を着ていた。

は? きつ、いやきっつ、は? なんで? なにこのひと?

未だかつてないほど頭が回らない。動悸と吐き気がする。

目の奥が痛い。頭の中がチリチリする。は?

 

「あら、お父さん帰ってたの。お帰りなさい」

「えっあっ、ただいま……」

「見て、まだまだいけると思わない?」

 

 妄言を吐く母さんに父さんは動揺を隠せていなかった。

なんだこの人。なんでいきなり制服着てるんだ。それひとりのだよね。

訳が分からない。なにがなんなの。

 

 父さんに視線でメッセージを送る。ひとりも同じような目で父さんを見ていた。

つまり、なんでこんなことしたのか聞け、という思いだ。

 

(僕が!?)

 

 目で語られる。気持ちは分かる。でもあなたの奥さんだから。

お願いします、深々と頭を下げる。深い深いため息が聞こえた。

 

「あ、あの、なんで制服を?」

「お母さんがひとりちゃんの身代わりに行こうと思ったの」

「……………………は?」

 

 父さんも絶句する。時が止まった。

何もかも固まる僕たちを置き去りにして、母さんは妄言を続けた。

 

 お兄ちゃんに妹の真似をしてもらうのは、嫌がってるし流石に無理があると思った。

じゃあ誰が代わりに行けるかとなると私しかいない。

ものは試しと着てみたら意外といける気がした。

だから明日は私に任せて。

 

 以上を供述した。その目はキラキラと輝き、自信に満ち溢れていた。

僕達は溝川みたいな目で視線を交わした。どうするのこれ。どうしようもないよこの人。

 

「大丈夫よ。私に任せて」

 

 得意げに胸を張る母さん。その顔はどうみてもアラフォーのおばさんだった。

これは無理だ。どうしようもない。覚悟を決めるしかない。

僕がどうにかするしかない。

 

「僕に」

 

 おなかがいたい。

 

「僕に、行かせてくださいっ…………」

 

 明後日の朝刊はどうなるかなー、ははっ。

 

 

 

 

 

 

キーンコーンカーンコーン

 

「今日のテスト結果は次の授業で発表するから、楽しみに待っててね」

「えーっ」

「はーい、じゃあ号令お願いします」

「起立、礼」

 

 なんかいけた。

 

 誰に何を言われることもなく、任務を完了してしまった。

お昼休みになって、周囲の生徒が席を離れる。先生も生徒も僕に触れなかった。

なんで? えっなんで? どういうこと?

 

 ひとりにお願いされたテストは四時間目。

だからその時だけ行けばよかったのに、変なやる気を出した僕はいつもの時間に登校した。

スカートを脱げばただの全身ピンクジャージなんだから、どこかで時間を潰せばいい。

そのはずなんだけど、自棄になっていた僕はそのまま秀華高校へ突撃した。

そして一時間目からきっちり全部の授業を受けた。誰にも気づかれなかった。なんで?

 

 明後日の方向に興奮していた頭が冷える。無事に終わったからいいか。

問題用紙に配点が書かれていたから、点数調整も簡単で助かった。

ちゃんと今回のひとりが取りそうな点に出来たと思う。

 

 よし、帰ろう。ここを逃すとずるずるとHRまで残っちゃう気がする。

立ち上がり、荷物を手に取る。でも何も言わずに帰るのはよくないな。

誰かに先生への伝言を頼もう。早退しますって。

声は、ぼそぼそと喋ればいいか。風邪で休んでたし、変な声でも違和感あるくらいで済むだろう。

声かけるのは、誰でもいいか。前の席の子に声をかけた。

 

「ちょっといい」

「は、はいっ」

 

 飛び上がるように驚かれた。というか実際跳ねた。

そんなびっくりするような声だったかな。

それとも後藤さんに話しかけられたからびっくりしたのかな。初めてだろうし。

どっちでもいいか。ここにいればいるだけバレる可能性が高まる。早く帰ろう。

 

「今日まだ具合悪いみたいだから早退するね」

「……」

「先生に伝えてくれる」

「ははは、はい。分かりました!」

 

 快く受け入れてくれた。ありがとう見知らぬ人。

お礼を言って教室を出る。僕が歩くと道が開いた。ひとりの振りをしてるのにいつも通りだ。

もう疲れた、僕の高校はいいや。今日は全部休みにして帰ろう。ひとりもいないし。

 

 それにしても、この高校は皆元気だ。帰り際改めてそう思う。

学校によって雰囲気が変わると聞いたことはあるけれど、こんなに違うなんて。

特に授業中の、のんびりとした空気にはびっくりした。

僕の学校は進学校ということあってか、授業中も空気が常に張り詰めている。

授業中の私語なんてここ一年くらい聞いたことない。もっと楽にしてもいいんじゃないかな。

 

 のんびりぼんやり歩いていると階段に差し掛かった。ここを降りれば昇降口だ。

階段も人通りが激しい。昼休みで生徒の出入りが多い内に、それに紛れて下校しよう。

 

「喜多ちゃん、前!」

「えっ」

 

 変な格好と慣れない環境、正体を隠すプレッシャー。結構疲れていたみたいだ。

僕としたことが、階段を登ってくる女の子に気がつかず衝突した。

そして彼女は僕の体に弾かれて、後ろに倒れようとしている。場所が悪い。

このままだと階段を転げ落ちて大怪我するだろう。

今そんな大事故起こすわけにはいかない。手を伸ばし、彼女の左手を掴んだ。

 

「!」

 

 ただ思ったより勢いがある。一応、このまま引き戻すことも出来る。

だけどそうすると、結構な負担が彼女の腕にかかるだろう。

彼女の丈夫さにもよるけれど、軽い捻挫くらいにはなってしまうかもしれない。

握った手は小さくて柔らかい。けれども指先だけは少し硬い。

その感触は僕に、ギターを始めたころのひとりを思い出させた。

しょうがない。彼女の勢いに引きずられるように僕も体勢を崩した。

 

「!?」

 

 痛くならない程度に彼女を引き寄せて体を入れ替える。これで最悪でも僕が怪我するだけだ。

このままだと階段に頭から落ちる、怪我どころか死ぬな。じゃあどうしようか。

そうだ、昔駅の階段でひとりが突然気絶したことがあった。あの時と同じ要領だ。

空いてる手を伸ばして階段につく、そして全身のバネを利用して跳ねた。

 

「!!??」

 

 踊り場に無事着地。点数を付けるなら10点だ。階段にいた他の生徒も思わず拍手している。

スターリーに行った時も思ったけど、実は僕は忍者だったのかもしれない。

これからは魔王じゃなくて忍者と呼んでほしい。そっちのが格好いい。

馬鹿みたいなことを考えながら彼女を降ろす。だけど立てずに、そのまま座り込んでしまった。

階段から落ちかけたんだ、無理もない。しゃがみこんで彼女の様子を確認した。

 

「怪我はない、大丈夫?」

「えっあっはい」

 

 ぐるぐるして目の焦点が合ってない。

人にぶつかったと思ったら、こんな風に振り回されたんだから当然だ。

ただそのおかげか、僕が話しかけても特に怖がっていないみたいだ。

申し訳ない気持ちでいっぱいになる。見たところ怪我はなさそうだ。

 

「あの、ありがとうございます……?」

 

 混乱しながらお礼まで言ってくれた。前をよく見てなかった僕が悪いのに。

きっといい子なんだろう。怪我をさせずに済んでよかった。ほっと胸をなでおろす。

 

「ううん、無事ならよかった。ごめんね、私前よく見てなくて」

「あっいえ、こちらこそ」

 

 僕が頭を下げると、釣られて彼女も下げる。

頭を上げた時、彼女の目にはいくらか平静が戻っていた。

まずい。ところでこの人誰だったかしら、的な視線を感じる。

悲しいことに今僕の格好はかなり特徴的、全身ピンクだ。

こんなピンクジャージを日常的に着ているのはきっと校内、東京でもひとりだけだろう。

このままだとひとりがピンク忍者になってしまう。早く逃げないと。

 

「喜多ちゃん、大丈夫!?」

 

 彼女の友達らしき人が駆け寄ってきた。

ますますまずい。目撃者が増える。僕は立ち上がって逃げる準備をした。

 

「本当にごめんね。あと、ギター頑張って。応援してる」

「えっ、あ、待ってください!」

 

 呼び止める彼女の声を後目に僕は逃げ出した。自己ベストだったと思う。

そのまま誰に止められることもなく学校を脱出し、僕は家に帰ったのだった。

それにしてもこのジャージ動きやすいな。なんかむかつく。

 

 

 

 

 

「お、おに、お兄ちゃん! テ、テスト赤点だったよ!?」

 

 後日、ひとりがテスト片手に殴り込んできた。上手くいったみたいだ。

 

「あ、ほんとだー。ごめんねー、調整ミスっちゃったー」

「棒読み!? わ、わざと、絶対わざと!!」

「そんなまさかー、はっはっはっはー」

 

 ぎりぎり赤点になるよう頑張った甲斐があった。

丸や三角を駆使して一点足りなくなるようにした。我ながら芸術的だ。

僕のうざったい笑いで限界を突破したのかひとりは崩れ落ち、バイブレーションを始めた。

 

「あ、あぁあぎぐぐぐぎぎ」

 

 こんな嫌がってると少しは罪悪感が沸く。

だけどここで僕が赤点回避したら、味を占めて絶対もう一回もう一回と続く。

小学校の運動会とか、結局ずっと僕が二人分走ってた記憶がある。

今回はなんとかなったけどいつか必ずバレる。そうなればおしまいだ。

だからここで決定的に、これは駄目って教えとかないと。

あと単純に僕が女装したくない。あのジャージ着たくない。

 

「ところでひとり、あれから誰かに話しかけられた?」

 

 話を切り替えるとひとりの震えが止まった。

思い出すように虚空を見つめる。何もなかったみたいだ。

 

「えっ、ぜ、全然」

 

 よかった。いやあんまりよくないことなんだけど。

誰もあの日を気にしていないし、階段のあの子も僕とひとりを結び付けられなかったみたいだ。

なんとかなってよかったよかった。無事解決だ。はっはっはっはっはー。




「今日の後藤さんなんかでかくね?」
「というか目がヤバいよ。休んでる間で何人か殺ってるって絶対」
「しかもさっき校内を跳ね回って移動してたらしいよ」
「えっ、怖っ。しばらくそっとしておこうか」
「賛成」

「2組の後藤さんだと思ったけど、違った。あの男の人、一体誰だったのかしら」

今日も秀華高校は平和です。やったね。

次は24日(火)投稿です。

次回のあらすじ
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