撮影から一週間ほど経って、とうとう結束バンドのMVが動画サイトに投稿された。
リョウさんの曲、ひとりの歌詞、皆の演奏に一号さんと二号さんの撮影と編集。
多くの努力のおかげか、今のところ再生数は上々だ。以前のライブ映像とは比べ物にならない。
ひとりもそれが嬉しいのか、一日に何度も再生数を確認するようになった。
その度に自分の出番の無さを嘆いている。僕もその度に責任と罪悪感を覚える。
それからギターヒーローのコメント欄を見て復活している。無限ループだ。
これもネット依存症の一種かもしれない。経過観察をしっかりしておかないと。
こうしてMVも完成して、結束バンドの活動は極めて順調だ。抱えた問題は大体無くなった。
強いて言えば未確認ライオットのことだけを考えるなら、今のうちに知名度を稼ぐべきではある。
あくまで推測に過ぎないけれど、このままだとネット投票の通過は厳しいものがあるだろう。
加えてその後のライブ審査、フェス審査だって元のファン数がものを言う。現状は心もとない。
だけど急に知名度を稼ぐ手段なんて碌なものは無い。悪名だけが募る可能性もある。
それになにより、結束バンドは未確認ライオットのためだけのバンドじゃない。
将来を思うなら今まで通り地道に進んだ方がいい。焦ってもいいことは何一つ無い。
それにファンの立場でこれを言うのは、活動方針を決めさせようとするのはどうかと思う。
どう考えてもただの厄介系ファンだ。存在そのものが結束バンドへの迷惑になってしまう。
そうならないようにしばらく大人しくしていよう、なんて考えは、喜多さんにすぐ粉砕された。
MVの再生数が一万を超えた頃、彼女は深刻そうな表情でひとりを伴い相談をしに来た。
「先輩、出来ればはっきり言って欲しいんですけど」
「うん」
「私の歌って、何か違和感ありませんか?」
違和感ときた。それだけだと何とも言えない。下手な口を利く前に状況を確認したい。
ひとりは、駄目そうだ。びっくりして喜多さんの顔を見てる。相談内容は知らなかったらしい。
ならしょうがない、喜多さんに直接聞こう。この様子ならまだ自分から話せる内容のはずだ。
「……ちょっと整理したいから、喜多さんの思う違和感を教えてくれる?」
「MVを何度も見てる内に、私の歌だけなんだか浮いてる気がして」
「浮いてる?」
「はい、いい曲なのに私が歌うと微妙というか、しっくりこないというか」
微妙かどうかはともかく、しっくり来てない原因には心当たりがある。
ただ、これは教えてもいいものなのか。最低でもひとりとリョウさんの意見は聞きたい。
ちょうどついて来てるし、ひとりにはこの場で確認しておこう。
「ひとりはどう思う?」
「え゛っ!? あ、いや、き、喜多ちゃんの歌は上手です。微妙だなんて」
「ありがとう。それで喜多さん、リョウさんと虹夏さんには?」
「聞いてないです。まずはひとりちゃんと先輩に相談しようと思って」
「なら確認したいことがあるから、二人にも話していい?」
頷きが返って来た。それなら遠慮なく聞かせてもらおう。でもその二人は今日バイトだ。
突然電話するのも迷惑になる。とりあえずロインを送ってみて、反応があるか確かめる。
すると虹夏さんの方は音沙汰なかったけれど、幸いリョウさんからはすぐに返事があった。
『バイト中ごめんね。喜多さんの歌のことで確認したいことがあって』
『?』
『自分の歌に違和感があるみたい。歌詞の無理解が大きいと思うけど、教えてもいい?』
『?』
『陰キャの歌詞を陽キャが明るく歌うのがギャップで面白いって、前ひとりに言ってたよね』
『!』
楽してるなあの人。バイト中に答えてくれるのだから感謝すべきなのに、微妙な気持ちになる。
そんな気持ちに蓋をして僕の考えを伝えた。この手のことは彼女に相談するのが一番だ。
『今の状態も貫けば、いつか一種の魅力になると思う。だからリョウさんの意見を教えて欲しい』
『なるほど』
たった四文字だけどやっと日本語が返ってきた、なんて思うとすぐに新しいメッセージが届く。
『郁代が自分で気付けたならいいよ』
お礼のメッセージを返しても既読は付かなかった。星歌さんにバレたかな。
星歌さんが見てくれるか分からないけど、リョウさんのためにフォローを送っておこう。
そうして携帯をしまう僕へ、喜多さんが待ちきれない様子で顔を覗き込んできた。
「先輩たちはなんて?」
「虹夏さんは繋がらなかったけど、リョウさんは答えてくれた。まとめると、頑張って、かな」
「……やっぱりこういう時は練習あるのみ、ですよね!」
喜多さんはいつだって頑張り屋だけれども、時々明後日の方向に走り出してしまう。
なんとなくだけど今日はその時のような気がした。放って置くと変な状況になりそう。
付き合った方がいいのかな、でもさっき大人しくしようって決めたばかりだしな。
そんな迷いも彼女に破壊された。良し悪しはともかく、いつだって彼女は僕から迷いを奪い去る。
「じゃあ師匠! 今日もお願いします!」
「し、師匠?」
「うん。ほら、ひとりちゃんが拗ねちゃった時みたいに、時々一緒にカラオケで練習してたから」
「す、拗ねてません」
師匠だなんて呼ばれたけれど、もう僕から喜多さんに教えられるようなことは少ない。
元々歌自体は彼女の方がずっと上手だったから、話せたのは基本的な知識と技術くらい。
それもここまでの月日で伝えきれた。これ以上は専門的、素人が無暗に語ると返って悪影響だ。
だから今は専門家の意見が欲しい。喜多さんより上手い歌手だったり、トレーナーだったり。
ただお金はあまり使えない。僕が出してもいいけれど、それは色々と領分を超えてしまう。
そんな条件でも二人だけ当てはまる人は思いつく。とりあえず、ダメもとで頼んでみよう。
「という訳で本日の特別講師、大槻ヨヨコさんです」
「よろしくお願いします!」
「よ、よよ、よろしくお願いしますっ」
「大槻ヨヨコよ。言っとくけど、私の指導は厳しいから」
見慣れた仁王立ちと腕組み、そして髪を払う仕草。いつも通りの偉そうな大槻さんだ。
今日は講師だからか、そんな振る舞いもしっくりくる。案外向いているのかもしれない。
戯言染みたことを考えているのがバレたのか、彼女は僕へ不機嫌そうに掴みかかって来た。
「って何やらせるの!? 私、今日はただのカラオケだと思って来たんだけど?」
「……もしかして今のノリツッコミ? 初めて見た。いいもの見せてくれてありがとう」
「話聞いてる? あと喧嘩売ってる?」
僕の両肩を全力で握りしめて、至近距離で睨みつけてくる大槻さんは今日も元気だ。
メッセージのやり取りや電話はともかく、顔を合わせたのは今年初めてだ。なんだか安心した。
僕のそんな気持ちも腹立たしいようで、今度は揺らし始めた。気持ち悪くなる前に止めよう。
「騙し打ちみたいになってごめん。正直に言ったら来てもらえない気がして」
「……まあそうね。ちなみに、私が来なかったらどうしてたの?」
「廣井さんにお願いしようと思ってた」
「え゛」
僕の言葉に喜多さんの顔が大きく引き攣った。そうなる気持ちも十分に分かる。
分かるけれど、こと歌について廣井さんは彼女よりはるか高みにいる。頼らない手は無い。
かかるお金も精々お酒代くらいだ。上手くいけば一番費用対効果は高くなる、上手くいけば。
「姐さんに頼られるよりかはマシか。ちょうど暇だったし、しょうがないから付き合ってあげる」
「ありがとう。あと本当のこと言うと、僕が大槻さんの歌が聞きたいなって思ったのもある」
「……最初からそれを言いなさい。まったく」
やれやれ、とでも言いたげな様子だったけど、見るからに斜めだった機嫌が直っている。
そんな彼女とほっと一息吐く僕を見て、喜多さんが失礼なことをポツリと呟いた。
「この人たち、チョロい同士だから仲いいのかしら……?」
否定は出来なかった。幸い彼女には聞こえていないようだから、僕も聞こえないふりをする。
余計な言葉を続ける、もしくは気づいてしまう前に、さっさと練習を始めさせてもらおう。
「じゃあまずは先生、お願いします」
「先生はやめなさい」
恭しく頭を下げる僕の頭へチョップを入れてから、大槻さんはデンモクを弄りだす。
「……何歌おうかなー、なんとなくさ行の歌手の気分だなー、さ行のしかなー」
ちらちらと僕達を見ながら、彼女は懸命にアピールを繰り返した。何か探して欲しいのかな。
放置するのも可哀想だからもう一台のデンモクを手に取り、ヒントの通り検索してみる。
しから始まる歌手・グループの欄を眺めていると、見覚えのある名前がそこにはあった。
「……あっSIDEROSの曲入ってるんだね」
「ほんとだ、凄ーい! さすがですね!!」
「ふふん! ちょうどいいからこれ、歌ってあげる」
ちょうどいいも何もないと思う。先生の機嫌を損ねてはいけないから口には出さない。
モニターに映る曲名とSIDEROSの名前を前にして、喜多さんが興味深そうに僕の腕を引いた。
「先輩先輩、カラオケってどうすれば入れてもらえるんでしょうか?」
「リクエストがたくさんあれば大丈夫らしいよ」
「えっそ、そうなの?」
「宣伝にもなるし、いつか結束バンドも挑戦してみるのもいいかもね」
結束バンドのSNSアカウントは未だ美容アカウントのままだ。それでもフォロワー数は多い。
リクエストの必要数が分からないから何とも言えないけれど、その内お願い出来るかもしれない。
結束バンドが有名になれば、いつかファンが先に動く可能性もある。いずれにしても楽しみだ。
こんな雑談も大槻さんが歌い始めたことですぐに止まる。ちゃんと聴かないのはもったいない。
言うまでも無いけれど、彼女はカラオケでも途轍もなく上手だ。僕達は聞き入ってしまう。
特に喜多さんは沈痛とも言えるような表情で、ひたすら真剣に耳を傾けていた。
「……」
きっと自分と比べてしまっているんだろう。元々が段違いの上に、今日の彼女は悩んでいる。
呼んだ僕が言うことではないけれど、この歌声は大きなプレッシャーになるはずだ。
それでも彼女なら、このスランプを乗り越えてもっと大きくなれると信じている。
無駄な祈りなのかそれとも信頼なのか、判別つかない気持ちを感じていると歌が終わった。
「とまあ、こんな感じね」
「……あっ、じょ、上手でした!」
「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの」
鼻を鳴らしながら当然のように答えるけれど、どう見ても大槻さんは上機嫌になっていた。
前から思っていたけれど、彼女も中々の承認欲求モンスターの持ち主だ。ひとりに匹敵するかも。
なんて失礼なことを考えつつ、僕も無心なつもりで拍手をした。ますます上機嫌になった。
それが幸いしたのか、彼女はそのまま自然に喜多さんへマイクを譲り渡す。
「さ、じゃあ次歌いなさい」
「えっ、わ、私?」
「アドバイスが欲しいんでしょ? 気分がいいから聞いてあげる」
「ありがとうございます、先生!」
「だから先生はやめなさい!」
きーきゃー言う大槻さんをスルーして、喜多さんは緊張した面持ちで立ち上がり歌い始めた。
こちらも当然ながら、喜多さんだって十分上手い方だ。声も綺麗で耳に心地いい。
ただ、やはり大槻さんと比べると何段か落ちる。彼女も分かっているのか、声に落ち着きが無い。
そしてどこか緊張感が漂う中彼女の歌が終わり、そのまま窺うように大槻さんへ目を向けた。
「ど、どうですか?」
「……」
大槻さんは質問に答えず、新しく何曲か入力した。どれもここ一二年で流行った曲。
ジャンルもバラバラ、曲調もバラバラ。幅広く歌わせて、喜多さんの実力を測りたいのかな。
入力を終えた大槻さんは、反応が無くて困っていた喜多さんへ、お構いなしに問いを投げた。
「貴方、今入れた曲歌える?」
「はい、大丈夫です」
「全部歌ってみて。話はそれから」
それだけ言って、再び腕と足を組んで座ってしまう。
喜多さんが困惑して僕の方へ振り返ったから、頷いて歌うよう促した。今は言葉はいらない。
それから喜多さんが歌う間、じっと大槻さんは彼女のことを観察し続けていた。
「それじゃ最後に、グルーミーグッドバイ、だっけ。ちょっと歌ってみて」
「えっと、私たちのはカラオケに入ってませんけど」
「知ってる。アカペラでも音源流してでもいいから」
「点数出ないけど、いいんですか?」
「点数なんてどうでもいいの。ほら、早く」
手をパンパンと叩いて急かす姿はまるで先生だ。怒られるからもう言わない。
ここまで来ると喜多さんも分かって来たのか、それ以上何も言わずに歌い始める。
MVと比べると声が揺れている。彼女の迷いが、そのまま歌声に現れてしまっていた。
「なるほどね、大体分かった」
彼女が歌い終わるとすぐ、曲げた人差し指を顎に当て、大槻さんは納得したように一人呟いた。
「自分の歌がしっくりこない、違和感がある、だっけ?」
「あ、はい! ちゃんと歌ってるつもりなのに、なんだか浮いてる気がして」
「そりゃそうなるわよ。ここまで聞いた限り、貴方は曲の意味を」
ここでようやく気付いた。これ言ってもらっちゃいけないものだ。リョウさんに止められてる。
慌てて割って入るように、大槻さんのアドバイスに口を挟んだ。大失敗した。
「あっごめん大槻さん、一個伝え忘れてた」
「今話してる途中。それよりも大事なこと?」
彼女の容赦のない、鋭い眼光が突き刺さる。それでも言わなければいけない。
大槻さんを手招きして部屋の隅まで来てもらい、二人には聞こえないよう小さく告げた。
「実は喜多さんが自分で気付くまで、歌詞関係のこと言うのは止められてて」
「なっ、それ言おうと思ってたのに! そんな大事なこと、もっと早く言いなさい!!」
「ごめんなさい、カラオケ楽しみ過ぎてて忘れてました」
「……次から注意すること、いい!?」
「はい。ごめんなさい」
まったく、と呆れを欠片も隠さず呟いた後、大槻さんは腕を組み考え込み始めた。
指先でとんとんと自分の腕を叩く。何も出てこない。斜め上を見上げる。何も出てこない。
顔が赤と青になってきた。それでも何も出てこない。申し訳ない気持ちで一杯になってきた。
僕の方で何か時間を稼ぐべきか、やっとそんなことを考えた時、彼女も口を開いた。
「……あー、カラオケとレコーディングやライブは別、まずこれは分かる?」
「えっと、はい」
「だからいくら上手くても、カラオケ気分で歌ってたらどうにもならない。ボーカルはバンドのフロントマンで顔なんだから、音程が合ってればいいってものじゃない。そして今の貴方はそれ以上が出来てない」
「………………はい」
大槻さんのボルテージが上がっていくのと同時に、喜多さんのはどんどん下がっていく。
まだ止めるべきじゃないな。今のところは真っ当な指摘とアドバイスに留まっている。
よく様子を見て、どちらかがラインを越えそうになったらブレーキをかけよう。
「つまり今のところ、結束バンドのボーカルは別に貴方じゃなくても」
「あっあの!!」
その時、ここまでずっと黙り続けていたひとりが、唐突に大声を上げて立ち上がった。
大槻さんも喜多さんも、そして僕も、予想だにしていなかったから驚いて固まる。
その隙を縫ってひとりは、大きな声を保ったままさらに言葉を続けていった。
「いっ言ってることは正しいのかもしれませんけど、結束バンドのボーカルが喜多ちゃんじゃなくてもいいだなんて、そ、そんなことはないです!!」
「ひとりちゃん……」
ひとりが喜多さんを、友達を庇うために声を張り上げて抗議した。
当然感動した。感動したのだけれど、今は両手を挙げて素直に喜べない。
だって大槻さんのあの言動は僕にも大いに責任がある。というか九割僕のせいだ。
だから責任を取ろう。このまま放って置いたら今日の練習が終わってしまう。
大槻さんにあまりにも申し訳がないし、喜多さんにとってもせっかくの機会がもったいない。
「でもそれは、客には関係ない」
「……え?」
「前に佐藤さん、あの記者の人が言ってたこと。これは事実だと思う」
僕が口を挟んだ、それも大槻さんを庇ったのがよほど意外だったのか、ひとりが目を見開いた。
それでも目が合えば落ち着く。喜多さんもひとりの様子を見てから、じっと続きを待っている。
とりあえず、喜多さんを否定するためじゃない、ということは分かってもらえたようだ。
「ひとりも虹夏さんもリョウさんも、ついでに僕も、喜多さんのことが好きだよ。一緒にいたいと思ってる。それだけで結束バンドのギターボーカルは喜多さんがいいって理由になる」
「……」
「でも繰り返しになるけど客には、外の人にそんなことは分からない、関係無い。このまま音楽を続けていけば、さっきみたいな心無いことを言う人も出てくるかもしれない」
心無いことのあたりで大槻さんが微妙に凍り付いていた。続きを聞いて欲しい。
「だからそんな意見を吹っ飛ばせるようになろう、って大槻さんは言いたいんだと思う」
「違う、言ってない」
「大槻さん……!」
「だから言ってない!!」
強く否定する大槻さんの言葉は喜多さんに届かない。彼女は前向きモンスターだ。
ちょっとした謙遜や誤魔化しは全て前向きに捉えてしまう。ある意味一番厄介だと思う。
燃え上がる彼女とそれに焼かれるひとりを視界に入れてから、僕はそっと大槻さんに耳打ちした。
「ごめん大槻さん、僕が呼んだのに悪者みたいになっちゃって」
「…………今日奢るなら、特別に許してあげる」
「元々そのつもりだったよ。食べ物とかも奢るから、気にしないで注文してね」
「ならそうね、この無駄に高くてでかいパフェとかピザとか頼もうかしら」
「えっと、お手柔らかに?」
「しないに決まってるでしょ。今日は財布を空っぽにしてあげるから、覚悟しておきなさい!」
得意げに、そして意地悪に言う大槻さんは楽しそうに笑っていたから、僕もやっと安心出来た。
「私ちょっと休憩入ります! 歌はひとりちゃんにバトンタッチ!」
「えっあぇっ、ぱ、パス!」
「なら後藤先輩にパス!」
大槻さんの激励(僕の解釈多め)により、改めて喜多さんに大きな気合が入った。
それはそれとして休憩するらしい。三十分くらい歌いっぱなしだったから当然だ。
そしてひとりに拒否されたマイクが僕の方へ飛んできた。ひとりを見習ってパスしよう。
「じゃあ僕も大槻さんにパス」
「パス禁止。バリアー」
「戻ってきちゃった」
バリアーに突っ返されたマイクを見て、つい残念な気持ちを漏らしてしまう。
あんまりにもそれが露骨だったのか、大槻さんは意外そうに目を丸くしていた。
「……貴方もしかして、歌苦手なの?」
「苦手というか、歌うよりも聴く方が好きだから」
「えーでも先輩も上手じゃないですかー。色々教えてくれましたしー」
抗議するような喜多さんの言葉を聞いて、大槻さんの目がきらりと鋭く光った。
既にプロの領域にいる彼女に、僕の素人指導を聞かれるのは相当恥ずかしい。
それがバレてるのか別の理由か、なんだかニヤニヤしながら彼女は続きを促した。
「へえ、どんなこと?」
「お腹から声出してーとか、抑揚は曲全体を見てつけようねーとか」
「ふーん、なら先生の歌、聴かせてもらおうかしら」
「恥ずかしいから先生はやめて欲しいな」
「貴方から言い出したことでしょ、貴方から!」
ごもっともだ。どの口発言だった。
「御託はいいからさっさと歌いなさい」
「はーい」
大槻さんにぴしゃりと叱られてしまったから、素直にデンモクを操作して曲を入れる。
適当にランキングから知ってるものを選んだ。秋口に流行ったドラマのエンディングテーマだ。
ドラマはまったく見てないけれど、ひとりがギターヒーローとして演奏したから曲は分かる。
人類皆兄弟的な歌だ。僕の兄妹はひとりとふたりだけだから、まったく共感出来ない。
それもあるし、なんとなく歌もギターのように警戒してしまうから、心の籠らない歌い方になる。
そんなつまらない歌でも採点するのはカラオケマシン。音程は合ってるから点数は高い。
「おー九十点。さすがですねー」
「お、お疲れ様、お兄ちゃん」
「……なるほど、使える」
明るい拍手と控えめな拍手を貰う。偉そうなものは貰えず、代わりに物騒な呟きが聞こえた。
今のを聴いて出た言葉、使える、大槻さんの真面目さと優しさを考えると意味は推測出来る。
的外れな可能性もあるから、ダメ元でのお願いも兼ねてマイクを彼女に差し出した。
「それじゃ大槻さん、パス」
「まだパス禁止。今度はこれ歌いなさい」
「そろそろ大槻さんの歌聞きたいです」
「……いいから。今は黙って歌いなさい」
「黙ってたら歌えないよ」
「うっさいわね! 小学生か!!」
肩をぺちんと叩かれてしまった。自分でも今のは子供っぽいと思う。ちょっと恥ずかしい。
そんな自分を一度脇に置いて、モニターに浮かぶ曲名を確かめる。これも去年流行った曲だ。
確か承認欲求を拗らせた歌。世界中に認められたい、好かれたい、みたいな歌詞だったはず。
大槻さんがどこまで僕のことを理解しているか、それは分からない。でも選曲はばっちりだ。
これなら特に意識しなくても、僕の歌は彼女の狙い通りになるはず。そう考えると気が楽だ。
そうして歌い終わって出た点数は九十三点。満足げに頷いて、彼女は僕に手のひらを向ける。
「よし、じゃあマイク貸して」
「どうぞ。同じ曲だよね?」
「……よく分かったわね」
「なんとなくね。あとはよろしくお願いします」
そう告げて頭を下げる。顔を上げた瞬間見えたのは、ニヤッと崩れた笑顔だった。
それも瞬きの後には消えていて、いつもの鋭さが戻っていた。でもまだちょっと嬉しそう。
視線に気づいたのか彼女は恥ずかしそうに僕を睨んだ後、思い出したように喜多さんを呼んだ。
「あっそうだ、歌う前に喜多喜多!」
「あっは、はい!」
まだそれで呼ぶんだ。というかそうか、本当の下の名前知らないのか。
ここで名前を呼んで、喜多さんの調子を崩す訳にもいかない。今日も黙っておく。
「今からこいつと同じ曲歌うから。何がどう違うのか、よく聴いておくのね」
喜多さんの返事を待たず、大槻さんはマイクに、歌に集中し始める。
そこからは凄かった。あまりにも語彙の無い感想だけど、そうとしか言いようが無い。
ブレス、抑揚、緩急、あらゆる技術を使い、大槻さんは歌で心を表現していった。
マシンの出した点数こそ僕より低かったけれどとんでもない。文字通り桁が違う。
その結果を確認した後、冷たいほど静かな声で彼女は喜多さんの方を向いた。
「それで、どっちのがいいと思った?」
「……後藤先輩の方が点数高かったから、先輩の方が」
「は? 点数じゃなくて、貴方の感想、貴方のよ」
「…………大槻さんです」
「当然ね、うん、当たり前、当たり前よね。耳は腐ってないみたいで安心した」
多分もっと別のところで安心したと思うけど、何も言わないでおこう。
大槻さん相手だと僕はなんだか面倒くさくなる。多分変な指摘の仕方をしてしまう。
今は真面目な、大事な話の途中だ。何も気づかないことにして、何も口を挟まないでおく。
「じゃあどこを聴いてそう思った?」
「……大槻さんの方が、感情が伝わるというか、心を揺さぶられるというか」
「どうしてそうなったの?」
「多分ですけど、気持ちが籠ってたから。歌詞が、突き刺さったから?」
「それをするには?」
「どういう歌か、分かってないと」
喜多さんが大きな目を更に見開いた。これは、自分で気付けたでいいのかな。
かなり大槻さんが誘導した気もするけれど、はっきりとしたことは何も言っていない。
どちらにせよ今更だ。こうなった以上、こちらの方向に合わせて練習を進めていこう。
「そっか、そうだわ、当たり前じゃない!」
「あっえっき、喜多ちゃん?」
「私分かってなかった! なんとなく、楽しく歌ってたわ!」
ぴょんぴょん跳ねる喜多さんにいきなり手を握りしめられて、ひとりは困惑している。
そして迷いながら立ち上がり、彼女に合わせるよう自分も跳び始めた。高さとテンポが全然違う。
微笑ましいその光景を眺めながら、胸をなで下ろしていた大槻さんへ思ったことを告げた。
「大槻さん、やっぱり先生向いてると思うよ」
「だからやめなさいって。柄じゃないから」
何度も怒られた言葉だ。だけど今度は彼女も、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべていた。
それからは歌詞に沿って、曲の意味を考えながら歌う練習をした。
喜怒哀楽、それ以上にもっと複雑な感情。心は難解だから、一朝一夕に出来るものじゃない。
それでも大槻さんの指導の下、各種表現方法を少しずつ学んでいった。
楽しい充実した時間は早く過ぎていく。あっという間に利用時間は終わってしまった。
一瞬延長も考えたけれど、既にかなり喜多さんの喉や頭に負担をかけた。これ以上は毒になる。
そう判断して今日はお開きとなり、全員で駅までの帰路を歩いているところだ。
「今日はありがとうございました、セカンド師匠!!」
「セカンド師匠!?」
「先輩が一人目なので、大槻さんは二人目です!!」
喜多さんに悪意は無い。感謝にほんの少し茶目っ気を混ぜているだけだ。
だから僕を睨まれても困る。セカンド師匠らしい寛大な心で弟子の気持ちを受け止めて欲しい。
「……もうセカンドでも何でもいいか。とにかく、私が教えた以上情けない歌は許さないから」
「はい、セカンド師匠!」
「やっぱりそれやめて。なんか腹立つ」
今日一日でだいぶ大槻さんと喜多さんは打ち解けた。喜多さんはもう友達だと思ってるかも。
ひとり、ひとりは今日もずっと大槻さんを警戒してビクビクしていた。残念だけど仕方ない。
似てるところもたくさんあるけれど、今のところ二人はどうにも噛み合わせが悪い。
僕の当てにならない勘だと、一度打ち解ければとても仲良く出来る気はする。
だけどあの喜多さんが二人を強引に引き合わせていない以上、きっとまだその時じゃない。
その証拠に喜多さんはひとりを大槻さんから遠ざけ、前の方を先導するように歩いている。
その背中を見ていると突然彼女が振り向き、さりげなくウィンクした。
何度も思い知ったことだけど、この手のことは到底僕じゃ敵わない。
心の中で彼女へ頭を下げてから、気を取り直して今度は大槻さんに下げた。
今のうちに僕からも今日のお礼を告げておこう。直接無理に頼んだ以上、それが筋だ。
「今日は突然呼んだのに来てくれてありがとう」
「……今日はもういいけど、今度また同じ誘い方したら怒るから」
ぷいっとそっぽを向きながら、彼女に次の怒りを宣告されてしまった。
さっきまで楽しそうだったのに、そんなにセカンド師匠が嫌だったのかな。いや違うか。
改めて話をしたことで、騙し討ちされた時の怒りが蘇ってしまったのかもしれない。
「いきなり図々しいお願いをしてしまってごめんなさい」
「そこは別にいい。そうじゃなくて、その、勘違いする文章というか」
「勘違い?」
そんな変な文章を送ったかな。確か、今日暇だったらカラオケどうですか、くらいだったはず。
彼女が変な捉え方をしたのか、僕がまたよく分からないことをしたのか。確かめる方法は無い。
だって直接聞くときっとヒートアップする。迷っている間に大槻さんが答えを叫んだ。
「……………………………………………遊びに誘われたかと思ったの!!」
急な大声に前を歩く二人がびっくりして振り向いた。手を振って心配無いことを告げる。
出来れば喜多さんに相談したいけどそうもいかない。僕一人でなんとかしないと。
「遊びって、今日のこれ?」
「急にカラオケ行かないって誘われたら、誰だってそう思うでしょ!?」
「……果たし合いとかは?」
「普通そんな頭おかしい発想しない!!」
僕は頭がおかしいらしい。とっくに知ってた。今更大槻さんにお墨を付けてもらっても。
だからそんなことはともかく、彼女の疑問を改めて考える。遊びの誘いだと思ってた。
「遊びに誘う、大槻さんを」
「…………何その反応。私を誘う発想なんて無いとか言いたいの?」
「無いというか、誘ってもよかったの?」
「は?」
間の抜けた返事だった。僕の確認に気を削がれたらしい。怒りもどこかに落ちて行った。
この隙に弁明というか、僕なりの遠慮、理由を話しておこう。彼女なら分かってくれるはず。
「大槻さんはいつも忙しいだろうから、そういう誘いはしない方がいいのかなって」
「なら今日のは何なのよ」
「打算と計算です。色んなものにかこつけて誘いました」
「正直に言えばいいってものじゃない!」
馬鹿正直に打ち明けた僕の頭を何度も叩きながら、大槻さんが同じくらいため息を吐いていた。
それから音の出そうな勢いで僕の眼前に指を置くと、目を泳がしながら宣言する。
「いい? そういうのは私が決めるから、貴方は余計なこと考えなくていいの」
「うん、ありがとう」
「お礼も遠慮もいらない。…………と、友達って、そういうものでしょ?」
「僕が言いたいからお礼は言わせて欲しい」
「ほんとに話聞かないというか、ああ言えばこう言う奴ね」
そんな言葉とは裏腹に大槻さんは穏やかに笑っていた。珍しい表情で、多分初めて見た。
こんなこと思うべきじゃない。それでも、これだけで今日彼女を呼んだ甲斐があった気がする。
まさか言葉にする訳にもいかないから話を逸らす、いや元に戻して改めて彼女へ聞いた。
「じゃあ大槻さん、どこか行きたいところとかある?」
「どこでもいい。その次、私が行きたいところ誘うから」
「もうその次あるんだ」
「何? 嫌なの?」
「ううん、逆。嬉しい」
「……あっそ」
ちなみに次の日、あれだけ言ったのになんで誘って来ないの、という電話が来たのは別の話だ。
そんな暇も余裕も無かったなんて、きっとただの言い訳だろう。
次回「妹体験記 上」です。