ぼっちの兄もまたぼっち   作:差六

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感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


第十九話「春の嵐が来る前に」

 四月某日ひとりの部屋で、とある委員会が再び開催されようとしていた。

 

「ではこれより、脱ぼっち対策委員会特別会を開催します」

「よ、よろしくお願いします」

 

 脱ぼっち対策委員会。かつてひとりに友達を作るため、僕達二人でしていた活動だ。

昨年五月虹夏さんのおかげで無事に解散したはずなのに、どうして再開催となったのか。

時期的に予想はついているけれど、もしかしたら他の理由があるかもしれない。

デリケートな問題だったら大変だ。探りがてら、ひとりに改めての確認をする。

 

「……いきなりだけど、ひとりってもうぼっちじゃないよね?」

「うん。へ、えへへっ、へへ、もう、友達います」

「そうだよね。じゃあ、今日のこれはいったい?」

 

 浮かれ切ってドロドロとした、とても可愛らしい笑顔をしていた。デリケートじゃなさそうだ。

安心して今度はストレートに切り込むと、途端にひとりは文字通り固くなって正座になる。

その上カタカタと震え始めた。この感じはきっと、明日からの学校についての話だろう。

 

「明日から、新学期が始まります」

「そうだね。春休みは短かったなぁ」

「……う、うぅ、いつまでも寝られる生活、こたつに潜り続ける日々が、再び終わりを」

「あぁそうだ、こたつもいい加減しまわないとね」

「こ、こたつだけは、もう少しだけでもこたつだけはっ」

 

 腰に抱き着かれた上に縋られてしまった。そこまでこたつが惜しいのかな。

昨日母さんが、学校始まったらクリーニング出そうかしら、と言っていたことは黙っておこう。

これ以上希望を奪われたら、ひとりは明日学校に行けないかもしれない。

 

「それで新学期ということで、クラス替えがあります」

「うん」

「私は死にます」

「生きて」

 

 ひとりはその宣言とともに机の下に潜り始めた。結論が早すぎて止める暇も無かった。

健やかに生きて欲しいから引きずり出す。それでもひとりは床にへばりついたままだった。

今年も重症だ。だからひとりが話す気持ちになるまで、そっと背中を撫でながら待つ。

しばらくの間続けていると、うつぶせのまま自嘲するような声でひとりは口を開いた。

 

「別にクラス替えで変わるような人間関係は無いけど、でも」

「それでも、急に環境が変わるのが怖いんだよね」

「……うん」

 

 ひとりが言い淀んだ先を代わりに続けると、静かにこくりと頷いた。

この子は繊細だから、人間関係に限らず変化そのものを怖がっている。それでも必ず明日は来る。

だからせめて前向き、とまでは言わなくても、何か少しだけでも希望を見せてあげたい。

数秒程頭の中を探ってから、僕は今日も友達に頼ることにした。

 

「でも、見方を変えればチャンスじゃない?」

「……何の?」

「喜多さんと同じクラスになるチャンスだよ」

 

 ひとりの瞳がぱっと輝いた後に、今度は底知れぬ暗さを纏い始めた。花火みたい。

 

「あれ、喜多さんと同じクラスは嫌?」

「それは、嫌じゃないけど」

「なら何が、あー、喜多さんの友達かな?」

 

 無言でぶんぶんと、ひとりが勢いよく首を縦に振る。そこまで嫌なんだ。

 

「喜多ちゃん一人ならともかく、集団で来たら私は燃え尽きます」

「確かに、お正月の時も凄かったからね」

「……お兄ちゃんは逃げたよね?」

 

 藪蛇だった。責めるように刺してくるひとりの視線から目を逸らす。

逃げないと大変なことになったと思うけど、この子からしたらそれはそれ、これはこれだ。

徐々に重くなっていくプレッシャーから逃れるために、僕は苦し紛れの励ましを捻り出す。

 

「喜多さんの友達なら、ほら、その、きっといい人達だし、大丈夫だよ」

「い、いいとか悪いとかじゃなくて、属性の問題だから」

「皆明るそうだったからね。参考までに聞くけどその人達、お正月はどんなお話してた?」

「……うぇ~い?」

 

 なんとか対策を講じようとした結果、何も分からないことが分かった。

思い返すまでも無くひとりはあの時死んでいた。記憶が無いのも当然だった。

これ以上掘り返せるのはひとりの傷だけ。あの日のことは、お互いのためにそっとしておこう。

 

「それでひとり、その格好は?」

 

 話を切り替えるために、さっきから気になっていたことを指摘する。

ひとりの恰好。ヘアバンド、サングラスに派手なネックレス、そしてバンドTシャツ。

腕には大量のラバーバンドを着けて、缶バッチを敷き詰めたトートバッグを抱えていた。

強烈なデジャブを感じる姿だ。あの日のことが、いい思い出と悪い思い出が同時に蘇る。

 

「相談したかったのはこの格好のことで、そ、その、似合う?」

「可愛くて格好いいよ。今年はメジャーバンドで攻めるんだね」

「うん。去年のあれは、ちょっとマイナー過ぎたかなって思ったから」

 

 去年のあれ。バンド女子感を出して、同じ趣味の人にアピールをすること。

そして話しかけてもらい、そこからなんとかかんとかして友達になること。

人任せな上に肝心なところが抜けている。それでも、きっかけになる可能性はある。

 

 今回はメジャーバンドを推すことで、より幅広くターゲティングするようだ。

確かに対象が増えれば増えるほど、可能性は大きくなる。更に言えば、前回と今回は状況が違う。

昨年の文化祭ライブを通じて、ひとりがバンドマンだと校内でも広く周知されているはず。

その前提知識があれば周囲もまた、去年とはまったく違う反応を見せるかもしれない。

 

 僕としてはこう考えている。何も嘘は無い。だけど一般的にはどう見えるんだろう。

前回僕とひとりのセンスは大敗北した。それを覆すほどの成長を僕達は出来ただろうか。

とても申し訳がないのだけれど、僕は欠片も自信が持てない。二人分だとなおさら持てない。

 

「格好もだけど、自己紹介はどうする? また一緒に考える?」

「実はそれも、もう考えてたりして」

「本当? 凄いねひとり、今年は用意周到だ」

「えへへっ、ま、まあね!」

「よければ聞かせて欲しいな」

「うん!」

 

 可愛い。これなら何の苦も無く友達なんて出来るはず。毎年こう思って外してるな。

自分の節穴具合を改めて確認しつつ、体は機械的に撮影の準備をし始めた。恐らく必要になる。

それを見て嫌がるひとりからも、練習用という名目でお願いしてなんとか許可を貰えた。

 

「あっ後藤ひとりです……」

 

 その瞬間、ひとりはカッと目を見開いた。

 

「あだ名はぼっちで~す! 名前の通りリアルぼっちなのだ!」

 

 それからひとりの自己紹介が続いた。思っていたよりも長い。

内容は、どうだろう。ちょっと自虐ネタがしつこい気もする。人によっては気にするかも。

それはそれとして、普段あまり見れないおどけた素振りをするひとりはどこまでも可愛い。

 

「…………欠点は人の目を見れないこと、あって必ずつけちゃうこと! ってそこ笑うな~!」

 

 虚空へ楽しそうにツッコミを入れてから、ひとりはいつものすんとした顔に戻る。

これで自己紹介は終わりらしい。不安そうに眼を泳がしながら一礼して、僕の横へ正座した。

 

「い、以上です」

「結構長かったけど、カンペ持って無いよね。全部覚えたの?」

「うん、頑張った」

「そっか。今年はいつも以上に本気だね」

「や、やっぱり分かっちゃう?」

「ひとりのことだからね」

 

 その言葉にひとりは嬉しそうに体を揺らすと、手を重ねながらじっと僕を見上げた。

隠し玉か何かがまだあるみたい。ひとりから言ってくれるのをしばらく待つ。

一分くらいすると覚悟が決まったようで、ひとりは立ち上がってギターを手に取った。

 

「あとね、一発芸も用意したんだけど、見る?」

「ぜひ」

「……武田信玄の軍配!」

 

 前にも見たことあるものだった。実はお気に入りだったらしい。

面白いかどうかはその人のセンスによるだろう。僕は微笑ましくて可愛いと思う。

分かっていたけれど、やっぱり僕は駄目だ。ひとりが何をしても可愛く感じてしまう。

録画しておいてよかった。これを使えば第三者からの、冷静な指摘をもらえるはずだ。

 

『明日のひとりです。採点してください』

 

 ひとりの自己紹介動画と共に、喜多さん先生へメッセージを送る。今こそ彼女に頼るべき時。

コミュニケーションのプロである彼女ならきっと、問題点と改善点を洗い出してくれる。

それから一分も経たない内に絵文字も写真もスタンプも無い、ただ文字だけの文章が届いた。

 

『今から三人でコミュニケーションの勉強をしましょう』

 

 採点どころか赤ペンを投げ捨てられてしまった。

 

 それからしばらくの間、電話越しに喜多さんからの説教、もとい指導が続いた。

まず恰好は全てボツになった。そんな予感はしていた。やはりあれは駄目らしい。

ごちゃごちゃしてダサい、意味が分からない、むしろ怖い。ヒッピーか何かに見える。

そもそも普通に制服を着た方がいいと言われた。どれもどうしようもないほど正論だった。

 

 そして自己紹介も全てボツになった。そんな予感もしていた。もう全部駄目らしい。

なのだって何。自虐が痛々しい。全てが痛々しい。ボケもツッコミもあまりにも下手。

いっそ何も喋らない方がいいとまで言われてしまった。気づくとひとりは死んでいた。

こうして僕は改めて、自分とひとりのセンスへの信頼を捨てた。そうだとは思っていた。

 

 そんな喜多さん先生の特別講義が終わってから、ひとりがおずおずと僕に問いかける。

 

「お兄ちゃんはクラス替え怖くないの?」

「全然」

 

 僕にとってクラス替えは模様替えの一種だ。恐れる要素は何一つない。

精々が登校する教室が変わったな、なんとなく景色が変わったな、くらいの感慨だけ。

平然と答える僕に、ひとりがどこか脅かすような口ぶりで言葉を投げかけた。

 

「で、でも、虹夏ちゃんたちとクラス別れちゃうかもしれないよ?」

「それも無いだろうから、本当に心配してないよ」

「?」

 

 またしても動揺一つ見せない、それどころか自信を見せる僕にひとりが首を傾げた。

 

 翌朝始業式の日、例年通りひとりは今日もトイレに立てこもっていた。

毎年毎年、どうしてこの日は押入れじゃなくてトイレを引きこもり先に選ぶんだろう。

まさか僕が入れないからかな。いくら僕でも、さすがに妹のいるトイレには突入出来ない。

 

「おにーちゃん、おねーちゃんがトイレ占領してる!」

「ひとりー、お腹は大丈夫ー?」

「あっ、あっあうん、だ、大丈夫、でも、あと三十分は入っていたい……」

「えー!? おねーちゃん早く出てよー! ふたりもトイレ使いたいー!」

「我慢して。今お姉ちゃんは自分と戦ってるの」

 

 だとしても放っておくことは出来ない。このままだとふたりがお漏らししてしまう。

最悪僕が近所のコンビニか公園へ抱えて行くつもりだけど、これはそういう問題じゃない。

何もしなければただでさえ低いひとりの姉としての尊厳が、間もなく死に至るだろう。

 

 さてどうしよう。経験上立てこもりの説得は、とにかく話を聞くことが大切だ。

相手の要求をよく聞いて、そこから本当に求めるものを探して交渉する。それがコツ。

でも今日はそんな時間は無い。うかうかしてると遅刻するし、ひとりとふたりが手遅れになる。

 

「……おにーちゃん、おねーちゃんトイレしてるの?」

「多分してない。籠りたいから籠ってるだけだと思う」

「そうなんだ。じゃあふたり、おかーさんにお願いしてくるね!」

 

 僕が悩んでいる間にふたりが動き出した。母さんに頼む、一体何を、説得とか?

答えが出る前にふたりが走って戻ってくる。その手には五百円玉が握られていた。

まさかと思いつつそれを見ていると、ふたりが胸を張って得意げに説明してくれた。

 

「この間ね、これでトイレの鍵開けられるって教えてもらったの!」

「……誰に?」

「はるちゃん!」

 

 ふたりの幼稚園の友達だ。末恐ろしい。

 

「おにーちゃん、これで開けてもいーい?」

 

 そう問いかけるふたりの瞳は、期待でキラキラと輝いていた。可愛い。

はるちゃんに開け方を教えてもらったあと、どうしても試してみたかったんだろう。

その好奇心は責められない。むしろこうして今日まで我慢していたのが、とてもとても偉い。

 

 それにこれが上手く行けば、手詰まりだった状況が全て解決する。ふたりさまさまだ。

トイレを無理やり開けるのは当然よくないけれど、立てこもるのがそもそもの問題だ。

ひとりには諦めてもらおう。突入するのは僕じゃなくてふたりだし、まあいいんじゃないかな。

だいぶ適当になってきた思考を自覚しつつ、僕はふたりにゴーサインを出した。

 

「そうだね。じゃあふたり、お姉ちゃんのことお願い」

「いいの!?」

「えっお、おに、お兄ちゃん!?」

「うん。でもし本当にトイレだったら、僕もごめんなさいするから呼んでね」

「わかった! おねーちゃん開けるよー!」

「ちょ、ふ、ふた、ふたり、ちょっと待って!」

 

 こうしてこの後無事にひとりを家から連れ出し、今年度も登校することが出来た。

毎度毎度気を付けてはいるんだけど、隙を縫ってトイレに駆け込まれてしまう。

最低でもあと一回はクラス替えがある。来年のため、もっと対策を練り直しておかないと。

 

 

 

「今年度もよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 ひとりと別れ下北沢高校に着いて早々、僕は虹夏さんに今年度の挨拶をしていた。

深々と頭を下げる僕に合わせて、彼女も丁寧にお辞儀を返してくれた。

そして顔を上げた時にはにっこりとした、いつもの安心する笑顔がそこにはあった。

 

「って、なんだか無駄に丁寧になっちゃったね」

「そうだね。クラス替えで友達に会うって初めてだから、ちょっと作法が分からなくて」

「作法て」

 

 僕の言葉に彼女は苦笑いを浮かべた。こういう時の作法は特に無いらしい。勉強になる。

感心を深める僕から彼女は視線を横にずらし、笑みもまたずらした。というかジト目になった。

彼女の視線の先ではリョウさんが、らしくないほどしゃんとした姿勢で仁王立ちをしていた。

そしてその体勢のまま、これまたらしくないほどきちんとした声で決意表明し始める。

 

「この山田リョウ、今年度も課題、移動教室、食事、その他諸々寄生させていただく所存です!!」

「もはや清々しいな……もう、今年は絶対面倒見ないからね!」

「リボン直してくれてありがとう」

「あっ!? み、見ないからね!!」

 

 虹夏さんは言葉とは裏腹に、リョウさんの乱れたリボンを直してあげていた。

無意識の行動だったらしい。その証拠に、はっと気づいた瞬間乱暴にリボンを解いて後ずさる。

リョウさんは胸元のリボンをじっと見た後、今度は僕に迫りそれを差し出した。

 

「じゃあ陛下、お願い」

「やらない。いくら友達でも、こういうの異性に頼むのはよくないよ」

「やってるやってる。後藤くんやってるよ」

「……あれ?」

「陛下もありがとう」

 

 虹夏さんのツッコミ通り、無意識の内に僕もリボンを結んでいた。おかしいな、いつの間に。

倫理的に駄目、だとは思うけど、リョウさんは嬉しそうだし、虹夏さんも止めまではしない。

でも今後は気を付けよう。どこかで一線を引いておかないと、どこまでも許してしまいそうだ。

 

「ふっふっふ、今年は最初から寄生相手が二人もいる」

「もー、だからリョウと一緒のクラスは嫌だったのにー!」

「巻き込んでごめんね」

「……なんで後藤くんが謝るの?」

 

 悔しげに虹夏さんが漏らすのを聞いて、つい謝罪の言葉を放ってしまった。

当然彼女は、そしてリョウさんも不思議そうに僕の顔を見る。ピンと来てないようだ。

それなら言わなくてもよかったかな。そうは思いつつ、口に出したのは僕だから説明した。

 

「多分だけど、二人が一緒のクラスなのは僕のせいだから」

「どういうこと?」

 

 根本的な話として、僕は学校でほとんどの人とまともにコミュニケーションが取れない。

教師も含めて大抵の人が、目が合うだけですぐに意識を失う。原因も僕以外は知らない。

とんだ危険人物で問題児だ。そのくせ成績はいい。学校もきっと扱いに頭を抱えている。

 

「しかし、そんなのと話を出来る生徒が二人、去年突然現れました」

「あー、そっかー。とうとう魔王係が学校公認になったんだね……」

 

 虹夏さんがどこか遠い目を浮かべた。本当に申し訳ない。いつもお世話になってます。

そんな彼女とは対照的に、リョウさんは怪しく瞳を光らせながら何かを呟いた。

 

「……なるほど。なら何か貰えてもいいはず」

「は?」

「学校が陛下のお世話を頼むなら、それ相応の態度を見せて欲しい」

「あのさリョウ、そういうのは」

「確かに」

「本人が納得するの!?」

 

 虹夏さんは驚くけれど、僕はリョウさんの発言も一理あると考えていた。

僕という扱いが面倒でややこしいものを任せるのなら、一定の便宜くらいあってもいいはず。

誰に話をつけるのかは後で決めるとして、まずはこちら側の要求を固めておこう。

 

「じゃああとで交渉してこようか? リョウさんは何が欲しい?」

「有給」

「魔王係に給料発生してないよ?」

「それは休まない。授業の方が欲しい」

「そっちも発生してないよ?」

 

 とぼけた顔でリョウさんは変な要求をしていた。授業の有給、出席か何かになるのかな。

僕のお世話をするってことは学校に来ているから、あまり意味は無さそうだけども。

真面目に僕が検討し始めると、虹夏さんは呆れた顔で僕達二人を見比べる。

 

「そもそもリョウはいっつも後藤くんに面倒見てもらってるでしょ。まず自分がなんかしなよ」

「おぉ、言われてみれば納得。じゃあ陛下、私に何かして欲しい?」

「急に言われても」

 

 特別リョウさんに求めることは無い。ぱっと出てくるのは、健康でいて欲しいな、くらいだ。

あとは、お腹が空いても野草を生で齧るのはやめてほしい、とか。これも似たような意味だな。

真面目に頼むようなことは見当たらないから、適当な冗談でお茶を濁すことにした。

 

「それなら、弁当作りの有給ください」

「それだけは勘弁してください」

「土下座!?」

 

 思わず見惚れてしまいそうになるほど鮮やかで、無駄のない土下座だった。

冗談じゃ済まなかったらしい。彼女からしてみれば一食減りかねない話だから当然だ。

それはともかく、いつまでも友達にこんな格好は、土下座なんてさせられない。

僕は彼女の傍に膝を着けて、鞄から弁当を取り出し差し出した。

 

「冗談だよ。はい今日の分」

「おぉ、神よ……」

「魔王だよ? あ、いや、魔王扱いも困るけど」

「なんだこの会話」

 

 虹夏さんのツッコミでオチがついたところで予鈴がなった。そろそろ教室に入ろう。

教室にいると僕達以外誰も話さなくなるから、今朝も時間になるまで廊下で話していた。

付き合ってくれた二人には感謝と申し訳なさしかない。やっぱり僕が何かお礼をするべきだ。

なお、自己紹介の時間は例年通りお通夜のように静かだった。今度はお経でも唱えようかな。

 

 

 

 こうして今年度は穏やかに始まったと、この時の僕は愚かにも考えていた。

それが勘違いだと思い知ったのは、それから十日ほど経った朝のことだった。

 

「ねー聞いてるー!? お姉ちゃん酷いと思わないー!?」

 

 ジタバタと手を動かして、頬を膨らませた虹夏さんが不平不満をぶちまける。

いつかの大槻さんのようだ。ただ、あれよりはずっと素直でどこか微笑ましい。

この気持ちを悟られたら矛先が僕に向きそうだから、飲み込んで相槌を続けた。

 

「聞いてるよ。どうせ他の箱じゃ伸びないからやめとけ、だよね」

「ほんと酷いよね! もー、どうしてあんな意地悪ばっか言うんだろ」

 

 星歌さんには確かに素直じゃないところがあって、虹夏さんを構うようなことも言う。

だけどいつでも虹夏さんのことを想っている。だからこの頭ごなしの否定にも理由があるはず。

彼女にそれを直接確認したい。でも今席を外すとバレて、ますます拗ねてしまう予感がする。

それにそもそも、星歌さんはこの時間だと多分寝ている。確認も何も出来なさそうだ。

 

「まあまあ、ほら、星歌さんにも何か考えがあるはずだから」

「むっ、後藤くんはお姉ちゃんの味方なの?」

「そういう訳じゃないけど」

「じゃあなんなのー?」

 

 なんなのと聞かれても困ってしまう。誰が誰の味方とか、そういう話は今していない。

見たことないくらい虹夏さんは意固地になっている。リョウさんが両手を挙げる訳だ。

そっと様子を窺うと、彼女は素知らぬ顔、じゃなくて気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 

「もう、せっかく新しい箱からオファーが来たのに……」

 

 救援の芽が無いことを確認している間に、虹夏さんが今度はしょんぼりし始めた。

降って湧いたチャンスに誰も乗って来なくて、少し落ち込んでしまったのかもしれない。

そんな彼女を見ながら、僕は落ち着くためにも一度情報を整理することにした。

 

 ことの経緯はこうだ。路上ライブの帰り道、結束バンドのアドレスにあるメールが届いた。

それは池袋のとあるライブハウスからの、ブッキングライブの出演オファーだった。

ほぼコネだった新宿FOLTを除くと、結束バンドにとっては初めての出演依頼。

結束バンドが、虹夏さんが飛びつくのも、舞い上がるのも正直言って無理はない。

 

 そして星歌さんがそれとなく引き留めようとするのも、僕はなんとなく理解出来る。

誤解を恐れずはっきり言えば、このオファーは、このライブハウスはものすごく怪しいからだ。

 

 まずオファーのメールは文体、内容、その他諸々全てが引っかかる。

特に気になるのが、ハードでロックな結束バンドの音楽性云々、という一文。

他はともかくここだけは見過ごせない。音楽関係で働く人間が書いていい文章じゃない。

ロックの定義は人によるけれど、結束バンドのジャンルは間違いなくハードロックではない。

結束バンドの曲を聴いたこともないのか、寝ぼけているのか、どちらにせよ信用は薄れる。

 

 次に評判が悪い。誰よりも悪い僕が言うことじゃないけれど、あまりいい噂が無かった。

虹夏さんの目を盗んでちょっとずつ携帯で調べていくと、いくつかのレビューを発見した。

そこには客層が変だとか、セトリが気持ち悪いだとか、低評価とともにそんなコメントがあった。

 

 変に、気持ち悪い。気になるコメントだったから、こっそりと少し深めに調べることにした。

その流れで評価者についても確認し、SNSを辿るうちにその人達のアカウントを見つけた。

それでかたや地下アイドルの、かたやメタルバンドの熱狂的なファンであることが分かった。

更にこの二つのグループのSNSを詳しく見ると、両者とも同日同会場でライブを開催していた。

言うまでもないことにその会場は、結束バンドが今回オファーをもらったライブハウスだった。

 

 以上二点から察するに、ここのブッキング担当者は恐らくとても適当な人だ。

バランスも何も考えず、ただその日入れられそうなバンドをとにかく敷き詰める。

すると雰囲気はぐちゃぐちゃで気持ち悪くなるし、ファン同士もお互い面食らってしまう。

この低評価とコメントは、きっとそんなところから生まれてしまったんだろう。

 

 ただ、これらはあくまでも推測だ。メールが適当でも評判が悪くても、僕は実物を知らない。

もしかしたらメールは打ち間違いかもしれない。評判は根拠のない噂話かもしれない。

仮に僕の推測が当たっていたとしても、今はもう改善しているかもしれない。

無理のある擁護だ。それでも偏見と噂話だけで切り捨てるなんて、僕はやりたくなかった。

 

「そうだ虹夏さん、突然だけど今日放課後空いてる?」

「空いてるけど。一緒にお姉ちゃんと話に行こうって言うなら、私行かないからねっ!」

「一緒に来て欲しいのはそうだけど、そっちじゃないよ」

 

 加えて今日の虹夏さんは酷く拗ねている。正面から説いても逆効果になる気がする。

それでも念のために確認はしておきたい。前評判抜きにしても、初めての箱は下見した方がいい。

だから一つ、彼女を巻き込むとある提案を僕は投げかけた。

 

「どうせならそこ、一緒に確かめに行こうよ」

 

 そう誘う僕を、彼女は目を丸くして見上げていた。




次回「喧嘩は青春の華」です。
余計なことをしなければあと十話、中途半端ですが第二十九話が最終回になると思います。
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