放課後提案に乗ってくれた虹夏さんと二人で、僕達は例のライブハウスへ向かっていた。
他三人は今日バイトだ。一緒に活動出来るよう、結束バンドのシフトはなるべく固まっている。
というか星歌さんが時折しれっとお願いしてくるから、僕が固まるよう調整している。
その度にお駄賃はいただいているけれど、そもそも僕はスターリーのアルバイトですらない。
これといい確定申告のことといい、もしかして半分くらい僕が店長の仕事をやってるのでは。
「私の個性ってなんだと思う?」
そんな戯言を考えていると、虹夏さんが唐突にそんなことを言い出した。
そう問いかけながら僕を見上げる瞳には不安と期待、相反する二つの光が浮かんでいる。
今日の彼女は機嫌が悪い。下手に答えれば大火傷しそうだから、とりあえず探りを入れよう。
「個性ってどこの話?」
「なんでもいいよ、見た目でも中身でも」
なんでも。最近よく聞く、言ってしまう言葉だ。相変わらず扱いに困る。
とにかく見た目でもいいらしいから、虹夏さんを上から下までじっと見てみる。
個性、言い換えれば特徴、周りとの差異、目立つところ。色々比較して考える。
まず思いつくのは小柄なこと。周囲と、平均と比べても小さい。怒られるな、ボツ。
この期待のまなざしはきっと、個性は個性でも長所を、素敵なところを求めている。
幸い虹夏さんは魅力的な人だから、適当にどこを取り上げても褒めることは出来る。
それこそシンプルに顔立ちが整っているとか、綺麗な髪をしているとか。
でもそんな簡単な、誰にでも言えるようなことでいいのかな。
虹夏さんなら僕に言われなくても、これくらいの誉め言葉なんて何度も貰っているはず。
それなのにこうして聞いてくるってことは、もっと他の何かを求めてるってことだろう。
どうしよう。言われたらすぐ納得出来て、しかもまだ誰も褒めてなさそうなところ、どこだろう。
そんな迷走の果て、僕は極めて馬鹿みたいな結論に至った。
「……アホ毛?」
「そこ!?」
「元気があっていいよね」
「髪に使う言葉かな!?」
見事に不正解を引き当てたらしい。見てて楽しいから、僕は本当に好きなんだけど。
虹夏さんとしては気に入らないようで、頬を膨らませて今朝のような雰囲気を纏い始めた。
このままだと不味そうだ。言い訳も兼ねて、あんなことを言い出した理由を伝える。
「他に見た目で個性の話ってなると、普通に褒めるだけになりそうなんだ」
「……じゃあ止めた方がいいね」
「そう?」
「そう。その、反応に困るから」
「それなら中身の方で考えるよ」
「……見た目アホ毛で終わりかー」
困るって言ったのは虹夏さんなのに、どこか不満げにそう零す。これも不正解だったかな。
今更撤回は出来ないから、次の個性、中身の方を褒めてなんとか挽回することにしよう。
ただ、こっちはある意味見た目より繊細な話になる。深く考えるためにまず牽制を入れた。
「えっと、やさ」
「あっもう喜多ちゃんが言ったから、優しいと絵が上手いは駄目だよ!」
「もうちょっと待っててください」
「はーい、楽しみにしてまーす」
僕の牽制は一瞬で潰された。喜多さん、出来ればもっと意外性を攻めて欲しかった。
今もスターリーでキターンとしているだろう彼女を、ちょっとだけ恨めしく思ってしまう。
その気持ちが活力になったのか、意外と早く別の個性を虹夏さんに伝えられた。
「人望、とか」
「えー、それ個性?」
「立派な個性だよ。虹夏さんの人望無しじゃ、結束バンドは成り立たないから」
まず、ひとりは虹夏さんが声をかけてくれなければ、きっと今頃退学でもしていただろう。
結束バンド云々どころか人生の恩人だ。今は関係ない話だから、この先は割愛する。
次に喜多さん。虹夏さんが彼女の逃亡を許していなければ、彼女は復帰なんて出来ていない。
加えて虹夏さん抜きだと波長の合う相手がいなくて、活動そのものが苦痛になるかもしれない。
最後にリョウさん、彼女は言うまでもない。虹夏さんといない彼女なんて想像も出来ない。
多分どこかで野垂れ死にしているか、誰かに刺されて死んでいる。命が虹夏さんのおかげだ。
そんなことを虹夏さんに説明すると、彼女は手をぱたぱたと振って照れていた。
「いやぁ大袈裟じゃない?」
「むしろ控えめに言ってるよ。虹夏さんあっての結束バンドだから」
「えー、そうかなー?」
念押しするよう重ねると、ますます虹夏さんは照れ臭そうに片手を頬に当てて喜ぶ。
ここがチャンスだ。正直なところ、この先ライブハウスで何があるか分からない。
もしかしたら、いや予想が正しければ、彼女はおそらく嫌な思いをすることになる。
そんな時気持ちが萎えていれば、それがそのまま大きな傷になってしまうかもしれない。
だから彼女にはなるべく気持ちを強くもって、心の体力を保ったままでいて欲しい。
そのために僕はこの方向で言葉を続けた。どこまで持っていけるかな。
「なんというか、バラバラな人達を支える縁の下の力持ちというか」
「……ん?」
「目立たないけど一番大事な人というか」
「んー?」
「そう、まさに結束バンドの結束バンドというか」
「えーもー、結局地味じゃん私ー。しかもなんか上手いこと言おうとしてるしー」
さっきまでの照れた様子から打って変わって、再び彼女は口を尖らせてしまった。
地味。そこが今回の地雷ポイントだったらしい。ものの見事に僕は踏んでいた。
内心焦りを覚えていると、彼女はそんな僕の顔を覗き込み、今度は何故か破顔する。
「でもありがと。なんかちょっと安心した」
見当はずれのことを言って、言葉が足りなくて、加えて地雷まできっちり踏んで。
それでも最後の最後には穏やかに笑ってくれたから、僕もようやく胸をなでおろせた。
そんな空気を保てたのは、件のライブハウスに着くまでだった。
「……」
「……」
結論から言えば、事前に調べた評判はおおよそ合っていた。
ライブハウスに入店した僕達を待っていたのは、バリエーション豊かな観客達。
老若男女が勢ぞろい、服装も全身ビリビリのロックな人から着物で決めた人までいる。
僕と虹夏さんも驚いたけれど、彼らはそれ以上に面食らい合っていた。
どこか緊張感に満ちた静かな空気の中、お互い様子を見るようにちらちらと視線を送る。
とてもライブを楽しめる雰囲気じゃない。全員が全員、軽い症状の時のひとりのようだった。
そしてその空気はライブが始まっても、いや始まることでより強くなっていった。
「虹夏さん、この曲って」
「デスメタルだね」
「……さっきのは」
「……レゲエ、だと思う」
「…………最初に聞いたのは」
「…………どう聞いても、演歌だったね」
観客の種類を確認した段階で、ある程度の覚悟は決めていたつもりだった。
でもその想像よりもずっと滅茶苦茶な組み合わせだ。恐ろしく食い合わせが悪い。
その証拠に今懸命に歌っているバンドには悪いけど、いまいち会場が盛り上がっていない。
「うわー、なんか怖いね……」
「デスメタだっけ? 頭痛くなりそう」
「ていうかこれ歌? 叫んでるだけじゃない?」
デスメタルは元々聞く人を選ぶジャンルだ。騒音にしか思えない人もいるだろう。
不意打ちで聞かされたら、こんな感想が出てくるのも仕方ないのかもしれない。
「……チッ」
そしてそれを聞かされたファンがこんな反応をするのも、また仕方ないのかもしれない。
素肌に革ジャンという、時代と季節を無視した男性が苛立たし気に舌打ちをする。
それから同じような恰好の、恐らくはファン仲間に鋭く目配せをして何か相談し始めた。
何をするつもりだろう。予想がつかないから、念のため虹夏さんを背中に隠した。
「……ど、どど、どうするよ。他の観客達、全然盛り上がってねぇぞ!」
「そんな、この神曲でぶち上らねぇ奴がこの世にいんのか!?」
「つってもよ、流石に着物の爺ちゃん婆ちゃんは無理がねぇか? 下手したらそのまま逝くぜ?」
「いや俺デスメタはまったの、祖母ちゃんが目覚ましに流してたからなんだけど」
「ヤベーなお前んち」
見た目よりずっと穏やかな人達だったらしい。これなら物騒なことにはならないだろう。
急だったとはいえ、とても失礼なことをしてしまった。反省して内心彼らへ頭を下げる。
そして更に失礼を重ねることを承知の上で、彼らと他の観客の様子を観察し続ける。
これは未来の結束バンドも陥る状況だ。よく見て把握して、対策を立てる必要がある。
そうしていまいち盛り上がりに欠けたまま、デスメタルバンドの演奏は終了した。
ステージから撤収する演者は心なしか肩を落としていて、ファンも視線が落ちている。
それ以外の観客は逆にどこかほっとしたように、同じファン同士で顔を見合わせていた。
これはライブ終了後の反応としては、最悪の部類と言ってもいいだろう。
演者もファンも満足出来ず、それ以外にはやっと終わってくれた、とまで思われている。
楽しむことも楽しませることも出来ていない。大失敗のライブだ。
ただ、こんな反応になったのは今のバンドが未熟だったから、ではない。
あくまで僕の感想になるけれど、彼らの演奏はデスメタルとしてはとてもよかった。
激情を感じさせる大胆な叩き方をしながらも、丁寧にリズムを刻んでいくドラム。
滅茶苦茶なリフを乗りこなし、お互いに音を高め合っていたツインギター。
幅広い音域を駆使し、地を這うような低音から高音の絶叫までこなすボーカル。
どれも高レベルで、無理にでもひとりを連れてくればよかったかな、と思うほどだった。
にもかかわらずこんな結果になったのは、観客に伝わらなかったのは、今日の構成のせいだ。
ちゃんと相応の、それこそデスメタルバンドだけを集めれば、こんなことにはならなかった。
それを理解しているのか。これを目のあたりにして何を考えているのか。反省しているのか。
確認するために、ついさっき見つけたブッキングマネージャーの方へ視線を向けた。
「ふごー、ふごー」
「ちょ、柳さん! さすがに寝るのは不味いですって!」
あの人は駄目そうだ。今も、結束バンドの時にも役には立たないだろう。
「……ぐすっ」
虹夏さんも方向は違えど似たような気持ちを、失望を抱いたんだろう。
振り向かずにポケットからハンカチを取り出して、彼女の手にそっと乗せた。
「ハンカチ、よければ使って」
「……持ってる」
「そっか。でも出しちゃったから持っててくれる?」
「…………うん」
僕の拙い言い分を聞き入れて、虹夏さんは両手でハンカチを受け取ってくれた。
彼女がそれを目に当てるのを確認してから改めて考える。これからどうしよう。
いや、考える必要も無いな。見るべきものは見られた。確認すべきことは確認出来た。
これ以上ここにいても、ただ虹夏さんが辛い思いを重ねていくだけだ。
「出ようか」
鼻を啜りながら頷く彼女の手を引いて、僕達はライブハウスを後にした。
ライブハウスを出た僕達は、あてもなく池袋を彷徨っていた。なにせ二人とも土地勘が無い。
帰るか、どこか適当なお店に入るか。一瞬迷ったけれど、虹夏さんは今も半泣きでぐずっている。
これだと変に注目を集めてしまうだろうから、もっと人目の少ない、落ち着ける場所を探した。
そして最後には人気のない、どこか寂れた雰囲気の公園に僕達はたどり着いた。
「温かくて甘いのと、冷たくて甘いの、どっちがいい?」
「……甘いのしかないの?」
「こういう時は甘いのが一番だから」
「じゃあ、温かいの」
「どうぞ。気を付けてね」
その公園のベンチに項垂れて座る虹夏さんに、自販機で買った飲み物を手渡す。
受け取ったそれを両手で握る彼女は力なく、そしてほんの少しほっとしたように零した。
「…………あったかい」
軽く冷ましておいて正解だった。このぼんやりとした感じだと、熱いまま渡したら危なかった。
彼女の様子を注視しながら僕も座る。日が沈んだからか、四月でもベンチはひんやりしている。
温かいの二本でよかったかもしれない。気を紛らわすためにそんな後悔を抱いた。
「……どうしよう」
それからしばらく黙って座っていると、虹夏さんがかすれた声で呟いた。
誰かに聞かせるつもりのない、心から、感情から零れ落ちたような言葉だった。
だから僕は何も言わず、ただ彼女が考えたことを、思ったことを受け止め続けた。
「私、散々みんなのこと乗せちゃった。お姉ちゃんは止めてくれてたのに、意地張って絶対出るって言って、なのに確認もしないで」
「……」
「もうライブの告知しちゃったし、もうチケットも売っちゃった。もう、もう中止になんて出来ない」
「……」
「あ、あんなところでやったら、みんな気持ちが萎えちゃうかも。せっかくここまで頑張って来たのに、新曲もMVも路上ライブも、一緒に頑張ってこれたのに」
そろそろいいかな。
「予行練習になりそうだから、これはこれでいいんじゃない?」
「……え?」
信じられないものを、理解不能なものを見るような、そんな表情で彼女は顔を上げた。
涙で滲む瞳には、今も無表情の僕が映っている。こんな時も動かないのか、こいつ。
僕のことはどうでもいいか。そんなことより彼女を励ますのが、今は何よりも大切なことだ。
「未確認ライオットのライブ審査の内容、覚えてる?」
「えっ、う、うん、もちろん」
「じゃあ問題です。ライブ審査には、普通の対バンライブとは大きく違うところが一つあります」
「え、えっ?」
「それはどこでしょう。五秒以内にお答えください」
「え!?」
ごー、よーん、とあえて間延びした声でカウントダウンすると、彼女は慌てて考え始める。
乗ってくれてよかった。ここで流されたら二人揃って膝を抱えることになっていた。
いーーーーち、と出来るだけ伸ばすと、そこでやっと彼女は答えを出してくれた。
「す、凄く緊張する?」
「違います。正解は、観客の取り扱いです」
「?」
きょとんと僕を見つめる瞳は、涙を少しの間忘れているようだった。
こんなふざけた言い方をした甲斐はあった。第一目標はとりあえず達成出来た。
次は第二目標だ。通じるか分からないけど、この短い間に立てた理屈を聞いてもらおう。
「普通の対バンライブなら盛り上げるのが目的だから、ある意味一緒に演奏するバンドは味方だよね。でもライブ審査は違う。審査員と観客の投票で通過出来るかどうか決まるから、あれは競争、戦いの一種だよ。票の、言ってみればファンの奪い合いになるはず」
僕の長々とした説明に虹夏さんは曖昧に頷いた。もうちょっと頑張ろう。
「結束バンドは本格的に活動してからまだ半年ちょっとで、はっきり言うとファンも知名度もまだまだ少ないよね。だから審査を通過するにはそこで新しくファンを増やすか、他から奪わないといけない」
「……?」
「そして次のライブはきっと、畑違いの人をファンに出来ないと成功するのは難しい」
「あっ」
「奪う、とまでは言わないけどね。これって、ライブ審査に似てると思わない?」
途中で声をあげたあたり、虹夏さんも僕の言いたいことを分かってくれたようだ。
ならこれ以上の説明はくどくなるだけ。冗談も混ぜてこの辺で終わりにしよう。
「そう考えると、虹夏さんは考え無しなんかじゃないよ。むしろ慧眼、計画的かもしれない」
「…………ふふふっ、なにそれ」
「付け加えると二つ先の審査をもう見てるから、実は凄い自信家なのかもしれない」
「もうっ、分かってて言ってるよね!?」
怒ったふりをする虹夏さんは、あのライブハウスを出てから初めて笑っていた。
未だに目は赤いし潤んだままだけど、少しは落ち着けたみたいだ。やっとちょっと安心。
今なら別の話を、これからの話を進めても、きっと彼女も聞いてくれる。
「そういう訳で、今からデータ送るね」
「どういう訳? というか何の?」
「あそこで一緒にライブやるバンド、というより演者の」
メモ帳アプリにまとめていたデータを虹夏さんの携帯に送信する。
演者の名前、ジャンル、当日の順番などなど。軽くしか調べられなかったからその程度しかない。
ずらずらと送られてくるそれらを見て、虹夏さんは再び目を大きく丸くしている。
「いつの間にこんなの調べてたの?」
「さっきちょこちょこっと。凄いよね、バンドはもう一組しかいなかったよ」
「……おぉ、しかもまたデスメタル。屍人のカーニバルってごついな」
他は地下アイドルの天使のキューティクルと、臼井さんという方。
地下アイドルの方はともかく、臼井さんについては何も分からなかった。
SNSもやっていなくて、評判も特に見当たらない。最近活動を始めた人なのかもしれない。
「臼井さんは置いといて、これで他の客層がなんとなく予想つくと思う」
「アイドルファンとデスメタルファン? うわぁ凄い地獄絵図」
「そこに結束バンドのファンも来るよね」
「地獄」
法被を着て団扇を持つ人と、素肌に革ジャンの人に囲まれる一号二号さんを幻視する。地獄だ。
「それでどうやって対策するのかだけど、ごめん、これはちょっと分からない」
「ううん、私も全然思い浮かばないから」
当日は臼井さん、地下アイドル、デスメタル、結束バンドという順番で演奏する。
聴いたことのないセトリだ、想像が追い付かない。対策も同じくついてこれない。
首を傾げても答えは出ない。僕の隣で虹夏さんも同じようなポーズで悩んでいた。
「曲の工夫、は難しいから、それ以外だと挨拶とか?」
「つかみは大事って言うもんね。うーん、MCの工夫MCの工夫」
「……漫才はちょっと、あれだから、出来れば止めた方が」
「どうしてそこはいつも辛辣なの!?」
事実を言うだけで辛辣になるのなら、そこはもう虹夏さん達の問題だと思う。
これを言えばますますなんだかんだと文句が出てくるから、そのまま水に流した。
「僕達二人だけで考えててもしょうがないし、皆と一緒に考えた方がいいよ」
「あー、そうだよね。言いづらいけど言わないと駄目だよねー……」
「大丈夫。皆びっくりはするだろうけど、萎えたり嫌になったりはしないから」
精々リョウさんが、あとで星歌さんが少し弄ってくるくらいだろう。
喜多さんはどこでもキターンとするし、ひとりはどこでも嫌がるから何も変わらない。
虹夏さんもそれは分かっているだろうけど、どうしても勇気が足りないようだった。
「じゃあ、えっと」
「うん」
「その時一緒に来て、一緒に説明してくれる?」
「もちろん」
「ありがとう、よろしくね!」
ぱっと花開くような笑顔を見せた後、彼女は何か思い返すように空を見上げた。
それから突然苦笑いを浮かべたと思うと、次はどこか照れたような笑みで僕を見つめる。
「なんかずーっと、後藤くんには手伝ってもらってばっかだね」
「そうかな? そんな大したことはしてないと思うけど」
「してるよ。リョウが引きこもった時は様子を見に行って、面倒まで見てくれてたでしょ。喜多ちゃんのことも、未だによく分からないけど、色々歌のこととか協力してくれてたみたいだし。それに、今日だって」
膝の上で飲み物を転がしながら、彼女はちらちらと僕の様子を窺う。
「えっとね、こんなに協力してもらってるのに、ただのファンってのも変だと思うんだ」
「……」
その先は読めたから、何も考えずにいつも通りの言葉を用意した。
「だからさ、やっぱりマネージャーやってよ」
「ごめんね、それは出来ない」
未確認ライオットに応募することになって以来、時々言われる、誘われる言葉。
僕が返す言葉はいつも同じで、彼女も残念そうにそっか、とだけ返して諦める。
ずっとそれだけで済んでいた。でも今日は違った、彼女の状態を僕は甘く考えていた。
「……なんで?」
さっきまでのやり取りが嘘だったかのように、冷えた言葉だった。
彼女はその温度を保ったまま、詰め寄るように言葉を続けた。
「こんなに、こんなにいつも助けてくれてるのに、なんで?」
「ファンで友達だから、皆の力になりたいだけだよ」
「それなら、マネージャーになってもいいでしょ」
「よくないよ」
「なんで? どうしてそういうこと言うの?」
「マネージャーは出来ないから。それに別に、今のままでもいいんじゃないかな?」
「そんなの、中途半端だよ!」
中途半端。内心自分でもずっと思っていて、棘のように刺さり続けていた言葉。
とうとう虹夏さんにまで言われてしまった。情けなくて恥ずかしくてため息が漏れる。
「そう、だよね。そう、中途半端は駄目だよね」
「……じゃあ!」
いつかこうなる日が来ると、僕はどこかで予想していたのかもしれない。
それくらいなんてことでもないことを言うかのように、僕は彼女に告げていた。
「もう、こういうのはやめるよ」
虹夏さんが凍り付くのを見ないふりして、僕は続けた。
「今まで偉そうに口出ししてごめん」
「え、な、まって」
「もうしないように気を付ける。もう何も言わないようにするから」
彼女が呆然と漏らした言葉を遮って、矢継ぎ早に言うべきことだけを並べていく。
その途中で我に返った彼女は、勢いのままベンチから立ち上がり、僕と正面から向かい合った。
今顔は見れない、見たくない。公園に転がる落ち葉へ無意味に視線を移す。
「な、なんで、そうなるの!?」
「関係者でもなんでもないのに口を挟むのが、元々どこかおかしかったんだよ」
「なら今からでも、マネージャーでもなんでもなればいいでしょ!?」
「ごめん、それは出来ない」
「……っ! だったらせめて、理由くらい教えて!」
「前ひとりから聞いたと思う。僕は」
「ぼっちちゃんを贔屓するとかなんとか言ってたこと? でもそんなの、どうにだって出来るよ!」
ひとりに伝言してもらったマネージャーを出来ない、唯一皆に伝えられる理由。
元から期待はしていなかったけれど、予想通り虹夏さんにはまったく通用しなかった。
それどころか彼女を更に怒らせ、更にムキにさせて、詰問を重ねる燃料になる。
そして彼女がそれを向けた先は、僕が誰にも踏み込まれたくないところだった。
「それとも、他に何かあるの?」
「言えない。…………言いたくない」
ずっと抑えている理由、言い訳、感情。誰であっても、僕はこれを伝える気は無い。
彼女にも家族にも、僕が他人が嫌いなことを知っている星歌さんと廣井さんにもだ。
小さな声で彼女の懇願を拒絶すると、彼女は同じくらい微かな声でぽつりと零した。
「……私たちが、駄目なバンドだから?」
「違うよ」
「私がこんなだから?」
「違う」
「じゃあなんで!?」
なんで、なんで、なんで。何度も繰り返される言葉。聞きたくない言葉。
言えないって、言いたくないって何度も何度も言っているのに、彼女は聞いてくれない。
クリスマスに彼女自身が言ったこと、断るのにも結構気を遣う。それも分かってくれない。
自分の不誠実さを棚に上げて、ため息が自然と漏れ出ていく。虹夏さんはしつこい。
「…………はぁ」
「ぁ」
「言いたくないって、さっきも言ったよね。いい加減しつこいよ」
「……で、でも! 言ってくれれば、教えてくれれば、私がなんとか出来るかもしれないし」
そして何よりもこの言いぐさが、いや、頭では分かっている、これは虹夏さんの厚意だ、
こんなにも酷く拒絶する僕にわざわざ踏み込んで、その上手まで貸そうとしてくれている。
こうして口論になっている今でさえ、彼女は優しさを僕に見せていた。
そうだ、理解している。これは八つ当たりだ、彼女が知らないのは僕が話さないから。
だけど、それでも、どうしても、彼女の絞り出した言葉がどうしようもないほど癪に障った。
まるで彼女に伝えれば、自分が手伝えばどうにかなるような、解決出来るような口ぶりが。
そしてそんなことは絶対に無いのに、僕の苦痛を、家族の苦労を軽く見られた気がして。
「何もしなくていい、これは僕の問題だ。君には関係ない」
だから、そんな言い方をしてしまった。
「……っ」
息を呑む音に反射的に顔を上げる。僕を映す彼女の目には涙と、微かな怯えが見えた。
立ち上がろうとした足を、伸ばしかけた手を、かけようとした言葉を全て押さえる。
今何をしようとした。どの口で、どの立場で、原因の僕が何をしていいと?
謝る? 謝ってどうする、話すのか。そんなことは出来ない、したくない。
僕は何もせず、何も出来ず、ただ彼女が目尻に涙が溜まるのを黙って見ているだけ。
やがて彼女は袖で乱暴に自分の目を拭うと、僕をキッと睨んで小さく呟いた。
「もう、いい」
そしてもう一度、今度は大きな声で叫んだ。
「もういいよ! バカ!!」
その言葉を残して彼女は公園から走り去った。当然追いかけることなんて出来ない。
あの方向は大通り、まっすぐ道なりに進めば駅に着く。あの状態でも迷いはしないはず。
暗くなってきたけどまだ早い、怪しげな人達の働く時間じゃない。女の子一人でも平気。
追わない、送らない言い訳を積み重ねていく。その度に何か不快なものも胸に募っていった。
念のために星歌さんに連絡するべき。もし虹夏さんの帰りが遅れたら彼女も心配する。
リョウさんにも伝えないと。このままだときっと、明日学校で迷惑をかけてしまう。
そうだ、喜多さんにも話さなきゃ。この大事な時期に、虹夏さんを動揺させてしまった。
もちろんひとりを迎えに行った後、あの子にもちゃんと報告しておかないといけない。
そのためにも早く立ち上がらなきゃいけないのに、どうしてか足に力が入らない。
駄目だ、今はまだ動けない。諦めてなんとなく空を見上げる。星は見えなかった。
それから池袋でのライブの日が来るまで、僕と虹夏さんは一度も口を利かなかった。
当然学校でもだ。彼女と一緒にいるリョウさんとも、ほとんど会話はしなかった。
ただ一度だけチョップと共に、どっちもどっちだから早く済ませてね、とは言われた。
そんな状態でライブに行けるはずもなく、僕はその日何もせずに家でじっと過ごした。
ひとりが教えてくれたところによると、最終的にライブは大成功に終わったらしい。
冒頭のMCで観客の心を掴み、その後の演奏でジャンル違いの人達をも魅了出来たそうだ。
僕が何かをする必要なんてもちろんなかった。分かっていたことを再認識しただけだ。
安心すべきなのに、誇らしく思うべきなのに、どこか寂しく思う自分を恥じる。何を今更。
僕はいなくても大丈夫、何の問題も無い。僕は必要ない。それをもう一度強く刻んだ。
そしてその次の週、ひとりが僕の腕を取って何度目か分からないお願いをする。
「お兄ちゃんも一緒に遊園地行こう?」
「行かない。行く理由が無いよ」
スターリースタッフの慰安兼池袋でのライブ打ち上げのため、週末よみ瓜ランドへ行くらしい。
ただでさえ他人が多い、僕にとって面倒な場所。なにより今は虹夏さんと会いたくない。
リョウさんとも喜多さんともだ。行かない、行きたくない理由だけがいくつも重なっている。
いくらひとりのお願いだとしても、行こうという気持ちは欠片も浮かんでこなかった。
「……どうしても?」
「どうしても。ひとりは楽しんできて」
「………………………………………………………………………分かった」
全身から渋々としたオーラを出しながら、やっとひとりが僕のことを放してくれた。
この子が心配してくれているのは分かる。迷惑をかけているのは申し訳なく思っている。
でも今虹夏さんとの間にあるのは譲れない一線だ。僕はあれを超える訳にはいかない。
僕から手を離したひとりは、鞄から唐突に自分の財布を取り出した。
そこから何かを取り出すと今度は机に向かう。何のつもりか分からない。
聞くべきか藪蛇か。考えを進める前に、ひとりが再び僕の前に立ち上がった。
「お兄ちゃん」
「ひとり、だから僕は」
「こっこれ、お願いします!」
そう言ってひとりが僕の胸に押し付けたのは、予想もしていなかった物だった。
毎年一枚だけあげている、もう今年の分は使って無いはずの、何でも言うこと聞く券。
これはずっとひとりが隠し持っていた、いざという時用の最終手段。人生最後の命綱。
『一緒に遊園地来てください』
そこにはただ一文、それだけが書かれていた。
こういう話は早めに済ませたほうがいいらしいので、
次回「決戦の遊園地」を水曜日に、
次々回「大天使の宣戦布告」を土曜日に投稿します。