喜多さんがヤバいとの連絡を受けた僕は、嫌な予感とともに急いでスターリーへと向かった。
彼女の個性が凄いのはいつものことだけれど、あんなに疲れた虹夏さんの声は久しぶりに聞いた。
資格がどうこう言っている場合じゃないかもしれない。僕は覚悟を決めて入口を開いた。
「お邪魔します。喜多さんが大変だっていったい」
「やだやだ街歩きしましょうよ~! もっと女子高生らしいことしましょうよ~!!」
「お邪魔しました」
「あぁ!? か、一人くん帰らないで!?」
閉めようとした扉を虹夏さんに全開にされ、さらにはひとりに捕まり逃亡は失敗した。
二人がかりでの必死な姿に抵抗を諦めた僕は、そのまま店内に引きずりこまれてしまう。
元から逃げるつもりはなかった、はず。あれはそう、なんというか、本能的な反射だ。
「えっとそれで、喜多さんはこれ、何がどうしたの?」
「患者の容態は青春欠乏症です」
「ごめん、聞いたことない」
さながら助手のようにリョウさんが教えてくれたけれど、そんな病気や症状を僕は知らない。
僕の素直な返事を聞いた彼女はいくらか考えた後、床に転がる喜多さんを迷いなく指差した。
「キラキラが足りないんです! もっと、もっとこう、青春っぽいことがしたいんですよ~!!」
「こんな感じの症状」
「……なるほど?」
そんな相槌とは正反対に、僕はまるでまったく納得出来ていない。これはなんだろう。
喜多さんの振る舞いはただの駄々っ子にしか見えないし、青春っぽいことも分からない。
知らない、分からないことはすぐに聞く。そんなモットーの元、僕はもう一度助手に問いかけた。
「そもそも青春っぽいことって何?」
「……虹夏?」
「えっそれは、あれだよあれ。ね、ぼっちちゃん? って、あ」
「ぐふっ」
「今また消えました~!!」
今消えたのはひとりの命、つまり青春とは命のこと。妙に詩的な表現だ、そして恐らく違う。
馬鹿げた思考を投げ捨てる。僕の予想は何も意味が無さそうだから、虹夏さんの解説を待った。
「最近練習とバイトばっかなのが不満なんだって」
「三次審査も近いし、それは仕方ないんじゃ」
「ちらっ」
「私もそうは思うんだけど、喜多ちゃんはほら、イソスタ欲求があるから」
「そっか。それで我慢の限界迎えちゃったんだね」
「ちらちらっ」
「……ところで、さっきから一人くんのことうざったい感じに見てるけど、何か心当たりある?」
「多分。実はこの間二次審査を突破した次の日に、ちょっとした事件があって」
僕が星歌さんと一緒に佐藤さんと密談をした日、その後学校へ向かう途中のことだ。
突然ひとりから電話がかかってきて僕は心底驚いた。まさかサボりがバレたんじゃ。
でも実際はまるで違う、ひとりの電話はもっと面倒で、もっと大変なトラブルの相談だった。
『……結束バンドって、ロッキンジャポンには出ないよね?』
『う、うん。まだまだ無理』
『えっと、ならなんでそんな誤解に?』
『わ、私も分かんない。最初はちゃんと未確認ライオットの話だったのに、き、気がついたらなんか話が大きく、何故か、私たちがロッキンジャポンに出ることになっちゃってて』
『確認だけどひとりはその話、ちゃんと訂正しようとした?』
『えっし、しようとした、よ? ……でも途中で、凄い褒められて気分良くなっちゃって』
『調子に乗っちゃった?』
『え、えへへ、乗っちゃいました……』
『嬉しかったし楽しかったんだね。うん、ひとりが学校を楽しめてるのは僕も嬉しいよ』
『あっ私も、お兄ちゃんも最近楽しそうで嬉しいよ』
『ありがとう。虹夏さんとリョウさんのおかげだよ。でもそれはそれとして、嘘や噂は広がると大きくなるって、その内取り返しがつかなくなるって、僕を見てれば分かるよね?』
『う、うぅ、ご、ごめんなさい……』
『今回は僕が何とかするから大丈夫。次からは気を付けようね』
『あっありがとう、お兄ちゃん』
『どういたしまして。じゃあ喜多さんに替わって』
『喜多さんも聞こえてたかもしれないけど、誤解なんて早く解いた方がいいよ』
『で、でも先輩、みんな私たちのこと応援してくれてて。ここで何か言ったらものすっごく盛り下がっちゃいます!』
『このままだと臨時の全校集会で、しかも二人きりでライブすることになるんでしょ? どういう結果になるか、喜多さんも想像つくよね?』
『くっだ、だとしても、陽キャは空気を読まないと死んじゃうんです!』
『どうしても出来ない?』
『はい』
『絶対?』
『はい!』
『…………うーん……………………うん』
『な、何を言われても私は』
『郁代』
『引きませ、んよ』
『嘘は、駄目』
『えっあ、あの』
『郁代、嘘はやめなさい』
『あっは、はい。分かりました』
『うん、聞いてくれてありがとう。じゃあ次は校長先生に替わって』
その後は電話を通じて校長先生とお話して、なんとかぎりぎり対処出来た。危なかった。
あのままだと恐らくMCと演奏が駄々滑りして、二人揃って精神を崩壊させてしまっただろう。
せっかく少しは前向きに登校出来るようになったのに、またトラウマが増えるところだった。
「みたいなことがあって」
「それで味を占めたのか……」
それにしてもある程度効くとは思ってたけど、あの思い付きがまさかあそこまでなんて。
そしてここまで引きずるというか、彼女がこんなにまで気に入るとは想像もしていなかった。
いつか廣井さんにしたアレと同じ匂いがする、これもやっぱり危険そうだから封印しておこう。
「喜多さん立って。そんなに転がってると、せっかく綺麗なのに汚れちゃうよ」
「いいんです! こんな、こんな黒ずんだ生活じゃお洒落なんて何の意味も!!」
「服もだけど喜多さんもだよ。ほら、ね」
「えっあっはい」
ぴたりと動きを止めた喜多さんの手を取り、そのまま立ち上がってもらう。
虹夏さんと蘇ったひとりが埃を落としてあげるのを待ってから、改めて確認した。
「それで喜多さん、キラキラした青春が欲しい、でいいんだよね?」
「はい!」
「例えば、どこかに遊びに行くとか?」
「そんな感じです!」
「この間の遊園地は、そっか、僕達のせいでそんな場合じゃなかったよね。ごめん」
「いえいえ! あれはあれで青春って感じがして、凄く楽しかったです!」
「……悪いのは僕、僕達だって分かってるけど」
「うん、釈然としないね」
僕達二人が迷惑をかけた側で、喜多さんはかけられたのに親切にしてくれた側。
その上楽しかったから気にしないで、とまで言って気を遣ってくれている、はず。
にもかかわらず、僕と虹夏さんは揃って何とも言えない微妙な気持ちになっていた。
「でも違うんです! 今欲しいのはああいうのじゃなくて、もっとこう、もっと前向きで、キラキラした分かりやすい青春なんです!!」
「お、お兄ちゃん、そろそろ限界」
「我慢しないでこっちにおいで」
何度も繰り返される青春という言葉に、再びひとりの耐久力が限界を迎えた。
慌ただしく駆け寄って来たひとりの両耳に手を置くと、その上にひとりが手を重ねる。
後藤流二重防御の術、らしい。ほどよく音声がカット出来て、かつ耳が温かくて気持ちいいとか。
とても失礼な振る舞いではあるけれど、目の前で突然死ぬよりはよほどいいだろう。
「ごめんね喜多さん、その分かりやすい青春があんまりピンと来ないんだ」
「さっき先輩が言ってたみたいにどこかに遊びに行く、とかでいいんです! みんなでお洒落な喫茶店に行くとか~、雑貨屋さんでハンドメイドアクセ見るとか~」
「うへぇ」
リョウさんが酷い声を出す。ひとりの耳を塞いでおいてよかった。
「……あー、とりあえずこの後、みんなで下北ぶらつくとかでもいいの?」
「はい! きっとライブ審査に向けて結束力を高めるのにも役立ちますよ!」
「うへぇ」
「それ口癖にするの?」
喜多さんの表向きの狙いとは裏腹に、早速結束力が揺らいでいる気がする。
抗議の鳴き声をリョウさんが上げた。彼女のファンにはとても見せられないし聞かせられない。
その惨状に力が緩み、ひとりの耳から手が離れる。話が終わったと思ったひとりが僕を見上げた。
「えっと、お兄ちゃん、結局どうなったの?」
「この後みんなで下北沢を散歩するらしいよ」
「えっ。……えっ? …………えっ!?」
三度見された。
「ぼっち、気持ちは分かる」
「あっリョウ先輩」
「だからちょっと耳貸して」
「あっはい?」
ひとりが返事をするやいなや、耳元でこしょこしょとリョウさんが何かを囁く。
聞き終えた後も不思議そうに首を傾げるひとりに向けて、彼女は手を打って合図した。
「せーの」
「う、うへぇ」
「妹を変な道に誘わないで?」
いつまでも渋る二人を喜多さんが強引に連れ出し、僕達は下北沢の街中へ飛び出していた。
ちなみに僕も同じように躊躇っていたところを、同じように虹夏さんに引っ張り出されていた。
曰く、約束は絶対だよ? 笑顔の彼女に僕は逆らえない。でもせめて変装と警戒はしておこう。
それから喜多さん希望の喫茶店に寄りつつ、次にリョウさんお気に入りの古着屋へ移動した。
以前ひとりのためにファッションの教えを乞うた時、連れて行ってもらったお店でもある。
あの時と同じく今日も、メンズからレディースまで幅広いジャンルの古着が僕達を待っていた。
はしゃぐ皆を見習いなんとなく古着を漁っていると、ふと横に気配を感じた。
「陛下って服、ずっと無難なままだよね」
分かりにくいけど彼女は僕の全身を、それはもう不満げな様子で観察していた。
今日の僕は白いシャツに黒いパンツ。実際彼女の言う通り無難、印象に残らない服装だ。
何がいけないんだろう。まるで分かっていないことが伝わったのか、彼女は思うままを口にした。
「私の教育がまるで活きていないのが不満」
「あれはひとりのための勉強だから」
「それはそれ、これはこれ」
「おっリョウが一人くんに怒ってる、珍しい。何してんの?」
「不出来な弟子を諫めてる」
「先輩って、リョウ先輩の弟子だったんですか?」
店内に散らばって古着を見ていた二人が、好奇心とともに集まって来る。
ひとりはいない。今も店の片隅で、酷く真剣な様子で古着を手に取っては戻していた。
そうして僕が妹を見守っている間に、リョウさんが二人に説明してくれたようだ。
「確かに後藤先輩はなんというか、いつもシンプルな恰好ですよね」
「うん、今日も無地無地。そういうの好きなの?」
「好みというより、無駄な抵抗?」
揃って疑問符を浮かべる三人に、僕は今日も自分の生態について解説をし始めた。
前提として僕は魔王だ。自分で言っていて、どこの世界のどんな前提なのか意味不明になる。
それはともかく僕は悪名高く周囲に恐れられていて、かつ知らない人からも注目を集める方だ。
だからとりあえず服装だけでも地味にすることで、出来るだけ目立たないよう頑張っている。
「あー、あぁ、なるほど?」
「うーん、でもそれって逆効果じゃありませんか?」
「郁代の言う通り。陛下は顔の印象が強いから、服が地味だとかえって強調される」
そう言った後リョウさんは僕に一歩二歩と踏み込んで、確認するようにじっと顔を眺める。
顔を見られるのも目が合うのもすっかり慣れたけれど、ここまで舐め回されると話は別だ。
今でもちょっとした居心地の悪さを感じる。なんだろうこれ、まさか照れてるとか?
「……うん、ぼっちと同じ。やっぱり陛下もダイヤの原石。おか、可能性の気配がする」
「本当? 死と地獄の匂いがするって言われたことはあるけど」
「私たち同じ国に生まれてますよね?」
僕も昔は不安だった。ひとりはSF、僕はファンタジー系出身じゃ、なんて思う日もあった。
今では生命の神秘を、まだ見ぬ人類の可能性を信じることにしている。理解を諦めたとも言う。
思わず目が遠くなりそうなのを懸命に堪えていると、ひとりの珍しく自信に溢れた声が聞こえた。
「で、出来ました!」
延々と古着を選んでいたひとりが、その成果を僕達へと自慢げに見せつけた。
上から下まで柄柄柄。色合いから何から全てが派手派手で、遠慮も節操も見られない。
今の僕の服装とはまるで正反対だ。なるほど、確かにあれなら顔の印象も薄れるかもしれない。
「じゃあ僕もあの感じに、ひとりみたいにした方がいいのかな?」
「あれはやり過ぎ」
「どう見ても古着キメラだしね……」
「そもそも全身古着だと小汚くなりがちだから、新品に一着合わせるくらいがちょうどいいよ」
「一着、一着。ピンクジャージに合わせる一着……?」
「えっあっあの、喜多ちゃん、この服の感想」
「……いっそ全身剥いた方が早いかしら?」
「!?」
感想を伝える前に、喜多さんがひとりを引きずって行ってしまった。僕は可愛いと思う。
そして僕は僕でリョウさんに捕まっていた。いつにもまして真剣な顔を向けられる。
「無地の陛下に一つ加えるならやっぱり柄もの。好みある?」
「柄の? ごめん、自分の好みとか考えたことない」
「そう。じゃあ私の好みでいくつか持ってくるから、そこから選んで」
「えっと、別に僕は何でも」
「お黙り。いいから師匠の言う通りにして」
「ベーシストの人は弟子取りたがりなの?」
廣井さんもよく分からないけれど、会う度に僕の何かの師匠面をしようとする。
確かに大事なことを教えてもらったから、ある意味人生の師匠とも言えるし、実際思ってもいる。
でもそれを本人に伝えたことは無い。廣井さんはいったい、僕の何のつもりなんだろう。
無意味なことをぽつぽつと考えていると、誰かに肩をちょんちょんと叩かれた。
振り返ると虹夏さんがいて、抱えていた淡い黄色のジャケットを控えめに僕へ見せる。
「ね、一人くん、こういうの好き?」
「えっ。……うん、好き、だと思う」
「よかった。ちょっとじっとしててね」
ハンガーから取り外したジャケットを、彼女が僕の体にそっと合わせる。
サイズは、多分ぴったりだ。古着探すの上手だな、なんて変な感心をしてしまった。
そんな僕達のやり取りを目の当たりにしたリョウさんの瞳が、突然鋭くキラリと光る。
「ほほう、この私の服選びに口を出すとは。虹夏、そんなに私とコーデバトルがしたいの?」
「そんなバトル聞いたことないよ?」
「ふっふっふ、やるからには負けないからね!」
「えっ虹夏さんツッコまないの?」
いついかなる時もツッコミで場を整えてくれた虹夏さんが、今それを放棄した。
こうなるともう駄目だ。全てを諦めて、状況が落ち着くまで身を任せる以外ほかない。
それでもと僕は希望を捨てきれず、準ツッコミの喜多さんへと視線を向けた。
「……これも駄目、あれも無理そう。くっ、ピンクとジャージの主張が強すぎる!?」
「あっき、喜多ちゃん、あっち、あっちでお兄ちゃんたち何かやってます」
「知ってる。凄い気になるし、なんなら私もバトルに参加したいわ!」
「あっなら、喜多ちゃんもあっちにいけば」
「でも私は今、人類史上最大の命題と戦ってるの…………!!」
「あっはい」
駄目だった。
三十分後、兄妹揃って着せ替え人形になっていた僕達はようやく解放された。
「わぁ! 先輩そのスカジャンいいですね!!」
「ありがとう。それでひとりは、変わってない、よね?」
「すみません、私では力不足でした……!!!」
「すっごい悔しそう」
完敗に全身を震わせる喜多さんを前にして、ひとりはおろおろと右往左往としている。
この子もこの子で敗北感を味わっているようだ。服のセンス全否定だからそうもなるか。
震度三のひとりを今日も慰めている間に、喜多さんも無事に立ち直っていた。
「先輩のそれって、リョウ先輩が選んだんですか?」
「うん。よく分からないけど、リョウさんが勝ったらしいよ」
深い藍色を基調として黄色やらピンクやら赤やら、とにかくふんだんに色を使ったもの。
派手ではあるものの下品さは感じられず、むしろ古着特有のこなれもあって落ち着きすらある。
虹夏さんは僕の周りをぐるぐると回ってそれを見た後、納得したようにため息を吐いた。
「あーあ、服のセンスじゃやっぱリョウには敵わないかぁ」
「ふふん。じゃあ敗者たちはこれを着るように」
「えっこれ私たちのですか!?」
「今の二人の恰好に一番似合うのを選んだつもり」
どこか得意げにリョウさんが虹夏さんと喜多さんへ、隠し持っていた古着を渡す。
それを掲げて喜びと驚嘆の声を漏らす二人を見て、彼女は腕を組んでドヤ顔している。
とても気分良さそうなところ悪いけれど、一刻も早く聞かなければいけないことがあった。
「ひとりのは無いの?」
「……………………………………………………………………私では、力不足!!」
「!?」
「滅茶苦茶悔しそう」
無理かもしれない。それでもそろそろ誰かひとりをフォローしてあげて欲しい。
こうして古着屋を後にした僕達は、またリョウさん一押しのお店へと足を延ばした。
三件目ともなるとそろそろひとりの限界が近い。現に今僕の背中にくっついて離れない。
スターリーから出発した時は袖で満足していたことを考えると、かなり消耗している。
最悪死ぬ前に僕達だけでも離脱しようか。結論から言うと、それは完全に杞憂になった。
「リョウ見て! スピードコブラがこんな値段で……!」
「くっくっくっく、これだからハードオプ巡りはやめられんなぁ!」
「うへ、うへへへへっ」
そのお店に着いた途端ひとりは瞬く間に元気を取り戻し、笑顔を溶かし始めた。
リョウさんはお店の前で、ここを音楽好きなら誰でも心躍る穴場スポットと呼んでいた。
その言葉の通り、二人に加え虹夏さんまでもが一緒にはしゃいでいた。そう、喜多さんを除いて。
「……先輩」
「何かいいのあった?」
「……ハードオプでこんなにはしゃぐ人たち、私初めて見ました」
「もしかして、ついていけない?」
「はい」
そう断言する喜多さんの瞳から着実に光が、ここまでに蓄えていた青春が消えていく。
リサイクルショップのハードオプ。そこで安くなった、珍しい中古楽器や機材を探すこと。
盲目的にリョウさんを好む彼女であっても、流石にこれは許容範囲を超えたらしい。
確かにリサイクルショップに、彼女の期待する青春的なものは置いて無いだろう。
とにかく放っておくのは不味い。このままだと振り出しまで、駄々っ子に戻ってしまう。
誰かにお願い、は難しいな。三人ともずっと大興奮のままジャンク品を漁り続けている。
背に腹は代えられない。一つ密かに覚悟を決めて、僕は喜多さんに声をかけた。
「じゃあ皆が満足するまで、ちょっと二人で抜けようか」
きょとんとした顔がぱあっと花開くまで、数秒もかからなかった。
三人に一声伝え、反応が無かったからメッセージも送ってから外に出る。
その後は喜多さんに引っ張られるまま、とあるクレープ屋さんを一緒に訪れた。
なんでもドラマか何かで登場したお店らしい。早速近くのベンチに並んで座り食べてみる。
味はまあ、なんというか、普通だった。美味しいけど、ただのクレープというか。
それでも喜多さん的には大満足だったようで、今もご機嫌そうに口に運んでいる。
ほどなくして二人とも食べ終わると、彼女が不意に悪戯っぽく笑う。何を言われるか分かった。
「先輩とクレープ食べてると、あれ思い出しますね」
「……あれってなんのこと?」
「絶対心当たりある反応じゃないですか。先輩がいつまで経っても約束守ってくれなかったことです!」
「その節はごめんなさい」
諸々の事情を含めても、あれは僕が全面的に悪い。今日も深々と頭を下げる。
でもこれずっと言われるのかな、なんて不安とともに顔を上げると、満面の笑みが待っていた。
「でもまあおかげで、あんないい経験も出来たので。いいです、許しましょう!」
「いい経験って、二月のお泊りの時のこと?」
「はい!!」
ぺかー、もしくはキターン、そんな擬音が聞こえそうなほど輝く笑顔を向けられる。
それは光栄なことなのだけれども、おかげで前々から抱えていた疑問が大きく育っていく。
今は二人きりだしちょうどいいな。我慢出来なくなる前に、一度聞くだけ聞いてみよう。
「………………凄く変な質問してもいい?」
「なんでも聞いてください。先輩ならいいですよ」
「なら遠慮なく。勘違いじゃなければ、喜多さん僕の妹ポジション狙ってる、よね?」
「はい、もちろんです!」
「もちろんなんだ。えっと、どうして?」
僕の心の底からの疑問に、彼女はそれ以上に不思議そうな表情を浮かべた。
「先輩の妹になりたいからですけど?」
「当然のことのように言われても」
「えっ当然ですよね?」
今からでも虹夏さん呼んでこようかな。一人だと手に負えない気がしてきた。
助けを求めて携帯に手が伸びかけたのを辛うじて抑える。流石にそれは二人に失礼だ。
そんな葛藤をしていると幸いなことに、喜多さんが少しだけ理解の及ぶ補足をしてくれた。
「なんてことない話なんですけど、小さい頃友達がお兄ちゃんと仲良くしてるの見るたびにああいうのいいなーって思ってて、昔から憧れだったんです。先輩にもそういうのありませんか?」
「……」
「おっこれはあるやつですね、聞かせてください!」
「…………皆には内緒にしてね?」
ますます光量を増した笑顔で喜多さんが何度も頷いた。そんなに光るようなことかな。
「小学生くらいの時、姉みたいな人が欲しいな、なんて思ったことならあるよ」
懐かしい記憶だ。どうにもならないと既に分かっていたから、両親にも伝えなかった。
それに僕が欲しかったのは姉のような人だった。血の繋がった姉ではきっと意味がない。
遠い思い出に一瞬浸るものの、喜多さんが何か言いたげに自分を指差したから現実に戻った。
「先輩先輩、私私」
「呼ばないよ」
「ちぇー」
不満げに彼女は舌を出す。君は年下でしょ、というか妹になりたいんじゃなかったの?
下手に突けば何が出てくるか分からないから、僕はそのまま小さな思い出話を続けた。
「恥ずかしい話、甘える相手が欲しかったんだろうね」
「わっ可愛い話ですね!」
「そう? 気持ち悪くない?」
「子どもの頃のことですし、それに先輩みたいな人がそういうこと言うと、ギャップが凄くてぐっと来ます! ちなみに、お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんなのはなんでですか?」
「兄だとひとりのお兄ちゃんが増えちゃうでしょ?」
「今のは気持ち悪いです」
正確には外でも甘えられる相手が、僕を守ってくれる誰かが欲しかったのかもしれない。
不安になったら慰めてくれて、悪いことをしたら叱って、いいことをしたら褒めてくれる人。
中学生になる頃にはすっかり諦めたけれど、そんな誰かを僕はずっと求めていたような気がする。
「僕の話はもういいとして。喜多さんならわざわざ僕を選ばなくても」
「?」
「喜多さんならきっと年上の友達も多いから、もっといい兄を選べるでしょ?」
自分で言っててよく分からない。よりよい兄を選ぶってどういう日本語なんだろう。
その意味不明な言葉に喜多さんはぎゅっと眉をひそめてから、そっと僕の傍らに手を置いた。
それからぶつかるような勢いで僕に顔を寄せると、彼女は静かにはっきりと断言する。
「いません」
「そう、かな?」
「そうです。いませんし、いりません」
僕の言葉を断ち切るように、彼女は言葉を続けた。
「先輩だけが、私の兄さんです!!」
「そこは違うよね」
「……誤魔化せません?」
「ません」
てへっと、それこそ誤魔化すような笑みと振る舞いをしながら、彼女は体勢を戻した。
「とにかく私が兄さんになって欲しいのは先輩だけです。自信持ってください!」
「それ、自信持つようなことなのかな?」
「先輩と家族になるのはいつでも大歓迎ってことです!」
それは確かに自信になる。少なくとも僕にとって、家族は人間関係の最上位に位置している。
いつだってそれが大歓迎ということは、それだけ僕のことを信頼してくれているということ。
僕と彼女の家族に関する価値観はきっと違う。僕ほど重たく面倒な気持ちで見ていないはず。
それでも我慢できず凄く嬉しくなってしまった。浮つく僕に、彼女は刺しこむように続ける。
「だから先輩、私ずっと待ってますからね!」
「……えっ?」
「あっでもあんまり女の子待たせると、後が大変ですよ?」
何をどこまで知っているのか読めない、どこか深みのある笑顔を彼女は浮かべていた。
なんとなく去年の今頃を、彼女のことがまるで理解出来ず、恐怖を覚えていたことを思い出す。
今も彼女が分からないのは同じなのに、何故かその言葉と笑みに僕は安心感を抱いた。
「久しぶりに怖い喜多さん見た気がする」
「怖いってなんですか!?」
「あっ皆会計終わったって。そろそろ合流しよう」
「えっちょっと! ちゃんと答えてくださいよー!?」
わたわたと僕を追いかける喜多さんはすっかりいつもの彼女で、怖さは欠片も見当たらない。
道すがら微笑ましい彼女を宥めながら、ついさっき言われた言葉を思い出し、密かに考える。
待ってる、待たせると大変か。ずっと前に聞いていたら、きっとどこかで不快になっていた。
でも今は違う。なんとも言えないその気持ちを胸に、答えを決める日が近付いている気がした。
その後も下北沢のビレバンに行ったり、路上で行き倒れた廣井さんを見かけたり。
色々なことがあったけれど、ひとりも含めて結束バンドはこの日下北沢を思う存分楽しんだ。
おかげで喜多さんのエネルギーは満タンになり、結束バンドはまた一つ危機を乗り越えられた。
「というか喜多さん、さっきの話からするとリョウさんの娘になりたいのは不思議じゃない?」
「何がですか?」
「だって兄姉はともかく、喜多さんにもお母さんはいるでしょ?」
「あぁ、あれは本能です」
「本能」
本能ならしょうがないな。僕は理解を放り投げた。
次回「ライブ審査当日」です。