お昼ご飯の後はすぐリハーサルが始まる。邪魔にならないよう僕は速やかに退散した。
口出しやら関係者やら諸々の事情はあるし、何よりも本番まで楽しみを取っておきたい。
そう思って結局時間ギリギリまで、僕は名目のはずだった廣井さん係を遂行していた。
寝たり吐いたり暴れたり、少しのトラブルはあったけど時間つぶしにはちょうどよかった。
そうして無事開場の時間となり、僕は惜しまれつつも廣井さん係をお役御免となった。
冗談ではなく本当に惜しまれた。岩下さんに至ってはお礼に加え再雇用のお願いまで重ねられた。
ついでに言うと雇用契約書まで出てきた。時給三千円、業務的に高いのか安いのか分からない。
断った時、肩の落とし方凄かったな。そこまで廣井さんのお世話に苦労してるんだろうか。
岩下さんも大恩人だ。給料としてライブのチケットを頂いたから、その日も出来たら手伝おう。
「わっおにーちゃん、この変な生き物なに?」
時間を確認しようと携帯を取り出すと、会場で合流したふたりが目を輝かせて指をさす。
その先にはついさっき虹夏さんからもらったステッカー、けつばんちゃんが微笑んでいた。
「けつばんちゃんって言うんだって。結束バンドのマスコットらしいよ」
「変な顔ー!」
ふたりは結構気に入ったようで、けたけたと笑いながらけつばんちゃんステッカーをつつく。
そんなに楽しいならと、ふたりに携帯を手渡す。あとせがまれたから、喜んで抱っこもする。
満面の笑みになる妹を見て大満足する僕へ、母さんは何故か心配そうな視線を送った。
「かずくんちゃんとお昼食べた?」
「うん。星歌さん、虹夏さんのお姉さんが結束バンドにお弁当作ってくれて、そのついでに僕の分も用意してくれてたんだ。それで皆と一緒に食べたよ」
「あら!」
半音上がった感嘆の声。そこに触れる前に、父さんが疑問の声を上げた。
「だけどお昼時はまだここ、入れなかったんじゃないか?」
「そこも平気。廣井さんが、今日のオープニングアクトのバンドの方が入れてくれたから」
「おぉ!」
父さんも同じ声。なんとなく考えてることは、言いたいことは分かってしまう。
ただしそれと、僕が納得できるかどうかはまったく別の話になる。はっきり言って不満だ。
「……さっきから、リアクション大袈裟じゃない?」
「いやだって、ねぇ?」
「なぁ?」
顔を見合わせて頷き合う二人に、今度はちゃんと不満を言葉にした。
「あのね、いくら僕でもお昼くらい一人で食べられるって。もう十八だよ?」
「だってかずくん自分一人だと、別に食べなくてもいいやーってなるでしょ?」
「それしたの一回だけでしょ、しかも小学生の時。いつもはちゃんと食べてます」
「いつも大体ひとりかふたりが一緒だからなぁ。今日はそうじゃないと思ってたから、心配してたんだよ」
学校以外で妹達とお昼が一緒じゃなかった時、去年までならほとんど記憶にない。
でも結束バンドと出会ってからは外で活動することが、ひとりと離れることも少し増えた。
そして確かにそういう時は、時間や場所の都合で食事を抜くこともたまにはあったと思う。
だけどそれも夏までの話。それ以降は皆が誘ってくれるから、必ずしっかり食べている。
「とにかく、今日も周りの人に親切にしてもらったから僕は大丈夫。心配しなくて平気」
「……ふふふっ、そうよね。お母さんたち余計な心配しちゃった」
「おにーちゃんおにーちゃん、お弁当ってどういうのだったの?」
「カツ丼だよ。今日は勝負の日だから、勝つぞって気持ちで作ったんだって」
「ダジャレ!」
不思議と少し言葉に詰まっていた母さんは、僕がふたりの相手をしている間に元に戻った。
母さんは気を取り直すようにふたりの頭を撫でて、その後僕にも手を伸ばしたから避ける。
さっきも言ったけど、僕はもう十八だ。母親からそんな風に可愛がられる年じゃない。
避けられた母さんは不満そう、じゃなくてまた不思議なことに、今度は満足げに微笑んでいる。
「ひとりちゃんたちは、確か五番目よね?」
「うん。トップバッターが本命のケモノリア、その次に大本命の大槻さんたちって続くから、かなり厳しい戦いになると思う」
「……大槻さんたち?」
「あっごめん、つい癖で。二番目はSIDEROSってバンドで、大槻さんはそこのギターボーカルやってる人」
「一人はその、大槻さんって人とも知り合いなの?」
「知り合いじゃなくて友達だよ」
そう答えた途端、突然父さんと母さんが抱き合い始めた。
「今日来てよかったわ……!!」
「うん、感動した……!!」
「まだライブ始まってないよ?」
びっくりするから急にさめざめと泣かないで欲しい。隣の観客もぎょっとして身を引いている。
僕の横はいつも通り元々空いていたから、これで後藤家の周辺はぽっかりと空いてしまった。
人が多いのにこれは迷惑だ。解決になるかは分からないけれど、とりあえず二人を引き剥がす。
「本当、今日大袈裟過ぎない?」
「だって、ここまで立て続けに子供たちの成長を見せつけられると……!」
「親としてはもう、感動が止められないよ……!」
「だからまだひとりの出番来てないって」
子供たち、間違いなく僕も含まれてることは気づかないふりをする。なんか気恥ずかしい。
僕もそれなりに成長していることは一応自覚している。それでもひとりほどではないはず。
かつてはバンドを組めなかったひとりが、今日はこんな多くの人の前に立とうとしている。
その驚異的な進化に比べれば、僕のどうこうなんて全然気にしなくてもいいと思うのに。
家族と話している内に時間は過ぎて、未確認ライオットライブ審査が始まろうとしていた。
全体MCの口上もすぐに終わり、オープニングアクトのSICKHACKがステージに上がる。
やがて準備を終えた廣井さんはマイクを手に取り、げっぷとえずきとともに挨拶をする。
「うぇぇえ、今日オープニングアクト務めますSICKHACKです……見ての通り二日酔でーす…………出来るだけ我慢するけど、吐いたらごめんね……」
ざわっと、観客席に動揺が走る。今日は廣井さんに慣れていない人が多いようだ。
普段とはまるで違う反応に彼女は大きく首を傾げ、それからぽんと手を打ちMCを続けた。
「あっあぁ、安心して。今日はほら、ちゃんとエチケット袋持ってるから」
ざわめきが増々大きくなった。そして気のせいか、最前列から人が少し減った。
「……さっき言ってた廣井さんって、あの人?」
「あの人」
「……その、個性的な人ね」
「うん」
「あっ変な臭いする人だー!」
去年の文化祭で会ったことを覚えていたのか、ふたりがきゃっきゃっと笑い出す。
母さんは言葉を選んでくれているけれど、あれで今日は随分と理性的で大人しい方だ。
お酒は持ってないし放送禁止用語も出ていない。なんと、観客を気遣う様子すら見える。
「うっわぁ、あの人滅茶苦茶ロックだね!」
そこそこ引く母さんとは反対に、父さんは鼻息荒く大興奮していた。
「おぉ、サイケだ! 今時珍しくていいなぁ」
「しかもバカ上手い! なるほど、一人とひとりが尊敬する訳だ」
「はー、やっぱりサイケはライブに限るね……。この変な酩酊感、CDじゃ味わえないし……」
「始まる前なのになんか満足しちゃった。うーん、最初にこのレベル聴いちゃって、後の子達の楽しめるかな……?」
「いやぁ面白い音楽だね、これ!! エレクトロニックロックって言うんだっけ?」
「若者向けなのは分かってるのに、年甲斐もなくつい乗っちゃったよ。ちょっと恥ずかしいなぁ」
そして腕を組んで何度も頷きながら、さっきからずっと一人でぶつぶつと何か言っている。
ライブハウスでこんなおじさん結構見るな。そういえば、リョウさんもたまにやってたような。
まあうん、凄く楽しそうでよかった。こんなに喜ぶなら、今度のSICKHACKのライブも誘おう。
そんな父さんとは違い普通にライブを楽しんでいた母さんが、唐突に眼を見開いた。
今は一番目、ケモノリアの出番が終わって二番目、SIDEROSが準備をしている途中だ。
そんな注目するところあったかな。疑問を抱えると同時に母さんが僕の腕を何度も引く。
「かずくんかずくん、大槻さんってあのツインテールの女の子!?」
「そうだけど。どうしてそんなにテンション高いの?」
「きゃー、またすっごく可愛い子じゃない!! もう一緒に遊びに行ったりしたの!?」
「聞いてないし。たまに行くけど、それがどうか」
「きゃー!!!!」
「また聞いてないし」
「きゃー!」
母さんの謎の嬌声を真似して、ふたりも楽しそうに黄色い声を可愛らしくあげた。
幸い他の観客も歓声をあげているから、変に悪目立ちはしていない。そっとしておこう。
周りを確認してため息を漏らしそうになる僕の肩を、父さんが慎重に何度か叩いた。
「……あの子滅茶苦茶周り睨んでるみたいだけど、何か嫌なことでもあったのかな?」
「大槻さん本番前は緊張で眠れないらしいから、寝不足で目つきが鋭くなってるだけだよ」
「なるほどなぁ。でもやっぱりこっち、というか一人のこと睨んでる気がする」
父さんの言う通り、というか実際今がっつり目が合っている。そして睨まれている。
嫌なこと、僕を睨むようなことか。なんだろう、まさか控室で声をかけなかったこととか?
僕は今日結束バンドだけの味方だから、ライバルの彼女に色々気を遣ったつもり、ではあった。
今更どうしようも出来ないしいいか。とりあえず手に持った団扇で彼女に意思表示しよう。
「おっ急に目つきが和らいだ。何か秘密のメッセージでも送った?」
「これ見せただけ」
「『頑張って』『応援してる』……結構、その、素直な子なんだね」
「うん。でもそれ以上に、凄い人だよ」
「へぇ」
緩く頷いた父さんの表情が一変するのに、時間はそう必要なかった。
「これは」
「ね、言ったでしょ?」
「あぁ、本当だ。凄いなぁ最近の若い子は」
トップバッターのケモノリア、彼女達は優勝候補の名に恥じない素晴らしい演奏をしていた。
エレクトロニックロックという華やかで明るい、まさに音を楽しむというようなジャンル。
それをああまで見事に演奏すれば、誰であっても彼女達に魅了されてしまうだろう。
事実なんだかんだでSICKHACKが温めた会場の雰囲気を、彼女達は一気に掴み取った。
あの日池袋で感じたようにセトリは非常に大事だ。場の空気でライブの評価は大きく変わる。
SIDEROSはメタルバンド。だから打って変わって強く重い、正反対な曲調になるだろう。
果たして正しく評価されるかどうか。結果から言えば、とても余計で大きなお世話だった。
大槻さんは、SIDEROSは、ケモノリアが残した余韻をものの見事に、しかも一瞬で破壊した。
ついさっきまでケモノリアの音楽に乗っていた観客が、今ではSIDEROSに引っ張られている。
そしてその先頭にいるのは、バンドを、観客を、今会場の全てを先導しているのは大槻さんだ。
怖がりで心配性なのに、緊張で胸が一杯だろうに、それを露も見せない堂々とした歌と演奏。
やっぱり大槻さんは凄い人だ。いつだって優しくて面白くて、何よりこんなにも格好いい。
「本当に凄かった。うぅ、ひとり達は大丈夫かな」
ついさっきの感嘆がそのまま不安になったのか、父さんが無意識のうちに独り言ちる。
フォローを入れようとした瞬間、不意に勘が働いた。これは、不味いな。少しの間席を外そう。
息を殺してそっと家族から離れ、なるべく気配を断つ。周囲の観客は殺さないように頑張る。
直感に従った反射的な行動、結果的に言えばそれは正しかった。父さん達に誰かが話しかける。
「後藤のお父さん、安心して下さい!」
「えっき、君たちは……!?」
「喜多と後藤のクラスメイトで、結束バンド応援実行委員代表です!!」
ひとりと喜多さんのクラスメイト達だ。それにあの子は、お正月の時もいたような。
確か名前は、ささささん、だったっけ? ひとりがそんな風に教えてくれた記憶がある。
曰く、外見通りトップオブトップの陽キャだけど、よく飴をくれる優しい人らしい。
「結束バンドが入賞できなくても、私たちが応援賞一位取って見せるんで!」
そして喜多さんに引けを取らないほど、どこかアクの強さも感じる人のようだ。
やめよう、実際話したことも無いのにこれ以上は偏見だ。とりあえず立ち去るのを待とう。
それから三四番目のバンドが終わると、とうとう結束バンドの出番になる。
僕としてはようやく本命が来たという気分ではあるけれど、会場の雰囲気は少し微妙だ。
一二番目がハイレベル過ぎたせいか、それと単純に疲れからか、一部観客がダレて来ている。
それでも今の結束バンドなら絶対大丈夫。信頼を込めて。ステージ上の彼女達をじっと見守る。
「こんにちはー! エゴサがまったく利かないバンド、結束バンドです! 今日はよろしくお願いしまーす!!」
喜多さん渾身のMCはややウケだ。あれ、虹夏さんのツッコミはどうしたんだろう。
結束バンド最強のお笑い力を持つ彼女は、今ぴくりともせず、何も話す気配を感じられない。
せっかくあれだけコントまでして練習したのに、このままだと凄くもったいない気が。
いや、身動きしないというのは今噓になった。いつかのようにギロリと視線が飛んで来る。
「……また睨まれてるけど、今度も何もしてない?」
「あれは多分、MCに余計な感想を持ったことを怒られてる」
「えぇ……なんで伝わってるの……?」
それは僕にも分からない。虹夏さんは時々妙に勘が鋭い。あれを女の勘とか言うのだろうか。
バレたから一応謝っておこう。頭を下げると、すんとした表情で深く頷かれる。許されたらしい。
その時突然喜多さんがひとりにMCを振る。去年のダイブを思い出して一瞬体に力が入った。
「……ひとり?」
あの時と違うのはあの子の表情。確かに緊張で一杯だけど、そこに絶望は無い。
だからあれは自分から、なんで、大丈夫かな、頑張って、思考と心が絡まっていく。
僕が自分のそれを解くよりも、ひとりが口を開く方がずっとずっと早かった。
「あっえっと、私たちがこのフェスに出ようと思ったのは、こっこの四人でバンドをする意味を聞かれたことがきっかけでした……」
声ちっさ、何の話、震えてんじゃん頑張れー。
観客達のそんな声も耳に届いているだろうに、ひとりはそれでも言葉を続ける。
「そっそれからたくさんライブや練習をして、バンドとして力をつけて……」
唾を飲み込み一度深く呼吸を入れてから、ひとりが顔を上げる。
「あっあの頃より、私は、私たちはずっと強くなりました」
目が、合ったような気がした。
「けっ結束バンドの結束力、観てください」
皆キラキラと輝いていて、酷く眩しくて、何よりも、ライブを楽しんでいるのが伝わって来て。
いつものようにステージを見上げているのに、いつもとは違う、不思議なもどかしさを覚える。
なんだろうな、これ。ライブを楽しみながらも、頭の片隅に違和感と疑問が残り続ける。
無意識に考えて考えて、僕がその謎をやっと解けたのは、結束バンドの出番が終わる頃だった。
「今日は、ありがとうございましたー!!」
皆、楽しそうでいいな。あぁ、そっか。僕はずっと、皆のことが羨ましかったんだ。
ライブ審査が、結果発表が終わり、会場から観客と興奮が去る中、僕は場違いなことを口にした。
「……父さん、一個相談してもいい?」
「いいよ。一個でも何でも、いくらでも言って」
「ありがとう」
母さんは僕の言葉を耳にしてから少し目を瞑ると、にっこり笑ってふたりに声をかける。
「お母さん喉乾いちゃった。ふたりちゃん、一緒に飲み物買いに行かない?」
「行く! ふたりね、オレンジジュースがいい!」
「あっでも、もう中じゃ売ってないみたい。じゃあ外で自販機捜索隊よー!」
「おー!」
そうして二人は僕達から離れて行った。母さんもありがとう。帰ったらちゃんとお礼を言おう。
心の中に感謝をため込んで、改めて父さんを見る。今日も穏やかな、いつもと同じ笑顔だ。
僕が言い淀んでも、ずっと言葉に迷っても、それは変わらない。だから僕もなんとか話せた。
「………………例えば、例えばの話、どうしてもやりたいことが出来たとして」
「うん」
「でもそれをすると色んな人に、大事な人達に迷惑をかけそうなんだ。それを知ってるのに、全部予想ついてるのに、しかも上手く出来るかなんて保証なんて無いのに、余計なことをするだけかもしれないのに。それでも、それでもやりたいなんて言ってもいいのかな?」
「いいんじゃないかな」
僕の長々とした曖昧な相談は一言で、しかもあっけらかんと片づけられた。
「そんな、あっさり?」
「だってどうしてもやりたいんだろう? それならしょうがないよ」
「しょうがないって。そんな無責任に」
「……そうだね。たまには父親らしく、説教でもさせてもらおうかな」
顎に手を当て考え込む父さんは笑顔を崩し、めったに見せない真剣な顔をしていた。
いつも僕達にアピールするようなわざとらしい唸り声は何一つ出さない、静かな思考だった。
だから僕も反論を止めて、父さんが僕に答えを教えてくれるのをただひたすら待った。
「いいかい一人。人間関係なんて、そもそも迷惑の掛け合いだ」
そして出てきた答えは、考えもしていなかったものだった。
「言葉が悪かったかな。頼って頼られて、の方がいいかい?」
「それ全然違う意味じゃ」
「受け取り方次第だよ。そうだなぁ。例えば、ひとりにはいつも迷惑掛けられて面倒だ、とか思ったことある?」
「そんなこと考えたことない。頼られてるって、頼られて嬉しいっていつも思ってる」
「だけど一人が高校生になって一人暮らしをしようとした時、ひとりはそう思ってなかったみたいだよ。お兄ちゃんが家を出てくのは、きっと私のせいだって、あの子はそう言ってた」
下北沢高校へ進学する時、僕は家を出て都内で一人暮らしをする計画を立てていた。
僕が家から離れれば、これまではともかくこれ以上の迷惑をかけないで済むと思っていたからだ。
だから父さんのこの話はあまりにも予想外で、言葉を出すどころか反応も出来なかった。
「私がいつも迷惑掛けてばっかりだから、お兄ちゃん家が嫌になったのかなって。あぁもちろん、僕とお母さんで何度も違うよって伝えて、最後には納得してくれたから安心して」
「……そんなの、全然知らなかった。教えてくれればよかったのに」
「昔の一人が聞いたら、また自分を責めて背負い込むだけだと思ったから。あっ僕が言っちゃったこと、二人には内緒にしてね? お母さんにもひとりにも絶対叱られちゃうから」
緊迫した空気を和ませようとしたのか、あえておちゃらけた言い方だった。
悪いけどそんな気分にはなれない。父さんも察したようで、咳払いの後話を戻す。
「とにかく、一人がひとりに思ってたみたいに、一人の周りにいる人も迷惑だなんて感じない、きっと一人に頼られて嬉しいってなるはずだから」
「自分で言うのもなんだけど、僕は結構特殊な価値観だよ? 皆がそう思ってくれる保証なんて」
「少なくとも僕は、お母さんもひとりも、ふたりだって、それこそジミヘンも喜んで頼られると思うけど」
「家族は、僕もそうだと思う。でも、そうじゃない皆は」
皆は、友達は、結局のところ他人だ。今までずっと僕を遠ざけて、僕が遠ざけて来た存在。
だから大切だと、好きだと思っていても、心のどこかにいつもしこりが残っているのを感じる。
これは疑い、じゃないな。今更そんなことはしない。僕はただ不安なだけだろう。
「そこはもう、その人達を信じるしかないね!!」
「最後は適当なんだ」
「どうやっても人の気持ちなんて全部は分からないから。結局は予測するか、信じるかしか出来ないよ」
「……じゃあ、やっぱり確証なんて無いよね」
「難しいし怖い?」
おずおずと頷く僕へ、父さんは今まで見たことのない、にっと男らしい笑みを向けた。
「だけど、今なら出来るだろ?」
見透かすような、ううん、父さんはきっと本当に分かってる、お見通しなんだろう。
僕の本当の気持ちを、やりたいことを、僕が周りのことをどんな風に思っているかも。
それに僕が相談のためじゃなくて、背中を押してもらいたくて今話しているということも。
女々しさがバレた気まずさと恥ずかしさ、他には尊敬やら何やらで自然とため息が漏れる。
「………………当たり前だけど、まだまだ父さんには敵わないなぁ」
「ふふん、父親の背中の大きさを再認識したかな?」
「家庭内ヒエラルキーはとっくに圧勝してるのになぁ」
「ぐっ。ど、どうして僕はひとりにもふたりにも舐められてるのかな?」
「僕も含めて子供達に甘すぎ。こういうふざけたこと言い出したらちゃんと叱らないと」
「いやぁ甘えられてる感じがして凄く可愛いから、どうしてもつい」
「……僕でも?」
「もちろん。親からしたら、子供はいくつになっても可愛いものだよ」
からかうように頭をぽんぽんと撫でられる。僕はまだ子供らしいから、甘んじて受け入れた。
こういうのを素直に受け止めるのは、いったいいつ以来のことだろう。もう遠い記憶だ。
いつも遠慮して、そこを強引に父さんと母さんがやってくれて、ずっとそんな感じだったような。
「ふふふっ、それにしても、一人もとうとうロックにデビューかぁ」
「あっえっと、やりたいことはそっちでも、僕が演奏したい訳じゃなくて」
「伝わってるよ。えぇと、なんて言えばいいのかな」
父さんが続きを考えて口にするのにはいくらも、それこそ数秒もかからなかったと思う。
考えたというより思い出したというか、思考の根幹を確認したというか、その程度の時間だ。
「周りがどう思っててもやりたいことを、自分の気持ちを貫き通すことを、僕はロックって呼んでる。音楽に限った話じゃなくて大袈裟だけど、そう、生き方の話」
「うん」
「だからその気持ちは、間違いなく一人のロックだよ。大切にしなさい」
「……はい」
もう一度強く頭を撫でられる。妹達には絶対にしない、雑で乱暴で、温かい手つき。
「相談乗ってくれてありがとう。やれるだけやってみる」
「いつでも応援してる。また相談したいことが出来たら、遠慮しないで聞いて」
「うん。もうなるべく遠慮しないようにする」
それで覚悟は決まった。その思いを口にすると、父さんは驚きで目を丸くする。
さっきから僕が驚かされてばっかりだったから、その顔を見てちょっとだけすっきりした。
よし、気持ちが揺らぐ前に僕の答えを、僕のお願いを彼女達に伝えに行こう。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。帰りはどうする?」
「ひとりと一緒に電車で帰ると思う」
「じゃあ決まったら改めて連絡して。あぁあと、あんまり遅くならないように」
「分かってるけど、僕達もう高校生だよ? 心配性だなぁ」
「当然だよ。僕はずっと、君達の父親だからね」
知ってる。僕の誇りだ。
道中大槻さん達に遭遇しながらも、控室には無事辿りつけた。本番はここからだ。
深呼吸を何度かして息を整え、気持ちをなんとか落ち着けてからノックをする。
どうぞー、という虹夏さんの返事を聞き、僕は決意とともに室内に足を踏み入れる。
「皆、お疲れ様」
「あっお兄ちゃん」
「お疲れ様です、先輩! どうかされたんですか?」
「ほら、荷物運ぶの手伝おうと思って」
「いいの!? ありがとう、すっごい助かる!」
「あとは、実はちょっと話があって」
「話?」
「えっとね」
いや、ちょっと待て。よく考えたらこんな話、ライブで疲れた皆に突然してもいいのかな。
いやいや、これは言い訳だ。ただ怖がって後回しにしようとしてるだけ。早く話した方がいい。
いやいやいや、そうは言っても結果が結果だったし。いやいやいやいや、いやいやいやいやいや。
「お兄ちゃん?」
頭の中でぐるぐる回り続けるいやの文字。ひとりの声で正気に戻った僕は、辛うじて口を開いた。
「……こ、これから皆で、打ち上げしない?」
どこか遠くで、父さんがずっこける音が聞こえたような気がした。
次回最終話です。