きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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二人を繋いだ月夜の光

 

 

 

 

 

「……私は本気よ……!」

 

 

 

 

 

「……気付いてよ……!」

 

 

 

 

 

 

「逃げないで……」

 

 

 

 

 

 

「逃げるな!!」

 

 

 

 

 

「……私が、こんなに……」

 

 

 

 

 

「……こうするしか……ないの…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やめろ!!」

 

 荒い息が誰もいない空間に虚しく響く。

 いつもとは違う、一人には大き過ぎるベッドに嫌な汗が染みる。

 

 …………夢、か……。

 

 起こした上体が外気に触れて熱を奪われる。

 乱れた前髪をかきあげ、嫌な気分を落ち着けようとするが、額から止めどなく流れる不快な汗がそれを妨げた。

 

 くそ……!くそ!あの女のせいだ!ようやく忘れかけてきたのに……。

 

 俺はベッドに腰掛ける形をとり、頭を抱えていまだ暗闇の世界で一人、ぐちゃぐちゃになった心を落ち着かせていた。

 

 真冬だというのに、暖房の効いた部屋は俺の火照った体を冷まさしてくれない。

 嫌な汗を流すためにシャワーを浴びようとしたが、どうせならと俺は一つ思案した。

 

 ……走るか。

 

 

 

 

 

 

 

 ザッ……ザッ……ザッ……と砂浜を蹴る度に誰もいない海岸に音が鳴る。ジャージ等のスポーツに適した服を持ってきていないので、冬のジーンズに長袖のシャツ、その上に皮のジャケットという出で立ちで走るが、やはりというべきか運動するには窮屈で、時々ジーンズの裾が邪魔になる。

 軽めのランニングでも右足はいうことを聞かずに、足を砂地に着く度にゴムのような違和感がふくらはぎに残った。

 

 学生の頃に砂浜ダッシュとかしたな……。あん時は真夏だったけど。

 

 昔捨てた思い出がふと湧き上がり、月明かりの寒空に消えていった。

 俺はなんだか無性に腹立たしくなり、ペースを速める。

 

 動け……!動けよ右足!俺はまだ…………。

 

 全力で走ろうとした瞬間、右足が上半身についていかずに前のめりで砂浜に倒れた。

 しょっぱい味とジャリジャリとした不快な食感が口に広がる。柔らかい砂地だったからか、特に怪我もなく痛むところはなかった。右足を除いて。

 

「……トレーナーさん……ですか?」

 

 声がした方を見上げる。

 這いつくばった俺の視線の先には、恐らく今一番見られたくないであろうウマ娘がいた。

 

 何故こんな時間にこんな場所にいるのかと疑問が頭に浮かぶ暇もなく、俺はあわてて立ち上がろうとするが、右足がガクガクと震えて左足だけ立て膝を立て、膝まずく形で固まってしまった。

 

「大丈夫ですか?トレーナーさん。肩お借しましょうか?」

 

「やめろ!!」

 

 彼女は伸ばした腕をビクリと震わせその手を止める。月に照らされたその青い瞳は困惑の色を隠せず揺らいでいた。

 

「……今は、触らないでくれ……」

 

 すまない……。と心の中で密かに謝るが、そんなものが伝わるはずもない。

 

 俺はゆっくりと脚を整えてようやく起き上がった。右足は完全に伸ばしきれずに、ガクガクと痙攣している。

 

「……格好悪いところ見せたな。おっさんが温泉に来て年がいもなくはしゃいでただけだ。忘れてくれ」

 

 うつむいたまま乱れた呼吸の合間にそう呟くが、海辺に打ち寄せるさざ波が俺の言葉をかき消さんばかりにわなないた。

 

「……しかし、今のフォーム、とても素人とは……」

 

 それでもウマ娘の耳には拾われていたらしい。

 俺はグラスと同じ空間に居ることが苦しくなって、構わず横を通り過ぎようとした。

 

 突然視界が落ち、俺の目は砂浜を捉えた。腰が抜けるように膝から落ちたその体はしかし、砂浜を再度舐めることはしなかった。

 温かく、柔らかい感触があった。首下から腰にかけて密着したその体は脇の下から通された細い腕で抱き止められていた。

 

「トレーナー、さ……」

 

 続いて彼女の口から漏れる吐息と体から発せられる石鹸の匂いに混じって女子特有の甘い香りが俺の鼻をついた。

 

「……うっ!」

 

 グラスに抱きついてしまった……!

 

 それを認識した瞬間、俺は吐き気に襲われ、折角受け止めてくれたその細い体から身を捩り、俺は砂浜の上に四つん這いになる形で蹲った。

 辛うじてもどすことは避けられたが、胃の奥から酸っぱい臭いが上り、荒い息の中、何度かえずいてその度に胃からこみ上げる異物を抑え込んだ。

 

「トレーナーさん!」

 

 グラスワンダーの困惑した声が聞こえ、膝まずいて気に掛ける様子が伝わるが、決して触れようとはしない。先程の叱責のせいだろう。

 俺を気遣っているが、どう対処して良いのか計りかねているみたいだった。

 

「人を、呼んできます!」

 

 苦肉の策として彼女は他の人を呼ぼうと立ち上がった。

 

「……待て!」

 

 駆け出そうとした彼女の足が止まる。

 

「大丈夫……だ……。それより、ここにいてくれ」

 

 俺は体を捻って砂浜に尻餅をつく。そのまま体育座りの格好になって月夜の海を見渡した。

 

 陸風が俺達二人の間を通り過ぎ、彼女の綺麗な栗毛を弄んだ。

 

 グラスワンダーは黙って俺の隣に座り、寒空の月をぼんやりと眺めていた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

『潮風の 移りし心寒空に  迷いし道を月は照らさん』

 

 

 

 

 吐く息は白く、湯気のように月明かりに照らされた星空へ吸い込まれていく。

 

 私、グラスワンダーは誰もいない海辺を歩いていた。

 サク、サク、と足を踏み締める度に砂地が鳴き、私の歩みを記録していく。

 厚手のコートに白いマフラー、茶色い手袋と防寒はしてきたつもりだったが、それでも頬を撫でる強い風は小柄な私を冷やしていった。

 

 さて、どうしましょうか?

 

 大きすぎる部屋に落ち着かず、早くに目が覚めてしまった私は海辺に出て、ゆるゆると歩きながら考え事をしていました。

 当面の悩みは二つ。一つは勝負服をどうするか。

 

 ゴールドシップさんの赤い衣装や、シンザンさんの和風の装いも面白いですが、まさか着物を着て走るわけにも参りません。機能的でそれでいて私らしさを表すような服。

 今までは質実剛健。そんな見てくれを求めるよりは実力を伸ばすことの方が重要だと自分に言い聞かせ、また私のトレーナーさんもああいう人だから特に何も言いませんでした。しかし、G1ウマ娘となって注目度が高まるとそうも言ってられません。「自分に合った勝負服を作るのも注目されるウマ娘の責任の一つじゃないかなあ?」と私を挑発したのはセイウンスカイさんでした。

 事実セイさんはすでに勝負服を作り上げ、クラシック戦線に挑もうとしてます。キングさんはすでに一流のデザインで仕上がった勝負服を見せてもらいましたし、一番驚いたのはあのエルでさえ原案まで考えてあとは発注するのみとしているところです。なるほど、質実剛健は大切かもしれません。ですが、周りが皆個性的な勝負服をしているなかで、G1優勝者の私が普通の体操服というのは侮られるだけでしょう。いえ、私が侮られるだけなら構いません。ですが、私のトレーナーさんは勝負服の一つも作ってくれないトレーナーなのかと批難されるような事態は看過できません。

 

 そういうことで、私は慣れないデザインの思案をしながら日も上らぬ朝方から海岸線を歩いていました。

 

 ザッザッザッ、という私のものではない足音を聞いたのはそんな時でした。

 その音のする海辺の方を見やると誰かが走っている影が見てとれます。

 

 ──綺麗なフォームでした。

 

 本気で走っているのではないことは分かりました。しかし軽くとはいえ、走っている中でも体幹は全くぶれず、手のふり、歩幅、姿勢、全てが理想という程に見せつけながらそのヒトはこちらに向かってきていました。ただ一つ、視線を下に向けている点を除いて。

 その人は徐々にスピードを上げながら砂を蹴ります。ですが、スピードを上げる度、右足が僅かずつ遅れていくのが分かりました。調律のとれたオーケストラの中に一点の不協和音が次第に広がっていくかのような彼の走りは、いよいよ全体を崩しだし、とうとう右足を前に出すこと能わず、つんのめるようにして砂浜の上に崩れ落ちました。

 

 私はあわてて駆け寄り、その人の無事を確認します。

 

「……トレーナーさん……ですか?」

 

 倒れたまま顔だけを上げ、月に照らされた砂だらけのその顔は、この半年誰よりも見たであろうその人の顔でした。

 

 彼は私を認めるやいなや急に立ち上がろうとしました。しかし、彼の右足はいうことをきかず、再び崩れるようにして膝まずいてしまいます。

 

「大丈夫ですか?トレーナーさん。肩お借ししましょうか?」

 

 そう言って私はしゃがみ、彼の肩に触れようとしました。

 

「やめろ!!」

 

 今まで聞いたこともないような怒声が海岸に響きます。顔を上げ、いつになく真剣な表情のその目には深海のように暗い影を落としていました。

 

「……今は、触らないでくれ……」

 

 うつむきながら少し柔らかい口調で放たれたそれはしかし、有無を言わせぬ何かを感じさせます。

 

 彼は震える右足を庇うようにゆっくりと起き上がり、下を向いたまま呟くように言葉を発しました。

 

「……格好悪いところ見せたな。おっさんが温泉に来て年がいもなくはしゃいでただけだ。忘れてくれ」

 

「……しかし、今のフォーム、とても素人とは……」

 

 何よりその右足は……?

 

 私の頭の中でいくつも疑念が浮かび、それを質問する前に彼は私の横を通り過ぎて帰ろうとしました。

 

 突如、地面が抜けたようにガクンと彼の顔が落ちたと思ったら、彼の体は前のめりに倒れこみ、私はそれを反射的に支えるような形で受け止めていました。

 

「トレーナー、さ……」

 

 未勝利戦以来となる彼との密着。

 運動したばかりの彼の熱い体温と跳ねる鼓動が皮膚を伝って私に語りかけます。潮の香りに混じって彼の呼気の匂いと男の汗臭さが私の敏感な鼻を刺激しました。

 私は頭がパニックになり何をどうしたらいいのか分かりませんでした。

 頬が一瞬で焼けるように熱くなり、胸の鼓動が急速に早鐘を打つのを感じます。耳はせわしなくパタパタと踊り、尻尾はぶんぶんと喜びを表現していました。

 

「……うっ!」

 

 しかし、それも一瞬のこと。彼は私から逃げるように身を捩ると砂浜に四つん這いになって、吐き気を抑えるように何度もえずいていました。

 

「トレーナーさん!」

 

 数秒遅れて、私はあわてて彼のすぐそばでしゃがみこみます。しかし「触るな」と言われ、事故ながら密着した直後にこのような状態となったのは、やはり私に触れてしまったことが原因だと考えて彼に触らないように見守ることしかできませんでした。

 

「人を、呼んできます!」

 

「……待て!」

 

 埒が明かないと判断した私は第三者を探すために砂浜を駆け出そうとしました。

 しかし、その足は彼の必死の呼び声で止められてしまいます。

 

 振り向いた私に弱々しく懇願するように彼は言葉を紡ぎました。

 

「大丈夫……だ……。それより、ここにいてくれ」

 

 そう言って彼は体育座りでその場に座り込みました。

 

 二人の間を通り過ぎた陸風が彼のクセの強い前髪を揺らしていきました。

 

 波打ち際に押し寄せるさざ波が、貴女も早く座りなさいと追いたてるように響きます。

 

 私はゆっくりと彼の側へ、近すぎず、離れすぎず、適当な距離で同じように体育座りで腰をおろしました。

 

 吸い込まれるようなまん丸の月に魅了され、彼に対する心配事は、ほぅ、とついた私の吐息と一緒に風に靡いて逃げていきました。

 

「……心配かけたな。すまなかった」

 

 水面に反射した月の影がゆらゆらと揺れ、私達を静かにからかっているようでした。

 

「……何、してらっしゃったんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……走ってた」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺はお前に謝らなきゃならないことがある」

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はお前に隠し事をしてた。隠し事をしてたことを隠していたんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それが貴方の隠し事?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それだけじゃ何も分かりません」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……すまん。俺が『今』言えるのはそれだけだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それは貴方自身の問題?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ。……俺が、弱い、から……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……言える時が来たら、その時に言って下さい。本当は沢山聞きたいことありますけど」

 

 

 

 私はゆっくりと彼の方に顔を向ける。

 

 月みたいに吸い込まれそうな彼の瞳が私の心を捉えた。

 

「……人は皆弱いです。私だって……。でも……」

 

 私は夜空に視線を移す。

 

 満天の星空は薄くなり始め、水平線の向こうから明るい光が上り始めていた。

 

「本当に弱い人は自分の弱さと向き合わない人です。だから──」

 

 

 

 

 

 

「貴方は弱くなんかありません」

 

 

 

 

 

 

 少なくとも前よりは。と付け加えて白んできた空を見上げます。

 

 ようやく彼の固く閉ざされていた扉が開いたように水平線から昇る朝陽が私達を祝福しました。

 

「……そうか。ありがとう」

 

 まだ12の小娘が偉そうに何を言うのかと我ながら思いました。しかし、彼はそんな私の言葉を真っ向から受け止めて、あまつさえお礼さえ言います。

 

 ──彼についてきて本当に良かった。

 

 心根の底からそう感じられたのはその時が最初でした。

 

 同時に私のもう一つの悩み事はこの時を境に大きく大きく膨らんでいきました。

 

 

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