きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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この想いは吐息に紛れて

 

 目を覚ます。

 

 ベッドから抜け出す。

 念のためにかけておいた目覚ましを切る。

 

 乱れたベッドシーツの端を引っ張り、皺をなくす。枕の位置をセットし直し、掛け布団を煽ってベッドに入る前の状態に戻した。

 

 隣でまだ寝ているルームメートを起こさぬよう、静かに移動して洗面台に向かう。

 

 蛇口をひねる。流れる水を両手で掬いとり、そのまま顔面めがけて手のひらを押し当てた。

 

 パシャン!という水の音と同時に、顔全体が冷やされ、僅かに残っていた眠気を洗い流していく。

 2、3度それをした後、顔を上げて鏡の奥にいるウマ娘を睨んだ。

 

 栗色の前髪は水滴を湛えて宝石のようにキラキラと装飾した。おでこに残る白い流星が栗毛のウマ娘に特徴を付けている。瞼は少し腫れ、見尻の横には一筋の跡が残っていた。瞳の大半を占める蒼い虹彩は底知れぬ闇を湛えている。

 

 貴女は誰……。

 

 彼女は問う。

 

 私はグラスワンダー。朝日杯フューチュリティステークスの優勝者。栗毛の怪物。ウマ娘の頂点を目指すアメリカ産まれのウマ娘。日本の文化に引かれ、ここまでやってきた。得意な距離は、マイル、中距離。脚質は差しが得意。趣味は茶道、短歌、華道、コケリウム。

 

 私はグラスワンダー──

 

 

 

 『マルゼンスキーの再来』じゃない──

 

 

 

 

 

 誤魔化すように目尻についた跡を手のひらで擦り、昨日のことを否定した。

 

 泣いてなどやるものか。あんな男のために……。

 

 ガチガチと噛み合わない口元に力をこめて無理矢理引き締める。目の奥から込み上がるものを必死に押し止めて鏡の中の自分を叱咤した。

 

 私は寝巻きから着替えようと服に手を伸ばす。視線を下げたところで、藤色のセーラー服が目に止まった。

 

 そうか、昨日は制服のまま寝てしまったのか……。

 

 今さらになって自分が制服を着たまま寝ていたことに気付いた。改めて鏡を見てみると右肩がはだけ、白い肌に鎖骨が浮き出ている。服は所々皺が目立ち、折り目がついてしまっていた。

 

 私はこの制服を着ていくことを諦めて、予備のものに着替え直そうと洗面所から戻ってきた。

 

 寝ていたはずのルームメートがベッドに腰掛けて私を待ち構えていた。何か言いたそうに結ばれた口元は固く結ばれ、青く揺らめく瞳は憂いを帯びている。

 

「グラス、どこに行くんですか?」

 

 すでにマスクを被った美少女は訝しげに私に問うた。

 

「……貴女には、関係ないでしょう」

 

 しんと静まりかえった世界でカーテンの向こうから外の光が侵食しだす。俯いた彼女は膝の上に拳を握り、わなわなと震えだした。

 

「……関係ないわけ、ないでしょう……!」

 

 震える声で紡ぐ言葉に私は自分が驚くほど些かの感動もなかった。

 

「昨日何があったんですか!?グラスずっとここで蹲ってたんですよ!私が帰って来た時からずっと!」

 

 喚き散らしながら向かいにある私のベッド脇の床を指差す。彼女の纏めていない長髪が振り乱れ、光を反射して暗い部屋にキラキラ舞った。

 

「声かけても揺すっても全然反応無くて、私どうしたらいいのか分かんなくて……」

 

「……それで?」

 

 冬の朝。冷えた部屋に響く感情のこもらない返事が返る。彼女はハッとしたあと、ぶるぶる全身が震えだし、目に涙を溜めながら立ち上がって猛然と抗議しだした。

 

「心配したって言ってんですよ!感謝しろとか言ってんじゃないです!相談しろって言ってるんです!頼ってくれって言ってるんです!こんなんなる前になんで何も言ってくれないんですか!私達ルームメートでライバルで仲間で……親友、じゃないですか……」

 

 最後の消え入りそうな声とともに、目尻に水滴が溜まるのが分かった。マスクを付けた彼女は必死に我慢して強い自分を演じているのだろう。

 

 …………キモチワルイ……。

 

 私は彼女のマスクを素早く剥ぎ取る。

 

「隠し事するなと?このマスク取ってから言いなさい」

 

 彼女はマスクをとられた顔を覆いながら嗚咽を漏らして泣き崩れた。

 

 こんなものに頼らなければ何も出来ないあんたと一緒にしないでもらいたい。

 

 私はその場にマスクを捨てると、洗濯してないジャージの入った袋と学校の鞄を持って部屋から出ていった。

 途中で宿題どころか時間割に合わせた教科書が入ってないことに気付いたがどうでも良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザッ!ザッ!ザッ!

 砂利を蹴る音が耳に刺さる。

 凍てつく寒さで鼻がかじかみ、耳の先端は痒くて思わず丸めてしまう。

 

 それでも私は走らずにはいられなかった──

 

 学園近くの河川敷を走りながら誰にも見つかるなと念じながら足を動かした。

 朝早く誰もいない砂利道はきっといつもなら気持ちのいいものだったろう。いつもなら鬱蒼と茂る雑草も冬の冷気にはかなわず、見晴らしのいい川縁を演出している。川面に映える太陽は私の瞳を叱りつけるように突き刺した。

 

 私はなんてことをしたのだろう……。

 

 冷えた頭で思い返しながら、エルへの行いを悔やむ。あれだけの仕打ちをしておいて今さら後悔するなど、愚かな女だと自嘲してしまう。

 

 彼女はただ、私を心配してくれていただけなのに……。

 

 本当に?

 ただ心配してるだけなら良かった。しかし、憐憫の情が少しでもあるなら、それは許されざる行為だ。

 

 ──私は憐れまれるような存在じゃない!

 

 部屋に戻ってからの記憶は無い。

 

 私は何か言っていただろうか?弱気な言動などしていなかっただろうか?

 

  止めどなく浮かんでくるのは自分の体裁のことばかり。他人のことを考える余裕などなかった。

 

 

 

 

 

 ザザッ!ザッ!ザッザッ!

 

 いつの間にか足音が二つになっているのに気がついた。私より少し歩幅の広い足。

 軽く流しているとはいえ、誰かに抜かされるのは嫌だった。

 

 私は少し速度を上げて突き離そうとした。しかし、別の足音もスピードを上げて着いてくる。

 

 なんなのこの人……。

 

 私はさらに速度を上げて振り切ろうとするが、それでも足音に変化は無い。

 いや、片足が明らかに遅れだした。同時に少しずつだが遠ざかっていくのが分かる。

 

 

 

 私の動悸がはね上がるのが分かった──

 

 

 

 振り向くまいと前を睨んで逃げるが、どうしてもスピードが上がらない。

 後ろの気配も必死に追いすがろうとするが、いよいよ足音が乱れ、どんどんと聞こえなくなっていく。

 

 ウマ娘なら簡単に引き剥がせるはずのその足音。弱々しくなっていくそれを聞きながら私は必死になって足を前に運んでいた。

 

 止まるな。止まってくれるな……!このまま…………。

 

 私の足は砂利の上にくっ付いたまま離れなかった。

 

 ハア、ハア。とまるで全力疾走したかのように乱れる呼吸が現実味を持たせない。

 いまだ夢見心地の中で──それも悪夢の──私は顔を腕の袖で一つ拭うと、河川敷に響きわたる大声で叫んでいた。

 

 

 

「私は、マルゼンスキーの代わりなんかじゃない!!!」

 

 

 

「……それが、お前の本音だったのか…………」

 

 

 

 ずるい!ずるい!悔しい!ズルい!なんで?惨めだ。ずるい!私がこんな目に?卑怯者!悔しい!エセ!ずるい!来ないで!悔しい!やめて!ズルい!ずるい!!

 

 俯いたまま、両の手をギュッ!と握りしめる。噛んだ唇から鉄の味がしたのが分かった。

 

「俺は、昔から他人の気持ちとか鈍感だったから、傷付けちまってたんだな……」

 

 いらない!そんな言い訳いらない!

 私を一人にして!ここから去って!

 

「すまな……」

 

「謝るな!!」

 

 滔々と流れる川のせせらぎに、朝の冷気が湯気を湛えて立ち上っていた。

 

「……お願いだから、卑怯者のままでいてよ…………」

 

 視界が見えないのは湯気のせいだ。

 

「………………」

 

 前が見えないのは朝日が目に染みるからだ。

 

 本当は言って欲しかった。私をマルゼンスキーに重ねてるって。

 私のこの想いが勘違いじゃないって、独り善がりじゃないって言って欲しかった。

 

 出会った頃、私を気に掛けてたのはあの人に似てたからでしょ?私に優しくしたのも、私に大切なものを預けたのも、ぜんぶゼンブ全部!

 

「……放課後、トレーナー室で待ってる」

 

 砂利を踏みしめる足音が遠ざかっていく。

 いよいよその音が消え入りそうになった時、私は思わず振り返ってしまった。

 

「あ…………」

 

  そこにいて欲しかった人の影は跡形も無く、私はただ呆然と何も無い空間に白い息を吹き掛けただけだった──

 

 

 

 

 

 

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