きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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『今度こそ』

 

 パンッ!

 

 乾いた音が静寂に響く。

 

 彼女はそのマスク越しにその青い双眸をもって私を睨み付ける。

 

 私はヒリつく左頬に熱が帯びるのを感じながら彼女の瞳をじっと見つめた。

 

「これで貸し借りは無しデス」

 

 二人だけしかいない部屋に私とエルの息づかいが響く。

 

「……本当にご」

 

 突如温もりに包まれる。

 私の謝罪を遮り、エルは私を抱擁していた。

 

「二度も謝らなくていい。きっと一番辛かったのはグラスデスから。これ以上苦しんで欲しくないデス」

 

 私が冷たくした理由も聞かず、彼女はそれだけ言って私を強く抱き締めた。

 

 自分が無礼を働いた相手に気を遣われるという、いつもの私なら許容し難い仕打ちに一瞬心が揺れるが……。

 

 『親友、じゃないですか……』

 

 彼女の言葉を思い出し、私はそっとエルの背中に手を回した。

 

 これが『親友』。甘えても、いいんだ……。

 

 

 

 

「……う、あっ…………。あああぁぁぁ……!!」

 

 堰を切ったかのように流れる涙。

 ここなら泣いていいんだという安心感が私をはしたなく咽び泣かせた。

 

 溜め込んでいたぐちゃぐちゃの想いと一緒に頬を流れていく雫。私は感情を爆発させてひたすらに親友の肩で泣いていた。

 

 エルは無言で私の背中に回した腕で強くだきしめてくれた。時折背中を撫でながら子供をあやすように。

 普段頼りない彼女が今はかけがえのない心の拠り所となって私のことを支えてくれていた。

 

 

 

 美浦寮の一室に響く泣き声は夜中まで続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、私は教室で皆に心配かけたことを詫びた。

 マルゼンスキーさんの訪問は目撃者も多かったことから学園中で話題になっていたらしい。同じトレーナーであることを知っているクラスの娘達には、なんとなく私の不調の原因が分かったらしく、気遣われるように会話をしていた。

 特にエルから先日の騒動を聞いたキングさん、セイちゃん、スペちゃんにはとても心配させてしまったようで、始終気遣うように私と絡んでいた。居心地の悪さはあったが、エルの時と同じように、これも彼女らなりの配慮なのだと受け入れて私はその日の授業を終らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっといいかな?」

 

 下駄箱で靴を履き替えようとしたところで私は声をかけられた。

 

  トレーナーさんからのご配慮で今日の練習は無しになった私はそそくさと寮に戻ろうとしていた。

 練習をしない代わりにトレーナーさんから言い渡された内容は『しっかり休息すること』。自分自身が思っている以上に私は疲れているはずだからと言われた。他の人ならいざ知らず、トレーナーさんの今までの言動からその言葉を信じて私はすぐに走りたい衝動を嚥下し、もどかしい思いを抱きながら自室に戻ろうとしていた途中だった。

 

 声をかけたその人は、黒光りする巨躯を揺らしながら私に近付いてきた。近くで見ると威圧感のある男が、真剣そのものの顔つきで私の瞳を覗き込んだ。

 

「……何か御用でしょうか?金元さん」

 

 少々警戒心を抱きながら訝しげにエルコンドルパサーのトレーナーにそう尋ねた。

 彼は一瞬申し訳なさそうな顔を作ると口を開いた。

 

「少し、君に聞きたいことがある。時間が許すなら付き合ってくれないか?」

 

 親友のトレーナーに対して失礼かもしれませんが、私は正直彼のことを信用していませんでした。朝日杯での私のトレーナーさんに対する態度や私とそのトレーナーには関わるなというエルへの指導など、私、とりわけ私のトレーナーさんへの悪意があるような扱い方に憤りを覚えていたことは確かです。

 

 私は暫し思案した後、念のため人目のあるところならという理由で学食を指定してその申し出を受けました。何を言われるのか分かりませんが、私からもこの人に言ってやりたいことがあるのでこの際だから言ってやろうとも思っていました。

 

「エルから聞いたよ。あいつと一悶着あったんだって?」

 

 椅子に座るなり開口一番飛び出したのはこの言葉でした。昨日の今日で知られるとは、私のルームメートは些かお喋りが過ぎるようです。

 

「……確かに、私からトレーナーさんに乱暴な言葉を浴びせてしまったのは事実です。しかし、今その問題は解消されましたし、そもそも金元さんには関係のないことでは?」

 

 内心ムッとしながら顔には出さず、平静を装いながらそう答えました。

 私の強気な発言で面食らったのか、彼のいかつい顔は驚きで目を見開きましたがすぐに元の顔に戻って続けます。

 

「気分を悪くしたならすまない。だが確認させて欲しいんだが、君がそうすることになった原因はマルゼンスキーさんとカブラギにあるんじゃないか?」

 

 今度はこちらが驚いてしまいました。

 マルゼンスキーさんが来園したのは噂として知っているのかもしれませんが、それが原因であると知っているのはごく一部です。それも推測の域で。

 ですが、彼の言い方は最早確信に近い、ほとんど断定的なそれでした。

 

「…………でしたら、どうだというのでしょうか……?」

 

 この人は何を知っているのか……。

 私の計りかねる領域を目の前の男は知っている。それも私のトレーナーさんのことを。

 薄気味悪さを感じながら私は出来る限り動揺していない素振りでそう返した。

 

「……やはりか。単刀直入に言おう。カブラギは君を見ていない」

 

 瞬間、胸の奥が張り裂けんばかりに暴れだした。

 折角治りかけた古傷にナイフを容赦なく突き立てられたような気がした。

 

「そんなこと、ありません!!」

 

 私の右耳に着いたワッペンがシャラリと音を立てて揺れた。

 

 金元は落ち着けと手でジェスチャーをする。

 

 カフェテリアにいる生徒の目がこちらに集まっていることに気付いた。

 私は一つ咳払いすると居ずまいを正して改めて彼に向き直った。

 

「……ありえません。彼はトレーナーとして私にG1のタイトルを与えて下さいました。貴方の担当バ、エルコンドルパサーを下して」

 

 わざわざ言わなくてもいい親友との勝負を引き合いに出して貶める自分にチクリと良心が痛むがそうでもしなければ今すぐにでも目の前の男を罵倒しそうで怖かった。

 

「ああ、トレーナーとしては優秀さ。俺もカブラギに教えてもらったぐらいだ。しかし、」

 

 そこまで言うと彼は顔を近付け、囁くように私に語りかけた。

 

「あいつはマルゼンスキーさんに囚われてる」

 

 血の気が引き、心臓の音が血管を通じて私の鼓膜を振動させる。

 

「マルゼンスキーさん以降の担当したウマ娘は皆成績自体は良くても彼は個人として見ていない。マルゼンスキーの影を追わせるギミックとしてでしかカブラギの目には写っていないんだ」

 

 ドクンドクンと心の臓が警戒を鳴らす。マズイ。こいつは危険だと。

 テーブルの上に置いた腕がぶるぶる震え、カップの中の緑茶がゆらゆら揺れた。

 

「……貴方は、結局何が言いたいんですか?」

 

 必死に自分の中に浮かび上がるトレーナーへの疑念を否定しながら、私は震える唇でそう問いかけた。

 

「このままだとまた同じことが起こる。前の担当バのようなことも……」

 

「前の……?」

 

 突然出てきた聞き慣れない言葉に私は瞬時に飛び付いた。実際はただ単に話題を変えたかっただけかもしれない。

 

「聞いてないのか?……いや、まあ、話はしないか……」

 

 すると少しの間視線を反らして思案していた男は、意を決したように話始めた。

 

「……本当はカブラギから直接聞くべきなのだろうが、この際だから言っておく。君の前の担当バとカブラギは問題を起こして三年の契約を一年半で打ち切ったんだ」

 

 瞬間、たづなさんから漏れ聞いた『あの事件』の単語を思い出す。彼が私の担当になることを躊躇していたことも。

 

「……それは、一体どういう問題だったんですか?」

 

 この人から聞くべきではない。本来はカブラギトレーナーから聞くべきことだ。それは分かっている。同時に今のトレーナーさんは決して口を割らないだろうということもなんとなくだが理解していた。

 

「それは……分からない。契約を打ち切る程の『何か』があったことは確かなんだが、それほどの大事件なのに不思議と真相を知っている者が驚くほどいない。たづなさんは何か知っているみたいだが、彼女が口外するとは思えないし、噂では担当バとの性的関係になったという話もあったが、こっちは論外だ。君も知っての通り、カブラギはどんなことがあってもそんなことをするタイプじゃない」

 

 それは首肯すべきところだが、金元には言われたくないという思いが口を突いて出てしまった。

 

「貴方が本当にそう思われているのか怪しいものですね。朝日杯でゴール間際に飛び込むようカブラギさんが指示したと貴方も思っているのでしょう?」

 

「俺が?いや、世間一般でそういう邪推をする輩がいるのは知っているが、カブラギさんは間違ってもそんな指示は絶対に出さない人だ」

 

 私が想像していた回答と違い、思わず面食らってしまった。カブラギ『さん』と出た言葉に違和感を感じながら彼は単純にカブラギトレーナーを陥れたいだけの存在ではないということになんとなくだが気付き始めていた。

 

「……まあいいです。それで、貴方は私にどうして欲しいんですか?」

 

「単なるトレーナーとその担当バという関係でいいというのなら俺は何も言わない。ただ、彼のトレーニングは君の体を壊しかねないという忠告だけはしておく。もしそれで満足出来ないというなら、君は担当を変えるべきだ。君が傷つく前に」

 

「……結局、『俺の元へ来い』と。そういうことですか」

 

「いや違う。俺は君を心配して……」

 

「失礼ですが、私この後用事がありまして失礼させて頂きます」

 

 そう言って乱暴に椅子から立ち上がると鞄を掴んで歩き始めた。

 もちろん、この後に用事など無い。ただ、ただでさえ整理のつかない頭の中にこれ以上私を混乱させる要素を持ち込んでこられるのは勘弁願いたいと思っただけだった。

 

 早足で歩く度に耳飾りがシャラシャラと存在を主張した。

 

「あるいはカブラギさんの閉じた心を叩き続けてもらいたい」

 

 背中に聞こえた金元さんの声は消え入りそうなほど悲痛な声色だった──

 

 

 

 

 

 

「よし!いいタイムだぞ。皐月賞の優勝タイムに並ぶ速さだ」

 

 4月。

 

 何者も拒む寒気が春眠に入り、生き物達が暖かい空気を確かめるようにゆっくりと顔を出し始める。

 

 三日寒い日が続き、その後四日暖かい日が続く。啓蟄を過ぎ、三寒四温と呼ばれる寒気と暖気のせめぎあいに振り回される空はいつだって太陽を覗かせていた。

 

「……はあ……。まだ、出来ません」

 

 顎から垂れる汗を拭い、私は悔しさを滲ませる。右足に残る鈍い痛みを隠しながら私はトレーナーさんに抗議の目で睨み付けた。

 

「超前傾のラストスパートか。確かにものに出来れば大きな武器になるが、今のタイムでも十分優勝を狙える。皐月賞まで時間が無い。無理に欲張っていい感覚を無くされても困る。今は2000mの距離やペースを体に叩き込む方が重要だ」

 

「しかし、あの練習はトレーナーさんがいる時じゃないと出来ないんです。我が儘かもしれませんが、自主トレで2000mの練習はしますので今はラストスパートを極めさせて頂くことは出来ませんか?」

 

 超前傾のスパートはリスクが高いという理由でトレーナーさんが見ている時にしか練習してはいけないというルールを設けられていました。それがために私は数少ないトレーナーさんとの練習でその必殺技を体得したいと考えていました。

 

「……駄目だ。そのことに囚われて基礎を疎かにする方が効率が悪い」

 

 彼の言うことは分かります。完成出来るか出来ないか分からない、不確実性の高いラストスパートを練習するよりも地の力を鍛えた方が確実に速くなれる。何より今完成させる必要が無い。そう判断されているのでしょう。

 

 ですが出来ないことを放っておくことができない負けず嫌いの性分が私をすぐに練習させろと駆り立てます。

 何より、スペちゃんやセイちゃん、キングさんといったライバル達に『いいタイム』程度で勝てるのか……。そして何より、朝日杯のレコードを出した私に肉薄したシンザンさんは果たして歴代の優勝タイムを出した程度で抑えられるのか。

 

 私はトレーナーさんとは対照的に内心焦りを滲ませていました。

 

「まあ、全てのメニューをやってそれでも時間が余ってたら見てやる。とりあえず今は休憩してくれ」

 

「…………はい」

 

 私は痛む右足を気付かれないように庇いながらグラウンド脇のベンチに移動して座った。

 

 春特有の生暖かい風がターフの芝を撫で、さわさわと音を立てて流れていく様を見ながら一息入れる。いつまでもラストスパートを修得出来ない自分にやきもきするが、ボトルから一口喉を潤すとすぐに気持ちを切り替える。

 高校三年生が練習場を使わなくなって久しいが、新入生が入ってくればまた前のような活気に溢れるだろうと春休みで人の少ないターフの上を眺めていた。

 

「困るな。取材は学園を通してもらわなきゃ」

 

 トレーナーさんが珍しく腹立たしげに嗜める様子を耳で拾い、何事かと私はその方角に視線を移した。

 

 見ると、そこにはいつぞやの札幌デートの邪魔をしてきた記者がグラウンドの隅でトレーナーさんと話している姿があった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「……駄目だ。そのことに囚われて基礎を疎かにする方が効率が悪い」

 

 彼女は納得していない表情を作るが口では何も言わなかった。

 ラストスパートの練習が出来ないことに不満があるのは火を見るよりも明らかだったが、あれはあくまで『出来る分にはいい武器になる』程度のものだ。俺から提案しておいてなんだが、優先度ははっきり言って劣る。

 実戦で使うにしてもバランスを保ちにくいリスクがある上、長時間の姿勢の維持は出来ず、故にスパートのタイミングも重要になってくる。不確定要素が多すぎるのだ。なにより──

 

「まあ、全てのメニューをやってそれでも時間が余ってたら見てやる。とりあえず今は休憩してくれ」

 

「…………はい」

 

 不服そうな表情を一瞬作るが、すぐにいつもの顔に戻すとベンチの方へと歩いていく。

 右のふくらはぎを見ながら、手元にあるすでに作ってあるトレーニングメニューから負担をなるべくかけない練習にするにはどうするか思考を巡らした。

 

「あの、カブラギトレーナー。少しお時間よろしいですか?」

 

 トレーニングメニューとにらめっこしていた時、ふいに背中から聞き覚えのある声が上がった。

 

「……貴女は、確か乙名史記者」

 

  ロングの黒髪が太陽光を反射して眩しく俺の瞳を射ぬいた。長袖の白のスーツに白いパンツをはいて、彼女はすでに取り出した取材用の手帳とペンを握りしめて俺に向かって前のめりに立っていた。

 

「ご記憶に留めて頂いてありがとうございます。この度、クラシック路線に向かうということを表明されましたが、まずは再来週行われる皐月賞に向けて何か意気込みをお聞かせ願えないかと思いましてお伺いさせて頂きました」

 

「困るな。取材は学園を通してもらわなきゃ」

 

「学園側は二つ返事で引き受けて下さいましたよ。『ウマ娘に配慮してお控え下さい』と言われましたので、ウマ娘に重々配慮してこうやってグラウンドの隅で控えながら、バ生に残る最高の記事を書こうと取材しているわけです!ああ、学園がこんなに生徒思いの対応をし、私の取材力をこんなにも評価して下さっているとは……。すばらしいです!!」

 

 きっと今の俺はとんでもなく渋い顔をしているだろう。

 そうだった。そういえばこの人は人外の妄想力で強めの幻覚を現実に持ってくるなかなか香ばしい方だった。未勝利戦での記事がまともだったから忘れていたが、きっと編集者がこの人の性格を理解してそれなりの文章にしてくれたのだろう。

 

「……悪いが確認のために事務局に連絡してくるから待っててくれ」

 

 そう言ってポケットから二つ折りのガラケーを取り出し、その白い機体を開いて画面を操作した。

 

 ええと、電話帳は……。

 

「私は構いませんよ」

 

 慣れない手つきで十字ボタンを操作している間に、いつ来たのか当の主役が俺の脇に立っていた。

 

「…………!何言ってるんだ!皐月賞まで近いんだぞ。こういうデリケートなもんをレース前に受けるもんじゃない」

 

「ですが、私に取材したいという依頼は前々からありましたよね?それを悉く拒否してるのも知ってるんですよ?トレーナーさんのご配慮と思い、特に何も言わなかったのですが、取材を受けずだんまりというのもファンの方々に対して些か失礼な気がしまして……。それに一度も取材を受けたことがないので単純に好奇心というのもあります」

 

「……お前知ってたのか……」

 

 グラスがそういうことを知っていたというのも驚きだが、それ以上に俺の判断に口を挟んでくるというのにはさらに驚かされた。

 ただの気紛れか、先程の彼女の提案を却下した反抗か。いや、グラスはそんな娘ではない。本当にファンに申し訳ないと思っているのだろう。

 

「トレーナーさん、この件、受けさせて頂いてもよろしいですか?」

 

 これも成長ということか。まだ子供の彼女を手厚く保護してきたつもりだったが、グラスワンダーはその殻を破って一つ大きくなろうとしている。

 

「……分かった。ただし、俺もいる場で、という条件つきだ。もしかしたら俺も口を挟むかもしれん。そこは了承して頂きたい」

 

 下手なことを言わないか心配ではあったが、グラス本人に黙って取材を断ってきた後ろめたさもあったのは確かだった。

 幸い、この乙名史記者は変わった人だが悪人ではない。曲解はするが、えてして故意に悪い意味で捉えたりはしない。恐らく意地悪な質問も。

 

「ええ、私は大丈夫ですよ。むしろトレーナーさんが側にいてくれれば安心出来ます」

 

「私としては願ったり叶ったりです!グラスワンダー選手に直接取材出来たというだけで話題になりますから」

 

 グラス本人からの思わぬ申し出に乙名史は興奮気味に食い付いてきた。今まで取材を断ってきた(ことになっている)注目選手からのアプローチなのだからこれで喜ばなければジャーナリストではないだろう。

 

「分かりました。ただ、トレーニングに集中したいので、質問形式の取材は全てのメニューが終わってからということでよろしいですか?」

 

「それは構いませんが、トレーニングを見学していてもよろしいですか?」

 

 俺は念のためグラスに目配せするが、彼女も構わないといった風だった。

 

「ええ、大丈夫ですよ。他の生徒にも迷惑にならないようにお願いします」

 

 そう言って俺達は日が暮れるまでトレーニングメニューをこなした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めて独占取材受けて頂きありがとうございます」

 

「こちらこそ、練習が遅くまでかかってしまって申し訳ありません」

 

 夜更けの学食には疎らに学生がいるだけだった。こちらとしてもあまり目立ちたくはなかったので願ったりだが、もう飲食を提供していない時間帯なのが珠に傷だった。

 

 それにしても、独占取材にしたつもりはないのだが……。しょっぱなから妄想を爆発させている記者を尻目にグラスは緊張した様子でもなく、淡々と受け答えている。前々から感じてはいたが、胆の座ったウマ娘だと感心させられる。アクシデントが無い限りだが。

 

「いえいえ。カブラギトレーナーの練習メニューを拝見させて頂いてこちらこそ勉強させて頂きました。カブラギトレーナーは厳しい練習で有名でしたが、ここまでとは……。普段もこれ程の練習を重ねてらっしゃるのですか?」

 

「ええ。今日はむしろ軽めでしたかね~。いつもより早く切り上げましたし」

 

「なんと!あれで軽めとは……。ガブラギトレーナーはグラスワンダーさんの体調を考慮し、いく末は有マ記念、ワールドトロフィーシリーズを見据えて今は体を労る判断をしたということですね!すばらしいです!!」

 

 何でこの人はこれ程の妄想を出来るのに自分が気遣われていることに気付けないのだろうか。

 俺は黙って苦笑いを浮かべて、困り顔のグラスと視線を交わした。

 

「……失礼しました。しかしこれ程の強度のメニューをしていて体を壊すことはないのですか?」

 

「ええもちろん。トレーナーさんは私の体調を私以上に理解して的確に管理して下さっていますから」

 

 乙名史の質問を食い気味に応えるグラスは、受け答えをしながらテーブル下の右足にそっと手を乗せた。

 

「グラスワンダーさんはカブラギトレーナーをそこまで信頼なさっているんですね!すばらしいです!!では次に朝日杯フューチュリティステークスに関しての質問ですが、あのレースでシンザン選手を抑えて優勝した気持ちはどんなものでしたか?」

 

「……それは、その…………。すいません。私はゴール直後に転倒してしまい、そのせいでゴールした瞬間の記憶が無いんです。ですので優勝したという実感もありません。次の皐月賞、そこでシンザンさんを含め、ライバル達を抑えて優勝してこそその質問に答えられると思います」

 

 『今度は』本当のことを話したな……。

 

「ああ、なんという方でしょう!朝日杯の優勝など無かったことにして、初心に帰って皐月賞を目指し、その上で高らかにぶっちぎりで優勝することを宣言するとは!その謙虚さと豪胆さが入り交じった回答、とても中学生とは思えません!すばらしいです!!」

 

 いい加減口を挟もうかとも思ったが最早どうでもよくなってきた。また編集の人がいい感じにまとめてくれるだろう。

 

「それでは、皐月賞の最大のライバルはやはり、最優秀中学ジュニア賞を獲得したシンザン選手という見方をしているのでしょうか?」

 

「もちろん、シンザンさんは最大級に警戒すべきライバルの一人です。しかしこの世代では強豪と呼ばれる選手達はほとんどクラシック路線を目指しています。同じ学園でも、スペシャルウィークさん、セイウンスカイさん、キングヘイローさん、ゴールドシップさん、ホープフルステークスでしのぎを削った面々と本当の意味で真剣勝負をする舞台に立つ。これは誰か一人を抑えれば勝てるというような安易なレースにはならないと考えています。つまり、皐月賞に出走するウマ娘は全員警戒すべきライバルということです」

 

「なるほど!全員が全員、グラスワンダーさんには同じ程度の選手に見えるということですね!そして自分に警戒される程のレベルに上がってこいというグラスワンダーさんなりの激励と!」

 

「ただ一つ」

 

 最早乙名史記者の曲解に呆れるだけの俺を尻目に、彼女、グラスワンダーは真剣な面持ちで口を挟んだ。

 

「『今度こそ』私はシンザンさんに勝ってみせます。誰も文句のつけようの無い形で」

 

 静かに、だが凛として絶対に引かないという強い意志を携えて彼女は乙名史の瞳を睨みながらそう答えた。

 

 流石の乙名史記者もグラスの迫力に気圧されたのか、生唾をごくりと飲み込みグラスワンダーの真剣な眼差しを捉えていた。

 

 そうだ……。これこそが『グラスワンダー』。

 

 俺が惚れた──

 

 

 

 

 

 そしてさらに30分程の取材の後、乙名史記者はグラスワンダーの貴重なインタビューを持って帰って行った。結局俺が口を挟むべきと判断した場面は(少なくともグラスの発言に関しては)全く無かったので、俺は閑散としたカフェテリアの悪趣味なインテリアになっていた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「お疲れだったな。感心したぞ。中学生でこれほど緊張せず、そつなく受け答えが出来るってのは立派な武器だ」

 

 学食を出て記者を見送った帰り道。春の夜風に髪を弄ばれながら私達は並んで歩いていました。

 

「お褒めにあずかり光栄です~。ですが、私も結構緊張してたんですよ?どう答えたらいいか考えるのに必死でした~」

 

「そうは見えんかったけどな」

 

「ですが、乙名史さんから『次はカブラギトレーナーにじっくり取材したいです』なんて言わせるなんて、トレーナーさん、実は結構すごいトレーナーなのではないでしょうか?」

 

「『実は』ってなんだよ。俺はすごいトレーナーだろ?」

 

 珍しくおどけて見せるトレーナーさんは何だか無理をしている様に見えてしまいました。私の早とちりでしょうか……?

 

「そうですね。すごいトレーナーです。だから取材を受けるべきでは?どういう質問をされてどう答えるのか気になります」

 

「なんだ。乙名史記者と二人で密着取材も許してくれるのか?」

 

「担当バにそれを止めさせる権利はありませんので~」

 

 そんなこと、本当は許すはずないじゃないですか……。

 でも、私は知りたい。貴方の過去を。遠回しでもいい。私は貴方の過去を知らなきゃいけない。そんな気がしてるんです。

 

 彼はつまらなそうに「なんだよ」と呟くと道端に落ちていた小石を足で蹴った。

 

 暗い夜道に小石は隠れ、ただアスファルトとぶつかる音だけが誰もいない校内に響いた。

 

 

 

 皐月賞まであと14日──

 

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