きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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勝者のいない皐月賞

 

 

 

 

 

 

 

 …………日が暮れる……。

 

 

 

 

 

 

 

 山一つない地平線まで広がる小麦畑に沈む夕日を眺めながら、私はその光景に圧倒されていた。

 

 黄金色に輝く小麦の海が風に揺られて波を立てる。

 ザアアという音がアメリカの大地に染み渡り、7月の温い空気が私の頬を撫でた。

 

 ドクドクと胸を叩く心臓の音と自分の乱れた息が私の鼓膜を刺激する。

 額から流れ出る汗は梅雨の無い乾いた空に飛んでいった。

 

 じくじくと(うず)く右足が私の過去を引きずりだす。

 もう会いたくないと思いながら、私は雨の降ってくれないオレンジ色に焼けた快晴の空を忌々しげに睨んだ。

 

 遠くに見える小さな小屋から人が現れ、目ざとく私の姿を見つけた。

 

「グラスちゃん!もうすぐお夕飯よ!いらっしゃい!」

 

 私は彼女の暖かい申し出に手を降って応えた。

 

 小屋の向こうに沈みゆく夕日を見ながら私は彼女の元へと歩を進める。その道中、一月以上ぶりの走りは自然とあの日のことを否応なく思い出させた。

 

 

 

 

 

 

 

  世界は美しい──

 

 そしてこの上なく残酷だ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足を前後に広げたままターフの上に開脚した姿勢で留まる私。

 

 後ろから次々とウマ娘達がゴールラインを割っていく姿を見ながら、柔軟をしっかりやっていて良かったなどという間抜けな思いが右足の痺れるような感覚と同時に頭に浮かんでいた。

 

 苦虫を噛み潰したような表情で、紺色のジンベエを靡かせながら私を見下ろすのは、僅かに私の先にゴールラインを割ったシンザン。

 

 そっか。私、負けて…………。

 

 彼女を見た瞬間、私の奥底から沸き上がる負の感情。

 同時に目の底から何かがせり上がってきた。

 ボーンとした耳鳴りのような感覚と、鼻を突くツーンとした痛いほどの感覚。

 中山競バ場が青空とともに滲み、我慢しても我慢しても目尻から熱いものが私の頬を濡らしていた。

 

 

 

 …………負けた──

 

 

 

 死力を尽くした。

 

 シンザンを封じた。

 禁止された超前傾スパートもした。

 右足も犠牲になった。

 

 それでも……、それでも届かないのか…………。

 

 呆然とターフに座り込む私に見知ったウマ娘達が駆け寄る。

 

「グラスちゃん大丈夫!?」

 

「足ヤバいんじゃ……」

 

「医療スタッフは何してるの!早く来なさい!」

 

 皆の声が耳に入るが、頭の中は今しがた終わったばかりのレースが走馬灯のようにぐるぐると駆け回っていた。

 

 どうしたら勝てた?どこが間違ってた?シンザンを最後まで抑えられなかったこと?トレーナーの警告を無視して超前傾スパートをしたこと?ハッピーミークに釣られたこと?

 

 幾度も何度でも反芻するが、どこも間違ってないようでどこもかしこも間違っているような気がした。

 

 けれど所詮それは過去のこと。

 自分は負けたという厳然たる『今』があるだけ。

 

 それから逃げたくて何度も今しがたのレースを頭の中でリピートするが、伸ばした右足からの痛みが容赦なく私を現実に引き戻した。

 

 瞬間、ざわめく人影の中で一際大きな影が私の目の前に現れた。

 

 

 

「ボクは、認めない!!」

 

 

 

 何者かと頭を上げる前に彼女の声が上から降ってきた。

 何事かと私を取り巻いていたウマ娘達も口をつぐみ、シンザンの次の言葉を待っている。

 

「この勝負、グラスワンダー、君が勝っていた。……なのに、最後の最後、君は失速した……」

 

 彼女の剣幕に皆、固唾を飲んで見守っている。

 シンザンのその顔は勝者の表情ではなかった。

 

「誰がなんと言おうと君の勝ちだ。たとえ記録に残らなくても……。すまない。本当は愛しい君の体を労るべきはずなのに、今のボクは、それ以上に悔しくて悔しくて……」

 

 そう言って彼女は逃げるようにその場を後にしてしまった。

 私は追いすがるようにシンザンに声をかけた。

 

「違います!アクシンデントも含めての真剣勝負です!だから勝者は貴女なんです!負けたのは私のせい!こんな不本意な勝負にしてしまったのも……」

 

 それ以上言葉は続かなかった。

 そうだ。私が無理をしなければ、こんなしこりが残るような勝負にはならなかった。傷付いたのは私だけじゃない。私は──

 

「あのさあ、お二人とも悪いんだけど、実はまだ順位確定してないんだよね……」

 

 セイウンスカイはそう言いながら複雑な表情で掲示板を顎で指した。

 順位を示すはずのその掲示板に電光は灯らず、沈黙を保っていた。

 

 まさか、競争中止!?怪我があったとはいえゴールしたはず……。いえ、もしかしたらゴールラインを割っていなかった?

 

「どいて下さい!担架着きました!」

 

 混乱する頭が落ち着く前に医療スタッフの方が走りよってきました。

 

「左足を前に持ってきて、仰向けになれるかい?」

 

「あ、はい」

 

 右に体重を傾けて腰を浮かすが、その時右足の脛の辺りから激痛が走った。

 

「ぐっ……!」

 

「無理しないで。右足を痛めてるんだね。じゃあ一回体を持ち上げるから、それで左足を前に持ってきて」

 

 スタッフの人は背後から私の両脇の下から持ち上げてくれたが、やはり右の脛から痛みが走る。それでもなんとか左足を前にやり、やっと仰向けに寝た状態にできた。

 そのまま私は担架に乗せられ、皆が心配する中、医務室へ運ばれていった。

 

 なんだかいつも担架に運ばれてるなというような思いを抱きながら、青く澄んだ空を眺めながら私はそのアナウンスを聞いていた。

 

 

 

 

『第二コーナーにおける危険走行により、シンザン選手の順位は降着する決定をしました。優勝は4番グラスワンダー。2着、スペシャルウィーク、3着ゴールドシップ…………』

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「グラス!!」

 

 医務室に雪崩れ込むようにして入った俺の目に写ったのは、ベッドに横たわった担当バの姿だった。

 今日のために新調した衣装は土で汚れ、その右足は青く腫れ上がっている。接ぎ木で応急処置を施されたそれは軽度の怪我でないことを強調していた。

 

 横になったまま俺と目があった彼女はすぐに申し訳なさそうに目を臥せてしまった。

 

「すいません。トレーナーさん。忠告を守らずこんなことに……」

 

「怪我は!?どれぐらいかかるんだ!?」

 

 俺は思い詰めたウマ娘にづかづかと詰めよって遮るようにその言葉をぶつけた。

 

「ちゃんと検査しなければわかりませんが少なくとも頸骨、腓骨ともに骨折。全治までに最低でも三ヶ月以上はかかりましょうな」

 

 いつの間にいたのか、いや俺が気付いていなかっただけか、ベッドの隣に佇む医師らしき人物が残酷な事実を突き付けてきた。

 

「………………」

 

「…………さん……か、月……………」

 

 やっと絞り出した言葉。とても次のダービーには間に合わない。ひきつるように口角が痙攣し、二の句が告げなかった。

 

 頭の中が真っ白になる。

 

 思考が追い付かず、酷い目眩とキーンという耳鳴りが頭の中を支配した。

 

 ふと眼下を見ると、栗毛のウマ娘が申し訳なさそうに耳を畳み、目を腕で隠しながら、ごめんなさい。ごめんなさい。と呟くように嗚咽を漏らしていた。

 

 それを見た瞬間、俺は頭の中に熱した油を注ぎ込まれたような感覚を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけんな!!!」

 

 体が勝手に動いていた。

 俺の目の前には胸ぐらを捕まれ、上体を壁に押し付けられたウマ娘が苦し気な表情を浮かべている姿があった。

 

「次はダービー!ダービーだぞ!!一月後だ!!お前は走るんだよ!お前は三冠をとるんだ!!じゃなかったら今日の勝ちも無価値だ!!なんとしてでもダービーに出て勝て!!お前がマルゼンスキーの代わりに……!!」

 

「止めなさいカブラギ君!!」

 

 強く肩を掴む力とともに聞き慣れた声が俺を正気に戻す。

 首だけ振り向いた先にかつての担当バだったウマ娘が真剣な眼差しで俺のことを睨んでいた。

 

 頭が真っ白になる。

 脳内に流れ込んでくる俺とグラスの先ほどのやりとり。

 天井に取り付けられたカメラの映像を見せられているような俯瞰した光景から繰り広げられる暴挙に俺の肌が泡立つのが分かった。

 

 首をゆっくり戻す。

 乱れた栗色の髪を顔に張り付けながら、堪える瞳からそれでもボロボロと涙を流すグラスワンダーの顔があった。

 何かを必死に耐えるように下唇を噛み、血が滴り落ちるその口元は強く噛みすぎて半分笑っているようにも見える程口角が上がっていた。ぶるぶると小刻みに震える体からは、悔しさ、切なさ、悲しさ、様々な感情を押さえ込んでいることが分かったが、その思いは無情にも彼女の瞳から止めどなく流れ続けていた。

 

 俺は彼女のその表情を見た瞬間、全身の力が抜けるように胸元を掴んでいたその手を離していた。

 ズルリと滑り落ちる音とともにグラスの顔は下に落ち、俺は腰が抜けてその場に崩れ落ちそうになったところをマルゼンスキーに抱えられるようにもたれ掛かった。そしてベッドから引き剥がされた俺はマルゼンスキーに医務室の壁にへたりこむように座らされた。

 

「なんてことをするんだね!彼女は怪我人だよ!トレーナーなら……」

 

 医者のおっさんが何か言っているが耳に入ってこない。

 チラリと視線ベッドにを向けたが、下から見上げる形となり、ウマ娘の表情は見えなかった。

 

「聞こえる?カブラギ君。落ち着いて。見て。私の眼を」

 

 すぐそばまで近付けた心配そうなマルゼンスキーの視線が俺の瞳を射ぬく。

 俺の脳裏についさっき見たグラスワンダーの悲痛な顔が彼女の顔に被ってフラッシュバックした。

 

 

 

 ──俺はなんてことを…………。

 

 

 

 瞬間、俺は強烈な吐き気を覚えて口元を押さえた。同時に自分でも信じられない程の力でマルゼンスキーを突き飛ばすとそのまま医務室から飛び出し、トイレへと直行していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……酷い…………。ヒドイよ……。……トレーナーさん…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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