きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

24 / 59
トレーナー失格

 

「ふざけんな!!!」

 

 ダアン!という壁に叩きつけられる音と同時に私の背中に衝撃が響いた。ギリギリと締め上げる首元が気道を詰まらせる。足の痛みを忘れるくらいに何が起こったのかと頭の中はぐちゃぐちゃに混乱していた。

 

「次はダービー!ダービーだぞ!!一月後だ!!お前は走るんだよ!お前は三冠をとるんだ!!じゃなかったら今日の勝ちも無価値だ!!なんとしてでもダービーに出て勝て!!お前がマルゼンスキーの代わりに……!!」

 

「止めなさいカブラギ君!!」

 

 息苦しい呼吸。背中から伝う冷たい壁の熱。右足に響く鈍い痛み。

 私はマルゼンスキーさんが声をかけるまで何が起きたのか理解が追い付かなかった。

 

 ……トレーナー、さん?

 

 …………ダービー?出られるわけない……。それどころか、元通りに走れるように回復するかも…………。

 

 ……無価値……?それは私だけじゃない。死力を尽くしたシンザンさんもスペちゃんもゴールドシップさんも…………、みんなみんな無駄だと言うの?……私のせいで……?

 

 マルゼンスキーさんの……代わり…………。わた、私はマルゼンスキーさんの、代替品じゃ……な…………な、い………………。

 

………………………………

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼がマルゼンスキーさんからゆっくりとこちらに振り返るまでの間、私は何を思っていただろう?何を感じていただろう?

 

 少なくとも不本意にも優勝した今日のレースではなかった。故障した右足のことですらもなかった。

 

 きっとそんなことが霞むぐらいに、私の心は────

 

 

 

 

 

 振り返ったトレーナーさんは何を見たのだろう──?

 

 まるで悪い夢から覚めたように、彼は目を見開き呆然とした彼の顔を見た瞬間、私の脳裏に様々な光景が駆け巡った。

 

 雨に打たれていた私に傘を差し伸べて出会ったあの日。

 次の選抜レースで勝って初めて名前を呼んでくれたあの時。

 メイクデビューで負けてドア越しに誰にも見せず、悔しげに一人で苦しんでいたあの夜。

 初めてのデートで買ってくれた私の蹄鉄。

 未勝利戦の時、自信を失った私の背中を押してくれたあの人の言葉。

 朝日杯、ゴール直後の私に誰よりも早く駆けよってくれた彼の顔。

 温泉の砂浜で見せた貴方の弱さ。

 雨の日なら必ず見つけ出すと言って貴方が贈ってくれた耳飾り。

 

 

 

 全部、ぜんぶ、ゼンブ────

 

 

 

 

 マルゼンスキーさんの代わり(・・・)だからしたの────?

 

 

 貴方の目に、カブラギさんの瞳には最初から、グラスワンダー(・・・・・・・)はいなかったの…………?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にかカブラギさんはおらず、私はまたベッドの上に横たわっていた。

 先ほどのお医者様が私に何か言ってたみたいだが何も覚えていない。

 胸の中心にぽっかりと穴が空いたように、寒々とした空間が心臓の辺りに広がっていくのが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……酷い…………。ヒドイよ……。……トレーナーさん…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 水洗の音と同時に俺の胃に拒絶された内容物が流れていった。

 残ったのは男の荒々しい息遣いと鼻を突く胃酸の臭いだけだった。

 

 少し落ち着きを取り戻した俺はトイレの個室から出て洗面所に向かった。バタンという無機質な音が俺の背中に響き、誰もいない男子トイレに流れていった。

 

 蛇口の前に手を差し出す。赤外線が異物を確認し、それに反応して蛇口から水が流れ出した。水の流れる音をしばし聞いた後、おもむろに体を前に出して流水に両手を差し出した。

 

 手をこするわけでもなく、ただ上から下に落ちる水の大群に手を任せ、俺はまだ冬の気配を残す水の冷たさに感じ入った。

 

 

 

 ──愚か……。なんて愚かさだ…………。

 

 

 

 俺の中にグラスをマルゼンに重ねる想いがあったことは否定はしない。そして三冠を期待していたことも。だがグラスワンダーを一人の独立したウマ娘として俺は扱ってきた。それが自分の本心だとも……。

 

『グラスはグラスだ』

 

 過去に自分に言い聞かせたその言葉を今一度口に出してみる。しかし、そこには何か空虚で寒々とした薄っぺらさが漏れ出たような気がしてならなかった。

 

 ふと視線を上げ、鏡に映りこむ男の姿を覗き込んだ。

 今日のために仕立てたグレーの背広に黒に近い紺色のネクタイが白地のシャツに映える。いつも生えている無精ひげは綺麗に剃られ。癖毛でうるさい前髪はワックスで無理やりオールバックにされていた。

 

 誰だお前は──。どの口がっ────!!

 

 

 

 ガシャン!!

 

 何かが割れるような音が響く。目の前の鏡にはヒビが入り、何人もの『俺』が自分を睨んでいた。強く握った拳から焼けるような痛みが走り、鏡にめり込んだ指先から赤い液体が滴り落ちていくのが分かった。

 

 欺瞞!騙り!詐欺!!

 

 あれ(・・)がお前の本音か!本性か!?

 

 情けない……。俺は自分自身にも嘘をついていたのか……。それにも気づかず、彼女を騙し、傷つけた。

 

 

 

 指導者、失格────

 

 

 

 

 

 

 

 

「カブラギさん!どうされたんですか!?」

 

 トイレのドアが開く音と同時に女性の声が耳を突いた。

 俺は振り向きもせずうなだれるように下を向き、排水溝に流れ込む流水をただ見つめるだけだった。

 

「手を怪我してるじゃないですか!早く手当てを……」

 

 男子トイレに無遠慮に入り込み、俺の手を取って心配そうな声をあげた女はそのまま俺の手を引っ張って外に連れ出そうとする。しかし、俺はその手を雑に振りほどいてその場に留まった。

 

「……ここは男子トイレですよ。うら若い乙女が入ってくるもんじゃない」

 

 下を睨んだままそう吐き捨てる。今はとても彼女の相手をしている余裕などなかった。

 

「出すぎた真似をしてしまいすいません。ですが……この鏡は貴方が……?」

 

「………………」

 

 何も言わなかった。言う必要もなかった。今はただ一人にしてほしかった。

 

「……何か、あったんですか?医務室から飛び出したところを見かけたので、ついてきてしまったんですが……」

 

 俺はそこで初めて女の顔を盗み見た。

 

 少し青みがかった黒髪のボブカットに幼さが残る顔。眉は怪訝そうにひそめ、何か言いたそうな口元は中途半端に開き、その瞳は心配そうに俺の方を見つめていた。

 

 俺は桐生院から視線をそらし、ポタポタと血が滴り落ちる洗面台に目を落とした。赤い血は洗面台に残る水滴と混ざりあって絵の具のように滲みながら白いアクリルを滑って排水溝に吸い込まれていった。

 

「……マルゼンスキーさんの大声も聞こえたのですが……。もしかしてグラスワンダーさんと」

 

「関係ないだろ!!」

 

 思わず声を荒げてその先を止めた。しかし、震える唇から漏れたのは他の誰でもない、自分自身から漏れ出た弱さだった。

 

「……俺は……俺があいつを、傷つけたんだ。誰よりも支えになってやらなきゃならないはずなのに…………」

 

 いくら名門とはいえ、こんな新米トレーナーに見せる姿ではなかった。それでも俺の言葉は洪水みたいに溢れるように口から自然と出ていった。

 

「……情けない……。俺は自分が情けない……。あの時と同じだ」

 

『私は、マルゼンスキーの代わりなんかじゃない!!!』

 

「俺は何も出来ない。担当バの力になってやれないばかりか、傷つけて足を引っ張るだけ」

 

『……お願いだから、卑怯者のままでいてよ…………』

 

「やはり俺はあの日学園を去るべきだった。俺はただグラスワンダーという才能を潰しただけ……」

 

「止めて下さい!!」

 

 背後から衝撃が走ったかと思うと、柔らかな感触が背中を包んだ。

 

「私が憧れたマルゼンスキーさんを育てた貴方も私の憧れなんです。そんなこと言わないで下さい……。それに、少なくとも、グラスワンダーさんは貴方を選んだんです。それ以上は彼女の気持ちも裏切ることになるんですよ……。至らないですが、私もお力添え致します。私に出来ることなら頼って下さい」

 

 『裏切ることになる』?すでに、これ以上ない程に裏切ってるじゃないか!?

 

 桐生院が抱きついた衝撃で再び蛇口から水が流れる。それが途切れる前に俺は腰に抱かれた彼女の細い腕をそっと離して桐生院に向き直った。

 

「お気持ちは……ありがとうございます。ですがこれは俺とグラスの問題です。それに貴女はシンザンとハッピーミークという優秀なウマ娘の才能を伸ばすことが第一です。他人の、それもライバルになりえる俺達に尽力するもんじゃない。そんな余裕もないはずです。お気持ちだけ、受け取ります」

 

 俺は努めて他人行儀に断りをいれた。

 そうしたのは、桐生院の淡い恋心を察したからか、それともまだ欠片でも残っていた先輩トレーナーという下らないプライド故か…………。

 

 俺はそのまま桐生院を残し、出口へと歩を進めた。

 

「いつでも、頼って下さい……」

 

 桐生院から離れる間際、背中から掠れるような小さな声でなおも彼女は俺にその言葉をかけていった。

 

 出口の扉が閉まる直前、ピチョンと水の弾ける音が耳に届いた。

 

 

 

 勢いでトイレから出た俺は、はたと廊下の真ん中で立ち止まってしまった。

 

 ……どこだ?ここは……?

 

 医務室から無我夢中で飛び出してきてしまった手前、どこがその医務室なのか分からなくなってしまったのだ。幾度と足を運んだ中山競バ場とはいえ、医務室付近には来たことがなかったため勝手が分からない。

 

 所在なくウロウロと通路をさまよっていると、

 

「あ!カブラギさん、早く来て下さい!もう準備出来てるんですよ!」

 

 何やら聞き慣れた声が背中から響いた。振り向く間もなく腕を引っ張られ無理矢理連行される形になる。

 足早な歩調に合わせるのに一瞬戸惑うが、少し落ち着いてその後ろ姿を見ると、先日学園にまで密着取材をしてきた乙名史記者だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!どこに連れて行く気だ!?」

 

「何言ってるんですか……。優勝記者会見ですよ!グラスワンダーさんはドクターストップですから、トレーナーの貴方がいないと始まらないんです!」

 

  足を止めることなく、顔だけ振り返りながら彼女は呆れたように言い放った。

  考えてみれば当たり前のことだ。シンザンは降着してグラスワンダーが皐月賞を制したのだから記者会見ぐらいあるに決まっている。ただ、俺の頭の中はそんなことを考えられるほどの余裕が無かったのだ。

 

「待ってくれ!俺は医務室に…………」

 

 医務室に……?

 

 行って?行ってどうする?

 あんなことをしでかした後で、のこのこグラスの前に戻れるのか?

 

 どの面下げて……、まだグラスワンダーのトレーナーのつもりか…………?

 

 少なくとも、あいつはもう──

 

「さあ着きましたよ!クラシック三冠の一つなんですから、責務は果たして下さい」

 

 乙名史は扉の前まで俺を連れてくると、(たし)なめるようにそう言ってその扉を開けた。

 

 …………謝ろう。この会見を終えたら、いの一番に医務室に行ってグラスワンダーに頭を下げるんだ。それが、トレーナー以前、人として最低限の礼儀だろう。あいつが許すか許さないかは別にして。いや、期待なんかするな。ただ、真摯に謝る。それしかない。

 

 俺は腹の底にそう覚悟を決めて、ゆっくりと記者たちのフラッシャが待ち構える会見場に歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かに扉を開く。

 アルミ製の扉はその軽い音に反して、開くのを拒むように、嫌に重く感じた。

 

「……グラス、改めてお前に謝っておくべきことが…………」

 

 意を決して弾き出したその言葉はしかし、誰もいない医務室の中に虚しく吸い込まれていった。

 

「君は、グラスワンダー君のトレーナーだね。グラスワンダー君はここにはいないよ」

 

 先ほど見た記憶のある、おそらくこの医務室の医師であろう白衣を着たおっさんが俺にそう話かけてきた。

 

 誰も乗っていないベッドは俺の滑稽さを嘲笑っているようで、心の底からもやもやとした感情が湧きおこった。

 

「一体どこに行ってたんだね?先ほどから君は……トレーナーとしての自覚が……」

 

「グラスは!?どこに行った!?」

 

 医務室に一人だけ残されたこの部屋の主に詰め寄る。俺の突然の詰問におっさんは面食らったような顔をして急にしどろもどろになった。

 

「な、なんだね!さっきから君は乱暴が過ぎる!トレーナー以前に社会人として……」

 

「うるせえ!!グラスワンダーはどこだ!!」

 

 一喝され、詰め寄られたおっさんは視線を右に左にと動かしながらどもるように答えだした。

 

「……あの、娘は近くの病院に、搬送された。○○病院だ」

 

 俺は礼も言わず、すぐに踵を返して医務室を後にした。携帯で病院を検索しながら通用口を歩く。一目散に出口へ向かい、自動ドアを出て車が置いてある駐車場へと足を運ぼうとした時、突然腕を掴まれ呼び止められた。

 

「カブラギさん、どこ行くんですか?気付かないフリなんかして理事長に失礼ですよ」

 

「祝!今日は目出度い日だ!そう目くじらをたてるな、たづな。今日ぐらい大目に見てやろうではないか!」

 

 気付けば学園で嫌でも顔を合わせる二人の顔があった。たづなさんとやよい理事長。

 どうも出口の目立つ所に待ち構えていたみたいだが、今の俺にはそんな二人すら目に入らないほど焦っていた。しかし、俺の腕はたづなさんにしっかりと掴まれ動かすことすら出来ない。とても女性とは思えないほどの力だ。

 

「なんですか?こんなところに二人揃って。悪いですが俺は急いでるんです。話なら後で聞きますから離して下さい」

 

「そうはいきませんよ!毎回毎回、面倒なことになりそうな時はいっつもそうやっていなくなるじゃないですか!今回ばかりはそうはいかせませんからね!」

 

 ギリギリと俺の腕に食い込む手はまるで万力に挟まれているような錯覚さえ覚える。一体この細身のどこからそんな力が湧くのかと思ってしまった。

 

「勘弁してくれ!今回はマジだ!急いでるんだよ!離してくれ!」

 

「ダメです!!」

 

「たづな、行くぞ!カブラギを連れてこい」

 

「はい、理事長」

 

 俺は引きずられるような形で連行された。たづなさんに連れていかれる道中、しきりに解放してくれるよう懇願したが、とても人とは思えぬほどの力で腕を締め上げられるだけだった。

 理事長の愛車(免許は持ってない)である黄色いパッソの後部座席に押し込められ、そのまま発進してしまった。

 俺は左腕を隣に座るたづなさんにがっしりと腕を組まれた状態で車に揺られていた。助手席には今日の皐月賞について嬉しそうに語る理事長。初老の運転手は理事長の話しに適当に相づちをうちながら安全運転をしていた。

 

「……いい加減離して下さい。もう逃げませんから」

 

 こうなったら断固として見逃してくれないのは今までの経験上分かっていた。そもそも動いている車上から逃げるのは自殺行為だ。

 

「本当ですか?信号で止まったところで飛び出そうとか思ってません?」

 

「するわけないでしょ。第一、走って逃げたところでたづなさんには敵わないですよ。だから……もういいでしょう?」

 

「へ?なんのことですか?」

 

 キョトンと俺の顔を覗き込むたづなさんを尻目に、俺は左腕を思い切りふって、彼女の拘束から逃れた。

 

「……当たってんですよ……。さっきから……」

 

 二の腕に残る柔らかな感触を振り払いながら、俺は呟くようにそう諭した。

 

「…………あら、すいません……」

 

 口元に手を当ててすまないと言う。しかし、その顔は頬を赤らめているが、何故か嬉しそうだった。

 一体何が嬉しいのかと訝しむが、切った右手の痛みに気付いて本題を思い出した。

 

「……で?理事長様までわざわざおいでになったのは、皐月賞を見学しにきただけではないのでしょう?俺を拉致した目的はなんです?」

 

「おお!そうであった!カブラギトレーナーを呼び出したのは他でもない、頼み事があるからだ!」

 

 頼み事……?まあ、この人の『頼み事』はほぼほぼ命令なんだよな……。

 

「それで、その『頼み事』ってのは何です?まさか寂しいから一緒に学園まで帰ってくれって訳じゃないでしょ?」

 

「ハハハ!それも一興だが、勿論違う。学園に帰ってからゆっくり話そうと思ってたのだが、まあいいだろう。カブラギトレーナー、折り入って君には再来年開催予定のURAファイナルズ大会運営の総監督になってもらいたいのだ!」

 

 

 

 

 

「………………は?」

 

 

 赤信号で止まった車の前を、何も知らない人達が車道を横断していった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。