きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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きっと貴方のことが好き
グラスワンダーのささやかな願い


 

「Homecoming...」

 

 聞かれる前に答えた。

 黒人の入国審査官は気だるそうにその巨体を揺らすとエルに持ってこさせたパスポートをチラ見した。

 私とパスポートを交互にみやりながら口に含んだガムをクチャクチャとだらしなく音を鳴らして噛み続けている。

 

 日本のスタッフレベルの差に辟易とするが、それ以上に私はこの場から早く離れたくて仕方なかった。

 

「...Then,where are your parents?aren't you with?(で、君の両親は?一緒じゃないのか?)」

 

 淀みなく通過していた審査ゲートは私のところでその流れを止めた。

 

「No.They are waiting me in this lobby.(いえ。ここのロビーで待ち合わせてるので)」

 

 こんな質問をされるのは想定内だ。日本人と比べても背が低い方な上に、アメリカ人からすれば童顔。なによりパスポートにははっきりと生年月日が書かれている。私の年齢から言っても国をまたぐには若すぎた。

 

 彼は脂肪の詰まった顔でこちらに目を滑らせると軽く頷きながら認証のスタンプを押した。

 

「...O.K.Have a good day.(……なるほど。よい日を)」

 

 アクリル板越しに返されたパスポートを受け取ると私は松葉杖をついてその場を後にしようとした。

 

「Hey!」

 

 びくりと体が強張った。

 ヒト一人しか通さない狭い通路にぎこちない姿勢で立ち止まり、振り向きもせず耳をそばだててその人の言葉を待った。

 

「Recently,youths are involved in troubles.Be careful!Horsegirl.(最近若い人の事件が多いんだ。気を付けなよ。ウマ娘さん)」

 

「...Thanks...(……どうも……)」

 

 言葉とは裏腹に、振り向いたその先には訝しげな顔がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*以下【】書きは実際は英語です。

 

【バッッッカじゃないの!?ううん、バカ!完全にバカ!大バカ!!】

 

 思わず立ち上がった妹のワンダーアゲインは店に響く大声で私に捲し立てた。日が落ち、暗くなった町中で煌々と電気を灯すハンバーガー屋に人は少なかったが、皆一様に何事かと視線が集まるのが分かった。

 

 先ほど頼んだ久しぶりの本場のコーラもハンバーガーも今の私の口に入る余地はなく、私は俯いたまま視線だけを彼女の方にやって【はしたないから座って……】とか細く呟くしかなかった。

 普段の私との違いにアゲインは物悲しげな表情でかぶりを振ると力なくソファーに身を預ける。

 綺麗な鹿毛の長髪を後ろで結び、ポニーテールにした髪がもたれた背もたれにサラサラと流れ、前髪に光る一筋の流星が蛍光灯の光を反射して彼女の端正な顔を彩った。

 

 公衆電話から聞こえた久しぶりの妹の声は驚きで溢れていた。予想外の帰郷に彼女は急いで来てくれたのだろう、普段なら服装に気を遣う妹が有り合わせの普段着という出で立ちで私を出迎えてくれた。松葉杖をついて歩くのがやっとの私の姿を見たアゲインの顔が今でも私の脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

【……はあ。呆れた。お姉ちゃん見境ないとこあると思ってたけど、こんなに考え無しだったとは思わなかったわ】

 

 私とは違いアメリカ人らしい妹は遠慮なくづけづけと物を言う。それが助かる時もあるが、今はただ私の胸をえぐるだけだった。

 

【そもそも、なんでパパとママには内緒なの?家でゆっくり話すればいいじゃん。わざわざこんなとこに呼び出してさ……】

 

【それは……、ごめんなさい。でもね、私、カブラギさんのことは諦めたけど、ウマ娘の頂点に立つ夢は諦めてないの。いつか必ずドリームトロフィーリーグで頂点に立てれば……】

 

【じゃあトレセン学園は退学しないの?】

 

【それは…………】

 

 私が答えあぐねていると、アゲインは一つ大きなため息をし、呆れた顔で言葉をかけた。

 

【あのね、お姉ちゃん。私たち未成年のウマ娘がレースの舞台に立つためにはトレーナーが必要なの。そんで、優秀なトレーナーは名門学校お抱えがほとんど。独立してやってるトレーナーで世界でも通用するなんて片手もいないわ。少なくともここアメリカは皆無。仮にアメリカで入学し直してレースをするっていってもこっちはダートが主流よ。もちろん芝のG1も少ない。じゃあヨーロッパ行く?また入学費用と留学費パパに出してもらわなきゃいけないよ?だったら黙ってるってわけにはいかないでしょ?それともそのカブラギサンってトレーナーのいるトレセン学園に戻るの?】

 

【……………………】

 

 一気にまくしたてるように話す妹に気おされる。何も言い返せずに頭の中が色々な心配事でわやくちゃになってしまいそうになるが、何故か私はそれら一つ一つを冷静に受け止めていた。

 

【はっきり言ってあげる。お姉ちゃんね、そのカブラギサンのこと諦めきれてないんだよ】

 

【そんな!そんな……ことは…………】

 

 アゲインの言葉が胸に突き刺さる。しかし嫌な心地はせず、どこかで自分の心の一部が軽くなるような気がした。

 

【頭のいいしっかり者のお姉ちゃんが私でもすぐ思いつく問題何も考えずに飛び出したなんて思えない。グラスお姉ちゃんはね、わざとこういう問題に気が付かないフリしてなるようになれって飛び出しちゃったの。カブラギサンがアメリカまで追いかけて来てくれるって思ってない?】

 

 会いたい……。会いたくない……。

 

 カブラギさんの名前を聞く度に私の中でゆらゆら揺れる想い。

 たまらなく不快だった。

 こんな優柔不断な自分が許せなかった。

 

【両親に迷惑かけて、トレセン学園に迷惑かけて、カブラギサンに迷惑かけて、それでも……】

 

【それでも!!……私は…………捨てたの……。トレセン学園を。カブラギさんを……】

 

 引かない……。引けない……!

 揺らぐ心を引き締め、私は声に出して決意を口にする。

 

 逃げ道を自ら塞ぐために──

 

【……もうこうなったらてこでも動かないんでしょ?知ってるよ】

 

 彼女は諦めたように一つため息をつくとさらに言葉を続けた。

 

【じゃあせめてさ、家に帰ろうよ。もう遅いしさ】

 

【ごめんなさい。それも出来ない。ウマ娘の頂点を獲るまで家の敷居はまたがないって決めてるの】

 

【何言ってるの!?そんな足でどうするっていうの!?お医者さんに診てもらわないと駄目でしょ!今だって辛いの分かってるんだから!】

 

 じくじくと傷む右足。本来ならいまだ吊るされているはずのそれはきっと血が溜まって細胞を殺していっているのだろう。右足から這い上る疼きに、心も体も侵食されていくようだった。

 

【無理はしない。今日はモーテルで休んで、それから落ち着ける場所探すから】

 

【ダメ!絶対ダメ!!最近ウマ娘を狙った犯罪が多いの。ウマ娘を無力化する薬が出回って油断してる娘らを誘拐したりレイプしたりする事件が起きてる。そんな足じゃお姉ちゃんすぐ狙われちゃう。私、お姉ちゃんに何かあったら…………】

 

 言葉に詰まるアゲインの目に、うっすらと光る雫が浮かんでいた。

 

【……やだよ…………。お姉ちゃん、もっと自分を大事にしてよ……。お願いだから……お家に、帰ろうよ……】

 

【………………アゲイン……】

 

 堰を切ったかのように瞳から溢れる涙を手で擦りながら妹はぐすぐすと泣き出してしまった。

 幼い頃は泣き虫だったのは確かだけど、こんな風に人前で泣くのを見たのは本当に久しぶりだった。そしてこんなにも引き下がろうとしないのも。

 

 こうなった私は頑として自分の意見を譲らないことを知ってる。それでもなお愛しい私の妹は私の身を案じて泣いて懇願してくれたのだ。

 

 

 

 ──それでも。

 

 

 

【帰らない。私はもう決めたの】

 

 静寂(しじま)に響く女子特有の高い声は容赦なく妹の胸に突き刺さった。

 

 いよいよ彼女は泣き出してしまい、閑散とした店内に押し殺した嗚咽が木霊していた。

 

【……バカ……。……バカ…………】

 

 耳を畳み、泣きながら力なく罵るアゲインの姿は否が応でも私の胸を締め付けた。

 これ程に人を傷つけ、心配させ、迷惑をかけて私が得られるものはなんだろうか。それとも私が守ろうとしている矜持か。

 

【……本当にごめんなさい。アゲイン。貴方は帰りなさい。パパとママに私は元気にやってるって伝えて】

 

【やだ!……ひっぐ……!お姉ちゃんが帰るまで、ひっ……。……帰ら、ないもん……!】

 

【いい加減にして!我が儘言わずに帰りなさい】

 

【……どっちが、我が儘よ……!バカグラス……!!……ひぐ…………。じゃあなんで……私だけ呼び出したのよ!…………バカ……バカ……!】

 

 私は一つため息をついて項垂れた。

 

 まるで子供同士の喧嘩だ。いくら妹といえど、今年から中学生になるのにこんなことで大丈夫だろうかという別の心配事が増えてしまった。

 いや、そもそもアゲインの言う通り発端は私の我が儘だ。ただそうだとしても家に帰るつもりはないし、だからといって妹をここに置いていくわけにもいかない。

 一歩も引こうとしない彼女に辟易としながらも、昔のアゲインと重ね合わせながら、こんな状況ながら一時でも救われた気分になれた。

 

 どれくらい経っただろう。項垂れたまま目を閉じ、どうしたものかと考えあぐねていると、ズズ……ズズ……。という聞き慣れない音が耳に入り思わず顔を上げる。

 そこには泣きながら注文したコーラを両手で抱えながら、ストローで最後の一滴まで吸い出そうとするワンダーアゲインの姿があった。

 

【……涙出て喉渇いた。……バカ姉貴…………】

 

 聞かれてもいないのに一人でぶつぶつ呟く妹を思わず見てしまい、吹き出しそうになるのを間一髪のところで堪えるのがやっとだった。

 

【……いる?】

 

 まだ口をつけていない私の分をアゲインの前に差し出すと、彼女は目尻を手の甲で擦りながらそのコップを引き寄せた。

 

【…………いる。あんがと……】

 

 ストローでチューチューと吸う姿は一年以上離れてイメージの中にしかいなかったはずの妹と何も変わりなく、私は自然と頬が緩むのが分かった。

 チラと時計を見るともう夜の10時を回っていた。もうこんな時間では電車も走っていない。

 

【……もう遅いから、今日は私と一緒に近くのモーテルで泊まろう。明日になったら病院に入院してちゃんと足を治療してもらう。約束するわ】

 

 私がそう提案すると、アゲインはストローから口を離さずにコクコクと頷く動作をした。

 愛しい妹がコーラを飲み干す姿を確認すると、私は不慣れな松葉杖を使って無理矢理立ち上がった。

 

 カランカランとドアの取り付けられたベルが私達を見送るように挨拶をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────二週間。

 

 

 

 

 この期間が何を意味しているのか私は分かっているつもりだった。

 

 トレーナーとその担当バの契約が自然解消するために必要な期間。

 トレ選学園校則5項13条。『特別な理由が無い限り、十四日以上一切の活動報告が無ければトレーナーとその担当ウマ娘間で交わされた担当契約は破棄される』。

 きっとこんな校則が実際に適用された例は無いでしょう。どんなに関係の希薄なトレーナーとウマ娘でも二日以上活動を報告しないことなどありえない。練習をしない休息日ですら、その休息を報告しなければいけないのだから。

 実質的に死に項目になっているこんな校則、スぺちゃんもエルもスカイさんも……キングさんはあるいは知ってるかもしれない。それでもほとんどの生徒はまずこんな校則は知らない。あるいはトレーナーでさえ……いえ、あのカブラギさんならきっと知ってるでしょうね。

 それならばこの二週間、カブラギさんに見つからなければ少なくとも私とカブラギさんの関係は解消される……。そうなればきっとトレーナーさんも私のことを諦めて、新しい担当バを…………見つけて、トレーナーとして……私じゃない別の娘と…………。

 

【お姉ちゃん!】

 

 はっとして頭を上げる。そこには心配そうに私を覗き込む妹の顔があった。

 

 時折ガタンガタンと揺れる車体。道路の整備が追い付いていないのが分かる。

 

【大丈夫?お姉ちゃん顔色が悪いよ。具合悪い?】

 

【ごめんなさい。ちょっと時差のせいでボーッとしてただけ。何も心配ないから】

 

【本当?足が痛むんじゃないの?】

 

 先程まで若干痒みがかった右足は、今じくじくと鈍い痛みに変わりだした。脈を打つ度に痺れるような痛みが上り、脳に危険信号を送り続けている。

 

【……大丈夫。私は平気だから】

 

 やんわりと笑みを浮かべてみせる。

 努めて平静を装うが、額にじんわりと汗がにじんでいるのが自分でも分かった。

 

 アゲインは眉間に寄せた皺を解くことはなく、じっと私の顔に張り付いた作り笑いを怪訝な顔で見つめていた。

 

【嬢ちゃん本当に顔色わるいぞ。病院行った方がいいんじゃないか?緊急外来なら夜更けでも受け付けてくれるぞ】

 

 防弾ガラス越しに運転手さんがそう切り出した。青い印象的な瞳がバックミラー越しに私たちを見ているのが分かる。

 

【お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ。翌朝、病院で必ず診てもらいますから】

 

 未だ心配そうに私を覗き込む妹に聞かせるように穏やかにそう答えた。

 

【そうかい。……まあ、金もかかるだろうしな……。家でゆっくり休むんだぞ】

 

 白みがかった頭をかきながら初老の運転手は前に集中し直した。

 ここアメリカでは保険制度が十全に整っていないために診療にも多大な医療費がかかる。緊急外来となればなおさら。ましてやヒトより若く見えるウマ娘とはいえ、私達は一目見て未成年と分かる風貌なのだから運転手が口をつぐんだのは当然だったかもしれない。

 

 タクシーは田舎道をガタガタと揺らしながら飛ばしていく。街灯のない暗闇の中をヘッドライトだけを頼りに進むタクシーは自棄になってあてもなく暴走しているように感じた。

 

 

 

 

 

 

【本当に大丈夫かい?嬢ちゃん達】

 

【だいじょぶ!悪いヒトが来たら私が追い払ってやるんだから!おじさんありがとね!バーイ!】

 

 タクシーから降りた後も心配してくれる運転手にアゲインが元気よく礼を言いドアを閉めた。

 そういえば外国のタクシーは自動でドアが開閉しないんだった。などと日本の便利さに毒されたことを思いながら私は松葉杖でようやく立ちながら頭を下げて一礼し、タクシーを見送った。

 

【お姉ちゃん、こっちはお辞儀なんかしたって伝わんないよ。ちゃんと言葉に出さなきゃ】

 

【……そういえばそうね。おじさんに失礼なことしちゃった……】

 

【いいのいいの。『お金あんまりないんだ~』って言ったらまけてくれたし。すごい優しかったから気にしてないと思うよ】

 

 私の知らないところで抜け目のない行動をしているのは変わってないらしい。人のいい運転手に申し訳なく思いながら私達はモーテルのフロントに足を運んだ。

 州都のフランクフォートは車ですぐ近くだが、ここにあるのはコの字型に建てられた三階建てのモーテル、隣にガソリンスタンド兼コンビニがあるだけで、周りは鬱蒼と繁った森が広がっていた。

 

 ぼんやりと蛍光灯が照らすフロントのドアをアゲインが開けると退屈そうに雑誌を読んでいた初老の女性が顔を上げた。

 

【……運が良かったね。今から寝ようと思ってたとこさ】

 

 妹に続いて入った私がチラと壁にかけてある時計を見るとすでに12時をすぎていた。

 風が吹いたのかザアザアと暗闇から聞こえる木々のざわめく声が不気味に私達の建物を取り囲む。一方、そんなことには負けじと中庭から男性達の笑い声が聞こえてきた。

 

 受付のおばさんは松葉杖をついてやっと入ってきた私の姿を見るなり眉間に皺を寄せてあからさまに不機嫌な表情を作った。

 

【なんだい。ここは病院じゃないよ。面倒はお断りだ。出とってくれ】

 

【私達行くあてがないんです~。迷惑かけませんから、どうか一晩だけでも泊めて下さい。勿論お代は払いますから~】

 

 妹お得意のぶりっ子が発動するが、おばさんには無効のようで無碍に断りを入れてきた。

 

【駄目だ駄目だ。ここは療養所でもレース場でもないんだ。そっちのびっこウマが事件に巻き込まれたらどうする?あるいはもうやらかした後か。ウマ娘は若く見えるからね。子供のふりをしたってそうはいかないよ】

 

 おばさんは立ち上がりながら私達に出てくように手を振るジェスチャーをした。

 

 妹はこちらに目配せをして出ていく旨を伝えていた。しかし私は怯むことなく封筒を取り出すとそれをカウンターの上に叩きつけた。

 

【……なんだいこれは?】

 

 訝しむ彼女を顎で開けろと指示を出す。

 恐る恐る封筒の中身を覗き込むように確認する。驚愕の表情になったかと思うとすぐに満面の笑みでこちらを見てきた。

 

【チップは弾みます。今すぐ部屋のキーを頂戴】

 

【ええ!ええ!喜んで!お客さま】

 

 そう言うと彼女はカウンターの下をまさぐりすぐにキーホルダーのついた部屋の鍵を出してきた。

 私は素早くそれを受け取るとアゲインに渡しながら【行くわよ】と促して受付を後にした。

 

 中庭に出ると男の笑い声とアルコールの臭いが鼻をついた。

 

【お姉ちゃん、今のって……】

 

【ウマ娘とは珍しい!どうだい?俺達と付き合っていかないか?】

 

 三人の男はテーブルを囲んで談笑していた。テーブルの上には空になった酒瓶がところ狭しと転がっている。

 

【……目を合わしちゃ駄目よ】

 

 下卑た笑いに汗と酒の臭いが実に不快だった。だが、そんなことはおくびにも出さずに私は黙って松葉杖をついて男達の先にある私達の部屋へ歩いていった。

 

【なんだよつれないな】

 

 テーブルの脇を通る時、男の一人が嫌味ったらしく口を開く。私は目を合わせないように歩くことに集中しながら彼らの側を通り過ぎた。

 妹のアゲインは松葉杖をつく私を守ろうとしているのか、あるいは怖いのか私の服を掴みながらぴったりと私を支えるような形で速さを合わせてついてきていた。

 

 流石に心配し過ぎかしら……。

 

 いくら安く治安の悪いモーテルと言えど、そうそう事件に巻き込まれるようなことはない。そもそも単純な力ならウマ娘の方が上なのだ。いくら男といってもそう簡単には手を出せない。

 

 安堵しながら男達の側を通り過ぎ、私達の部屋の前まで来た時、突如黒い影が私達の前を遮った。

 

【おい、ビッチ共。俺達の誘いを断ってお高くとまってるんじゃねえぜ】

 

 目の前にはスキンヘッドの大男がビンを片手に私達の部屋のドアを塞いでいた。タンクトップ姿のその男の腕にはびっしりとタトゥーが描かれ、威圧的なその風貌をさらに(いか)めしくしていた。

 

【おい止めろよ。相手は子供だぞ】

 

 テーブル越しに仲間の一人だろうか、腰かけたまま男が止めるが、目の前のスキンヘッドは意にも介さない。

 

【へ!ウマ娘ってのは美人ぞろいだから実際より幼く見えるって話だ。本当は高校生とかじゃないか?まあそんなことはどうでもいい。別に俺達と飲めってわけじゃねえ】

 

【じゃあ何の用でしょうか?】

 

 努めて毅然とした態度で返したつもりだったが、声は震えていた。アゲインは私の後ろで黙っていたが、服を掴む手が小刻みに震えているが分かった。

 いくらウマ娘でも怖いものは怖い。もし足が治っていたらいくら相手の力が強くとも制圧出来るだけの武術は心得ていた。しかし、今私は歩くのがやっとの状態。私一人でも厳しいのにアゲインも守るとなるとどうにもならない。

 

『ウマ娘を無力化する薬が……』『レイプしたりする事件が……』

 

 私の脳裏に妹の忠告が(よぎ)り心臓がドクドクとはね上がる。口の中が渇くのが分かり、生唾をゴクリと飲み込んでこの人に襲われたらどうしようという嫌な予感が私を支配した。

 

【おいおい!いくら何でもそんなガキんちょ趣味じゃねえぜ!お前一人でヤルってんなら止めねえけど、返り討ちに合うなよ!いくら幼くたってウマ娘だぞ】

 

【はん!一人はねんねのガキ。一人はびっこ引いたお嬢様だ。負けるわけねえ。俺のイチモツ突っ込んだら壊れちまうかもしれねえけどな】

 

 ……やっぱりレイプする気なんだ……!

 

 全身から血の気が引き、ガタガタと体が震え出す。生ぬるい夜だというのに四肢が冷たくなっていった。

 同時にどうしようもなく煮えたぎる激情が私を駆り立てようと暴れだしていた。

 

 ……なんという屈辱!なんという下劣さ……!

 

 まだ中学にも上がらない子供と怪我人を相手に大の男が力付くで手篭めにしようなどと……。あってはならぬこと!

 こんなやつに初めてを奪われるくらいなら腹を切って死んだ方がましだ!

 

「……下衆が……!!」

 

 なら、どうなろうと構うものか!先手必勝!!

 

 私は松葉杖を捨て、左足に力を込めると目の前の大男に技をかけようと両手を伸ばした──

 

【私が……!私が何でもしますから、お姉ちゃんには……手を出さないで下さい!】

 

 突如目の前に現れた私より小柄な影がそう叫んだ。

 ワンダーアゲインはその小さな体躯を両腕一杯に広げて必死に私を隠そうとしている。

 

 何が起こったのかとあっけにとられていると

 

【がははは!嬢ちゃん達は姉妹か?泣かせるじゃねえか!いいぜ!十年後に相手してやるよ!だが悪いが、今はおめえさんに用はねえ。そっちの姉ちゃんに頼みてえんだ】

 

 そういって男は後姿でも分かるほどガタガタ震えるアゲインの肩を掴もうとその手を伸ばした。

 

 パアン――!

 

【妹に触ったら殺す】

 

 乾いた音と同時に上に吹き飛ぶ男の手。

 何が起こったのかと目を見開くそのスキンヘッドに向かって身が凍るほどの声色で自分でも信じられない言葉が飛び出した。

 松葉杖も無く、踏ん張ることも出来ぬまま腕の力だけで振り払った割に男を驚かすのには十分だったようだ。

 

【……へ、へへ……。驚いたぜ。これがウマ娘の力か】

 

【私に用があるのでしょう?なら妹は関係ない。手を出さないで】

 

 アゲインの押しのけて前に出る。左足でケンケンするなんとも不格好な様だが妹を守るのに必死だった。アゲインは腰が抜けてしまったのか、私の後ろで地面にへたり込んでしまった。これでは逃げるのもままならない。

 

 まず素直にこいつについて行ってアゲインの安全を確保しないと……。その後必ず隙が出来るはず。そこで逃げ出してやる。場合によっては傷つけてでも──

 

【そう睨むな。別に手籠めにしようってわけじゃねえ。お前がその気なら話は別だがな】

 

 意外な返答に一瞬気が抜けそうになる。てっきりそういう目的とばかり思いこんでいた私は肩透かしをくらったような形になった。しかし、男の態度から私に何かを強要しようとしているのは確かだった。

 私は気を引き締め直し、険しい表情のままこの男に問い直す。

 

【いいから用件をいいなさい】

 

【なに、シンプルな話だ。用はこれさ】

 

 そう言って男は手で金のサインを作る。こんな子供にたかるのかと呆れていると男はさらに付け加えた。

 

【へへ、見てたぜ。ガキのクセにずいぶん羽振りがいいじゃねえか。あの婆さんにいくら払ったんだ?俺にも少しばかり分け前をくれよ】

 

 見られていたのか……!

 

 私がレースの賞金で稼いだお金。身一つで日本を飛び出せたのもこれのお陰だ。さっき受付で渡したのは当面の間必要と思っておろしていた現金。

 もちろん、あれが全財産じゃない。そもそもアメリカはカード社会だ。現金はそれほど必要としない。それでもこのモーテルに10日は泊まれるだけの額は渡したはずだった。

 

【俺は優しいからよ、へへ、ほんの1000ドルほど『貸して』もらえればいいんだよ。はした金だろ?お嬢様】

 

 口角を上げて下卑た笑いをする男。口の周りから酒の嫌な臭いが広がり鼻腔をなめ回す。

 

【話になりません。そんなお金はありませんし、あったとしても貴方に貸す理由がありません。そこをどいて下さい】

 

【威勢だけはいいな。そんな体で抵抗出来ると思えねえが?まあ金がないってんなら仕方ねえ。時間かけて絞り出してやる。とりあえずその高そうな耳飾りでもくれや】

 

 そう言うや男は私が反応するより早く右耳に着けていた耳飾りを乱暴に盗っていった。

 

 

 

 …………………………コロス……!!

 

 

 

 迷いは無かった。

 右拳を強く握りこみ、大男の顔面めがけて腕を振りかぶる。まるでスローモーションのように流れる感覚の中で、男の顔が驚愕に満ちた表情に歪んでいくのが確かに分かった。

 

 その醜い顔をぐちゃぐちゃにしてやる!!

 

 明確な殺意のもと、握りしめた拳を上体ごと倒れこむほど全力で振り上げた。

 

【こんなところにいたのか!】

 

 すんでのところで私の拳は男の顔面の前で止まった。

 声のした方を見ると黒髪短髪の若い男が腰を抜かしたアゲインを抱きかかえながら手を振ってこちらに歩いてくる。

 

【悪いね。うちの子らが迷惑かけちゃって】

 

 見知らぬ若い男はずかずかと私と大男の間に割って入ると、大男の肩をポンポンと気さくに叩いてなだめていた。

 

【さあさ、もう寝る時間だよ。悪いね。こんな遅くまで待たせちゃって】

 

 そう言いながら男はスキンヘッドの男の脇を通りながら私に松葉杖を渡す。大男の後ろにあった私達の部屋の鍵を開けてアゲインを押し込むようにその中に入れた。

 

【さ、君も入って。あ、これ返してもらうよ】

 

 そう言いながら若い男は私が乱暴に奪われた耳飾りをサッととってしまった。

 なんとなく状況を把握した私は、あっけにとられる大男を尻目に脇を抜けて私達の部屋に向かう。

 

【……お、おい!………………っ!】

 

 一瞬、我にかえって私を呼び止めようとしたスキンヘッドの男は、私の一瞥で萎縮したように黙ってしまった。額に脂汗がたまり、蛇に睨まれた蛙のように微動だにしない男を尻目に私は松葉杖をついて無理やり男の横を通った。

 

【それじゃ、良い夜を!】

 

 私が部屋に入るのを確認すると、若い男は外に声をかけながら私達の部屋に入ってドアを閉める。同時に素早く鍵とチェーンロックをしてドア向こうに聞き耳をたてた。

 

 何やら大声で話し合っているような声がこちらにも聞こえてきたが、やがて何も聞こえなくなり静寂が電気の点いていない暗い部屋を支配した。

 

【ふう……】

 

 男は一つため息をつくとドアから体を離して私達に向き合う。

 

【危ないところ……おっと!】

 

 私は素早く彼から耳飾りを奪いとると、胸の前でそれを強く抱きしめていた。

 ドクドクと流れる血潮。乱れる息遣いに身体中の力が抜けてしまい、私は右足を庇うようにその場に尻もちをついてしまった。

 ひんやりとした床が興奮した体を冷やし、私に冷静さを取り戻させる。

 

【……はっ……。アゲイン、大丈夫?】

 

【だい、じょぶ……。てかお姉ちゃんこそ……】

 

 アゲインはいまだ腰が抜けているのか、ベッドに腰かけているのが窓から差し込む月明かりで分かった。

 

【……ありがとうございます。危ないところを助けて頂いて……】

 

【いや、僕もウマ娘を助けるなんて人生で初めてだよ!いつも学校では助けられてばっかりだったから】

 

 興奮が抜けないのか、少し大きめの声で話す男の足は小刻みにふるえていた。

 

【女の子の部屋にいるのもなんだし、僕はもう行くよ。悪いけどこの鍵、受付のおばさんに返しといて】

 

 そういって床にへたりこむ私に向かってシリンダー式の鍵を放り投げる。男は震える足で部屋の窓まで行くとそのガラス窓を全開にした。春夜の気持ちのいい風が部屋を満たし、裏手の森がさわさわと囃し立てた。

 

【あ、あの!せめてお名前だけでも!】

 

【……名無しの権兵衛】

 

 短髪の男は振り向きもせずそれだけ言うと、窓から身を投げて闇夜の中に溶けていった。後には古びたカーテンだけが風に弄ばれてはたはたとはためいていた。

 

【……なんだっただろ?あの人】

 

【さあ?ただ私たちを助けてくれたことには変わらないわ】

 

 そう言って投げられた鍵に目を落とす。両手の中には鍵と一緒にあの人がくれたGの文字が入ったワッペン型の耳飾りが私を見つめ返した。

 

【ねえねえ!その耳飾りすごく大切そうだけど、誰からもらったの?実はさっきから気になってたんだ!】

 

 調子のいい妹は先ほどの失態など無かったかのように明るく私に問いかけた。月の光に反射して目がキラキラ輝いていたのは気のせいではないだろう。

 

【……えと……、なんて言ったらいいか……】

 

 切り捨てたはずだった。何もかも。

 気づかなかった?忘れてた?

 違う…………。きっと──

 

【お姉ちゃんの恋人?日本で出来たの?ねえ教えてよ!】

 

 上ずった声色で喜色満面で私に迫るアゲインに呆れながら、【うっさい……】と小さく呟いた。

 私は耳飾りを丁度届くところにあったベッド横のサイドテーブルに乗せると、後ろ手に壁に手を這わせながら起き上がろうとした。妹はそんな私に肩を貸して起き上がるのを手伝ってくれる。

 

【あなたはシャワーを浴びてきなさい。もう深夜なんだから】

 

【じゃあお姉ちゃんも一緒に入ろうよ。久しぶりに背中の流しっこしよう!】

 

【この足じゃ無理よ。当分お風呂には入れそうもないわ】

 

 私は片方のシングルベッドに腰掛けると力なく笑ってみせた。毎日お風呂に入る日本の習慣が染みついたのか、正直気持ち悪いが仕方ない。

 

【じゃあ私も入らない。バカ姉貴覚悟!】

 

【きゃっ!】

 

 アゲインがベッドに腰掛けた私にとびかかるようにダイブし、同じベッドに転げ落ちた。安物のシングルベッドは二人分の体重を乗せられて小さく悲鳴を上げたが、なんとか私たちを無傷で抱き留めてくれた。

 

【ちょっと!けが人なのよ!聞いてる!?】

 

【ん~、お姉ちゃんの匂い。……ちょっと汗臭い……】

 

 猫のように私の胸に顔をうずめて頬ずりするアゲイン。私は一つため息をつくと、少し体が大きくなったことを実感しながら愛しい妹を見つめていた。

 

【香水つけるからいいの】

 

 私は体をくの字に曲げながら優しくアゲインの体を両腕で包み込んだ。愛しい愛しい我が妹をもう離さないように。誰にも連れていかれないように。

 

【お姉ちゃん……?】

 

 一瞬不思議そうに顔を上げた妹だったが、それ以上何も言わずに安心したように私の胸の中で目を閉じた。

 

 誰も使わないもう一つのベッドがアゲインの背中越しにさみしく私の瞳に訴えかける。

 窓を閉めることも忘れ、風が入る度に妹の匂いが私を満たす。

 トクントクンと微かに揺れる彼女の心臓。心地よい体温を感じながら緩やかに意識がまどろんでいくのが分かった。

 

 私のバ生で至福の時間。父親でも母親でもなく、ワンダーアゲインに電話したのは私の我がまま。

 どうしてもアゲインに会いたかった。

 私の愛しい妹がちゃんと成長したのか見ておきたかった。

 多分最初で最後のこの機会、この一夜をアゲインと過ごしたかった──

 

【……酷い目に巻き込んでごめんなさいね。おやすみなさい】

 

 目を閉じた彼女の額にキスをして、私はゆっくりと瞳を閉じた。

 

【……お姉ちゃん、大好き……】

 

 静寂(しじま)に響く彼女の言葉は意識の底に沈んでいく私の耳に確かに届いていた──

 

 

 

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