きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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さよならの風景は

※【】書きは本来英語です。

 

 胸がジクジクする──

 

 そんな感覚を覚えたのはいつ頃でしたでしょうか……?

 

 ゲート難を克服して頭を撫でてもらった時?

 ううん。あれはジクジクというよりドキドキしてた。

 やっとゲートから出られたという興奮だと思ってた……。

 そう、未勝利戦を勝った後もそうだった。思わずあの人に抱きついてしまったあの時も鼓動が激しく動いて…………。

 

 ……違う。正確にはあの人の顔を見た瞬間。私の心臓が飛び出すかと思うほど大きく跳ね上がって──

 自分でも分からないその内から湧く衝動を誤魔化すためにあの人に抱き着いたの。でも心臓の脈動はもっと速くなっていって……。こんな自分初めててどうしていいか分からなくて、まず落ち着かなきゃってあの人の匂いを服越しに思いっきり吸い込んでいた。タバコに残っていたあの香りで落ち着けたんだからきっと大丈夫って。なのに……。

 

 ああ、ジクジクするってあの感覚だ──

 あの人のシャツを掴んで収まらない興奮に耐えていた時、激しく動悸する胸の奥で確かにジクジクと何かが疼いていた。

 それから病院であの人にクリスマスプレゼントをあげた時。

 あの人が海辺で弱さを見せた時。

 あの人にバレンタインチョコをあげた時。

 あの人が、私を迎えに来て耳飾りをくれた時──

 

 無口で不器用で、それでいてレースにはどこまでも真剣で……。

 

 あの人に対するこの感情を言葉で表すのが怖かった。レース以外に不純なものを学生生活に持ち込むのが嫌だったのは確かにそう。でもそれ以上に、この感情に私自身が確信を持てなかった。

 気のせいかもしれない。私の勘違いかもしれない。

 そう誤魔化してきたけど、結局それも意味が無かった。

 

 だってあの人の眼には最初から──

 

 病室のベッドの上。陽の射し込まぬ陰鬱な病室の中で思いを巡らせていた時、ふと、ベッド脇のサイドテーブルに乗ったそれが目に止まった。

 

 ああ、やだな……。

 マルゼンスキーに、『G』のスペルはないじゃないですか…………。

 

 隣の建物のガラスに反射した日の光が窓を通って、私の耳飾りの文字を静かに浮き上がらせていた。

 

『グラスワンダー』

 

 そのワッペンからあの人の声がしたような気がしてドキリと心臓が跳ねた。

 

【グラス?グラスワンダー!】

 

 しかし、私を呼ぶ声が気のせいではないことにすぐに気付き、我に返ると反射的に声のする方に顔を向けていた。

 

【……オリヴィア、さん?】

 

 見ると点滴の台を持ちながら血相を変えた金髪の初老が私のそばに立っていた。

 

【誰かが、貴方のこと探してる】

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

【グラスワンダー……?そんな人入院してませんよ】

 

 昼間だというのに薄暗い蛍光灯の下、パソコンと睨めっこをしていた受付の黒人女性は愛想悪くそう告げた。

 受付嬢(といってもどうみても50代ほどだが)の後ろの壁には不自然な高さに献血のポスターが貼られ、その下には壁に亀裂が入っているのが見て取れる。ポスターをめくればペンキがはがれて剝き出しのコンクリートが見れるのは容易に想像できた。真上にある蛍光灯も一定間隔で点いたり消えたりを繰り返している。

 

 オハイオ州の場末の病院。州の認可が下りているのが不思議なほど、一見して不衛生で杜撰な管理下の病院。ここにグラスワンダーらしきウマ娘が入院したという、本人を乗せたと主張するタクシー運転手のたれ込みを掴んだのはアメリカ入りしてから五日目だった。

 

【こんなウマ娘を見たことないですか?】

 

【…………知らないね】

 

 一緒に帯同している乙名史が通りすがりの初老の金髪女性にグラスの写真を見せながら話しかけるが、なしのつぶてだ。

 

【前髪の流星が特徴的な栗毛のウマ娘だ。入院してなくても見かけたことは?】

 

 そう言いながら俺も懐から取り出した教え子の写真を見せる。

 すると一瞬、驚いたような表情を作ると、その黒人女性は少し焦った様子で言葉を口にした。

 

【け、警察でもないのに人探しが目的で入らす訳にはいかないよ。分かったらさっさと帰んな】

 

 これは……。

 

 ぎこちないセリフを言い終えると同時に彼女は眼鏡をかけて机の上にあった書類を見始める。しかし、その右手は中指と親指を擦り合わせて催促しているのにすぐに感づいた。

 分かりやすい金のサインだ。

 

【なあ、もう一度よく見てくれ。本当に見おぼえないのか?】

 

 そう言いながら人差し指と中指で挟んだ写真を彼女の前に突き出すと同時に、薬指と小指で握って丸めた百ドル札を彼女の右手に押し込む。

 

【知らないって言ってんだろ!しつこいね!あたしゃ忙しいんだ!】

 

 今しがた取り上げた書類をまた机に投げ捨てると、彼女は荒々しく椅子から立ち上がり事務所の奥に行こうとした。しかし、ハタとその足を止めると、振り向きざまにこう言い捨てていった。

 

【私は席を外すけど、勝手に院内をうろつかれちゃ迷惑だ。さっさと帰んな!】

 

「……なんとも分かりやすいですねえ」

 

 Staff onlyと書かれた扉の奥に引っ込んでいったおばさんを見送りながら乙名史記者がささやく。

 俺はそんな乙名死を尻目にさっさと院内に歩みを進めた。

 

 グラス。いるのか……!?

 

 外面は平静を装っていたが、内心は興奮していた。

 あの受付の反応からするにグラスワンダー似のウマ娘がいるのは確か。俺は今にも走り出したい衝動を抑えながら、なるべく目立たないように見舞客を装いながら一つ一つ病室を検分していった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

【いい?ここに着いたらこの紹介状と私の名前を出して!】

 

 オリヴィアが私をタクシーに押し込んだのと、その紙切れを私の手に無理矢理押し付けてきたのはほとんど同時だった。

 

【でもオリヴィアさん、もしかしたら探してるのが人違いという可能性も……】

 

【何言ってんだい!あんた追われてるんだろ?躊躇してたら捕まっちまうよ!】

 

 自分でもバ鹿なことを口にしているのは分かっている。仮に人違いだとしても、オリヴィアさんしか知らない潜伏場所を提供してくれるというのは雲隠れしようとしている人にとってはこの上ない提案でしょう。

 それなのに『あの人』がアメリカまで私を追いかけてきたかもしれないと思っただけで私の心はこんなにも期待してしまっている。

 

【約束だ。私は絶対にあんたの居場所をしゃべらない。神に誓ってね】

 

 彼女の真っすぐな目を見ると、その誠実さに私の胸がチクりと疼くのが分かった。

 

【ありがとう……ございます……】

 

 果たして彼女に私の顛末を話したのは正解だっただろうか。

 それは今の私には分からない。だって──

 

 病院裏口の扉の向こうがにわかに騒がしくなったのが分かる。

 目の前の金髪の女性が背中にある扉を確認しながら私に最後の言葉を投げかけた。

 

【短い間だったけど、この二週間貴女と過ごせてとても楽しかったわ。さようなら。可憐なウマ娘さん】

 

 ……二週間──

 

 二週間……!?

 

 『特別な理由が無い限り、十四日以上一切の活動報告が無ければトレーナーとその担当ウマ娘間で交わされた担当契約は破棄される』

 

【……あ…………あ………………】

 

 口は動くのに喉から声が出ない。

 頭の中でぐるぐると巡る彼との思い出とともに、今、そこにあるレンガの壁一枚を隔ててその『彼』がすぐそこにいるかもしれないという思いが胸の内で急激に膨張していくのを感じた。

 

 バタン!

 

 無慈悲に閉められるドアの音と同時に、よく磨かれた窓に栗毛のウマ娘が反射したのが分かった。

 

 ……あれ?耳飾り…………。

 

 瞬間、反射的に右耳に手を伸ばす。

 そこにあるはずの、あるべきはずの物を掴もうと必死に耳を触るが、窓に写るのは、自分のその手が虚しく空を切る残酷な現実だけだった。

 

【……!オリヴィアさん!オリヴィアさん!?】

 

 すでに発車してしまっていたタクシーの中から必死に叫ぶが、彼女は慈愛の眼差しで見送るだけだった。

 

 終わる……。本当に……。

 

 タクシーを止める考えも思い付かず、もう後部窓から見えるだけの彼女の姿を滲んだ視界のなかで捉えながら、私は猛烈な吐き気と後悔の念を抱きながら見つめるしかなかった。

 

 信号待ちだろうか、タクシーが止まったその瞬間、病院の裏口から見覚えのある背格好の人が出てくるのが、ぼやけた視界のなかで辛うじて認識できた。

 

【トレーナー、さん……?】

 

 動き出したタクシーは交差点を曲がり私の視界からその風景さえも奪いとっていった。

 

 

 

 

 

【トレーナーさん……。……トレーナー……さん………………】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………さようなら────」

 

 

 

 

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