「あの、本当に向かうんですか?」
「行くに決まってるだろ。どれだけ心配かけたと思ってるんだ。いい加減覚悟決めろ」
こんな会話を何回したでしょう?
けたたましい音を出しながら疾走する車の中で、私はいまだ無駄な抵抗を試みていました。
何の障害もなく、ただ真っすぐに続くアスファルトの道を見ると、もうあそこへ行くしかなにのだという諦めの気持ちが勝り始めているのが私でも感じていました。
「……分かりました。私の両親に挨拶へ伺うのは承服致しました」
隣の席でハンドルを握るトレーナーさんが、横目でチラと私を睨むと、大袈裟にため息をついて口を開きました。
「……どうも。じゃあ道案内よろしくお願いする」
「それは構いませんが、家についても私は中に入りませんので」
「はあ?」
彼の間の抜けた声が車内に響く。少し苛立ったように横目で私を確認すると彼は私にその真意を問いただした。
「グラス、そこは詫びの一つも入れるところだろ。一番心配してくれたのは両親なんだぞ?」
「謝罪は致します。我が親とて今回の件は土下座でもしないと私の気も晴れません。ですが、私はウマ娘の頂点に立つまで家の敷居を跨がないという覚悟で我が家から出ました。なので家までは案内しますが、私は中に入りません」
まっすぐ彼の目を見つめてそういい放ちました。といっても、トレーナーさんはいつもの無表情で前の道路を睨んでいるだけでしたが。
少しの沈黙の後、ふと彼の頬が緩むのが分かり、ゆっくりと口を開きました。
「……今回ので少しは変わったかと思ったが……。いや、なんでもない」
独り言のようにそれだけ呟くと、また彼は黙って運転に集中し始めます。
「それ、どういう意味ですか?」
そう問いただしてもトレーナーさんはその頬を少し緩めただけで何も答えてくれませんでした。
※【】書きは本来英語です。
【パパ、ママ、今回は】
【この度は、誠に申し訳ございませんでした!】
我が家のドアが開け放たれた瞬間、私よりも先に隣に立っていたトレーナーさんが地に伏して頭が地面にめり込むのでは思うほどの土下座をしていました。私は何が起こったのかと呆気にとられたのも束の間、我に返りました。
「トレーナーさん!私が」
【娘さんに心無い言葉を浴びせてしまったこと。大切な脚に大けがを負わせてしまったこと。保護監督責任を果たせなかったこと。ご家族に大変なご心配をかけさせてしまったこと。全て私の責任です。本当に申し訳ございませんでした!】
私の言葉を遮り矢継ぎ早に謝罪の言葉を放つカブラギさん。閑静な住宅街でこんな大声をだせば下手をしたら何事かと警察を呼ばれてしまいそうだが、そんなことには意にも介さず、私のトレーナーさんは地面に突っ伏したままでした。
【何を……しているのですか?】
私の父、青い目が特徴的なシルバーホークが唖然とした表情で彼を見下ろしながらそう口にする。私の母、アメリフローラがウマ耳をピンと立てて緊張した面持ちで迎えているのが分かりました。
ああ、そうだ。いくら日本文化に親しい両親とはいえ、いきなり土下座をされたところで分かるはずもない。ここはアメリカなのだから。そんなことはトレーナーさんも分かっているはずだ。それでもこんな形で謝罪したのは、彼がこれ以上の誠意の見せ方を知らないからでしょう。
そして、「詫びの一つも入れるところだ」と車内で私に言っていたカブラギさんが、全て自分の責任だとおっしゃった想いを汲めば、どうしてこのまま突っ立っていることができましょうか。
私の体は自然と動いていた。ゆっくりと膝を曲げ地面につける。夏の日射しに熱せられた玉砂利の熱が膝を伝って上ってくるのが分かった。
【パパ、ママ、これはJapanese土下座スタイルです。これ以上ないほどの謝罪の形】
【グラスワンダーは何一つ悪くありません。一切の責任は私にあります。どうかグラスを、娘さんをご容赦下さい】
砂利を敷き詰めた庭に私の膝がついたのが伝わったのでしょうか。トレーナーさんは再度そう声をあげます。
私が謝る必要はないと……。
しかし、私はゴツゴツしたその砂利の上に三つ指をついて、頭を下げながら謝罪の言葉を言おうとしました。
【……ただ、一点だけ。グラスワンダーを私の担当のままにさせて下さい。俺の担当はグラスワンダーでなければ駄目なんです。お願い、いたします】
姿勢を全く変えず、凛としてそれだけを口にするトレーナーさん。
下げかけた私の頭が一瞬止まり、言いようのない気持ちが私の心の中を満たしていく。
目の奥からこみあげてくる熱いものを堪えながら、私は静かに熱された地面に頭をこすりつけた。むせかえるような土の臭い。右耳に着けた耳飾りが石とぶつかり、しゃりと音を立てた。
【……私からも、お願いいたします。どうか、カブラギさんを担当トレーナーとして、お許し下さい……】
謝罪の言葉を言うはずだったその口から出てきたのはしかし、その意に反して懇願のセリフだった。
トレーナーさん……。トレーナーさん……!
この人はこんなことを言う人だっただろうか……?
最初は私が半ば無理矢理この人を逆スカウトというのに。誠意はあったが私、グラスワンダー個人にそこまでの執着を見せる人だったようには思えなかった。それが、そんな人が…………!
あの時言いそびれた胸の奥からこみ上がる貴方への愛の言葉。それを今この場で叫びたいほどに私の心は熱に浮かされていました。
「……カブラギ、サン、グラスワンダー。……ドウゾ、アタマアゲクダサイ」
しかし、そんなのぼせた私の心とは裏腹に、片言の日本語で優しいパパの声が上から聞こえてきました。
それでもこの頭を易々と上げる気にはなりません。トレーナーさんの覚悟を思えばこそ、私の覚悟もまた曲げたくなかったのです。
【お姉ちゃん。顔見せて……。そんな所に頭つけてたら火傷しちゃうよ……】
ああ、アゲイン……。
いつの間にいたのか、我が最愛の妹までにもこのような姿を見られていたことにいくばくかのさざ波が私の心に立ちます。しかしそれでも私は顔を上げません。隣のトレーナーさんが頭を上げる気配がなかったから。
【グラス姉ちゃんもトレーナーさんも、ドゲザスタイル止めなかったらその姿撮影して皆に見せちゃうから】
「な……!」
思わず反射的に顔を上げてしまう。
視線の先にはウマホを構える妹。優しい彼女はそんなことをしないことは分かっていた。それでもトレーナーさんの醜態を万が一にも拡散、いや個人的な記録の写真だとしてもそれを私は許せなかった。
【止めなさいアゲイン!】
私が腕を伸ばすよりも先に妹の携帯電話を取り上げたのは母のアメリフローラてした。
【……ジョークでも止めてちょうだい。彼らの覚悟を笑いものにしてしまうのよ】
【…………ごめんなさい】
取り上げたウマホの画面を見たママはそのままアゲインの手にそれを戻します。私の予想通り、アゲインは最初からそんな写真を撮るつもりなどなかったようです。
「カブラギ、サン。ヤリタイヨウ、ヤッテ。ムスメ、オネガイシマス」
【パパ…………】
我が父、シルバーホークの青い眼差しの中に慈愛の念を感じました。私やアゲインがママに叱られた時になだめるあの顔。
——ありがとう、ございます……。
心の中で謝辞を述べる。もうトレーナーさんは許されているのだという安堵の思いが胸に満たされ、一つ肩の荷が下りるのが分かりました。
【……ありがとうございます。誠心誠意、グラスワンダーのパートナーとして務めさせていただく所存です】
【カブラギサン!折角だから家によってって下さい!きっとパパとママも喜びますよ!】
急にアゲインが駆け寄り、未だ地に伏しているトレーナーさんの腕を掴んで立たたかと思うとパパとママに向かってそう提案しました。跪いていた私はそれに一瞬反応が遅れ、無理矢理引っ張られるような恰好で玄関に連れていかれるカブラギさんの腕を掴み損ねてしまいました。
一瞬、トレーナーさんの腕を引っ張りながらチラリとこちらを伺った妹のその表情は、間違いなくいたずらを思いついた時のそれでした。
【アゲイン!トレーナーさんに何するの!?】
玄関奥に連れ去られたトレーナーさんを追いかけようとした瞬間、ワンダーアゲインは玄関の敷居を越えると私の方に向き直ります。その意味ありげな笑顔を浮かべて。
【ちょっとアゲイン!トレーナーさんに失礼でしょ!】
【いや、俺は別に……】
【バカグラスにはちょっと反省してもらわないとだからね!お姉ちゃん?ここまでトレーナーさんを迎えにこれるかしら?】
そう言いながら妹は玄関の地面にゆっくりと視線を這わせました。玄関の敷居の方へ。
『ウマ娘の頂点に立つまで家の敷居を跨がない』
「~~~~っ!!」
この断固たる決意を妹といえど軽々に漏らしてしまったことに今更ながら後悔しました。
【お姉ちゃんのアルバムあるんだ!今じゃ想像できないような恰好してるんだから、きっとトレーナーさんもビックリするわよ!あ、靴は脱いどいてね。私ん家は土足厳禁なの】
アゲインはトレーナーさんの腕に自分の腕を絡ませながら悠々と奥に引っ張っていきます。
明らかに挑発しているのは分かるのに、それでも私の胸の奥からグツグツと煮えたぎる怒りと羞恥の念のが湧き起こっていきます。
【アゲイン!!】
【何を怒鳴っているんだい?グラスも中に入ればいいじゃないか】
【そうよ。貴女も色々あったんでしょ?兎に角一度入って落ち着きましょう?】
違う!違うのよ!パパ、ママ!
言葉に出来ない悔しさの中、昼日中の炎天下、私は自分の家の前で留まるか歩を進めるかの究極の二択に迫られていたのでした。