きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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同じ痣

 

「それにしても意外でした。トレーナーさんも短歌や茶道を嗜んでいたのですね」

 

「嗜むと言っても好きでやってたわけじゃないけどな」

 

 多くの人が行きかう喧噪の中、私たちは搭乗する飛行機を待つため、搭乗ゲート前のハンバーガーショップの席に座っていました。

 久しぶりの家族一同、シークさん、それにトレーナーさんを加えたメンバーでママお手製のディナーを囲った昨日の夜。遠慮がちなシークさんとトレーナーさんを尻目に賑やかなアゲインとママが沢山話をしながら慎ましやかなパーティーは私の思い出に残るものでした。特にアゲインがゲスト二人を質問攻めにしてタジタジにしていたのは私の胸に一つのさざ波を立てていました。勿論、あまりしつこい質問はその都度ママか私が注意していたのですが。

 

「詩も習ったわけじゃないし、武道も一応先生はいたが指導が厳しくて逃げ回ってたからほとんどやってない。部活でやってたトラック競技を言い訳に出来たしな。ま、親父からは『そんなママゴトさっさと辞めてしまえ』ってずっと言われてたけどな。その習い事の中では茶道はまあまあやってた方だ」

 

 今までになく饒舌にしゃべるトレーナーさん。「せっかくアメリカに来たから本場のハンバーガーでも食って帰ろう」という珍しい注文に応えて入った空港のハンバーガーショップ。満腹の現状はきっと彼を上機嫌にしていたのでしょう。

 

「ならボディーガードはお任せください。ウマ娘の腕力と習ってきた武道の技でもってトレーナーさんを暴漢から守ってさしあげますから」

 

 ああ、もっと聞きたい……。

 私はこんなにも貴方の事を知らなかったなんて…………。

 

 あの夜、アゲインが質問する度にたどたどしく答えるカブラギさんの返答。そのうちの半分ほどは私が知らなかった彼の事。

 元々自分の事をあまり話したがる人ではなかった。トレーナーさんの事を知りたくなかったわけじゃない。むしろ知りたいと思ってはいたはずです。でもアゲインのような積極性、純真な『知りたい』という欲求をぶつけることをためらっていたのは事実です。個人的なことに踏み入ってしまうのは、いくら『担当バ』という立場でも僭越な気がして、自主的に彼の口から語られることを待っていたのです。

 

「あのなあ、いくらウマ娘といってもまだ中学生の女子なんだ。もう少しおっさんを立ててくれてもいいんじゃないか?」

 

 そんな風におどけながら右手首をさすります。さきほどふざけながら武術の手ほどきをした時の痣がその右手首に薄く残っていました。

 痣が残ってしまうのは本意ではありませんでしたが、なんだか私の所有物の印を表しているようではしたない所有欲が私を満たしていました。

 

「ふふっ……。これは失礼いたしました。それでは僭越ながら武道の師としてカブラギさんに手とり足とり教えて差し上げますね?」

 

「今の流れでなんでそうなるんだよ」

 

 しかし、今、私は一歩踏み込む勇気をアゲインから教わりました。『担当バ』としてではなく、彼の『相棒』、望むべくは『恋人』として『カブラギ』さんその人を知りたい。誰にも語らないその素顔を私だけに見せてほしい。

 そんな欲望が自分の中で膨らむ度に、少しの戸惑いとそれ以上の高揚が押し寄せてくる。私の中で駆け巡る初めての感覚に翻弄されながら、それを楽しむ自分もいるのは確かでした。

 

「そろそろ搭乗ゲートに行くか。中に入っちまえば人はすくないだろうし、落ち着くだろう」

 

「免税店もありますしね。お土産に何か買っていきたいです」

 

 そう言いながらベージュの肩掛けカバンの中をまさぐりお茶のペットボトルを取り出しました。

 

「手荷物検査で引っかかるのでちょっと捨ててきますね」

 

 まだ十分の一も減っていない緑茶をトレーナーさんに見せながら、トレーナーさんにそう問いかけました。

 

「飲まないのか?」

 

「ええちょっと……。私の口には合わなかったようで。勿体ないですが……」

 

 久々に抹茶を飲んだためか、緑茶が恋しくなって買ってしまったのです。ですがこっちで市販されている緑茶は大量の砂糖が入った甘いもの。忘れていたわけではないのですが、私がいない間に本場の緑茶が出てきたのではないかと一縷の望みを持って、まだ飲んだことのないメーカーの物を取ったのですが、私の期待を裏切ってそれもアメリカ仕様に染まっていたのでした。

 

 まだアメリカで普通の緑茶を飲むのは早かったみたいですね……。

 

 そう思いながら二人で席を立ち、搭乗ゲートの方へ向かいます。夜中でしたが、まだ誰でも立ち入れるゲートの外だけあってそれなりに人混みもありました。

 

「あ、トレーナーさん、今少しお待ち頂けますか?ペットボトルの中身を捨てて参りますので」

 

 途中、通路の端にあった洗面所を見つけると私はカブラギさんにそう切り出しました。彼の「おう」という軽い返事を待たずに私はレストルームの方へと歩いていきました。

 

 ……あれ?

 

 中に入ると仕切られた個室が並んでいましたが、どれも使用中でした。しかし、私が違和感を感じたのは女子トイレなのに異様に香水の臭いがきつく、その強い臭いの中に男性のそれが混ざっていたような気がしたからです。

 

 ……でも男子トイレも隣だし、気のせいかな?

 

 トイレ特有の臭いもあり、その違和感はすぐに他の異臭にかき消されてしまいました。私は刺激の強いこの場から離れたい思いで、早く済ませようと、手に持っていたペットボトルの蓋を開けて中の液体を洗面台に流していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 グラスが女子トイレに入っていくのを見届けると、手持ち無沙汰になった俺は脇の壁に背を預けてなんとはなしに通行人を眺めていた。

 

 ようやく日本に帰れるのか……。俺の、愛バを連れて。

 

 そう思うと、必死に探していた二か月以上の苦難が込み上げてくるが、それも一瞬の事。走馬灯のように過ぎた思い出の先に待っていたのは、見上げた先に夕日の光を浴びて栗毛が金色に輝くグラスワンダーのあの顔だった。瞳から大粒の涙を流しながらこれまで見たことがないほどの笑顔を耳飾りを受け取りながら見せたあの時の記憶はきっと俺の心に一生残るだろう。

 こんなにも、あんなにも他人を大切に思えたのはもしかしたら初めてだったかもしれない。親父は勿論、母親も物心つく前に亡くなってしまったから覚えていない。マルゼンスキーもずっと惹かれていたと同時に、もしトレーナーが俺のような新人ではなくもっと優秀なベテランだったら明るい未来があったのではないかと引け目を感じていた。だから彼女が怪我をして引退する時も、もちろん残念だったが、心のどこかで自分の手を離れることに安堵していた弱い自分がいた。

 

 でもグラスは、あいつだけは……。

 

 夢にまで見たクラシック三冠はもう獲れない。怪我が治ったとて元の通り走れるとは限らない。

 それでも、たとえ走れなくなったとしても、俺はあいつのそばで…………。

 

 ふと、トイレの方から男が一人出てきたのが分かった。

 トイレは一つの出入り口から二手に分かれていて、一方が男用、もう一方が女子用になっていた。だから何も気にせず注意を払っていなかったら、その一つの出入り口から男が出てくるのも気にならなかっただろう。だが、すぐそばの壁に寄りかかっていた俺はその男が女子用トイレから出てきたのがすぐに分かった。

 男は清掃員と思われる服装をしていて目深にかぶった帽子からはその表情はうかがえなかった。しかし、掃除用具等は何も持っておらず、右手首をしきりに気にして触りながら歩いていく男に俺は違和感を感じていた。そして俺の目の前を通る時、こぼした愚痴を俺の耳は確かに拾った。

 

「That horse bitch! Broke my wrist! Fack and break!(あのクソウマ娘!俺の手首壊しやがって!ぶっ壊れるまで犯してやる!)」

 

 男が擦っていたその手首は、俺がグラスから受けた武術の痣の位置と同じだった。

 

 

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