きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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もう離さない

※【】書きは本来英語です。

 

【くそ!手こずらせやがって!】

 

 男の声がタイル張りの壁に反響してトイレの中に木霊した。

 清掃員を思わせる上下灰色の作業着を着た男が三人。倒れこんだ少女の周りを囲んでいた。その内の一人は膝を抱えてうずくまっている。

 

【いてえ……いてぇよぅ……】

 

【ウマ娘に本気で蹴られたんだ。ポッキリ折れてるだろうな】

 

 一際大柄な男がうずくまる男の足を見るとそう呟く。

 

【このビッチが!兄貴、こいつの足も折ってやろうぜ!そうすりゃ逃げられねえし一石二鳥だ】

 

【わめくな。俺達は女子トイレにいることを忘れるなよ。それにこいつは大切な『商品』だ。もし傷でも付けたらお前の両足を切り落として一生車椅子生活を送らせてやるぞ】

 

 一人だけ冷静に語気を抑えてその大男は言い放つと先ほどまで血気盛んに抗議していた男は蛇に睨まれた蛙のように縮こまるしかなかった。ドスの効いた低い声でそう言う黒人の威圧感は細身の男を黙らせるには十分だったのだろう。

 

【そんなくだらんことより、お前は清掃中のパネルを立ててこい。応援を呼ばせたあいつが戻る前に誰かが入ってくるのは問題だ】

 

【チッ!了解……】

 

 細身の男は用具入れから黄色いパネルを取り出すと、それを脇に抱えて出口の方へ向かっていった。

 

【痛えよぅ……。兄貴、助けてくれ】

 

【いつまでもみっともなく泣くな。それに、足一本で済んで良かったと思うことだな。こいつは何か武術を学んでいたぞ。ウマ娘のくせにな。例の薬が無かったら今頃】

 

 ガンッ!!

 

 突如、細身の男が向かっていった出口の方から何かがぶつかる大きな音が響いたのが分かった。

 

【…………なんだ?】

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 ガンッ!!

 

 突然曲がり角から飛び出してきたその細い体の男を、俺は反射的に掌打で顎を捉えてそのまま壁に叩きつけた。

 

 一瞬の出来事で、相手の男は声も出せずに不意にくらった顎と後頭部の衝撃に耐えられず、そのまま気絶してしまったようである。壁にもたれかかるようにズルズルと上半身を落とす。力なく壁に寄りかかって腰掛けたその男の服装を確認して、俺はさっき悪態をつきながら女子トイレから出てきた男のそれと同じであることに気付いた。同時に脇に抱えたであろう黄色いパネルが床に倒れると、そこにはKeep Outの文字が書かれていることが分かった。

 

 やはり……。

 

 ここに来て何か重大なことが起こっていることを確信する。人が近づいて欲しくない何かが。

 

【…………なんだ?】

 

 角の向こうから聞こえてきた低いその声は、耳を澄ませていなければとても聞こえるような声量ではなかった。

 その声を拾えたのは恐らく極度の緊張からだろう。

 

 まだ誰かいるのか?この伸びた男をどうする?いや、今はグラスの安否の方が重要だ。こいつのように気絶してもらうか?……無理だ。何人いるかも分からないし、さっきのは出来すぎだ。俺はそこまで腕力や武術に長けているわけじゃない。相手が武器を持っていないとも限らない。グラスを人質にとられたら厄介だ。だがグラスが目的なら何故運んで外に出ようとしない?なにかアクシデントか?清掃中のパネルで人払いしようとしたのも頷ける。だがだとしたらさっきの悪態ついてた奴が仲間を呼んだのか?あり得る。逃走手段は恐らく車か?

 

 激しく脈打つ心臓の音を聞きながら、混乱しかける頭の中を必死に冷静を保とうとどういう状況なのかを考え続けていた。

 しかしそんな中、見えない角の向こうから足音を殺した男物の靴の音が微かにこちらに近づいてきているのに辛うじて気付けた。

 

 くそ!どうする?騒いで通行人の注目を集めるか?駄目だ!はたから見たら清掃員を殴り倒して怪しいのは俺の方だ。グラスを個室に隠してわざと外に出てきてしまえば清掃員として振る舞える。清掃員を気絶させた男の話の方が信用されない。……仕方ない。

 

 俺はわざと地面に寝転がるような態勢を作って鼻をつまんだ。

 

【すまん!転んで鼻を打っちまった。俺は大丈夫だ。すぐ戻る】

 

【……愚図が。さっさと置いてこい】

 

 壁越しに低音の声が聞こえ、床に付けた耳からゴッ、ゴッという硬い靴音が遠ざかった。

 

 歩幅からすると大柄だな。もし一人なら背後から襲えればなんとか……。

 

 静かに床から起き上がると俺は壁伝いに曲がり角まで進んだ。

 トイレ独特の臭いが鼻を突いたのが今更ながら知覚する。タイルの壁から伝わる冷たさが激しく動悸を打つ俺の体を冷やしていった。

 

 ……冷静になれ。

 

 角から顔だけを出して中を覗き込む。広く取られたスペースの奥に、仕切られた個室の扉が二、三並んでいるのが見えた。左奥に個室が続いていたが、あいにく死角になっていて見えない。奥にいるであろう男の姿もここからは確認できなかった。

 

 ここから誰も見えないということは仲間は少ないか?さっきの男は……?

 

 俺は少し体を出し、さらにトイレの奥を確認する。すると、6~7m先に灰色の清掃員の服を着た人物がしゃがんでいるのが見えた。その背中は広く、まるで岩盤のような威圧感が背中越しに伝わってきた。そしてその大男のしゃがんだ先、栗色の長髪がタイル張りの汚れたトイレの床を舐めているのが辛うじて視認できた。

 

 …………野郎!!

 

 瞬間、全身の毛が逆立ち、血が逆流するのではないかと思えるほど心臓が壊れたポンプのように暴れ出した。こめかみの血管がピクピクと痙攣し、全身の体液が沸騰したかと錯覚するように頭に血が上っていくのが自分でも分かった。

 だが同時に混乱していた頭の中が急激にクリアになっていく。今にも殴りかかりそうになる衝動と共に、それを上から観察しているような冷静な自分がそれを制止する。そして頭の中で今の状況と今やるべき事が明確になっていった。

 

 恐らく相手はあと一人。相手は190以上あるが、後ろを向いてかがんで油断している。

 

 俺は音を立てないようにじりじりと奴の後ろまで移動した。屈みながらすり足でにじり寄っていくその足先に、音のなる物がないか慎重に見極めながら進んでいく。

 

 ……あと、5m……。

 

  蛍光灯の光を反射する曇ったタイルがぼんやりと俺の顔を映すのが目に入ると、目の前の大男がこちらに気付いているのではないかという錯覚に陥る。

 

 3m………………2m……!

 

 なりやまない動悸が耳の鼓膜を震わす。荒くなりそうになる呼吸を抑えながら慎重の男との距離を縮めていった。

 

 …………今だ!

 

 瞬間、俺は奴の背後から腕を回すと右腕で首もとを強く締め上げた。左手を後頭部に回し、右手を左肘にあてがってさらに強く締める。いわゆるチョークスリーパーの形を作った。

 うまく頸動脈の血流を断てれば2、3秒で落ちるはずだが、大男はやにわに立ち上がったかと思うとそのまま俺の方へ倒れこんできた。

 一瞬フワリと足が地面から離れ、そのまま後方へ体が落ちていく。なすすべ無く地面へ向かう身体を自覚しながら両腕だけは力を入れ続けた。

 

 クソ!クソッ!!この肉だるまが!!落ちろ!!!

 

 心の中で悪態をつきながら、不意を突いたはずの一瞬で最適とも思える判断を下すこの男に心底恐怖した。

 チョークスリーパーは一度完璧にかかってしまえば抜ける術はない。だがこの男はそれを悟るや、俺が絞めるために後ろに体重をかけるのを逆手にとってその巨体ごと地面に叩きつけようとしてきたのだ。

 

 ゴン!!という鈍い音と同時に後頭部に激痛が走る。そして目を刺した蛍光灯の光が無くなり、一瞬視界が暗転して意識が遠のくのを感じた。

 

 ……ざ、けんな!!

 

 手離しかけた意識を気合でなんとかつなぎ止める。混濁した感覚の中で腕の感覚だけを頼りに力を緩めないように意識を集中した。

 

 何秒たっただろうか、ぼうっとしていた視界が徐々に光を認識しだし、トイレの床の冷たい感覚が背中を撫でる頃、その影は突然俺の頭上から影を落とした。

 

【アニキを離しやがれ!】

 

 声とともに何かが顔面めがけて降ってくる。すんでのところで首を動かすと、降ってきたそれは頬を掠めてアクリルの床に叩き付けられた。

 横目で見るとそれはクリーム色の作業用長靴であることが分かった。

 

 ……つっ!まだ他にいたのか!

 

 とっさに上半身を起こして追撃から逃れようとするが、起こした途端に視界が回った。平衡感覚が壊れ地面に体が落ちそうになるが、すんでのところで地面に手をつく。ついた手から痺れるような痛みと共にヌルりとした感触に滑りそうになるが、力を込めて体重を支えた。勢いよくついた手はタイルの地面をついた時に切ったようだ。赤黒い血が手の下から這い出ているのが見てとれる。しかしすぐに視線を上げ、俺を踏み潰そうとしたであろう男の方に目を向けた。

 男はくぐもった声で呻きながら片方の足の脛を両手で押さえていた。

 

 何が……?いや、チャンスだ!

 

 手の痛みが朦朧とする意識を覚醒させる。

 俺はうずくまる男を横目に体勢を立て直してフラつく足取りで立ち上がった。

 

【ぐ…………!くそぅ……!】

 

 足を押さえていた細身の男は唸るような声を出すとかがんだ状態から飛び上がるように俺に向かって殴りかかってきた。

 だがそのこぶしには力がこもっておらずに、咄嗟にだした俺の手の平にいとも簡単に防がれた。

 良く見ると男が両手で抱えていた方の足の脛があらぬ方向に曲がっており、男の体重を支えられていなかった。

 

 俺は咄嗟にその足を小突いてやると、男は絶叫を上げながら足を押さえてタイルの上をのたうち回ることになった。

 

「そこでしばらく這いつくばってろ……」

 

 俺は少し冷静さを取り戻すと一番の脅威であろう地面に横たわる大男のことを思い出した。

 

 あいつは……!?

 

 咄嗟に仰向けに転がる巨体に意識を向けるが、そいつの状態を確認する前に入り口の方で声が上がるのが分かった。

 

【うわあぁぁ!!人が……!人が倒れてる!!】

 

 さっき小突いた男の絶叫で人が入ってきたらしい。入り口でのした男を発見したのか外が騒がしくなっていた。

 

 いまだズキズキと痛む後頭部と揺れる視界の中で男たちと同じにタイルの上で眠るように横たわる愛バの姿を確認すると、急に全身の力が抜けて俺の脚がカクカクと笑って立っていることが出来なくなっていた。

 腰を抜かすとはこういうことを言うのだろう。ストンとけつが地面につき、急激に混濁する意識の中でドッ!ドッ!という心臓の音と大勢の人がこちらに向かっている足音が耳奥で木霊するのが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達が警察から解放されたのは日本行きの便がとっくに飛び立ち、太陽も待ってられないと地平線に潜ってとっぷりと日が暮れた頃だった。

 

「たく!警察のヤロー、こっちは被害者だってのに散々足止めしやがって!」

 

 悪態をつきながら警察署の大きな建物から出ていく。

 夜間とはいえ、ケンタッキー州の州都だけあって街灯が広い道路を照らしていた。夏とはいえ少し肌寒いほどの気温。時折吹く風に当たるとやっと自由になったという解放感を味わった。

 

 ふと、隣で一緒に歩くウマ娘に目をやる。

 少しうつむきがちに真っ直ぐ道路の先を見やるグラスワンダーは何か思い詰めたような雰囲気で静かに付いてきていた。

 

 大事になったが、結局大柄な男がアメリカで指名手配されていた犯罪者と分かると話は早かった。グラスも眠らされているだけで外傷はなかったし、始めは誰が加害者だの、二週間は拘留されるだの言われたが、一日潰しただけで出てこれたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。それでも大迷惑ではあるが。

 それはグラスワンダーも同様だった。俺と同じかそれ以上の質問、状況報告をさせられて疲弊しているだろう。いや、それどころではなく精神的なショックは大きいはずだ。警察の質問に感情を見せずに淡々と答えていた担当バだったが、今隣を歩くそのウマ娘の腕が小刻みに震えているのが横目に分かってしまった。

 

「……すまねえ。今頃は日本に帰ってたはずなのにこんな時間になっちまった」

 

 黙々と歩くグラス。いつもだったら相槌の一つも入れてくれるのに何の反応も示さず、街の中心街へ向かうその様は何かに急き立てられているかのようだった。

 

「一日伸びちまったが、今日は安心できるように高級ホテルに泊まろう!お前もG1ウマ娘なんだから……」

 

 元気ずけるように陽気に話しかけてみる。だが、俯きながら歩く少女を覗き込みながら話していた話の途中で彼女はビクリと体を震わせその歩みを止めた。

 

 その視線の先を見てみると、建物の角から三人組の若い黒人が現れるのが視界に映った。

 俺は咄嗟にグラスを道の端に寄せて自分の体で隠す。三人組はバスケをやっているのか、一人の手にはバスケットボールが抱えられていた。やたら身長が高くガタイもいい。しゃべりながら近づいて来る男たちをよそ目に、自分の後ろに隠れている華奢な少女の震えが一層強まったのが手に取るように分かる。

 

 俺の懸念とは裏腹に、若い男たちは気にするでもなく俺たちの横を通り過ぎていく。

 

 流石に少し気にしすぎかと安心して胸をなでおろすと、タイルで傷ついた俺の手が後ろ手に柔らかく細い手先に包まれた。

 俺はハッとして振り向くと、俺の愛バが暗がりの中必死に手を握り、ぶるぶると小さくなって震えていた。

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

 か細く、極小さな声で呟く彼女はいつもの毅然としたそれとは酷くかけ離れていた。

 

「グラス…………」

 

「私の、私のせいでこんな怪我を……」

 

 そう言って彼女は顔を上げると両手で手を握ったまま包帯が巻かれた俺の頭部を見上げる。その瞳には今にも溢れそうな涙が街灯の光に照らされてキラキラと光っていた。

 

「……私は、自分が情けないです……。ウマ娘の[[rb:膂力 > りょりょく]]に甘んじることなく、武道を修めてきたつもりです。なのに……自分の身を守るどころか、トレーナーさんまで傷付いて……」

 

 俺は一つ溜め息をつくと、残った自由になっている手でグラスワンダーの頭を撫でてやった。

 

「どんな武道の達人でも後ろから不意に襲われたら対処出来ないって言われてるんだ。第一、お前のお陰で俺はこの程度で済んでんだよ。男の脚を壊してくれたお陰で足留め出来て俺も三対一でもなんとかなった。グラスの努力は無駄なんかじゃない」

 

 サラサラと撫でる度に俺の指に絡まる繊細な栗毛の長髪は、暗い夜道の中で煌めく宝石のようだった。

 愛おしく、出来る限り丁寧に、この宝石が壊れないように俺は優しく手を動かして少女の小さな頭を撫でた。

 

「それに…………」

 

 一瞬言い淀んだ俺は急に気恥ずかしくなって、見つめた栗毛のウマ娘から視線をそらしてしまった。

 

「トレーナー、さん……?」

 

 不思議そうに見上げるグラスの口から鈴の音のような声が漏れた。その声は震え、落ち着かない心境が伝わってきていた。

 その不安そうな顔を見やる。一つ息を飲むと俺はグラスが握っていたその手を強く握り返し、逃がした目線を彼女に合わせて一度飲み込んだ言葉を口にしていた。

 

 

 

 

「俺が守ってやる。いつでも。何度でも。だから、もう離れるなよ」

 

 

 

 

 

「はい……!お供、させて頂きます……」

 

 半分顔を出した月が静かに二人を眺めていた。

 喧騒ざわめくビル群に向かって歩いていく男とウマ娘のその手は、硬く握りあっていた。

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