きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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はい、あ~ん

 

 赤色を灯していた信号が青になる。

 しかし車は一台も動かずに何台も並んでいるその金属の車体を睨み続けるだけでした。ウマ娘用のレーンで一人、この気温の中快足を飛ばして走っていく葦毛のウマが視界に入る動く唯一の物でした。

 葉月に入り、うだるような暑さの中、家族旅行と思しき一家が隣に並んだ車中で楽しそうに会話している姿が見て取れます。青々と茂った木々が涼し気に道路脇に整然と並んでいてもアスファルトではゆらゆらと陽炎が漂っていました。

 

「混んでますねー」

 

「皆考えることは一緒ってことだろ。暑くなったら水に浸かろうと思うんだよ」

 

 クラシック級の同級生は皆一足先に、トレセン学園専用のトレーニング用ビーチに合宿している中、私たちはトレーナーさんの車でその場所に向かっていました。

 

「だがまあ、心配していた足の回復が順調でなによりだ」

 

「ええ。私としても元の通りに走れるか不安がありましたが、今のところ違和感が無くて安心しております」

 

 一週間の謹慎中、トレセン学園の周りや河川敷でトレーナーさんと調整していた出来事が頭に過ぎります。

 いつもトレセン学園内でしか揃ってトレーニングしていなかったので、開放的な場で一緒にトレーニング出来たのは私としては大変新鮮で刺激になりました。それにまだ本格的なトレーニングではなく、リハビリも兼ねた調整段階だったのも感謝しています。

 

 だってカブラギさんと一緒にトレーニング以外で過ごせる時間が多かったのですから。

 

 気温の低い朝早くに河川敷をランニングして、それから私が早起きして作って来たお弁当を二人で一緒に河原の土手で食べたのは私の貴重な思い出として取っておくことにしました。

 特にアメリカから帰ったカブラギさんは前とは少し違って、私が、一緒にご飯をたべましょう?と誘っても前のように嫌がる素振りは見せずに、ぶっきらぼうに賛同して着いてきてくれるようになりました。それが本当に嬉しくて、毎日のようにお誘いしたいぐらいでした。謹慎にした理事長が知ったら怒られそうですけど。

 

「でもそうですね、このような渋滞になるのが分かっていたら電車で移動した方が良かったでしょうか……?」

 

 今回の車での移動も私からの提案でした。合宿用の荷物が多いので車の方が良いのではないでしょうか?とそれらしい理由を並べての事です。

 ですが本当は彼と一緒に二人だけの空間にいたかったからという私の我がままでした。

 そんな真意を知ってか知らずか、トレーナーさんは自家用車を出して私のために運転してくれることになったのです。自分からせがんで免許証を持ってない私が彼に運転させることになる罪悪感よりも、始めて車に入った時の車内に充満したカブラギさんの匂いを吸い込んだ瞬間の高揚感がそれを打ち消してしまいました。もう二時間以上走っているのに今だって匂いを意識すると心臓がドキドキ脈打つのが分かります。

 

「いやあ別に気にすんな。俺も車で遠出するのは久しぶりだから楽しみでもあるんだ。ドライブは嫌いじゃないんでね」

 

 ドアに頬杖をついていつもの仏頂面でそう答えるトレーナーさん。見慣れない人が見たら、渋滞の不機嫌を誤魔化すように皮肉を言っているようにしか聞こえなかったかもしれません。でも彼の頬が普段よりほんの少しだけ緩んでいるのが分かると、私の心はそれだけで言いようのない充実感に溢れます。

 

 この事実を知っているのはきっと私やマルゼンさん、世界中で数人だけ……。

 

 そう考えると、急に私の中の独占欲が胸の奥から疼いてきました。

 

 もっと知りたい。この世で私しかしらない貴方を見せてほしい——

 

 そんな傲慢な想いが私の中で湧き上がる度に、そんなはしたない気持ちを抑えようとする自制心と隠し難い好奇心との葛藤を楽しむ私がいるのに驚いています。同時に最近では自制心がどんどん小さくなって好奇心の方が膨らんでいっているのです。

 きっといつか一担当バとしての一線を超えるのではないかと懸念しているのですが、今ならそれもいいかもしれないという楽しみにも似た思いが私を満たしていました。

 

「……にしても腹ぁ減ったな」

 

 そう言いながら右手に着けた腕時計で時間を確認するトレーナーさん。

 私も思わずウマホを手に取って何時かと確かめるともう13時を回っているのが分かりました。

 

「もうこんな時間……!すいません。気付きませんでした」

 

「いやお前が腹減ってなけりゃいいんだけどさ」

 

 やっと動き出した車の波の中を運転しながらカブラギさんはそう絞り出すように言います。しかし、くぅぅ……。という可愛らしいお腹の虫の音と、彼の苦虫を嚙みつぶしたような表情を見やると、私はついおかしくなって口元を手で押さえて笑ってしまいました。

 

「フフ……。トレーナーさんは長時間の運転で空腹の様ですね。でしたらどこかで止めて頂いてお食事にしましょうか?私丁度おにぎりを持参いたしましたので一緒に食べましょう?」

 

「そうしたいところだが……」

 

 彼の渋る言葉と共にその人が真っ直ぐ見つめる視線の先を追いかけてみます。どこまでも伸びるアスファルトの道路とその脇には低木に囲まれながら点々と点在する民家しかありませんでした。

 

「どこも、停まれそうにありませんね……」

 

 ついさっき中心街を通り過ぎていたことを思い出し、あの時に気を回していればと悔やみますがそれももう後の祭り。少しずつ動き出した前方の車にあわせてトレーナーさんはハンドルを握って付いていきます。

 このままでは昼食もままなりません。

 どうしたものかと一つ思案した後、私は足元に置いておいた持参したバッグを取ります。

 ベージュを基調にところどころにひまわりのシールを貼ったお弁当箱を中から出すと、その蓋を開けて中身を露わにしました。

 右手で一つ取り出してみる。片手大ほどの大きさに作られた三角形のそれは手に持ってみるとずっしりとした重量があり、しっとりとした海苔が白米を隠すように覆っています。

 

「はい、どうぞ」

 

「いや、どうぞって……」

 

 車が止まったタイミングで彼の前におにぎりを差し出しました。

 当のカブラギさんは困ったような顔で私の方に視線を移すと、ちらっと手に持ったおにぎりを一瞥しました。

 

「丁度止まっている今がチャンスですよ~」

 

 彼は少し逡巡していたようですが、おずおずと左手をハンドルから離しておにぎりを掴もうとしました。しかし、一瞬前方を見たかと思うと、アクセルを踏んで車を発進させました。どうやら前方の自動車が進みだしたみたいです。発進すると同時に私は後ろに引っ張られるようにして、彼の方に向いていた体はシートの背もたれにくっついていました。

 

「ありがたいが、運転中じゃおちおち昼飯も食えんな」

 

 私は頬に指を当てて考えます。どうすればおにぎりを食べてもらえるでしょうか……。一時的に車が止まることはあってもすぐに動き出してはハンドルを握らざるを得ないのでおにぎりを掴んでいることは出来ません。

 私は少し考えたあと、少し強硬な策に出ることにしました。

 

「トレーナーさん、どうぞ」

 

 車が止まると同時に彼の方に向かって右手を差し出します。

 

「だから運転中は……」

 

 カブラギさんは目を見開いて驚いたように私の手に持ったそれを見ました。

 先ほどよりもずっと彼の顔に近いところに差し出した私の右手。その手には一口サイズにちぎられたおにぎりの欠片があります。

 

「……トレーナーさん」

 

 …………言っても、いいよね……?

 

「はい、あーん」

 

 私の身長が低いせいか、若干不自然なほど体を捻った体勢でトレーナーさんの口元におにぎりを近づけます。シートベルトが迷惑そうに伸びるのが分かりました。

 彼は戸惑ったように前方と私の右手を交互に見やりながら、どうしていいのか分からないという風にハンドルを握りしめたまま動揺しているのが手に取るように分かりました。

 

「朝早く作ってきたんです。早くしないとまた動き出しちゃいますよ?」

 

 そこまで言うと、カブラギさんは意を決したように目を閉じると大きく口を開けて私が手にしていたおにぎりを口に含みます。勢い余って彼の唇が私の人差し指に触るのが分かりました。

 瞬間、ドキンと心臓が跳ねあがり、カーッと頭に血が上っていきます。すぐに右手を引っ込めると、俯いて右手の人差し指を見つめました。ドクンドクンと鳴りやまない鼓動が鼓膜を叩いてきます。

 

 ——キス、されちゃった…………。

 

「……うまい」

 

 感傷に浸る間もなく、トレーナーさんがおにぎりを含んだ声でそう口にします。いつの間にか動き出していた車の中になんとなく甘酸っぱい匂いが漂ったような気がしてゆっくりとカブラギさんの方に視線を滑らせました。

 もう飲み込んだのか彼の口元は動いていませんでしたけれど、なんだか照れたような申し訳ないような表情で黙って車を運転している姿は普段見慣れないだけにとても可愛らしく見えました。

 

 私の頬が思いがけず緩んでいくのが自分でも分かります。

 ファサファサと助手席のシートを尻尾が撫でる音が微かに洩れました。

 

 彼に見られてないから大丈夫——

 

 いつもならはしたないこんな表情を見せまいと隠していたでしょう。でも今は先ほどの影響でしょうか、少し大胆になって愛おしい彼の顔をじっと見つめていました。

 

「……お前は食べないのか?」

 

 しばらくそうしていると、視線を前に固定しながらトレーナーさんは問いかけてきました。

 でも今の私には何も入る余地がありません。胸の奥が一杯で、おにぎりなんかで埋めたらもったいないと思えるほど、甘美な気持ちで満たされていたのです。

 

「私は、大丈夫です。朝餉を食べ過ぎたのでしょうか?空腹ではないんです。なので……」

 

 そう言うと左手に持っていた、山頂が欠けた三角形のおにぎりをもう一つちぎり、車がゆっくり止まるのを待ち構える様に彼の前に差し出しました。

 

「はい!」

 

 ずっと車が止まってて欲しいと願うほど、この至福の時間が愛おしく思えました。

 

 窓の外ではセミの音が私たちをからかうように、騒がしく囃し立てていました——

 




おにぎり片手で握りながら片手ハンドルすればいいじゃんアゼルバイジャン。
危ないので真似しないでくだちい。
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