きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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『不退転』

 

 

 「不退転」

 

 額縁に入れられたその文字は仰々しく俺を睨んでいる。

 

 まっさらなトレーナー室の壁に画鋲で穴をあけ、グラスワンダーはパイプ椅子に立ったまま満足気な顔でそれを眺めている。

 

「出来ましたよ。トレーナーさん」

 

 入り口のすぐ近く。俺がいつもデスク作業を行っている真後ろにそれは掲げられた。

 書道には詳しくないが、俺から見ても実に綺麗な楷書で書かれた一筆だった。

 

「……なんでまたこんなものを……」

 

 不満そうな声をあげた俺を、パイプ椅子から降りたグラスワンダーは少しムッとしたような顔で睨んできた。

 

「一応私の自信作なんですけど……ご不満でしたか?」

 

「いや、別に文字に文句はないが……」

 

 というか、普通に上手いと思うが……。

 

「なら構わないですね」

 

 パッと笑顔になり、耳をピコピコさせながら彼女はパイプ椅子を片付ける。

 俺が不満、というか違和感を感じるのは、不必要な物が部屋の中に増えることなのだ。

 

 俺はシンプルに生きてきたつもりだ。必要なもの以外は捨ててきた。それが実体をもつ物質的なものであろうと、実体を伴わない非物質的なものであろうと。

 だから自分でも感情は少ない方だと思うし、感動することもあまりない。俺にとって必要ではないと判断したから。

 額縁に飾られたその意気込み?もそう。少なくとも俺にとってはこの部屋に必要の無い物であると判断している。

 

 ただ不満というほどではない。あっても別に不利益があるわけじゃないから。ただ、一番近い感覚が違和感がある、だろう。

 それに担当ウマ娘の願いならなるべく叶えてやりたいと思っていることも事実。だから俺は彼女の提案を否定するわけでもなく、ただ傍観していることを選んだ。

 

 その結果が『不退転』の文字が常に俺を監視する形になったというだけの話だ。

 

 ……ま、そのうち慣れるだろ。

 

 そう思いながら件の文字を眺めていると、俺が座る椅子の隣にグラスワンダーが静かに佇んだ。

 

「私、決めたんです。もう二度と負けないと。この身に誓ってもう絶対に勝ちは譲らない。相手に失礼の無いよう万全に挑んで全力で勝ちにいくと。その気持ちを表そうと思った時に思い浮かんだのが、この『不退転』の三文字でした」

 

 そう言いながら恍惚とした表情で額縁を眺める彼女の横顔を見やる。

 栗色の長髪と青く澄んだ瞳。絹のようなに白く水々しい肌。桜色に染まったゼリーのようなくちびる。

 今まで担当してきたウマ娘の中でもとびきりの美人だなと、他のウマ娘と容姿を比較するような我ながら失礼なことを思っていた。

 

「トレーナーさん、ちゃんと聞いてますか?」

 

 返事をしないでいると、訝しむようにこちらに顔を向けて聞いてきた。

 

「あ?ああ、いいんじゃないか?」

 

 いまいち腑に落ちないような顔をしたが、それも一瞬で、すぐに笑顔になると彼女は明るく俺に話かけてきた。

 

「それじゃあ次は買い物にいきましょうか!私、新しい蹄鉄が必要ですので」

 

 ……ん?何かおかしいな……。

 

「いや、俺はやることあるから構わず行ってこいよ」

 

 なんで俺が行くことが前提なんだ?

 

「でも……プロの指導者の意見も聞いて選んだ方が私としてもいいと思ったんですけど……」

 

 そういうと、すまなそうな顔とともに耳がペタンと前向きに倒れ、尻尾も動きを止めてしなだれてしまった。

 

「……ああ、まあ……」

 

 その意見は否定しないが、やはり行きたくない気持ちが上回る。

 曖昧な返事をして黙っていると、彼女はうつむいた顔から目線だけをチラッ、チラッと何回か目配せしてくる。なにかわざとらしさが滲み出るが、正直可愛いと思ってしまった。

 それでも色好い返事がもらえないと分かると、彼女は一つ溜め息をつき、続けて言葉を投げ掛けた。

 

「……そういえば、トレーナーさん言ってましたよね?私がバスの中から『和菓子屋行ってみたい』って言ったら『レースが終わったら考えてやる』って」

 

「………………」

 

 ……ああ、やっちまったな……。

 

「まさか、考えるだけで行ってやるなんて言ってないなんて言うんじゃ……」

 

「ああ!ああ!行くよ行く!さっさと準備して出かけるぞ。その制服も着替えてこい」

 

「……はい!ありがとうございます」

 

 そう言うとグラスワンダーはパタパタとあわただしくトレーナー室から出ていった。

 その尻尾はブンブンと激しく暴れて彼女の感情を雄弁に語っていた。

 

 俺は諦めて一息つくと、パソコンの電源を静かに落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして私達は初めて二人で学園の外に出ました。

 ただ、彼がいつものスーツ姿で校門に現れた時にはちょっと文句言ってやりたかったですけど……。でも私が昨日何を着ていくか悩んだのも無駄ではなくなったのでよしとしましょう。

 

 電車で揺られること十五分。私達は目的のスポーツ用品店にたどり着きました。ウマ娘専門のレース用品店。当然店内はウマ娘しかいません。私は彼の居心地が悪くないかと思い、少し気にしていましたが……。

 

「あ?俺の顔に何か付いてるのか?」

 

「い、いえ、別にそういうわけでは……」

 

 流石はトレセン学園のトレーナーといったところでしょうか。周りをウマ娘に囲まれていても平然としています。

 

「で、どんな蹄鉄がいいんだ?」

 

「え?えっと……、マイル以上で使えて、出来れば長距離にも対応した……」

 

 そういえば彼を外に誘うことに夢中でどんな蹄鉄を買うべきか考えてませんでした。

 

「……そんなの当たり前だろ……。お前は足の裏全体で踏み込むから広目の方がいいな。あとパワー型でもないから、あまり芝に食い込むのも良くない。加速力は落ちるが俊敏性の高いこういうのはどうだ?」

 

 そう言って彼は一つの黄色い蹄鉄を差し出して来ました。

 

「はあ、とりあえず試着してもいいですか?」

 

 そう言うと、私は持ってきた鞄の中から蹄鉄を抜いた競技用のブーツを取り出しました。

 

「おい!ちょっと待て!お前まさか、自分のブーツで試着しようとしてんのか?」

 

「え?ダメ……ですか?」

 

 彼は半ば呆れたような顔で一瞥すると、近くの店員さんに声をかけた。

 

 そう、私は蹄鉄を買いに来たことがない。ちいさい頃からずっと同じ蹄鉄を使ってきたために今まで買い替えずにすんできたからだ。蹄鉄の着け方外し方は知っていても買い方を全く知らないのだ。

 

「お待たせしました。こちらの試着用ブーツをお使い下さい」

 

 そう言って店員さんはゴツい一対の靴を差し出しました。こちらで装着させて頂きますか?という問いに対して、私は顔を赤らめながら頷くしか出来ませんでした。

 

 私が店員さんを待っている間、トレーナーさんは様々な蹄鉄を手にとって眺めていました。流石はプロとでも言うのでしょうか。ヒトの身でありながら私のような下手なウマ娘よりも蹄鉄のことを理解している。

 

 ……この人の実力は底が知れない。

 

 前々から感じていた彼に対する謎がより深まったような気がします。私一人が置いてきぼりを食らったような感覚になって、私はぼんやりと彼の背中を眺めていました。

 

「お待たせしました。それではどうぞ試着してみて下さい」

 

 そうこうしていると店員さんが蹄鉄をはめた先程の靴を差し出しました。

 私は言われるがまま靴を履くとそのまま芝用ランニングマシーンの所に案内されました。ランニングマシーンの走る所がプラスチックで芝を再現したものです。学園にもある型だったので使い方は分かりました。

 

「じゃあちょっと失礼しますね」

 

 そう言ってランニングマシーンに乗ります。すでにある程度走る設定がされていて、あとはスタートボタンを押すだけでした。

 私は早速起動して走りを確かめます。

 

「彼女いいフォームしてますねえ」

 

「ええ、まあ……」

 

 店員さんとトレーナーさんの会話が聞こえてきます。

 私は構わずスピードを上げ、時速60キロにしました。

 

「すごい!あのスピードでしかもフォームを崩さず走れるなんて……。彼女絶対プロになれますよ!」

 

「はは……。ありがとうございます」

 

 ……すごい!足が芝に吸い付いてくるみたいに踏み込んだ時に力が伝わる!

 

 私は夢中でランニングマシーンを走ります。気付けば坂路モードもやって十二分に堪能していました。

 

「ご満足頂けましたか?」

 

「はい!とっても良かったです!」

 

 私は店員さんに向かって満面の笑みで答える。

 その後ろでトレーナーさんが別の蹄鉄を持って構えていた。

 

「そうか。じゃあ今度はこっちを試してみるか?これは鉄じゃなくてゴム製なんだが、その分……」

 

「私、この蹄鉄がいいです!」

 

 一瞬、店員さんとトレーナーさんの時間が静止したような錯覚を覚えました。

 暫くの沈黙のあと、おもむろにトレーナーさんが話かけてきます。

 

「……お前、それでいいのか?他のも試着しなくても……?」

 

「ええ。私、これがいいんです。これを下さい」

 

 また暫くの間があったあと、店員さんは笑顔を見せ、

 

「お気に召しましたら何よりです。貴女の脚質にも合ってると思いますよ。それではお会計はあちらの方で」

 

 そう言って定員さんは私とトレーナーさんをレジへと案内します。

 ま、本人がいいならいいんだが……。と一人ごちながらトレーナーさんは私の後をついてきました。

 

「お会計¥98800です」

 

 …………うん?

 

「えっと……¥9880ですか?」

 

「いえ、¥98800です」

 

 

 

 

 

「……グラスワンダー?お前もしかして……」

 

「ハッ!?いえ!違うんです!あのちょっと……考え事をですね」

 

 頭が真っ白になるというのはこういうことなのだと初めて知りました。私は足りるはずもない財布の中身を漁りながらあたふたと言い訳を考えていました。

 

「はあ……。店員さん、カードでいいか?」

 

 突然、トレーナーさんが私とレジの間に割り込み、クレジットカードを店員さんに差し出しました。

 

「!?トレーナーさん!?いくらなんでもダメですよ!傘やタオルなんかとは違うんですよ!」

 

「じゃあお前払えるのか?ここにある蹄鉄は最低でも三万以上するんだぞ?」

 

 そう言われると私は閉口するしかありませんでした。私はまだ中学生の身。そんな大金は用意出来ません。

 

「……すいません。まさかこんなに高いものだとは思わず……」

 

「どうせ明日の練習でも必要だしな。必要経費だよ」

 

 そう言ってあっさりと大金を振り込むトレーナー。大変申し訳ない気持ちになりながら、この人もこの人でおかしいなと何となく思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「重ね重ね申し訳ありません。このお礼は必ずお返し致しますので」

 

 ウエイターさんが私達の前に器を並べていく。

 私達は今しがた買ったばかりの蹄鉄を手荷物に手近の喫茶店に入っていました。本当はこの間バスの車窓から見た和菓子屋さんに行きたかったのですが、あんな顔から火がでるような恥をかいて落ち着けるわけもなく、彼に対してもこんな状態でこれ以上連れ回すのは申し訳ないと思い、近くの喫茶店に逃げ込むように入ったのでした。

 

「気にすんな。出世払いで構わんよ。どうせ重賞の一つでもとればはした金になるさ」

 

 そう言って彼はせっかく頼んだブラックコーヒーに大量の砂糖を入れながらぼやきました。

 

 落ち込んでいるところを見せもしないトレーナーさんのために二人で出かける計画を立てたものの、こんな失態でトレーナーさんに迷惑をかけるなど大和撫子たるものあってはならないことだと我ながら反省していました。

 

「しかし、それでは私の気がすみません。トレーナーさんは何か欲しいものはないんですか?」

 

 そこまで聞いて、私はあの何もないトレーナー室を思いだしました。

 きっと彼は何もいらないと言うのだろうと思い、失敗したなと一人落胆していました。

 

「……ある」

 

 予想に反して彼は砂糖をコーヒーに溶かしながらそう切り出します。

 コーヒーの黒い液体に視線を落としながら彼は黙ったままゆるゆるとスプーンでかき混ぜていました。

 

「……あの、それって……?」

 

 彼はコーヒーを撹拌する手を止め、私に向き直って口を開きました。

 

「担当ウマ娘が中央競バで優勝することだ」

 

 ……ああ、結局この人も……。

 

「ふふ……。トレーナーさんは意外と強欲なんですね」

 

「強欲か。確かにそうかもしれん。ただ、俺が望むのはそれぐらいだ。地位も名誉も金さえも俺は欲しいとは思わん」

 

 貴方はそうやって、手にしたいもののために全てを捨ててーー。

 

「……まるで武士ですね」

 

 思わず零れた独り言は彼に聞こえただろうか……。

 

 彼はただ静かに笑って窓の景色を眺めました。

 

 

 

『不退転』

 

 

 

 今朝トレーナー室に掲げたあの誓いを思い起こしながら、この言葉は彼にこそ相応しいのではないかと一人で勝手に納得していました。

 

 頼んだはずの抹茶が何故か少し甘く感じたのは気のせいだったのでしょうか……。

 

 私と彼しかいない喫茶店の時間は二人を気遣うようにゆっくり流れているようでした。

 

 

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