きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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世代最強は

 

 さらさらと色紙に筆を立てていく。

 

 どこから持ってきたのか、硯に墨、文鎮と筆が殺風景なトレーナー室に持ち込まれていた。

 俺の担当バ、グラスワンダーはトレーナー室に来るや、風呂敷を持ち込んで俺の席を使わせてほしいと言ってきた。机と椅子が他にないからそれは別にいいんだが、彼女は風呂敷を広げるや書道教室よろしく硯に水をいれて墨を溶かし始めたのには参った。市販の墨汁を使えばいいのにわざわざ墨からするところから始めるのはいかにもグラスワンダーらしいといえばらしかったが、俺はそのためにトレーニング前に十五分はひたすらすり続ける彼女の背中を立ったまま見ていることになっていた。

 

 一文字目を書き終えたのか、筆を墨汁に漬けてまた書き出す。

 閑静なトレーナー室にシュー、シュッという筆の動く音だけが木霊していた。

 

 そういえば、昨日に続いて今日も乙名氏の取材が続くんだよな……。

 

「出来ました!」

 

 目の前の栗毛のウマ娘は急に声を張り上げると、椅子から垂れた尻尾が嬉しそうにぶんぶん揺れるのが分かった。

 そして椅子を回転させてこちらに向くと、その色紙を自慢げに俺の方に見せて来た。

 

「どうですか?トレーナーさん?」

 

「……上手い」

 

「もう……。それ以外にないんですか?」

 

 呆れるようにそんなことをぼやくグラスだが、正直どうコメントするか迷う代物だった。別に字が下手というわけではない。流石書道を嗜んでいるだけあって達筆なのは変わらずだ。

 ただ、苦虫を噛み潰したような表情であろう俺の顔を、新たな『不退転』の文字がせせら笑っていただけであった。

 

「お前、それはまた……」

 

「ええ。ここに掲げさせていただきます。これは私の新たなる覚悟です。もう退きません。二度と」

 

 『不退転』の文字を睨みながらそう決意を語るグラスワンダー。

 ここまで強情というか、頑なウマ娘は初めて担当したと改めて感じていた。

 

「それはそれでいいんだが、当面の目標をまだ決めてなかったな。凱旋門はもちろん最終的な目標でいいが、それとは別の今年の目標だ。俺としては復帰の足慣らしとして毎日王冠とかいいと思うんだが。ちょうど得意なマイルだしな」

 

「ですが、菊花賞は……?トレーナーさんが目指した三冠はもう叶いませんが、二冠を目指せと言われれば私はそれに尽力させて頂きます」

 

「気持ちはありがたい。でももういいんだ。クラシック三冠にこだわっていた俺はもういない。お前と、グラスと歩む頂きの景色を見てみたいんだ」

 

 そこまで言うと、グラスワンダーは心底嬉しそうに笑みを浮かべた。頬が紅潮し、尻尾がぶんぶんとせわしなく動くのがよく分かった。

 

「それになグラス、お前は二冠って言ったが、グラス自身皐月賞の勝ちは納得してないんだろう?俺に気を遣って本心とは違うことを言う必要はねえよ」

 

「……それを言わしてもらうならば朝日杯もそうです。私はゴールの瞬間、何も記憶にありませんでしたから」

 

「なんだ……。そんじゃあ、グラスはG1を勝った実感がないってことか?」

 

「……残念ながら……」

 

 伏し目がちにそう語るG1二勝バ。とてもその戦績に似つかわしくないウマ娘を前に、俺は一つの提案をした。

 

「それじゃあ、グラスにはまずG1優勝の景色を見てもらわなきゃな」

 

「それならば、私もカブラギさんにもまだ見ぬ景色を見させてあげたいです」

 

「……どういうことだ?」

 

 意趣返しをされて困惑する俺に、グラスワンダーは一つ不敵な笑いを浮かべた。

 

「有馬記念」

 

 ハッとして息を飲む。俺の中でにわかにクラシック三冠の熱と同じような衝動が湧き上がってきたように感じた。

 

「昨日乙名氏さんの取材でお聞きしました。まだ有馬記念の優勝バを輩出していないと。これも日本最高峰のレースの一つ。これに勝てば『ウマ娘潰し』なんて不名誉はきっと無くなるのではないでしょうか?」

 

「……お前はそんなこと気にしなくていい。が、有馬記念は確かに目標としていいな」

 

「でしたら一つ、提案があります。もし私が有馬記念に優勝しましたら、ソファをトレーナー室に置いて頂けないでしょうか?」

 

「ソファ……?」

 

「だって、トレーナーさんの椅子と私の座るパイプ椅子だけだなんてあんまり殺風景なんですもの。トレーナーさんにとっても私の後の担当バにとってもいいことじゃないですか?」

 

 呆気にとられる俺に、彼女は屈託なくそう返す。

 一瞬、グラスとは違う担当バがトレーナー室のソファに腰掛けている姿を想像しようとしたが、そこに座っているウマ娘は栗毛の長髪、膝の上に両手を交差して置いておしとやかに座るその姿しかうまく思い描けなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

「毎日王冠デスか?それならエルと一緒デスね!」

 

 いつものカフェテリアでエルコンドルパサーはスパゲティを頬張りながらそう話しました。彼女が口を動かす度にデスソース付きのスパゲティのカスがテーブルに飛び散りました。

 

「エル?物を口に詰めながら話さないように」

 

「モガッ!ご、ごめんまふぁいデース」

 

「エルちゃんもグラスちゃんも毎日王冠出るんだ!G2なのに今年は凄い豪華なメンバーが集まってるね!」

 

 ご飯をほおばりながら嬉しそうにそう語るスペちゃん。また口から色々なものが飛散しています。

 

「スぺちゃん、何か言う時は一度ごっくんしてからにしましょうね」

 

「ケッ!なんか私と大分扱いが違いマース」

 

 飛び散った机の上をナプキンで拭いていると怪鳥が情けない声で抗議しました。

 

「でも豪華だなんて……。エルはともかく、私は怪我明けですからそんなに期待されても困ります。もちろん出るからには勝つつもりでやりますけれど……」

 

「おや~?怖気づいたデスか~?そりゃあマイルG1を二勝した怪鳥を前にそんな易々と勝利宣言なんてできませんよネ~。イダダダダダ!痛い!いたいデース!」

 

「朝日杯で私に負けたのは誰でしたっけ~?」

 

 隣に座るエルの脇腹を思いっきりつねります。悶絶して体を捻りますが、逃さないように指に力を込めました。

 

「もちろんグラスちゃんもエルちゃんも強いから期待してるよ!でもそれだけじゃなくて今回はスズカさんも出るんだって!」

 

 スズカ……?それってまさか……。

 

「あらスペちゃん。それにグラスワンダーさんとエルコンドルパサーさん」

 

 透明なガラスのような声がしてその方を向くと、長髪栗毛に白いヘアバンドと耳にメンコをしたスレンダーなウマ娘が昼食のトレーを持って佇んでいました。

 

「あ、ごめんなさい。私の名前が聞こえたものでつい……」

 

「全然構わないよ!スズカさんも一緒に食べよう!」

 

「でも皆さんで食べてるところにお邪魔じゃ……」

 

「スズカ先輩、毎日王冠出るってほんとデスかー?」

 

 逡巡するスズカさんにエルは遠慮なくそう問いかけました。エルのこういう遠慮のなさはこういう時に助かります。

 

「ええ、まあ……。天皇賞の前哨戦として……」

 

 前哨戦……?

 

「そこでまあ足慣らしというか、試合勘を付けてから天皇賞に」

 

「スズカ先輩は、毎日王冠で勝つつもりは無いんですか?」

 

 思わず口を挟んでしまいました。彼女のレースに対する言い方に引っかかってしまったからです。

 

「私も得意なマイルを復帰戦として選んだというところはありますが、出場するレースには必ず勝つつもりです。それを……」

 

 前哨戦?足慣らし?

 サイレンススズカ。大逃げで相手を寄せ付けない驚異的な走りをするウマ娘。ここ半年で急に頭角を現して、先の宝塚では最右翼のシンザンさんをちぎって勝ち、巷では一躍世代最強の歌声を受けるまでになったその娘がこの程度の覚悟でレースに臨むのですか……?

 

「気に障ったのならごめんなさい。勝ちたくないわけじゃないわ。勝ったらトレーナーさんが喜んでくれるもの」

 

「トレーナーさんがどうとかではありません。スズカ先輩自身、勝ちたいと感じているのですか?」

 

「私は……。正直、勝ちたいとか分からないわ。私は自分が走りたいと思って走っているから……」

 

「…………グ、グラスちゃん……?」

 

 握りこんだ拳に力が入ってテーブルの上でわなわなと震える。自分でも驚くぐらい歯を食いしばって出ていきそうになる言葉を必死に飲み込んだ。

 

 彼女のレースでの心持は同じ競技者として到底受け入れられない。なのに私と互角のシンザンさんを、このサイレンススズカは三バ身差で圧勝しているのだ。

 受け入れられない現実と自分の非力さに私は為すすべもなく己を押し殺すことしかできませんでした。

 

「……なんだか悪い事しちゃったみたい。私、もう行くわね」

 

「スズカ先輩」

 

 踵を返して立ち去ろうとするスズカさんに声を掛けます。ピタリと止まったその背中に緑のメンコだけがこちらを向いているのが分かりました。

 

「勝ちにきてください。全力で迎えます」

 

「ええ。私も全力を出し切るわ」

 

 それだけ言って彼女は昼下がりのカフェテリアに紛れて行きました。

 

 

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