「なんか最近怪しいデース……」
「……何のことです?」
大晦日だというのに実家にも帰らず、顎に手を置いて訝しむようにジト目で私を観察するルームメイト。
私はコケリウムに霧吹きで水をやる手を止めずに聞き返しました。
「この間は朝早くお弁当作ってどこか行くし、今日は着物を見ながらニヤニヤしてるし」
「着物は正月に使うために用意してるんですよ。お弁当も外で食べたかった気分なんです。エルの分も作ってあげたでしょう?」
エアコンのよく効いたこの部屋で、籠に入ったマンボがキーと餌を催促しました。
私はコケリウムの水やりを終えると部屋のベッドに腰を下ろして、怪しむ怪鳥を余裕を持った笑みで見上げました。
「それはありがたかったデスけど……。でも正月に使う着物だったら、今日の二年参りで着て行って欲しいデス。グラスの着物姿なんて滅多に見れませんから!」
「でも朝まで大雪が降るという予報ですから、着物は使いたくありませんね」
「それでも見たいデース!大和撫子(自称)が神社仏閣で着物着てお参りする姿、是非見てみたいデース!和傘さして木の靴とか履いて行けばいいでしょう!?グラスの見返り美人。写真にとって額縁に収めておきたいデース!」
「エル……」
「そのデカケツをどうやって収めるのかも注目デース。着物を着れば目立たなくなるのか、それとも余計に強調され」
「エール―?」
少し調子に乗るとすぐこれです。
軽く威圧するとヒッ……。というなんともいえない悲鳴を上げて大人しくなりました。
それよりも、トレーナーさんと約束した明日の初参りに思いをはせて、一人内心高揚しているのでした。
「すまん。待たせた」
トレーナーさんが待ち合わせの場所に現れたのは約束の時間から五分遅れてのことでした。辺りは元日だというのに多くの人が構内を行ききしていました。
「雪で電車が遅延しちまってな。申し訳ない」
「いえいえ。私も時間ぴったりでしたのでお待たせしたんじゃないかとヒヤヒヤしてました」
学生相手にしきりに謝る大の大人がなんだか妙におかしくて、私もそんな彼に合わせて待ってないアピールをしました。でも実際時間ピッタリだったのは本当ですけど。
「それにしてもすごい雪ですね~」
「ああ。もう十年以上住んでるが、都心でこんなに降るのは初めてだな。……だがすぐにグラスが分かって良かった」
「そんなに目立ってましたか?」
「そりゃあそんな恰好してればな」
カブラギさんはなめるように私の全身を眺めてからそう言いました。今日のためにわざわざ用意した着物。赤を基本に牡丹の花をあしらったそれは現代の日本ではなかなか見られないものなのでしょう。待ち合わせ中に行きかう人々を見ても、着物姿の人を探しだすのは至難でした。
「悪目立ち、というものでしょうか……。やっぱりアメリカのウマ娘に着物は……」
「何言ってんだ。似合い過ぎてて目立ってたってことだよ。どこのどいつがこんな美人待たせてるだと思ったよ。……ああ、クソ」
時々トレーナーさんはこんな歯が浮くようなことを平気でおっしゃいます。
私はあんまり恥ずかしくて真っ赤になっているであろう顔を伏せてしまいましたが、尻尾だけは意に反してぶんぶんと喜びを表現していました。
「まあいい。さあ、行こうか」
「……はい!」
~~~~~~~~~~~~~~~~
グラスが縄を揺らすとガラガラと鈴が鳴った。神様を呼び出す呼び鈴のようなものだと教わった記憶があるが、こんな元日のようにひっきりなしに人が来たら神様もずっと出ずっぱりだろう。
グラスの動きに合わせて二礼二拍手一礼をすると、心の中で願い事を神様に伝えた。
グラスが健康で良い成績を残せますように。
祈り終わってそっと横を見ると、当のグラス本人はまだ目を閉じてお祈りをしていたようだった。後頭部にまとめた髪が太陽の光を反射してキラキラ光った。少し緩んだ頬が笑みを作って、その端正な顔を神々しく仕上げていた。
俺が彼女の横顔に見とれていると、おもむろに閉じていた瞼を開いて顔を上げた。
「願い事は出来たか?」
「ええ。ちゃんと神様にお祈り出来ました」
満面の笑みをこちらに寄こして俺の愛バはそう答えた。
「ちなみにその願いってのは?」
「ふふ……。知りたいですか?」
口元を抑えながら細目を開けていたずらっぽい顔を寄こすグラス。俺は内心藪蛇だったかな、と思いながらそれでも一応食い下がってみた。
「まあ、気になると言えば気になる、かな?」
「それじゃあ当ててみて下さい」
「そうだな……」
そこまで言いかけて背中から無言の圧を感じるのが分かった、横目で見てみると後ろにいた少し強面の男がこっちを睨んでいるのが分かった。
そういや超混んでんだよな……。
「グラス、とりあえずここを離れるか。待ってる人もいるし」
「あら、確かにそうですね。ご迷惑かけてしまったかしら」
言うがはやいか、俺は彼女の手を引いて神社の前から退場した。背中ごしに「すいません」と謝るグラスの聞こえる。確認がてら後ろに視線を流してみると、さっきの強面の男が笑顔でそれに応えていたのが見えた。
大吉
折りたたまれたその紙をめくってみると、そこから縁起のいい文字が飛び出してきた。
「どうでした?トレーナーさん」
「あんまり見せたくないな」
「あら?どうしてですか?」
「かんばしくない結果だから」
「占いの結果はあまり重要ではありませんよ。たとえ悪い結果でもこれから起こることに注意できるというのが占いの真に良い所です」
「……そんなもんか?」
「それじゃあこうしましょう!」
俺の煮え切らない態度にしびれを切らしたのか、彼女は一つ手を叩くとこう提案してきた。
「せーの、で一緒に見せ合いましょう?どんな結果が出ていても恨みっこなしで」
「そこまで言うなら……」
俺は渋々という感じでその提案を了承した。みくじを見えないように手のひらに隠すとそれらしく構える。
「いいですか?せーの……!」
同時に見せ合った相手方のその紙には、『吉』と大きく書かれているのが目に入った。
しかし、ほとんど同時に黄色い声が上がるのが分かる。
「トレーナーさん!大吉じゃないですか!」
「はは……。みたいだな」
おどけてみせると、グラスはふくれっ面で抗議しだした。
「もう!なんですか?『かんばしくない結果』なんて言って。私のことからかって」
「それは本当だよ。俺なんかじゃなくてグラスにこれは引いてもらいたかったからさ」
「トレーナーさんったら……」
愛バは少し顔を赤らめて力少なに抗議した。
そんなことをしていた時、屋台がならんだ参道の方から聞き覚えのある声が響いてきた。
「やめるデス!興味ないって言ってるデショ!!」
この特徴的なしゃべり方は……。
参拝客が皆何事かと声のする方に目を向けていた間に、側にいたはずのグラスワンダーがその声の方に駆けて行った。俺もつられて彼女の後を追いかける。グラスは着物の裾が邪魔をしているのか、人垣をかき分けながらとはいえその背中にすぐに追いつけてた。
「だから、行かないって言ってるデス!いい加減にしてください!」
人垣をかき分けていくと、遠巻きに眺める人々の中心にマスクを被った見覚えのあるウマ娘とそれに絡む二人の若い男がいた。
「なあいいじゃん。ちょっと一緒に回るだけだから。どうせ一人なんでしょ?」
「俺らと初詣した方が御利益あると思うぜ?」
その光景を見た瞬間、反射的に体が動いていた。余裕があるようにゆっくりと人垣の中から歩み出る。そして落ち着いた口調でそのウマ娘に声をかけた。
「悪い。遅くなった。……こいつは俺の連れですが何か用ですか?」
そのマスクを着けたウマ娘は少し驚いたような素振りを見せたが、すぐに意図を察したのかこちらのセリフに乗ってきた。
「良かった……。こいつら何にも関係ないデス。さっさと行きまショウ!」
「おいおい、そんなオッサン相手なんてんなことあるわけねえだろ。関係ねえ奴はすっこんでろ!それとも正月早々パパ活か?」
彼女が手を引いて行こうとしたところを二人が行く手を阻んで遮る形をとった。こんな人の多い所でウマ娘相手に堂々とナンパするのも大概だが、これでも引き下がらずに食い下がるのはいささか呆れてしまった。
「お前らいい加減にしろよ。俺はこいつの……」
「お二人ともどうされたのですか?」
俺のセリフを遮って背後から聞き慣れた声が上がった。
見るとすぐ脇にグラスワンダーがいつの間にか立っていた。しかし、その様子はいつもののんびりとしたウマ娘ではなく、俺でもよく分かるほど殺気を周囲にまき散らしていた。
「私のトレーナーさんと友人に何か御用でしょうか?もし良ければ私がお話をお伺いしてもよろしいですが?」
「い、いや、何でもないです」
空気の読めないこの二人でも流石にグラスの圧に圧倒されたのか「行こうぜ」と言いながら二人ともそそくさとその場を後にした。
そんな光景に呆気に取られていると、
「さあ行きましょう」
と言ってエルコンドルパサーが俺とグラスの手をとって人気の無いところに引っ張っていく。遠巻きに眺める周囲の目が痛かった。
「ありがとデース。助かりまシター」
大きな木立の元に来ると大きなため息をついて怪鳥が吐き出すようにそう口にする。屋台越しに見える人の流れは、さっきのことなど何事もなかったように流れていた。
「新年早々えらい目に会ったな」
「どこか怪我などはありませんか?」
「大丈夫デス。ほとんど触られてないデスから」
「それは良かったです。それはそうと、どうしてエルはここへ?初詣は私と一緒に二年参りでしたはずですが?」
「そこデスよ!」
食い気味にエルコンドルパサーは俺たち二人を指さしてそれが核心だと言わんばかりに捲し立てた。
「グラス!私と一緒に初詣したじゃないデスか!どうしてカブラギさんと初参り来てるんデスか!?ていうかもう初参りじゃないデスけど!?」
「そうだったのか……。グラス、俺に気をつかってくれてたのか。言ってくれれば……」
「トレーナーさんが気に病むことではありませんよ。私のわがままでトレーナーさんに付き合わせてしまったのですから、むしろ謝るのは私の方です。それより、つまりはエルは私たちの後をずっとつけていたということですか?」
そこでエルコンドルパサーはギクリと一瞬たじろいだが、またすぐに語気を強めて言い返してきた。
「だっておかしいでしょう?深夜に神社に行って眠そうに帰ってきたのに、十時前にまたどこか行こうとするんデスよ!お昼ようのおせちもわざわ用意してるし、私を起こさないように静かに気をつかって準備して行くし。そんな気をつかわれるぐらいならどこに誰と行くかぐらい事前に教えて欲しかったデス!私との時には着てかなかった着物まで持ち出して、それこそグラスに恋人が出来たんじゃないかと思いましたよ」
恋人……。
そこまで一気に捲し立てると、はああ~と一つ大きくため息をつくと、今度はビシッ!とこちらに指を突き立てて来た。
「ていうかもう見た目は完全に付き合ってマス!百人が百人あの光景みたら絶対付き合ってるって言いマスよ!」
そう言われてから思わずグラスの方に見やる。するとすぐそばに立ったグラスも見上げるようにこちらに視線を投げかけていた。こころなしか、その頬は赤味を帯びて気恥ずかしそうにしていた。
『私、諦めませんから』
瞬間、この間のやり取りを思い出し、さらにその満更でもない顔を見た途端に俺も気恥ずかしさを感じて無言で視線を空に逃していた。早朝まで雪が降っていたのに、今の空は太陽の光が目に刺さるほどの快晴だった。
「アーッ!何満更でもない顔してるデスか!?ま、まさか本当に……??」
何も言えずに雲一つない空を見上げていると、ふいに腕に絡む柔らかな感触が俺を襲った。
何事かとその方を見ると、顔を赤らめながら上目遣いでこちらを見つめるグラスが俺の腕にその腕を絡ませているのが見てとれた。
振りほどく考えも浮かぶ間もなくエルコンドルパサーの方に反射的に顔を向けると、そいつはマスクの上から両手で顔を覆って下を向いていた。
「~~~~~~~!!」
「あ!おい!」
俯いたその状態でも顔中真っ赤にしていた怪鳥はそのまま何も言わずに踵を返して走り去ってしまった。
空しく伸ばした手が遠くなっていく彼女の背なかを捉えようと泳いでいたが、その姿はすぐに人混みに紛れて見えなくなってしまった。
「……エルには私から口外しないようお願いしておきますのでご安心下さい」
「そういうことじゃないだろ!」
思わず苛立ちのまま彼女の絡ませていた腕を振りほどく。そのまま頭を抱えてどうしてこんなことになったのかと思案した。
「申し訳ございません。少し、出過ぎた真似をしてしまいました……」
しかし俺は彼女の謝罪も耳に入ってこずに一人考えあぐねていた。
参った……。はっきり否定しておけば……。いや、そもそもあの時、グラスにはっきりした態度をとらなかったことが遠因。俺の責任だ。指導者ともあろう者が……。だが、気持ちとしてなら……。
『カブラギさんはトレーナーというお立場ですものね』
『また見せてよ。……貴方の溢れ出るパッションを』
自分の中で湧いては消えていく様々な思い。指導者としての回答は知っているはずなのに、その答えを言うのが本当に正しいのかともう一人の自分が問い詰める。
「……すまん。ちょっと手洗いに行ってくる……」
頭を冷やすために一人になりたかったのが本当だったが、俺はグラスの返事も待たずにフラフラと人波の隙間から見えるW.C.の標識に従って歩いて行った。
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「……トレーナーさん……」
ドキドキと早鐘を打つこの胸はさっきの腕を組んだせいだけではありませんでした。少しの心配と不安が混ざった胸中を抱えながら彼の覚束ない足取りを目で追っていると、急に声がかかるのが分かりました。
「失礼ですけど、もしかして有マ記念優勝したグラスワンダーさん?」