きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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ゲート難

 

 ターフの上を快活に走る二つの影。

 肌に刺すような強烈な日の光とうだるような暑さが体に堪える。

 風は吹くがじっとりした空気が大粒の汗を浮かべる額を撫でるだけだった。

 

 夏休みに入りクラシック級、シニア級が合宿に行っている間、グラスワンダー達ジュニア級は学園での練習に励んでいた。

 合宿所とは違い、もはや亜熱帯となった都会の夏は運動するには適さない。

 他に誰もいないターフをグラスワンダーとキングヘイローが並走しているが、そう長くは外でやらせられないだろう。

 

「まさか先輩の方からお声がけ下さるとは……。胸をお借りしますよ。あ、でも胸を借りるならグラスちゃんの方がいいかなあなんて」

 

 キングヘイローのトレーナーがおちゃらけながら話かけてきた。

 こいつはキングヘイローを担当ウマ娘として初めて迎えた新人トレーナーだ。新人の中でキングヘイローを担当出来るのは恵まれていると言えるだろう。だが、俺のグラスワンダーとともにキングヘイローもクビ差だがメイクデビュー戦を落としている。

 

「グラスちゃん好調ですね。次の未勝利戦は余裕でしょう」

 

 何も言わずに二人の走りを見ている俺に構わず、こいつはさらに言葉を投げ掛けた。どうもおしゃべりなようだが、俺はあまり喋りたくない方の人種だ。

 

「……メイクデビュー戦もそう言われてたんだがな」

 

「いやあ……ははっ。まあ、あれは事故ですよ……」

 

 まだ新人だからだろうか。あれを『事故』で片付けられる神経が羨ましいと思えた。

 いや、端から見ればやはり事故なのだろう。ただ、異変の予兆を見抜いておきながら気のせいだと自分を納得させてしまった俺自身を許せないだけなのだ。

 

「……それより、お前はちゃんとキングヘイローを見てやれ。お前の担当バだろう」

 

 俺から見てキングヘイローは短距離向きの片鱗を見せている。だが、こいつが選んだメイクデビュー戦は中距離。キングヘイロー本人が望んだのかもしれないが、距離の適正が合ってないと感じていた。それでも二位に食い込める彼女はやはり才能自体はあるのだろう。それを生かすも殺すもトレーナーにかかっているのだから、俺達の責任は重大なのだ。

 

「いやあでも彼女、意外としっかりしてて頑張り屋なんですよ。ぶっちゃけ一人でもやっていけるし、新人の俺なんているのかなあって感じ。最初はお嬢様気取りでプライド高そうだからどうしようって思ってたんですけどね」

 

「……てめえ、ふざけんなよ……」

 

「な、何怒ってるんですか?先輩……」

 

 あまりにも能天気に語る新人に思わず汚い言葉を吐いてしまった。この分だとキングヘイローの変調にも気付いていないのだろう。

 

「俺達はウマ娘の水先案内人だ。てめえがフラフラしてたら彼女は路頭に迷うことになんだよ。知識が足りないと思ったら本を読め。いい走り方が分からないと感じたら強いウマ娘の走りを見るんだ。新人もベテランも関係ねえ。一度ウマ娘を担当したらそいつの人生背負う気概でやんだよ」

 

「…………う、うす……」

 

 静かに、それでも毅然として言い放つ。

 半分演技だが、それでも担当ウマ娘をないがしろにする言動は許せなかった。

 

 ……別に先輩風吹かすつもりなんかなかったんだがな……。

 

 後輩とはいえ、自分の方から並走を頼んでおいて威圧的な態度をとってしまったことに若干後悔の念が立つ。

 ちょっとした贖罪のつもりで少しヒントを与えることにした。

 

「三本……ハア……走ってきました~」

 

「フウ……。なかなかいい感じだったわ。追加並走する権利をあげる!」

 

 並走を終えたグラスワンダーとキングヘイローが俺達がいるベンチに歩いてきた。

 

「いや、この暑いなかこれ以上は続けられない。一旦室内に入って体を冷やそうか」

 

 キングヘイローの方はまだやる気のようだがそれを静止する。後輩も訝しむ視線を投げ掛けたが構わず荷物をまとめ始める。

 

「え?ですがまだ30分ほどしか……」

 

 そこまで言ったグラスワンダーを視線だけで牽制する。すると彼女も何かを感じとったのか話を合わせてきた。

 

「でも、そうですね~。このような気温の高い日は外で練習するのも危険です。室内で練習しましょうか~」

 

「はあ!?まだ始めたばかりじゃない!あんた達やる気ないの!?」

 

「そう言わず、ちょっとは座学でもしたらいいんじゃないか?アイシングで脚を冷やしながらでもな」

 

 そう言うや、キングヘイローは目を見開いて硬直した。

 後輩のトレーナーもようやく気付いたようで、たどたどしくキングヘイローに近づき言葉をかける。

 

「……いつからだ……?」

 

「な、なんのことかしら……。さあ、トレーニングさせる権利をあげるからさっさと指示を出しなさい」

 

「……これは命令だ。保健室に行くぞ」

 

「……ふ、ふん!なんのつもりか知らないけど、ちょっとだけ一流っぽくなった貴方に免じて今回は従ってあげるわ。私が他人からの命令を聞くことなんてまずないんだから感謝しなさい!」

 

 そう言うと、二人は校舎へと向かっていった。

 

「……お前も気付いてたのか?グラスワンダー」

 

「ええ。並走した時に隠してましたが苦しそうにしてたので……」

 

 二人の背中を見送りながらグラスワンダーはそう答える。

 でかい割には頼りなげな後輩の背中を眺めながら俺は次のトレーニングをどうするか考えていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「それで、どうしましょうか?並走トレーニング出来なくなってしまいましたが……」

 

 キングさんの突然の退場に予定を狂わされたのか、トレーナーさんは顎に手を当てて考え事をしているようでした。

 

「……まあ、ターフが貸し切りなんてまずないからな、もう30分ほど使わせてもらうか」

 

 そう言ってトレーナーさんは私をベンチで休ませている間に練習用の移動式ゲートを用意しました。

 

「最後は軽くスタートダッシュの練習をする。まあ何度もやってると思うが、ゲートの開くタイミングは教えない。開いた瞬間に走り出せ。もちろんなるべく早くな」

 

「ええ、授業でもやってるので大丈夫ですよ~」

 

 そう言ってボトルから水分をとった後、ゲートに向かう。

 容赦なく照らす太陽の熱線。地面から立ち上る熱気が足元からも体温を上げていく。

 せっかく最近はグラウンドでの練習を増やしてもらえたのに、流石にこの熱気は堪えるものがありました。それでもあとちょっとと思えばやる気の方が勝ります。

 私はゲート前に着いてその中に入ろうとしました。

 

 

 ――ドクン!

 

 

 突如、心臓が大きくはね上がり私に警告を告げてきました。

 

 ……あれ?何これ……?

 

 ドクドクとまだ走ってもいないのに心臓がにわかに騒ぎだします。気のせいか若干息苦しさも感じました。

 

「おい何やってんだ。さっさと…………お前、どうした……?」

 

 何か異変に気付いたのか、ゲートに入らない私をトレーナーさんが心配そうに見てきます。

 

「……いえ、いえ……。なんでもありませんよ。……さあ早く練習を始めましょう?」

 

 努めて平静を装って無理矢理ゲートに入る。

 

 閉じられた扉の前まで来ると、跳び跳ねるように心臓がバクバクと音を立てて鼓膜を刺激しだした。狭い所に入ったせいだけではないでしょう。口で酸素を求めるようにハアハアと息が荒くなったのが自分でも分かりました。何が起こったのかと手の平を見ると、両の手にじっとり手汗が浮き出ているのが見てとれます。

 

 バタン!

 

 突如後ろの扉が閉められました。遠隔操作でトレーナーさんが閉めたのでしょうが、今の私にはそんなことを考えられる余裕がありませんでした。

 

 閉じ込められた!

 暗い!

 息が苦しい!

 死んじゃう!!

 助けてトレーナーさん!スペちゃん!エル!みんな!!

 

 狭窄した暗闇の中で私はあの日の景色を確かに目にしました。

 

 

 

 

 

 風雨に晒されながら空しく5着までしか表示しない掲示板。私の番号は無い。

 服が雨で張り付き、靴裏についた泥が私をこの世界から逃すまいと重く纏まりついてくる。

 生ぬるい雨が頬を叩き、現実を見ろと叱りつけてくる。

 雨と泥と芝の臭いに混じって、大勢の人間の臭気が容赦なく鼻の奥を蹂躙する。

 ザーという雨の音とともにかつて聞いたアナウンスの音が耳をつんざいた。

 

「グラスワンダー!最下位!最下位です!!一番人気が、何バ身差で勝つかと言われていたウマ娘が波乱の最下位発進です!」

 

 心臓がかつてないほどに暴れだした。

 呼吸は最早してるのかしてないのか自分でも分からない。

 

「グラスワンダー!最下位!最下位です!!一番人気が、スタート前から勝ったつもりの愚かなウマ娘が!」

 

 視界がぐるぐる回りだして私を嘲笑うように電光掲示板はぐにゃりと渦を巻きだします。

 

「最下位!最下位です!!最下位!圧倒的最下位!亀にも劣るこんなウマ娘がレースをしてもいいのでしょうか!」

 

 もう肌の感覚も臭いも視界さえも閉ざされ、ただ私の耳にあの声だけがこだましました。

 

「最下位!最下位!!ウマ娘が走れなくなったら何が残るのでしょうか!この木偶が!」

 

 

 

 

 

 …………やめて……!

 

 

 

 

 

「どうあがいても最下位!!観客の笑い者がまだ走ろうとしてます!」

 

 

 

 ……やめて……!ヤメテ……!!

 

 

 

「どうせ最下位しかとれないのにまだ恥を晒すつもりです!この先どう生きていくつもりなのでしょうか!」

 

 ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 

 

 

(どうした!おい!)

 

 

 

 …………声……?

 

 

 

「グラスワンダー!!」

 

 声のする方を見上げると逆光を浴びたトレーナーさんの心配そうな顔が浮かんでいます。

 私はいつの間にかゲートの中でしゃがんでいました。全身がガクガクと震え、さっきまで額から汗をかくほど暑がっていた体は氷水を浴びたかのように冷えきっています。

 

「……トレーナーさん……。……トレーナーさああん!」

 

 私はひざまずいてトレーナーさんの脚にしがみつきました。みっともなく掴んだその腕はぶるぶると震え否応なく彼に私の感情を伝えます。

 頬を伝う涙が緑のターフへと吸い込まれていきました。

 

「もう大丈夫。大丈夫だ……」

 

 優しく声をかけられた私は彼の脚をギュッと強く掴み直し、彼がどこにも行かないようにただひざまずいて泣いていました。

 

 ターフを奏でる蝉の音が真夏の晴れた日であることを私に知らせていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グラスちゃん大丈夫?」

 

 見上げると黒鹿毛の頭が朝日を浴びて黄褐色に輝いていた。真ん中の特徴的な白い髪は彼女の耳と同じようにしなだれている。

 

「……ええ、大分……マシ、みたいです」

 

 屈みながら覗いたその顔は彼女の感情を隠そうともせず、心配そうに私を見下ろしていた。

 

「グラスちゃん、無理しちゃ駄目だよ。辛いなら休憩しなきゃ」

 

 スペシャルウィークは気遣うようにそう提案してくる。きっと彼女は本当にそう思って発言したのでしょう。

 それでも私は内心……いえ、もはや隠すこともせず明らかに焦っていました。

 

 ゲートが怖くて出走出来ないなど、大和撫子然とすることを心がけている私にはあってはならないこと。本来なら誰にも相談せず、トレーナーさんと二人でなんとか克服している問題のはずです。

 しかし、次の未勝利戦まで残り一週間。このままでは一着はおろか、ゲート試験で弾かれ出走者リストにすら載りません。

 私はもう恥を忍んで、スペちゃんに朝練の時間をわざわざ割いてもらってゲート克服のための練習を手伝ってもらっていました。

 

「……私は、平気ですから……もう一度、お願いいたします」

 

「でも……」

 

「お願い……いたします」

 

 そういって立ち上がりながら膝についた土を軽く払う。

 スペちゃんの不安そうな瞳を見つめながら、私は断固とした決意を無言で彼女に押し付けた。

 

「……じゃ、じゃあもう一回やるね。辛くなったらいつでも言ってね」

 

 そう言うと、彼女は前のゲート門を閉じます。急に暗くなった視界の中で平静を保とうと私は必死にトレーナーさんの滅多に見せない笑顔を思い浮かべていました。

 

「ええ……、ありがとうございます」

 

 言い終わると同時に後ろの扉が閉まる。

 

 

  ――瞬間、私は口を抑えながら心の中で絶叫していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グラスー。最近元気無いですが大丈夫デスかー?」

 

 トレーナーさんとのトレーニングが終わり寮に戻ったとたん、部屋で待ち構えていたエルコンドルパサーが話かけてきました。

 

「……なんの、話でしょうか?」

 

 努めて平静を装いながらそう答えますが、内心冷や汗をかきながら絞りだします。

 

「……デスが……うーん、言ってもいいのかドウか……」

 

 そう言うと彼女はベッドの上で胡座をかきながら腕を組んでうんうん唸りだしました。

 

  ……そこまで言ったら最早言ったも同然なんですが……。

 

 そんなことを思いながら、私はすでに同世代にゲート難のことが広まっていることを諦めとともに受け入れました。

 

「……グラス、すごく聞きにくいんですが……」

 

「……はい。なんでしょう?」

 

 身構えながらエルの次の言葉を待ちます。大体の予想はついていましたが……。

 

「……トレーナーさんから何かされてませんか?」

 

 

 

「………………はい……?」

 

 我ながら間抜けな声が飛び出しました。

 私の予想に反してエルの質問は私のトレーナさんについてのことらしいです。

 何のことかと戸惑っていると、エルはさらに言いにくそうに言葉を繋げました。

 

「……いえ、トレーナー同士の会話で聞いてしまったんですが、どうもグラスのトレーナーさんは有名なトレーナーらしくて……」

 

 ああやはり……。

 

 担当されるのは勿論初めてだったので確証が持てなかったのですが、私の担当トレーナーはウマ娘よりもウマ娘のことが分かっていると思わせるほど優秀なところを垣間見せます。賞状やトロフィーなんかは見たことがないのですが、きっととんでもない程に有能なトレーナーなのだろうと内心思っていました。

 いくら本人がそういうことを吹聴しなかろうと、長年やっていれば同業のトレーナーの間で隠せるはずもありません。

 私はそういうところで有名なのだろうと思っていたのですが……。

 

「『何かされる』とはどういうことでしょうか?」

 

 そのことと『何かされる』の言葉がどうしても結びつきません。

 全く見当がつかない私の口から当然のようにその質問が飛び出しました。

 

「いえ、その……、これも聞いてしまったんですが、トレーナーさん達の間でグラスのトレーナーさんは『ウマ娘潰し』って呼ばれてるらしいんデス」

 

 …………???

 

「えっと、つまりデスね、優秀なウマ娘をスカウトしてはその才能を潰してるっていう……」

 

 その刹那、私の視界が一瞬で真っ赤に染まったのが分かりました。

 

「私の!トレーナーさんが無能だとでも言うのですか!!?」

 

 私は掴みかからんばかりに身をのりだしエルに詰め寄ります。

 驚いたエルは耳を後ろに畳んで申し訳なさそうに視線を左右に泳がせました。

 

「い、いえ、あくまで聞いた話なのでなんとも言えないのデスが、グラスもメイクデビュー戦最下位でしたし、最近まで問題無かったゲートもダメになったって聞いたもので……」

 

「そんなことはどうでもいいです!!」

 

 やはり知っていたと思う間もなく、自分でも驚くぐらいに些末な問題として吐き捨てていました。事実、今の私にとっては何倍、何十倍も彼の不当な名誉の扱いの方が問題だったのです。

 

「訂正しなさい!いえ、訂正させなさい!!そのトレーナー達をここに引き連れて私のトレーナーさんに謝らせなさい!!」

 

「グ、グラスー!私も誰が言ったかなんて見てないですよー。それにここはウマ娘寮デース。トレーナーでもヒトは入っちゃいけないデース」

 

 目を瞑りながら理不尽に釈明させられるエルの姿が私に冷静さを取り戻させていきました。

 

「うっ……。すいません。つい熱くなってしまいました。しかし、そんなことを言われるのは甚だ心外です」

 

「そ、そんなこと言われてもー……」

 

 そう、これは私とトレーナーさんの問題。誰がそんなことを言っているのか知りませんが、絶対に許しません。

 私が、私こそがその噂を根絶させる成績を修めれば何も問題ないのだと思い至るといてもたってもいられず、部屋を飛び出そうとしました。

 

「ど、どこ行くんですか?グラスー」

 

 扉を開けた瞬間にエルが背中から心配そうな声をあげて呼び止めました。

 

「……安心して下さい。グラウンドで自主練しにいくだけですよ」

 

 それだけ言うと私は部屋を後にします。

 扉が完全に閉まる前に、もう門限過ぎてマスよー!というエルからの忠告は聞かなかったことにしました。

 

 まずは未勝利戦……。必ずゲート難を克服して一着をとってみせます……。

 

 私は誰もいないグラウンドへの道をランニングしながら自分自身にそう誓いました。

 

 日が沈んでも涼しくないぬるい風が頬を撫でます。

 都会の空に一つだけ、キラリと金星だけが瞬いていました。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「世界中あらゆる競バ場と比較しても、唯一無二の出来にしていきたいという思いは共通認識であると、僭越ながらそう理解させて頂いております。であるからして、当初想定されていた予算よりも大幅な増額を進言したく……」

 

 あまりにも退屈な会議に欠伸が出る。

 手で押さえるでも噛み殺すでもなく、わざと大口を開けて思うがままに空気を吸い込む。

 隣に座っているベテラントレーナーがあからさまに嫌な顔を向けてきたがお構い無しだ。

 

「重畳!URAに向けてトレーナー諸君の考えを募ったのは正解!貴重な意見を聞かせてもらって満足!これらの意見を集約して二年後のURAファイナルズの計画を立てていくこととする!」ニャー

 

 理事長の思いつきで始まった(少なくとも俺はそう思っている)中央競バとは一線を画す新たなる競バ構想。URAファイナルズの本格始動に向けてトレーナー達の意見を聞きたいという申し出があったのはつい先日だった。

 

 俺は当然バックレるつもりだった。

 

 URなんちゃらなど毛ほども興味が無かったし、こちらはグラスワンダーのゲート難をどうするのかの方がはるかに問題事だったからだ。

 やるなら勝手にやればいい。出られるなら勝手に出て勝手に勝たせてもらうだけだ。

 俺にとっては普通の中央競バと変わらない。ただ、その構想だのなんだのというのはそっちで勝手に決めてくれという話だ。

 

 なので俺はこの会議、全くと言っていいほどやる気が無かった。

 

「して!他に何かこれは!という意見はないか?トレーナー諸君!」

 

 それでも俺がここにいるのは、校舎を歩いていたら偶々たづなさんに見つかって連れてこられたからだ。当のくそどうでもいい会議の日時なんぞ記憶の片隅にもなかったから、言われるがままついていったらこの様だ。

 

「疑問!これだけトレーナーが集まって一つも意見が出ないのか?」ニャー

 

「理事長、トレーナーさん達にはもう粗方意見を述べてもらいましたから逆にこちらから指名してはいかがですか?」

 

「妙案!では早速聞いていこう!」

 

 今理事長に進言したのが駿川たづなさん。

 たづなさんには俺が学園に入ったころから世話になってるからあまり強いことは言えないが、今回ばかりは余計なことを言わないでもらいたかった。

 

「それでは~……おお!カブラギトレーナー!君にも何か意見を貰えるとありがたい!」

 

 視線を合わせないようにわざわざそっぽを向いていたのに、やよい理事長は目ざとく俺のことを見つけたらしい。

 

 俺は一つ溜め息をつくと、椅子から立ち上がって言いたいことをそのまま口にした。

 

(面倒なら読み飛ばして構いません)

 

「ご指名に預かりましたカブラギです。……まず、前提として個人的にURAファイナルズの設立そのものに疑問です。が、今回は構想ということなので、もし開催するとしたらの話をさせて頂きます。第一に開催日程ですが、中央競バに出場しているウマ娘達にとって、新設のURAファイナルズを優先して段取りを組む者がどれだけいるか甚だ疑問です。いくら絢爛豪華に会場を整えたところで歴史から見れば赤子同然の大会。優先順位は低くせざるを得ないでしょう。開催するならせめてG1レースと被らない1月、2月が関の山でしょうか。夏もお薦めしない。都会のど真ん中にこしらえる会場は気温、湿度の観点からそもそもスポーツに適していません。天井を開閉式の屋内対応競技場にする案もありましたが、現実的では無いと判断します。最大3600mを想定した競技場の体積を空調したとしてどれだけの電気代がかかるでしょうか?初期費用だけでなく、ランニングコストの点に関しても無理があると考えます。

第二にここまで予算を肥大させる必要があるのかという疑問があります。温泉やカジノ、レストラン等娯楽施設を頭から否定するつもりはありませんが、それはあくまで人間に向けたサービスです。理事長もお話したように、この競技場はあくまで『ウマ娘のため』の競技場であり、『ウマ娘のレースを見てもらう』というのが第一義であると理解しております。そのためにはまず、ウマ娘の競バとは何なのか、何が面白いのか、どう見るのか、ウイニングライブとは何なのか、そして実際に競バの観戦を通して才あるウマ娘がレースを目指し、あわよくばトレ選学園を目指してもらうという長期的な目標を立て、それにそった会場の造り方を目指すべきであると進言します。

第三に、これも前の話と被る部分がありますが、ウマ娘向けを想定した施設が少なすぎると感じました。人口割合から人間の方が圧倒的に多いことは承知しておりますが、この施設は『ウマ娘のため』の施設です。観戦に来たウマ娘がいかに快適に過ごし、少しでもレースに興味を持って帰ってもらうことが目標であると認識しています。であるならば、ウマ娘用の食堂やウマ娘用のランニング通路などがあって然るべきであると思います。また、当の競技をするウマ娘に対する設備も貧弱と言わざるを得ないでしょう。これだけのスペースを有する施設に対して、ウマ娘の待機所はあまりにも狭すぎます。これでは地方競バ場の方がマシな所もあるぐらいです。また、トレセン学園に隣接しているという利点も生かし、本番のレース競技に使うだけでなく、ウマ娘の練習場として使用してその練習風景を一般の人に解放するということも出来るかと思います。当然、それに合わせて練習用具等を格納する施設を割り当てなければなりませんが、これだけ無駄な施設があるならばそれらを削れば簡単に確保できるでしょう。

全体としてこれらURA案並びにそれに付随する施設案は何れも商業主義的に過ぎ、理事長の目指す『ウマ娘のため』のURAファイナルズから遠く離れていると言わざるを得ません。もし本気で『ウマ娘のため』のURAファイナルズを目指すならば、トレーナーなんぞに聞くのではなく、学生だろうとウマ娘達本人に直接意見を募ってやった方が遥かに建設的であると愚考します。以上で私からの意見を終わりとさせて頂きます」

 

 そう言い終わると俺は席に着き、腕を組んで目を閉じた。

 

 案の定、会議室は静まり返り誰も言葉を発しない。

 先ほど睨んできたベテラントレーナーが小声で、ウマ娘潰しが……。と負け惜しみのように呟いたのだけは辛うじて聞こえたが聞かなかったことにした。

 

「ハーハッハッハ!いや、天晴れ!流石カブラギトレーナーと言ったところか!大変!大変に面白い意見だった!今回の会議はこれにて閉会とする。次の会議は未定だが、日時が決まり次第追って連絡する!これにて解散!」ニャー

 

 ぞろぞろと会議室を後にするトレーナー達。目を閉じていても多くの視線が俺に向いているのが何となく分かった。

 

 さてさて、ゲート難をどうするか……。最悪、未勝利戦の日程自体を遅らせるかな。だがそうすると、朝日ステークスに間に合うか……。

 

「カブラギトレーナーは行かれないのですか?」

 

 たづなさんが目を閉じて考えごとをしていた俺に話かけてきた。

 気が付けば会議室には俺とたづなさんを残して誰も居なくなっていた。

 

「……ああ、すいません。考え事をしていたもので。今出ます」

 

「いえ、別に急かしたわけじゃないんです。……でも先程の意見大変染み入るものがありました。やはりカブラギトレーナーはウマ娘を常に第一に考えているんだと改めて感心させられました……」

 

「そんなことはトレーナーとして当たり前です。むしろそんな当たり前なことが出来てないのにトレーナーを名乗る輩がいること自体がおかしいんです」

 

「ふふ……。相変わらず歯に衣着せぬ物言いですね。でもすっきりしました。私の言いたいことを代弁して頂いたみたいで。もっと多くのトレーナーがカブラギさんみたいになればいいと願ってるんですけど……」

 

「やめて下さい。俺は鼻つまみものですよ。今日だって本当は会議に出るつもりなんかなかったんだ。俺みたいな輩が増えたら学園は壊滅しますよ」

 

「やっぱり欠席するつもりだったんですね!もう皆まで言いませんけど、貴方も中堅どころなんですから身の振り方を考えて下さい。……でも、ご存知ないんですか?カブラギさん、意外とトレーナーの間でも人気あるんですよ。特に若い方達に」

 

 見え透いたお世辞に鼻をフンと鳴らした。先程もらった資料の束を鞄に乱雑に詰め込む。

 

「まあ気を遣って頂いてありがとうございます。不肖『ウマ娘潰し』、若手トレーナーの矢面に立ってウマ娘ファーストの道を切り開いていきますよ」

 

 そう言うや、俺は鞄を手に会議室を後にした。

 その渾名止めてもらいたいんですが……。と何故かたづなさんの方が嫌がっていたが、俺は気にするでもなく誰も居なくなった廊下を歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ駄目か……」

 

 未勝利戦まであと2日。明日は未勝利戦の会場へ向かうために札幌へ向かはなくてはならない。実質的に練習できるのは今日が最後だ。

 本来なら最終調整をすべく、タイムを録るなどの実戦的な練習をすべきなのだろうが、今の彼女はそれ以前、つまりゲート難の克服をはかっていた。

 

「………………」

 

 ゲートを開けたその先に、もはや何も言わずに中腰で項垂れる栗毛のウマ娘。その顔は垂れた長髪で見えないが、絶望の表情をたたえていることだけははっきりと分かった。

 

「少し休憩しよう。立てるか?グラスワンダー」

 

 そういって手を差しのべるが、彼女は静かにその手を押し退け自力で立ち上がる。

 

「もう一度……お願いいたします!」

 

 かつて選抜レースで見せた闘志を瞳に宿し、グラスワンダーはもはや命令するかの如く言いはなった。

 

 だが……。

 

「……タイムアップだ。残念だが……。マイルの未勝利戦はまたすぐ開催される。それに照準を合わせよう」

 

「……駄目です……!」

 

 静かに、毅然として彼女は拒否の姿勢を示す。その表情はどこか追い詰められたような者の悲壮感が垣間見えた。

 

「だがな……」

 

 何が彼女をそこまでさせるのか分からないが、これ以上負担を強いて急ぐ必要が無い。無理に出走してゲート難をこじらせる方が遥かに厄介なのだ。しかし……。

 

「トレーナー……さん。賭けをしましょう……。次、出走出来なかったら、潔く明後日の未勝利戦は諦めます。でも、もし出走できたら……私を札幌まで連れていって下さい」

 

 突然の申し出。

 グラスワンダーがこんなこと提案するか?とか、賭け事とか倫理的に問題では?など色々なことが頭の中を駆け巡ったがそれも一瞬。すぐに、『出走出来るわけがない』という当たり前の思考にぶち当たる。

 それでも、あの日以来一度として出走出来ないでいる彼女の瞳はまるで死んでいなかった。

 いや、それどころかどこか鬼気迫るような脅迫染みた凄みがその青い双眸に宿っている。

 

「……分かった。ただしこれで最後だ」

 

「ええ……。二言はありません」

 

 俺は半ば諦めながらゲートの門を再度閉めようとした。

 

「待って下さい」

 

 閉めようとした手を止めグラスワンダーを見ると、何か言いにくそうに胸に手を当てて視線を反らしている。

 やはり辞退を申し込むのかと思ったが彼女の口から出たのは予想外の話だった。

 

「……その……、もし良ければトレーナーさんの持ち物を一つ、お借り出来ないでしょうか?」

 

 彼女は少し頬を赤らめて恥ずかしそうにそう切り出した。

 

「気付いたんですけど、私、トレーナーさんの匂いを嗅いでいると、その……、大変落ち着くんです。なので、トレーナーさんの匂いが着いたものを……その……」

 

 そこまで言うとグラスワンダーはいよいよ顔を赤らめて両手で顔を覆ってしまった。

 彼女の性格から考えれば、男の匂いで落ち着くということ自体が恥ずかしいことだし、さらにその匂いを嗅ぎたいから持ち物を貸してくれというのは、大和撫子でなくても躊躇してしかるべき提案だろう。

 だが、それでもなおそういう話を切り出したのは、いよいよなりふり構っていられない最後の賭けだからだ。

 

「……分かった。貸してやる」

 

 俺は彼女の覚悟を汲み取りそう答えたが、すぐに安請け合いをしてしまったことに後悔した。

 俺が常日頃から身に付けているものなどまず無いのだ。まさか今着ているシャツを渡すわけにもいかず、思いあぐねていると、

 

 ……そういえば……。

 

 俺はおもむろに腰のポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃになったそれをグラスワンダーに渡した。

 

「……タバコ……ですか?」

 

「ああ、マルボロだ」

 

 俺はしなしなになったタバコが入ったマルボロを、これまたくしゃくしゃになった包装紙とともに差し出した。

 

「……トレーナーさんはタバコ飲まれるんですか?

一度も臭いを嗅いだことはありませんが……」

 

「いや。昔の戦友からもらったものでな、今はお守り代わりに持ってるだけだ」

 

「……そんな大切なもの……」

 

「構わんさ。他に四六時中身に付けてるものなんか無いからな」

 

 そう言うと、彼女はおずおずと俺が差し出したタバコを包装紙ごと受け取った。

 

「……タバコの臭いの方がキツいかもしれんが、それしかないんでな」

 

「いえ、ちゃんとトレーナーさんの匂い、残ってますよ」

 

 グラスワンダーはまた恥ずかしそうにし、包装紙を鼻元に寄せてそう答えた。

 

「……それじゃあ、いけるか?」

 

 俺は最後の確認をする。

 

「ええ。お願いいたします」

 

 マルボロを右手に握りながら彼女は決意の眼でもってそれに答えた。

 

 俺は前のゲートを手動で閉じた。もうグラスワンダーの様子は分からない。

 次に後ろの門を閉めるスイッチを押し、完全に閉まるまで待つ。

 時にはこの段階で中から悲鳴が聞こえてくることもあったが、今回は大丈夫のようだ。

 

 まあ、これで諦めがつくだろう……。

 

 薄情な話、俺は端から彼女が出走出来ないと思い込んでいた。

 自分の担当バを信じてやれないなど、他人のことをあげつらっておいて、トレーナーとしてどうなのかという葛藤もあったが、論理的に、経験的に考えればそう帰結せざるを得なかった。

 

 静かに後ろのゲートが完全に閉まる。

 

 中から声は聞こえない。ゲートが何かにぶつかる音もしないので、中で気絶してることもないだろう。

 

 俺はストップウォッチを見ながらタイミングを計る。

 

 あと一秒……いや二秒だな。

 

 俺は少し長めに尺をとって様子を伺ったが、中で異変が起きている様子も無かった。

 

 時間がきて俺はゲートを開くスイッチを押した。

 ガシャン!と勢いよく開かれる扉。だがそこから栗毛のウマ娘が出てくることはなかった。

 

 やっぱり駄目だったか……。

 

 そう思い、グラスワンダーを助けようとゲートに近付こうとしたその時――

 

 ゴウ!と一陣の風が吹いたかと思うと、ゲートの門から栗色の髪の毛を棚引かせて一人のウマ娘が疾走していった。

 

 彼女は百メートルほど走るとその脚を止め、驚いたような表情で俺の方に振り向いた。

 

 俺はすぐに走り寄り、思いっきり彼女の頭を撫でてやった。

 

「よくやった!グラスワンダー!」

 

「く、くすぐったいです!」

 

 そう言って首をすくめるが、口元は緩んで久しぶりの笑顔を見せていた。

 わしゃわしゃと丁寧に手入れされた髪を撫でる。ひとしきり撫でた後、その手を緩めると、グラスワンダーは顔を上げてぼーっとした目で俺の方を見つめてきた。気のせいか少しトロンとした表情で俺を見上げている。

 

「……どうした?」

 

「な、なんでもありません!」

 

 そう答えると、グラスワンダーは頭に置いた俺の手から逃れて恥ずかしそうに下を向いた。

 

「……この勝負、私の勝ち、でよろしいですね」

 

 彼女は少し赤味を帯びた顔で上目遣いに俺にそう聞いてきた。

 

「ああ。……行こう。札幌に」

 

 正直、あの出遅れを見て不安がないわけではなかったが、約束は約束。俺はグラスワンダーを信じて彼女を札幌競バ場に連れていく決心を固めた。

 

 ――札幌はここよりずっと過ごしやすいだろう。

 

 そんなことを思いながら、日が傾き始めた残暑の強いターフを眺めながら北海道へと想いを馳せていた。

 

 




『タバコを飲む』という表現は『タバコを吸う』の古い言い回しです。何度か誤字報告として挙げられたのでここに追記させて頂きます。
誤字報告には大変感謝しておりますので、もしあれば遠慮なくご指摘下さい。
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