きっと貴方のことが好き   作:圧倒的雑魚臭

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トレーナーの闇

 

「エル、並走相手を探してましたよね?私が並走致しましょうか?」

 

 教室移動中にエルコンドルパサーが意気軒昂に歩いているところを捕まえます。

 あの未勝利戦以降ゲート難も乗り越え、レース欲に飢えていた私は彼女の競争相手探しにかこつけてその申し出をしていました。我ながら少し小賢しいとも思いましたが、誰も損をしないのだから構いませんよね?

 

「ケ?グラス、ゲート難は大丈夫なんですか?未勝利戦は勝てたみたいですが……」

 

「ええ。お陰様で。今までそれの練習ばかりで、実戦的な練習が出来なかったですから私としてもお願いしたいです」

 

「で、でもアレですよね?最近のグラスの練習は見ていてキツそうデス。疲れが溜まってると怪我しちゃいますよ?」

 

「少しぐらい大丈夫ですよ。それとも私とでは嫌ですか? 」

 

 確かに、東京に帰ってきてからの練習は前にも増してハードになりました。元々からキツい練習ではありましたが、それに輪をかけて強度が増しています。

 この間なんかはプールでのスタミナトレーニングを二時間やった後で、坂路ダッシュを四本やらされそうになりました。結局体調面などを考慮して一本減らしてもらいましたが、私が初めて練習を減らして欲しいと思ってしまったのには内心悔しかったです。私もまだまだ修練が足りない証拠ですね。

 

「べ……つに嫌じゃないんデスが……。あ!今日はマンボのエサ取り訓練の日デシタ!並走トレーニングはまた今度ということで!」

 

 そう言うとエルはそそくさと次の授業の教室へと向かって行きました。

 私の体調を配慮してのことかもしれませんが、それ以外の理由で何か避けられているような気がしてしまいます。

 何だか分からないイヤな違和感を抱えながら私も彼女の後を追うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼致します」

 

「入れ」

 

 私はドアの扉を開けて彼の方を見ます。

 今日は珍しくパソコンはいじってないですが、何やら雑誌を読んでいて、いつも通り私の方には視線を寄越しません。

 もはや慣れてしまったのでそれはいいのですが、机の上に飲みかけの野菜ジュースのペットボトルが置いてあるのがやっぱり気になりました。

 

「また野菜ジュースですか?今お茶を淹れますから飲んで下さい」

 

「別にいいだろ。野菜は健康にいいんだ」

 

「過ぎたるは猶ほ及ばざるが如しと申します。野菜ジュースは意外と塩分が多いんですよ」

 

 私は奥の流しに備え付けた瞬間湯沸し器に水を入れてスイッチを入れます。お湯が沸騰する間に急須に煎茶の茶葉を入れ、湯飲みと茶托を二つずつ用意して、お盆の上に乗せました。

 これら一式は私の部屋から持ってきたものです。流石に湯沸し器は買ってもらいましたけど。ただ、寮住まいで使う機会も無かったので、腐らせておくならということでこちらで使わせてもらってます。トレーナーさんがぶつぶつ文句言ってたような気がしますが、余程嫌なら自分で撤去するでしょうからいいんですよね?

 

 お湯がグツグツしだしたタイミングでスイッチを切り、完全に沸騰させないようにしてからそのお湯を急須に流します。ポットの高さにも気をつかって、一番茶葉が舞い上がりやすい高さからお湯を注ぎます。こうすることで茶葉の香りが最大限に生かされ、飲んだ際の香りまで楽しむことが出来るのです。

 私は急須に蓋をし、しばらくゆっくりと急須を回してから湯飲みにお茶を注ぎました。

 澄んだ緑の液体が湯気を上げながら湯飲みを満たしていきます。同時に煎茶の爽やかな香りが鼻腔を刺激しました。

 

 私はお盆を手に彼の机の前まで来て湯飲みを茶托ごと机の上に置きます。

 

「……どうも」

 

「塩分の取りすぎは高血圧や動脈硬化などの万病の元なんですからお控え下さい?お茶ぐらいご自分でも淹れられるでしょう?」

 

 そう言うと、彼は雑誌を読みながら私が淹れたお茶を早速口に運んで流し込みます。

 

 こくこくと上下に揺れる喉仏を見る。

 私のような女性にはない丸みをおびた突起が動く様は、男性であることを誇張しているようで妙に艶かしかった。

 

「俺はこんなに美味しく淹れられないんでな。下手に茶葉を使うのも勿体無いから自分では淹れないのさ」

 

「そうやって誉めたってダメですよ。茶葉ぐらいいくらでも持ってきてあげますから美味しいお茶を淹れる練習ぐらいして下さい」

 

 お世辞なのは分かっていますが、それでも意に反して尻尾はゆらゆらと揺れてしまいます。若干頬に熱が帯びるのも感じてしまいました。

 

「そんなこと練習するぐらいなら、いかにお前を速く走らせるか考える時間に充てるわ」

 

 そう言いながらまた雑誌のページを捲って読み始めます。

 トレーナーとしての本分なら、それは称賛されてしかるべきでしょう。しかし、私の趣味の一つでもあるお茶を『そんなこと』で片付けられるのも私としてはちょっと腹に据えかねました。

 

 少し文句を言ってやろうと彼の方を覗きこんだ瞬間、私はトレーナーさんが読んでいた雑誌の記事が目に入りました。

 

『グラスワンダー、レコードタイの鮮烈勝利!!』

 

 見ると、この間の取材の記事でしょうか、小さいながらも未勝利戦の特集の中で、ライブの写真とともに私の記事が組まれているのが分かりました。

 

「ん?読むか?別にイメージ下げるようなことは書かれてなかったぞ。まあちょっと誇張部分があるが」

 

 私は彼から雑誌を受けとると、その特集記事をまじまじと読みました。

 

 私の未勝利戦の快挙に続き、メイクデビュー戦での躓き、普段のトレーニング方法などが書かれていました。その中で、私とトレーナーの関係について書かれている部分があり、『競技者とトレーナーという適正な距離を保ちながら指導に励んでいく、とカブラギトレーナーは語り……』という記事が目に入りました。

 

 適正な距離……。そうですよね……。私とトレーナーさんはあくまで担当ウマ娘とその指導者。近すぎてお互いに馴れ合ってしまえば指導、引いては競技成績に影響が出ます。先輩方で担当トレーナーさんとお付き合いしながら良い成績を残している方もいますが、きっとそういうのは一握りでしょう。むしろ成績を残すことと恋愛を両立させるのが珍しいからこそ話題になるんです。他にも沢山トレーナーさんを恋愛対象に見るウマ娘もいるでしょうが、上手くいくことなんて滅多にないでしょう。大半のトレーナーさんは担当ウマ娘をそういう目でみないでしょうし、告白したとして上手くいかなかった時は二人の関係が非常に不味いことになりますもの。仮に上手く結ばれたとしても、その上で良い成績を残せるというのはさらに稀でしょう。中にはトレーニングに集中出来ずに競技を辞めてしまったという娘もいると聞きます。それはそれでウマ娘とトレーナーの関係もお互い好いているとはいえ、気まずいものになってしまうでしょうね。だから、担当トレーナーと担当ウマ娘がそういう関係になるというのは夢物語と言っても差し支えないんです。そうです。そもそも私にはウマ娘の頂点に立つという目標があるのです。そんな惚れたはれたなんて浮わついた事に煩っている暇などないのです。たとえトレーナーさんが私に好意を持って…………。

 

 持って……たら…………。

 

「ああ悪い。聞かれたからテキトーにそんなこと言っちまったんだ。気を悪くしないでくれ」

 

 いつの間にか雑誌から目を離して私はトレーナーさんの顔を見つめていました。

 私は急に彼に呼び掛けられ、弾かれたように雑誌で顔を隠しました。今の私の顔はどうなっているのか……。とても大和撫子とは呼べないような表情だったでしょう……。

 

「……お前、何やってんだ?」

 

「いや、あの、えっと……、『気を悪くしないでくれ』ってなんのことですか?」

 

 雑誌を少し下げて目線だけ向けて見えた彼の顔は、何か若干呆れているような表情で私の奇行を眺めていました。

 

「……だから、今後の目標ってところで、『クラシック三冠を目指す』って言っちまったんだよ。まだそこら辺はっきりさせてなかったけど、グラスが望むならトリプルティアラとかマイルレース路線を目指してもいいし……。で、どうなんだ?」

 

「え、ええ。私としても王道のクラシック路線を目標としてたのでそれは構わないのですが……。そういう重要なことは私と相談してから答えて頂きたいです」

 

 本来ならもっと怒ってしかるべきことなのでしょうが、不意を突かれたことでそのタイミングを逃してしまいました。まあ、本人も悪いと思ってるみたいなのでこれで許してあげましょう。

 

「そうだな。悪かった。……それで、その出走レースの件なんだが、当面の目標として朝日杯フューチュリティステークスを目指すか、ホープフルステークスを目指すか、どっちにするかグラスの意見はあるか?」

 

「クラシック三冠を目指すならホープフルステークスが王道ですが、どちらかと言うとマイルレースの方が得意なので朝日杯も捨てがたいですね……。私としてはどちらでも……」

 

 そこで私はふと思い付いたことを口にしました。

 

「あの、どちらも目指すというのはダメでしょうか?」

 

 

 

「………………は?」

 

 しばらくの沈黙の後、彼の口から気の抜けた返事が帰ってきました。

 

「いや、そんなの聞いたこと無いぞ。そもそもホープフルは朝日杯の一週間後だ。距離も1600と2000で違ってくるし、その調整の仕方も変わってくる。そもそもこの二つはクラシック戦線を目指すための前哨戦みたいなもんだ。人気を獲得するのが目的で二つ獲る必要性が無い。出るならどちらか一方……」

 

「必要かどうかじゃなくて、出来るか出来ないかを聞いてるんです」

 

「……やろうと思えば出来るが……。今言ったように仮に二つとも優勝したところで意味が無いぞ。それどころか疲労も溜まるし、クラシックの調整に時間を余計とられることになる。メリットよりデメリットの方が遥かに高い」

 

「…………それでも、出来るんですね」

 

「お前、何考えてるんだ?」

 

「ちょっと考えさせて下さい」

 

 私はそう言ってトレーナー室を後にしました。

 

 私の目標はただ勝つだけじゃない。トレーナーさんの不名誉を拭うことも含まれているんです。これで二つとも勝てば彼を罵る者はいなくなるでしょう。

 でも、トレーナーさんの言うようにこれでクラシックを駄目にしたら本末転倒。それこそ笑い者になってしまう……。

 いや、そもそも二つ優勝出来るの?確かに私はG1を侮っているかもしれない。この間の未勝利戦とは格が何段も違う。一勝出来るかどうかも……。

 

 私は廊下を歩きながら悶々とした答えの出ない袋小路で頭を悩ませていました。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

『あの、どちらも目指すというのはダメでしょうか?』

 

 俺の心の奥でグラスの放った言葉が木霊する。

 

『どうせクラシック三冠にもトリプルティアラにも出られないなら、朝日とホープフルどっちも獲っちゃいましょ』

 

 かつて宣言され、そしてどちらも鮮烈な勝利でかっさらっていったかの怪物を、彼女の台詞は想起させた。

 同時に俺はグラスをあの怪物に重ねて見てしまう。

 

 一見性格は反対と言ってもいいくらいだが、内に秘めた『勝ちたい』という想いはどちらも共通していた。

 

 グラスにはどうしてもクラシックを制覇してもらいたい……。

 

 分かってる。これは俺の我が儘だ。

 思えばずっとそうだったのかもしれない。

 

 高負荷のトレーニングを施し、G1に勝利するウマ娘を育ててもきた。それでも俺の渇きは癒えなかった。

 

 真紅の勝負服で緑のターフをいの一番に切り裂いていったあの栗毛のスーパーカー。新人の俺にはあまりにも強烈で、他の担当を持ってもいつもあいつの走りが焼き付いて離れない。

 

 ――あいつの走りを再現したい。

 あの無類の強さを、あいつが叶わなかった八大競争で証明してやりたい。

 

 そういう想いが無いと言えば嘘になる。

 

 だがマルゼンスキーとこの娘達は違う――

 

 分かってる。分かっている。そんなことは。

 それでも…………。

 

 

 

「……トレーナーさん?」

 

 声をかけられた方を見る。

 ジャージ姿の栗毛のウマ娘が肩で息をしながら俺の横に立っていた。

 

「言われた通り、エアロバイクで一時間やってきました~」

 

 そう笑顔で応えるグラスワンダーだったが、額からは滝のような汗をかき、脚が若干震えているのが分かった。

 

「あ、ああ。それじゃあ十分休憩してくれ」

 

「承知しました。……トレーナーさん?」

 

「うん?」

 

 ベンチで休もうとした彼女は足を止め、俺に話しかける。気のせいか、グラスの顔は少し強張っているようだった。

 

「……気のせいかもしれませんが、最近お疲れのように見受けられます。あまり無理なさらぬよう……」

 

「気のせいだ。お前に心配されるほど体調管理を疎かにしてない」

 

 彼女はムッとしてそのまま無言でベンチの方に行ってしまった。

 自分でもしまったな、と感じてすぐに彼女の後を追う。

 

 グラスはタオルで汗を拭きながらスポーツドリンクを流しこんでいた。

 俺は空いてた隣に座ってゆっくり口を開いた。

 

「……すまん。つい無神経なことを言ってしまった」

 

「別に気にしてませんよ。心配する人に心無い言葉を浴びせるぐらいには余裕が無いことは分かっておりますから」

 

 顔は笑顔だがこちらを向くことはなく、横顔しか見えない。耳は後ろに絞り、口調は穏やかながらも節々に怒気を孕んでいた。

 

「ちょっと考え事してたんだ。悪い」

 

 グラスは今度はそっぽを向いて何も答えない。

 

 これはしまったと流石に後悔し、少し一人にさせようと腰を浮かしかけた。

 

(……でて下さい……)

 

 ……ん?

 

 よく聞こえなかったが、グラスが小声で何か要求したように感じた。

 

「頭……撫でて下さい……」

 

 本当にやっと聞こえるぐらいの小声で彼女はそう要求した。

 気のせいかとも思ったが、耳は先程の怒ったような後ろに絞ったものではなく、緊張してピンと立てたものをなるべく後ろに捻って向けたものになっている。こちらから辛うじて見える頬も若干赤見を帯びているようだった。

 

 俺は一瞬迷ったが、周囲に誰もいないことを確認すると、恐る恐る彼女の後頭部めがけて右手を伸ばした。頭頂部あたりに手を下ろし、彼女の艶やかな栗色の髪に触れる。

 グラスはびくりと肩を振るわせるが、嫌がる様子はない。

 この前のような勢い任せの乱暴な手つきではなく、慎重に割れ物を触るような感覚で彼女の後頭部を撫でる。

 サラサラと絹のような質感で指に絡まるその髪は、額を汗みずくにしていたとは思えないほど流れるように俺の指を滑らせた。

 

 少し撫でては手をまた戻して撫でる。

 その度にびくりと体を強張らせるが、何回もやっているうちにそれも次第に小さくなっていった。尻尾も一撫でするごとに右に左に揺れるが、手を離すほんの僅かの間にしなだれてしまう。また撫で始めるとゆらゆらと素直に揺れ、その度にファサファサと尻尾がベンチに当たって静かなジムの中を掻き乱した。耳は最初は警戒するように、後ろに捻っていたのが、だんだんと正面に向いてきたかと思うと、ふにゃりと先端が丸みを帯びてリラックスしている時と同じようになっていった。

 

 ふと、手を戻そうとした時、彼女の長髪が指に絡まってやさしく俺の顔をくすぐった。

 

 羽のように舞う栗毛の髪とともに、鼻の奥に彼女の甘ったるい匂いと微かに酸っぱいような汗の臭いが流れ込んできた。

 

 俺はつい夢中になっていた手を止め正気に返ると、体の奥からゾワゾワした黒い毛虫のようなものが這い上ってくるような嫌な感覚に陥り思わず硬直してしまった。

 

「……あ……の、もう、大丈夫……です」

 

 今度は自分がびくりと跳ね、恐る恐る声をかける。

 

「……あ、ああ。悪い。無遠慮に髪なんか触って……」

 

 俺はゆっくりと手を戻す。その時、小刻みに俺の手が震えているのが分かった。

 

「いえ……いいんです……」

 

 呟くようにそう答える彼女は、顔を下に俯いて表情は分からなかった。ただ、先程の不機嫌さは和らいだようだ。

 

 俺は右手に残る髪の感触をぬぐいながら、確認するように口を開いた。

 

「……一つ、決めたことがある。これは俺の我が儘なんだが、俺はお前にクラシック戦線で万全に戦ってもらいたいと思ってる。だから、朝日とホープフル両方は諦めてくれ」

 

「……そうですか……。いいんですよ。私の思い付きで言っただけですから。トレーナーさんのしたいようにして頂いて」

 

 そう言ってこちらに顔を向けた彼女はいつものグラスに戻っているように見えた。

 後悔しないか?と問おうとした言葉を飲み込む。グラスは笑って『そんなことないです』と返すだろう。その本心がどうであれ。だからーー

 

 その言葉はきっと卑怯だ。

 

 たとえグラスが後悔するとしても、俺は彼女にクラシックの夢を押し付ける。

 マルゼンに匹敵する才能を持つ者が、あいつが叶えられなかったクラシック三冠を達成する。その夢を諦めきれない。

 

 欲しい……。喉から手が出るほど欲しい!

 

 他には何も望まない。

 卑怯だと罵られようが、ウマ娘を利用していると言われようが、俺は俺の担当バがクラシック三冠を達成するためならどんな犠牲でも払うだろう。

 

 俺はグラスに細かいことは練習後のミーティングで詰めようと言ってトレーニングを再開した。

 

 

 

 見ていろマルゼンスキー。俺は必ずクラシックを制覇する――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グラスワンダー!ゴール!!6バ身差の圧勝です!京成杯を制しました!」

 

 俺達は結局、朝日杯に照準を定めそれに合わせるようにレースを組むことにした。

 10月にアイビーステークス、11月に京王杯ステークス、そして12月に朝日杯フィーチャリティーステークスと、1ヶ月ごとにレースをするタイトな日程を組んだ。未勝利戦に勝っただけのグラスワンダーには朝日杯に間に合うほどの人気を得るためにはこれぐらいしないといけなかったのだ。

 なかなかの綱渡りだったが、それも結局杞憂に終わった。

 GⅡレースの京王杯ですら圧勝。もはやジュニアレベルで相手になるのは数えるほどしかいない。

 

「よくやった。グラスワンダー。今日も圧勝だったな」

 

 地下道で帰ってきた今日の優勝者に声をかける。

 彼女はチラリと横目で俺を見たあと、つまらなそうに一人ごちた。

 

「……正直、物足りないです。朝日杯……G1を早く走りたい。国内の最強を集めた選手達と、全身全霊の戦いを……」

 

 地下道の先を見据えるその瞳には、行き場を探すように火傷しそうなほどの青い焔が激しく灯っていた。

 

「朝日杯はトレセン学園の同期も出る。退屈はさせんさ。全力でやりたいだろう。お前も」

 

「……当然です」

 

 そう言い残し、ウイニングライブへと向かう彼女の背中を見ながら、俺は歓喜の身震いを抑えることが出来なかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「エ~ル~?」

 

「痛い痛い痛い痛い痛い!!ギブ!ギブデース!放してグラスー!!」

 

「決まったー!コブラツイスト!完全にホールドされた!これはもう逃げ切れないか!?」

 

 ギチギチと背骨の軋む音が響く。

 エルコンドルパサーは目に涙を溜めて降参しているが、まだ謝罪の言葉を聞いていない以上グラスワンダーはその手を緩める気は毛頭無い。

 

「あんた達何やってんの?」

 

 教室に入ってきたキングヘイローが呆れた顔で二人のやり取りを横目に見ながら自分の席に着いた。

 

「ええ?よく分かんないけどぉ、まーたエルがなんかやらかしたんじゃない?まあ、セイちゃんは毎度面白いものが見れるからいいんですけどね~」

 

 先程まで二人の実況をしていたセイウンスカイが隣に座ったキングに説明になってない説明をする。その間もエルは三人に向かって助けを求めていた。

 

「な、なんかエルちゃんがグラスちゃんにやり忘れた宿題借りたんだけど、エルちゃん丸写ししたみたいで、写したのがバレて先生に二人とも呼び出されて説教されてたみたい」

 

 先程から仲裁をはかろうと二人の周りをオロオロしていたスペシャルウィークがキングとスカイにしどろもどろになりながら説明した。

 

「そりゃ怒るね~」

 

「完全に自業自得じゃない……」

 

「そ、それより早く止めないと!エルちゃん可哀想ですよ!」

 

「止めろって言われてもねえ……」

 

「にゃは~。私は面白いからこのままでいいや~」

 

 そんなやり取りをしている間もエルコンドルパサーは必死に痛みに耐えてもがいていた。

 

「止めてー!それ以上は本当に死んじゃいマスー!丸写しして悪かったデース!ごめんなさいデス!宿題忘れてごめんなさいデーース!!」

 

 やっと謝ったかと、グラスは手を緩め解放してやる。顔は笑顔だが、まだ耳を後ろに絞り気味で怒りが完全に収まっていないことが分かった。

 

「これからはちゃんと宿題やってくるんですよ。でないと、もーっときつーいマッサージ、しちゃいますからね?」

 

「スィー……。もう宿題忘れないデース」

 

「それはそうと、今度皆さんで模擬レースでもしませんか?G1レースも近いことですし、いい練習になると思いますよ」

 

 瞬間、急に空気が冷え込むような錯覚に陥る。特にエルコンドルパサーとセイウンスカイの視線が冷たい。

 

「私はいいよ!皆と走れると思っただけでわくわくするべ~」

 

 そんな空気にお構い無くスペシャルウィークは耳をピコピコさせながら明るく快諾する。その声は上ずって本当に楽しそうだ。

 

「エルは遠慮します。グラスとは朝日杯で戦うんデス。今から手の内を明かしたくないデスので」

 

 それとは対照的にエルはつっけんどんにそれを拒否してきた。前々からグラスとの練習になると避けるような素振りを見せていたが、今回はあからさまに拒絶してきた。その反応に今まで鬱憤の溜まっていたグラスワンダーが我満出来ずに反論してしまった。

 

「……エル。先程は確かに乱暴を働きましたが、意地を張らないで下さい。私情を挟んで強くなる機会を逃すなど愚の骨頂ですよ。それに元々はエルが宿題を……」

 

「うるさい!うるさいですよ!エルは意地なんか張ってないです!さっきのもエルが悪いんです。当てつけでやってるなんて思われたくないですよ!」

 

 いよいよ剣呑な雰囲気に教室は一気にざわめきだした。教室中の生徒が二人を見守る中、グラスワンダーは静かに諭すようにエルコンドルパサーに語りかける。

 

「……では一体何をそんなに私との練習を避けているんですか?もう二、三ヶ月そんな態度じゃないですか。入学間もない時は一緒にやってたのに……」

 

「……エルだって……ほんとはグラスと練習…………。っ……!」

 

 突如、エルコンドルパサーは弾かれたように教室を飛び出していってしまった。

 残されたグラス達はその背中を見送ることしかできず、半ば呆然と廊下の先を見つめていた。

 

「エルちゃんこれから授業あるのに……」

 

「……私、エルに怒らせるようなことをしてしまったのでしょうか……。私には心当たりが無いのですが……」

 

 その質問に誰も答えない。

 しんと静まりかえった教室の中で、重く口を開いたのはセイウンスカイだった。

 

「……正直さ、セイちゃんもグラスちゃんとのトレーニングは気を付けろって言われてるんだよね。グラスちゃん自身がどうこうじゃなくて……」

 

「わたくしははっきりと言われたことはありませんが、グラスさんと練習付き合ってたら体が持たないというニュアンスのことを、トレーナー仲間の間で噂になってたと……」

 

 言いにくそうに口を開くセイウンスカイとキングヘイロー。どちらもグラスワンダーの方に視線を合わせない。

 異様な雰囲気にスペシャルウィークもおどおどと三人を見やるだけだった。

 

「……一体誰がそんなことを……?」

 

 そう口にするが、すでにグラスの頭の中には何とはなしにその原因が浮かんでいた。

 

「……グラスさん、というよりグラスさんのトレーナーさんですね。特にベテランのトレーナー達の間ではあまりに練習が厳し過ぎるから巻き込まれるなと……」

 

 瞬間、グラスワンダーの表情は険しいものになる。

 キングヘイローに静かに詰めよりながら、彼女は感情のこもっていない無機質な声色で問いただした。

 

「キングさん、それはトレーナーさん達の間では有名なんですか?」

 

 表情とは裏腹に、冷静にそう問うグラスワンダーの瞳は異様なほどの激情を孕んでいるかのように見えた。

 たじろぐキングヘイローだったが、キングとしての矜持を崩さぬよう、努めて平静を装ってその質問に答える。

 

「え、ええ。わたくしを担当してる新人トレーナーですら知ってるぐらいですから、知らない人はいないんじゃないかと……。ただ、わたくしのトレーナーは貴女のところのカブラギトレーナーを一目置いているみたいですわ!この間の並走トレーニングだって……」

 

「お前ら何やってんだ。授業始めるぞー」

 

 扉をけたたましく開けて入ってきた教師によってその話は中断されてしまった。

 グラスワンダーは自分の席に着く前に、誰もいない真後ろの綺麗な机を一つ睨んだ後、ゆっくりと椅子を引いて着席した。

 顔は無表情だったが、耳はこれ以上ないほどに後ろに絞り、血の滲むほど握りこんだ拳とわななく腕を必死に机に押さえ付けている。

 

 ミシリと嫌な悲鳴がグラスの机から上がった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 思えばそう、私は誰かから練習を誘われることが無かった。あの人が担当になった日から。

 あの人が誰かから合同トレーニングを申し込まれることも……、いえ、それ以前にあの人が他のトレーナーさんと話していること自体滅多に見たことがなかった……。

 

 暗くなった自室で私は布団にくるまりながら一人悶々と物思いに耽っていた。

 この部屋にいるはずのもう一人の主、エルコンドルパサーはいまだ帰ってきていない。

 十一月も終わりに差し掛かった部屋の中はひんやりとした寒さが支配し、いつも賑やかな覆面ウマ娘が不在なことも一層その寒気に拍車をかけていた。

 

『ウマ娘潰し』

 

 かつて聞いたあの蔑称が頭の中を駆け巡る。

 

 確かにトレーナーさんのメニューは厳しいものがあります。練習を終わらせた今だって全身が悲鳴を上げているのが分かるぐらいです。

 

 ですがウマ娘の頂点を目指すというならこれぐらいの負荷は当然です。他のトレーナーさんがどういう印象を持っているのか良く分かりました。しかし、それは他の方達の認識が甘いというだけの話。私のトレーナーさんは間違っていない。事実、彼は私のベストタイムを更新させるという目に見える形ではっきりと成果を出してくれました。事故で負けてしまったメイクデビュー以外のレースだって圧勝させてくれた。朝日杯の出場条件にも手が届いた。私の走りを導いてくれるのはあの人です。それは疑いのないこと。

 

 ――だからこそ他の人達の認識が不思議でならない。

 

 まるで担当ウマ娘を駄目にしていっているようなあのあだ名……。もしその蔑称の由来が彼が今まで担当してきたウマ娘にあるのだとしたら――

 

 そう、私は彼の過去を知らない。

 

 そもそも彼自身のこと自体を知らないけれど、特に過去のことに関しては全くと言っていいほど知らされていない。知っているのは彼が独身であることと、私以外のウマ娘を担当したことがあること。本当にそれぐらい……。

 

 改めて私は自分の担当トレーナーのことを知らないことに呆れてしまった。

 同時に深い溜め息が暗い室内に木霊する。

 

 もう考えるのも嫌になり、いよいよ寝ようとした時、ガチャリと部屋の扉が開く音と同時に廊下の光が私の瞼を刺激しました。

 

「……エル……?」

 

 暗闇の中、重い体を起こしてドアの方を見る。

 そこには今朝、教室を飛び出したのと同じ格好で私の親友が立っているシルエットが浮かび上がっていました。

 

「グラスー!ごめんなさいいぃ!私、グラスに酷いこと……」

 

 ドアが閉まると同時に、エルが私の膝に泣きついてきました。暗くてその顔は分からないものの、私の寝巻きに染みる冷たいものが彼女の涙であることを物語ります。

 

「私、トレーナーさんからグラスとそのトレーナーには関わるなって言われてて……。ごめんなさい。ごめんなさい。私グラスのこと嫌いなんかじゃないです。私どうしていいのか分かんなくて……。ごめんなさいグラス……」

 

「いいんです。いいんですよ。エルは悪くありません。私がそんな評価を変えてあげます。私のトレーナーさんにも、エルにももう辛い思いをさせないように……」

 

 子供のように膝の上で泣きじゃくるエルの頭を優しく撫でてあげました。

 

 全てはあの汚名から始まったこと……。

 また一つ、私が負けられない理由が増えました。

 

 エル……。貴女を負かして貴女のトレーナーからの呪縛を取り除いてあげます。

 

 

 

 私が全てを変えてやる――!

 

 

 

 寒々とした部屋の中ですすり泣く声が響く中、私は静かに朝日杯の勝利に胸を焦がしていました。

 

 

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