八月三十一日。
善行の短いトンネルを抜けると江ノ島だった。
そう独り言ちていると、観光案内に目を落としていた赤リボンが「まだ江ノ島駅じゃないぜ」と否定する。
なんとなく気分に浸りたいだけだというのに、空気の読めないリボンである。
*
始業式を明日に控え、私の現実逃避は加速していた。
私は朝から『スターリー』の店頭にある花壇の一画を使用し、定命を終えた
知らんけど。
あとは卒塔婆を立てれば完成という段階で、赤リボンに「忙しいところ悪いね」と肩を叩かれる。
「君は我が姉の店を潰す気かい」
口調こそ冗談めかしてはいたが、赤リボンの
「お前ら。この休暇中に一度でも一緒に出掛けたのか」
「そういえば
「結束バンドの看板を下ろしてしまえ」
山嵐の疑問に答えた喜多の言葉が、私の脆弱な精神世界に止めを刺す。
蟬の墓場に倒れ伏したあたりで、私の意識は途絶えた。
*
次に意識が覚醒すると、私は列車の座席に座らされていた。
聞けば『結束バンド』で江ノ島に小旅行へ出かけることになったらしい。
このやり取りも何度目なのかわからないが「やはり聞いていなかったね」と赤リボンが肩をすくめる。
考えてみれば、音楽活動以外の目的で皆と出かけるのは初めてかもしれない。
やはり一番騒がしいのは喜多であり、会話も話題も尽きることがない。
今回の小旅行も喜多の提案によるものだそうだ。
胸の前でぐっと両手を握り「一緒に記憶に残る旅にしましょう」と意気盛んである。
片瀬江ノ島駅に到着すると、目的の江ノ島神社に向けて歩き出す。
途中、喜多から巨大な四角い煎餅を勧められて食す。
程よい固さと塩気があり、実に美味である。
聞けば1tの重量で蛸を押しつぶしたものだそうだ。
残酷であるが、実に美味である。
犠牲になった蛸の冥福を祈りながら「もうこれでいいのではないか」と言うと、喜多に「よくない」と否定される。
バリボリと煎餅を食べていると江ノ島神社に到着する。
見上げればとんでもない長さの階段が延々と続いており、私は即座に赤リボン、青うらなりと視線を交わす。
ここは引き返す一択であると意気投合するが、私達は喜多郁代の
夏の江ノ島の太陽に応援された根っからの陽の者である彼女には、中途半端な陰の三人が束になってもかなうものではない。
鍋に入れる椎茸の切込みのような眼をした喜多の圧に押し切られてしまう。
私達はしぶしぶ階段を上り始め、そしてとん挫した。
膝に手を突いて「も、もう無理いぃ」と喘ぐ赤リボン。
階段を見上げて「神は我を見放した」と嘆く青うらなり。
階段下に溶けて「か、ふぇ、は、ば」と呻く私。
一足先に階段を上り「こちらですよ」と鼓舞する喜多の後を、私達は必死に追い縋る。
悪目立ちをするからやめてくれと言いたいが、息をするのも億劫だ。
なりふり構わず、目の前の
喜多が不満そうに頬を膨らませているが、こちらも余裕はないのだ。
「どうか金を貸してください」と縋り付いてくる青うらなりへの憐憫すらわいてこない。
頂上に到着する頃には、喜多を除く私達は燃え尽きる寸前の蠟燭のような状態になっていた。
最後の輝きを見せてやると無理やり気勢を上げ奇声を発し記念撮影をするが、背後で繰り広げられた頭に蛆が沸いた恋人共の会話に止めを刺された。
展望台に到着した瞬間、はいさようならと踵を返す。
「
喜多が憤慨して足踏みをしているが「仕方がないよね」と三人で肩を組む。
私達は満面の笑みで
皆で塩アイスクリンを食べたり、私だけが鳶の群れに襲撃されたり、
鎌倉で夕食を食べませんかという喜多を三人がかりで必死に説得して、帰りの江ノ島線に乗る。
喜多の相手をする余力もないのか、先輩二人組は一足先に白河夜船を決め込む。
予定していた鎌倉観光の内容を嬉々として語る喜多に相槌を打ちながら、私は「もう少し遊んでもよかったかもしれない」という思いがよぎる。
疲労困憊なのだが、それ以上に私の心が浮足立っている。
ひょっとすると、これが楽しいという感情なのだろうか。
幼稚園の時に隠れん坊の誘いに乗り遅れてから、私は友達という存在と無縁に生きてきた。
だから私には友達というものがわからない。
ちやほやされたいという承認欲求だけは人一倍旺盛だけど、ただそれだけ。
同級生と比べて友達がいないことを寂しく感じたことはあるが、どうしても友達が欲しかったのかと問われると疑問が残る。
独りぼっちで過ごすだけの覚悟もないのに、皆の中に混じることも出来なくて。
そんな私が赤リボンに手を引かれて
慣れない事ばかりで疲れることも多いが、四人で作り上げる音楽は楽しい。
性格も背景も異なるばらばらの四人がひとつの音を奏でる瞬間の快感は、他に例えようがない。
だけど私にはそれ以上に赤リボンや青うらなり、そして喜多との何気ない会話が大切に思える。
私を甘やかすわけでも、ちやほやしてくれるわけでもない。
むしろ厳しく接することのほうが多い。
家族以外に、ただ等身大の私を見てくれる人がいる。
それがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。
だって私には友達がいなかったから。
今は、おそらく違うんだろう。
「冬期休暇も遊びましょうね」と誘う喜多に、私は「楽しみにしている」と伝えた。
なんだ。友達と遊びに出かけるというのは、これほど容易なことであったのか。
躊躇していた自分の頑なさが馬鹿馬鹿しくなり、そして笑ってしまう。
相変わらずの他力本願だが、それでもやり方はあるのだと知った。
誰かがどこかで言っていた。
友達は共に立つから友達なんだと。
がたんごとんと列車が揺れる。
向かいの線路を準急列車が通り過ぎた。
ふと、右肩に重みを感じる。
瞼を閉じた喜多が私に凭れ掛かっていた。
楽しさを味わうということは、寂しさを知るということ。
昔の私は、自分の心が寂しいと感じていることも分からなかった。
この楽しさを覚えていたい。
この寂しさを忘れたくない。
私は鞄から作詞
挟んだままのボールペンを使い、仮題の『忘れてしまいたい』に二重線を引く。
そして『忘れてやらない』と書き添える。
次々と想いが溢れてくるが、喜多を起こさないように静かに用具を仕舞うことにする。
「また、遊びたいな」
これまでのことも、今日のことも、明日からのことも。
私の大切な記憶は、私達四人の記憶になる。
そうだ。忘れてやるもんか。
一緒に立つと、そう決めたのだから。
*
翌日、全身の筋肉痛により悶絶することを私は知らない。