ぼっちちゃん   作:神山甚六

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サブタイトル元ネタ『行人』(1914年)


酔人

 私が最も敬愛する福翁先生*1は「天は人の上に人を造らず」と説いた。

 人間関係と同様に学問もさして得意でない私であるが、この言葉の意味はわかる。

 つまり人間には生まれついた上下関係などというものは存在しないのだ。

 流石に先生と呼ばれるだけの人物は奥が深い。

 私がこれだけ先生に慕情を募らせているのだから、先生も悪い気はしないだろう。

 故に先生の肖像写真が印刷された紙切れも私の紙入れ(財布)に長期滞在しても良いのではないか。

 

 この際、福翁先生でなくても構わない。

 樋口先生、何なら野口先生でも大歓迎です。

 なのに何故先生達は私の元から慌ただしく旅立つのでしょうか。

 

 まず後藤殿には、私に返却の意図があるということだけは御理解頂きたい。

 ただ今月は何かと臨時出費が多く、いかんせん手元不如意が非常に深刻でありまして。

 手元の残高を返済に宛ててしまうと明日からの食費にも事欠く有様になる恐れが無きにしも非ずでありまして。

 つまり返済には今暫くの御猶予を願いたいわけでありまして……

 

 『スターリー』の舞台の上で、青うらなりの長広舌が続いている。

 先生の巻き添えを食らう形で私からの借財が山嵐に露見した瞬間、彼女は見事な土下座をして見せた。

 何を考えているのかと山嵐から詰め寄られると、青うらなりは身振り手振りを交えた釈明を始める。

 次第に熱を帯びたそれは、今は演劇の真似事にまで昇華していた。

 

 一人芝居を見物する赤リボンの視線は幼馴染に向けるものではなく、怖ろしくて見れたものではない。

 やはり山嵐の妹だけあり血は争えないのだなあと感慨深い。

 もっとも頬を熟した林檎のように赤らめて「宝塚のようで素敵」と宣う喜多も、別の意味で恐ろしい。

 青うらなりの脳味噌が転がる音に幻滅していた記憶は都合よく忘却したと見える。

 

「これほど私が恋焦がれているというのに、何故先生は私を嫌うのですか!」

 

 青うらなりが咆哮すれば、酔気の抜けた試しがない先生は肩を組んで「そうだー!」と呼応する。

 

「全ては貧乏が悪いんだよ!私が悪いのは酒癖だけだからね!」

「悪いのは私の財布から勝手に旅立とうとする日本銀行券だ!」

 

「屑共、言い残す事はそれだけか?」

 

 いつの間にか金欠弦楽器奏者(ベーシスト)達の背後に回り込んでいた山嵐が、双方の尻を蹴り飛ばす。

 そのまま猫のように首根っこを掴まれた二人は、それはまあ見事な土下座をした。

 私は渇いた引き攣り笑いを浮かべながら謝罪と弁済を受け取る。

 

「今後は二度とぼっちちゃんからお金を借りません。おい復唱してさっさと書け」

 

 山嵐の厳重な監視の下、誓約書を書かされている二人を尻目に私は元々の憂鬱へと回帰する。

 

「文化祭演奏会(ライブ)か。楽しみだね」

「そうですね!」

 

 盛り上がる赤リボンと喜多に見つからぬよう、私は深い溜息を零した。

 

 

 話は中間試験前にさかのぼる。

 学級会議の冒頭、文化祭実行委員会の考案による御題目(スローガン)「一致団結」が公表される。

 在り来たりな四字熟語は、在り来たりとは程遠い学生生活を過ごしてきた私の劣等感を刺激する。

 私が現実逃避の妄想に逃げ込んでいる間に、学級単位で実施する店舗の候補が絞られていた。

 「幽霊屋敷」「雑貨屋」「写真展」といった単語が黒板に並ぶ中、白墨の丸が付けられていたのは「メイド喫茶」。

 

 冗談ではない。

 

 学級委員は語る。女子は必ず着替えて接客をするようにと。

 私の予想に反して皆乗り気のようであり、やいのやいのと実に姦しい。

 

 冗談ではない。

 

 こちらは飲食業というだけで敷居が高いのに、メイド服の給仕でお帰りなさいご主人様だと?

 頭に白の三角布巾を括り付けて「冥途へ御案内」とでも言えばいいのか。

 何が萌え萌えきゅーんだ。頭に蛆でも沸いているのではないのか。

 提案した奴らは嫉妬と劣等感が渦巻く業火の中に投げ込んできゅーんと言わせてやろうか。

 などとぼやいている間に、正式決定は終わっていた。

 

 冗談ではない。

 

 不安と不満と不信しかない私が自席でぶつぶつ呟いていると、体育館の出し物に関する説明があった。

 軽音楽部や吹奏楽部といった正式な倶楽部活動以外にも、有志参加が認められているという。

 

「参加希望者は申込用紙に必要事項を記入の上、生徒会長室前の箱に投函するように」

 

 手元の紙を読み上げるだけの学級委員の顔をぼんやり眺めながら、私はどうしたものかと考えた。

 楽団(バンド)を組み文化祭で演奏することは私の長年の悲願であるが、より正確には「喝采を浴びてちやほやされたい」まで続く。

 楽団(バンド)を組めたとはいえ、舞台演奏の経験は片手で数えられる程度のもの。

 とても人様に見せられる段階にはないと、私は自分に対する言い訳を始めていた。

 

『また逃げるのか。昔からの悲願だったんだろう?せっかくちやほやされる好機ではないか』

「人がたくさん集まるんだよ。いっぱいいっぱい来るんだぞ!?」

『いや来るかどうかわからないし、今さら何を。だいたいお前は皆の前で演奏をしたかったんじゃないのか』

「私は楽団(バンド)活動を遊びでやってるんじゃないんだよ!」

 

 瞬間、脳内劇場で「私」と対話をしていた私の体が光を放つ。

 

楽団(バンド)は、音楽は人間が生きていく力なんだ!文化祭でちやほやされたいからという理由で楽団(バンド)を始めるような奴は屑だ!」

『それ自分の首を絞めてるのわかってる?』

「私は有名になってから『え?後藤さんが?まさか!そんな風には見えなったのに』と同級生を驚愕させる路線で進むと今決めたんだ!」

『それ過程が違うだけで結局は同じなのでは?』

「ここから、いなくなれ!」

『いや、ちょ、おま』

 

 脳内の自分に修正の拳をたたき込み、至極全うな正論を煩悩でねじ伏せる。

 久しぶりに良い仕事をしたと額の汗を拭く私の耳に、同級生の雑談が届く。

 

「同じ学級の誰かが楽団(バンド)で出てたら惚れてしまうかもしれないね」

「普段と違う顔を見せられたら、たまらないよね」

 

 

「でー、次に気が付いたら、申請用紙を手にして生徒会長室前にいたと」

「はい。申請用紙には記入が終わっていました。筆跡は私のものによく似ていました」

「それで驚愕してまた気絶して、どうしようかと悩んで皆に相談して、やっぱりやめたと」

「はい。まだ大勢の前で演奏する自信がないので」

「ところが、すでに喜多ちゃんが申請用紙を提出した後だったと」

「はい」

「それが撤回出来ないから、結果的にやるしかないと」

「ぐふぁ!」

 

「ご、後藤さんが緑色の吐瀉物を吐いた!」

 

 慌てふためく喜多とは対照的に、終始にやにやしながら私の話を聞いていた先生は「やっぱりぼっちちゃんは最高にロックだね」とけたけた笑う。

 

「おお後藤よ、死んでしまうとは情けない」 

「止めなさい」

 

 青うらなりはにやけ顔で胸の前で十字を切り、赤リボンに頭を小突かれていた。

 「私は犯罪者です」と書かれた看板を自分の首からぶら下げて項垂れているのは喜多である。

 精神的衝撃により臨死体験をしていた私を棺桶に入れて運んできたのも彼女だとか。

 こいつは本当に反省しているのだろうか。

 

 私が疑惑の視線を喜多に向けている間も、先生の右手には一升瓶が握られている。

 「よく出来てるねぇ」と棺桶の蓋を撫でながら、先生はスカジャンのポケットを漁る。

 

「あ、あったあった。はい、ぼっちちゃん。これあげるよ」

 

 先生はくしゃくしゃになった紙を私の手に握らせる。

 伸ばしてみると、それは先生が所属する楽団(バンド)切符(チケット)であった。

 大人数相手の演奏が心配なら、一度は会場の雰囲気を経験してみればよいというのが先生の理屈である。

 先生は全員に手渡し終えると「ちょうど今日が演奏(ライブ)でよかったよ」と紙パック入りの酒の口を犬歯で捩じ切る。

 

「大丈夫。廣井さんの演奏(ライブ)は酒在りきだから」

 

 不安視する私達に彼女の追っかけ(ファン)を公言する青うらなりが自信満々に胸を張る。

 それは大丈夫と言えるのだろうか。

 

「よし私に続け!敵は新宿FOLTにあり!」

 

 敵を見誤るなという話はどこへいったのか。

 腕を振り上げて千鳥足で進もうとする先生を、赤リボンが呼び止める。

 

「御手洗に突撃しないでください」

 

 

 新宿の人口密度は、下北沢のそれとは比較にならない。

 『結束バンド』の面々は先生を介抱しつつ塩を投げつけられた蛞蝓(なめくじ)のように干からびた私を引きずりながらも、目的地である新宿の演奏劇場(ライブハウス)に到着する。

 まるで見覚えのない目つきの鋭い女子に私だけが睨まれたり、先生に負けず劣らず個性の強い楽団(バンド)の顔ぶれに圧倒されたり、文字通りの意味で男だか女だかわからない強面の店長に怯えた赤リボンが幼児化したりしていると開演時間を迎えた。

 

 先生の所属する楽団(SICK HACK)の演奏に、私達はただ圧倒された。

 訳知り顔をした青うらなりの「薬物中毒の幻覚を再現した音楽」という物騒な解説に戦慄を覚えていたが、それも最初だけ。

 それを忘れてしまうほどに先生達の演奏にのめり込む、いや引きずり込まれた。

 

 出鱈目な拍子に旋律があり、旋律の中に混沌がある。

 奔放な感情の激流の中に、論理的な秩序が貫かれている。

 明らかに難易度の高い複雑な楽曲を、狂いなく狂い(演奏し)続ける。

 

 酔いたいのに、酔えない。

 酔えないのに、酔わされる。

 詠いたいのに、詠わせてくれない。

 

 会場全体の空間が歪み、時空が巻き戻され、五感が麻痺する。

 

 ただ一人、廣井きくりが不動の存在として君臨していた。

 

 私の、私達の音楽に跪けと。

 

 私が夢見ていた楽団(バンド)の理想形の一つが、ここにある。

 

 最高に恰好がよくて、最低な気分にさせられた。

 

 先生達と私達は、音楽の方向性が違う。

 だから同じものになる必要はないし、なれるはずもない。

 問題は、私に覚悟があるかどうかだ。

 

 私達に、いや私に先生と同じ演奏(パフォーマンス)が出来るだろうか。

 自分は長年の悲願実現の機会が目の前にありながら、理由をつけて逃げようとしていた。

 正直、今でも逃げ出したいと思っている。

 

 私はここにいてもいいのだろうか。

 

 これを『結束バンド』に尋ねたらどうなるだろうかと思考してみる。

 おそらく「ここにいてもいいよと」言ってくれるだろう。

 彼女達は強くてかっこよくて、そして優しいから。

 彼女達に手を引かれて、背中を押されて、尻を蹴られた私は、それをわかっている。

 わかっているのに、わかっていたのに。

 この期に及んでも虹夏ちゃんを、リョウ先輩を、喜多さんを試そうとする自分に反吐が出る。

 

 演奏(せかい)に酔いしれる観客の中で、私の頭の奥だけが覚めていく。

 

 

「何を辛気臭い顔をしてるんだよ」

 

 演奏終わりの先生は、開口一番に私の背中を叩く。

 「楽しくなかったかな」という先生の言葉に、私は勢いよく首を左右に振る。

 「趣味が合わないか」ではなく「楽しくなかったか」と問うのは、先生の楽団員(バンドマン)としての矜持だろう。

 好悪の感情など無視して自分達の音楽を聴衆に捻じ込ませてやるという、明るくて暗い情念が言葉の端々に滲んでいる。

 

 先生の配慮により、待合室に二人きりとなる。

 私は酔いに任せて、心の中の汚いものをすべて吐き出す。

 先生は相変らず赤い顔のまま、適当な相槌をすることで吐き出す介助をしてくれた。

 そして先生は口を開く。

 

「そうだね。ぼっちっちゃんの気持ちは、私にもよーくわかるよ」

 

 今、この人は何と言った?

 

 わかる?わかるといったの?

 私の気持ちは私にしかわからない、私だけのモノなのに。

 何時でも自信満々な演奏をする貴女に、私の何がわかるというの?

 

 貴女に、廣井きくりなんかに、私の劣等感が理解出来るはずがない!

 

「お、いい顔するじゃん」

 

 知らず先生の顔を睨みつけていたことに、私自身が誰よりも驚愕する。

 慌てて視線を逸らそうとした私の両頬が、先生の両手により挟まれた。

 硬くて冷たい先生の指の感覚が、私に意識を失わさせない。

 逃がさないと、先生の眼が私を見据える。

 

「自分の気持ちは誰にもわからないとでも思ってるのかな?」

「あ、え」

「自惚れるんじゃないよ」

 

 悲鳴を上げようとして声にならず「ひゅ」と間抜けな息だけが漏れる。

 私の様子など目に入らぬように、先生は語る。

 

「私も内気な性格だったからね。そのくせ高慢ちきでさ」

「自分達はお前らとは違うんだ、違うはずだって思い込んでた」

「そのくせ何も出来ないものだから、いつも教室の隅でじっとしていたんだよ」

 

 先生の独白は続く。

 

 今のままの自分の将来がどうなるかを考えてみたこと。

 在り来たりな平凡な未来しかない今の自分に失望したこと。

 真逆の生き方をしてやろうとして音楽(ロック)を始めたこと。

 最初は楽器店や演奏劇場(ライブハウス)を訪問することが怖かったこと。

 初演奏を前に極度に緊張してしまい、それを誤魔化すために飲酒を始めたこと。

 

「私が自信満々に見えた?違うよ。最初は誰だって怖いよ」

「……いや。違うかな。私は今でも怖いんだ」

「舞台に立つのが怖い。夜眠るのが怖い。明日が来るのが怖い」

「だって何の保証もないからね。今人気があっても、明日にはどこかの道端で野垂れ死にしてるかもしれない」

「だけどね。その生き方を選んだのは他の誰でもない」

 

 両手を離した先生は、自分の胸をばしんと叩く。

 

「この私だよ」

 

「それは誰にも否定させない。否定するのなら認めさせてやる」

 

 そして先生は私を指差す。

 自分と他人を傷つけながら、それでもやりたいことを押し通してきた傷だらけの蛇は、とぐろを巻いた眼で私を見守っていた

 

「ぼっちちゃんは正しいよ。君の葛藤を私は知らない」

「だけどね。弦楽器(ギター)をやろうとしたのも、やり続けたのもぼっちちゃんだ」

「その過程と努力だけは誰にも、私にも否定出来ない本物だ」

「皆から差し出された手を握っただけ?ふざけるんじゃないよ」

「その手を握り返したのは誰?歩き出したのは誰?」

 

 虹夏ちゃんの差し出した手を握り返した時の感触を思い出す。

 リョウ先輩に背を押されて作詞手帳(ノート)に向かった日を思い出す。

 喜多が見せた私が経験したことのない世界の眩しさに羨んだことを思い出す。

 舞台の上で四人が揃い演奏した時の興奮は、今も私の鼓動となり動き続けている。

 

 答えは、一つしかない。

 

「ぼっちちゃんが否定したいのならしてもいいよ。それも自由だからさ」

「だけどね。人には嘘がつけるけど、お天道様と自分には嘘がつけないんだぜ」

 

 「指差してごめんね」と先生は人差し指を自分で咥える。

 

「勇気があれば何でも出来るって言ってた人がいたけど、勇気を奮い立たせること。それが一番難しいんだよね」

「だけどね。ぼっちちゃんはお酒なんかなくたって演奏やれたよね」

「それは本当にすごいことなんだよ」

「選んだ以上は歩くだけなんだけど。まぁ、それが私達みたいな内気な奴らには一番難しいんだけどね!」

 

 にかりと笑う先生の瞳には、いつかの路上演奏時のように酔気は感じられない。

 人を酔わせる演奏をする先生が酔えないのなら、悲劇を通り越して喜劇かもしれない。

 それでも先生は、たとえどんな終わり方になろうとも後悔しないだろう。

 何故なら、今の生き方を選択したのは自分であるとわかっているから。

 

 私も、そんな生き方をしてみたいと思った。

 

「あ、あの!」

「うん?」

「ぶ、文化祭、招待したら来てくれますか」

 

 先生は、その日一番の笑みを浮かべた。

 

「いいよ!その意気だよ!弱気の虫なんか殴り飛ばせ!!」

 

 先生が言葉通り壁を殴り「がこん!」と大きな音がした。

 見れば先生の拳が壁にめり込んでいる。

 演奏劇場(ライブハウス)の店長が角を生やしながら請求金額の加算を伝え、先生は涙を流す。

 

「……ぼっちちゃーん。ここはひとつ連帯責任で」

「あ、お先に失礼します」

「ぼっちちゃん!?」

*1
福沢諭吉

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