ぼっちちゃん   作:神山甚六

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サブタイトル元ネタ『硝子戸の中』(1915年)


氷風呂の中

 なんだか全身がむずむずする気がする。

 

 その努力を他に活かせばいいものをと言いたげな母の視線に耐えた努力が実ったと喜び勇んで脇に体温計を差す。

 私は卑怯な人間であり臆病な女であり、それ以上に胆力というものが微生物(ミジンコ)にも劣る矮小な存在である。

 だが今回は私の執念が、それら諸々を上回った。

 

 働きたくないために働きたくないがための作業に勤しむ。

 

 あれ、何かおかしくないかと疑問を覚えた頃に体温計が鳴る。

 

「へ、平熱……」

 

 父よ母よ、丈夫な体を授けてくれてありがとう。

 

 そのまま滂沱の涙を流して枕に顔を伏せていると、ロインの着信音が耳に捻じ込まれる。

 赤リボンからの、簡素ながらも私の体調と精神を案じた文面が私の良心を串刺しにする。

 自分の愚かさを改めて突き付けられ、私の精神は奈落の底の二番底を突き抜けていく。

 謝罪の鼻水を垂れ流しながらぽちぽちと謝罪の文面を打ち込みつつ、非常勤労働(アルバイト)をすることになった経緯を振り返る。

 

 

 出来の良くない初演奏を終えた翌日、私はロインを通じて赤リボンに呼び出された。

 名目は楽団(バンド)の今後の方針を話し合うというものであった。

 下北沢の放つ独特の雰囲気に精神を磨滅させられながら、私は這う這うの体で『下北沢スターリー』に辿り着く。

 

 やれやれと扉を押そうとして、ふと怖気づいた。

 昨日は赤リボンに手を引かれて入店したが、今は自分しかいない。

 重い扉を押し開けた先に不審者を見る目を向けられでもすれば、今度こそ自分はツチノコにでも化けてしまうだろう。

 どうしたものかとしばらく扉の前で逡巡を繰り返していると「何をしているんだい」と呆れた赤リボンの声が背後から聞こえた。

 案の定、そこには声と同じ感情を浮かべた赤リボンと、何故か携帯端末(スマートフォン)でこちらを撮影する青うらなりがいた。

 

 二人の後ろに隠れるようにして、私は店内に入る。

 営業時間外ということもあり、穏やかな照明がついた演奏劇場(ライブハウス)の中は閑散としていた。

 勝手に椅子と机を用意しようとする赤リボンに「そんなことをして大丈夫かい」と訊ねると「ここは私の姉の店なのだよ」と返してくる。

 初耳だと言えば「やはり聞いていなかったのだな」と呆れた視線を投げつけてくる。

 

 そうは言うが、昨日は唐突な顔合わせから急遽の楽団(バンド)招待、初演奏(ライブ)、初のロイン交換という(私の基準では)重大な事件が立て続けに生起したのだ。

 むしろ途中で気絶しなかったことを誉めてもらいたいものである。

 

 せっせと用意をする赤リボンとは裏腹に、青うらなりは何もしない。

 それでいて、出てきた椅子には真っ先に腰を掛けやがる。

 こいつめ。美人なら何をしても許されるとのかと憤慨していると、赤リボンがどこからともなく巨大な賽の目(サイコロ)を取り出してきた。

 ぎょっとしてよく見ると、何やら六面にそれぞれ文章が書かれている。

 どうやら私と会話を続けることが如何程の難事業であるかを学んだ赤リボンが、どうにか場を繋ぐために考えたものであるらしい。

 中々の策士であると感心したが、私を甘く見てもらっては困る。

 こちらは小等学校と中等学校の九年間の休憩時刻を図書室の精霊(地縛霊)として過ごした歴戦の内弁慶である。

 私が披露する数々の黒歴史に幾度となく会話を強制終了させられてしまい、さしもの赤リボンも顔を顰める。

 どこまでも我が道を行く青うらなりは、時折茶化しながら赤リボンの孤軍奮闘を見守るばかりで役に立たない。

 

楽団(バンド)名とは真逆ではないか!」

 

 赤リボンが可愛い癇癪を起すが、それ(バンド名)ばかりは私に言われても困る。

 私が机に頭を伏せて自身の音楽観をぶつぶつ呟いていると、気を取り直した赤リボンが話題を替える。

 

 要約すれば、楽団(バンド)活動には何かと資金が必要であり、それは高校生の小遣い程度では到底足りるものではない。

 活動を続けるためには非常勤労働(アルバイト)が必要であり、それを『下北沢スターリー』でやらないかというものであった。

 

 おい、そんな話は聞いていない。

 せめて正式に楽団(バンド)に招待する前に一言あってもよいのではないかと憤慨したが、今日の招集はそれが本来の理由であることを察した。

 赤リボンめ。さも人畜無害な面をして、諸葛亮先生も驚きの策士である。親交を深めるためという名目で陣地に誘引、自分達は身内も同然と思わせて逃げ道をふさいでからの、非常勤労働(アルバイト)の誘いという十字砲火とは。

 

 しかし赤リボンは私がどれほどまでに労働という行為を憂い、軽蔑し、恐怖しているのかを知らない。

 貴様がその気なら、こちらは後藤一人保護条例に反する非人道行為として国際司法裁判所に訴えて……

 

「ぼっちちゃん。それでいいかな?」

「は、はぃ」

 

 などと妄想劇場のように啖呵を切れるわけもなく、最早気力も尽きていた私は簡単な返事をした。

 安堵する赤リボンとは対照的に、やはり曲者の青うらなりはこちらの真意を確かめるが如く、匙を口にくわえたままこちらを凝視している。

 この女、いつの間に氷菓子など出してきたのか。

 

 うん?氷?氷か。

 

 

 青うらなりに触発されて考え抜いた「氷風呂入浴による流感感染作戦」が物の見事に破綻した経緯はすでに述べた。

 

「働きたくない。あぁ働きたくない。働きたくない」

 

 字余りどころか季語すらない俳句擬きを呟きながら『下北沢スターリー』に足を運ぶ。

 陰鬱な気分のまま店の前で逡巡していると「まだ開店前なのだが」という棘のある声に振り返る。

 長い派手な金髪に黒シャツと首飾り(チョーカー)という、いかにも不良(ヤンキー)で御座いという雰囲気の女性がこちらを見下ろしていた。

 恐怖に心臓が掴まれ、早鐘が乱打される。

 

「お、落ち!おち、おち、し、静まりたまえ!」

「いや、私は落ち着いているが。あと誰が山の神だ」

「さ、さぞかし名のある不良(ヤンキー)とお見受け致すが……」

「私はどこの祟り神だ!?あと誰がヤンキーだぁ、こらぁ!!」

 

 そのキレのある突込みに、私は目の前の女性が赤リボンの姉であると思い至る。

 

 どうにかこうにか事情を説明して互いに自己紹介を行うと、女性は店長の伊地知(いじち)星歌(せいか)と名乗った。

 やはり赤リボン同様、現代風の名前である。

 当初は怪訝な表情を浮かべていたが、「例の厚紙箱で演奏したものです」と伝えると手を打ち鳴らして「あの檬果(マンゴー)仮面」と得心する。

 なんだか改造人間戦士の仲間のようで格好がいい綽名であるなと感動していると、もはや呆れ顔が表情に張り付いたような赤リボンが「やめたまえ」と仲裁してくれた。

 

 赤リボンの姉君である店長は、やはりどこからどうみても北関東の不良(ヤンキー)とでもいうべき、ふてぶてしい面構えをしている。

 風貌は赤リボンと大差はないというのに、性格や器量でこうも変わるものなのか。

 私は、この好感が持てる女傑に「山嵐」という綽名を奉り、荒ぶる御心が鎮まらんことを祈念した。

 

 仕事内容については赤リボンと青うらなりから相互に説明を受けたが、緊張のあまり殆ど耳に入らない。

 もともと地頭が悪いのだから手帳でも持参すればよかったと嘆きつつ、歌で体に覚えさせようと弦楽器(ギター)を取り出して独唱していると、山嵐に「働け」と頭を小突かれた。

 まったくもって反論が出来ない。

 

 どうにかこうにか仕事内容を詰め込もうとしたが、やはり私の容量を越えていた。

 頭から煙を出す私を見かねた赤リボンと共に、飲料販売所の売り子をすることになる。

 ついに私も飲食店で働けるようになったのかと喜んでいると、営業開始時間を迎えた。

 

 やはり初対面の人と目を合わすことは困難であり、私は机の下から飲料を提供するのが精一杯である。

 赤リボンに「失礼だ」と注意されるが、相変わらず目を合わせると固ってしまう。

 これは困った、どうしたものか。

 そんなやり取りをしていると、受付にいるはずの青うらなりが合流してきた。

 聞けば山嵐が「今日の出演者は勉強になるだろうから」と代わってくれたそうだ。

 

「我が姉は素直じゃないからね」

 

 どこか恥ずかしそうに、赤リボンは自分の姉に対する感情を告白する。

 そして私の顔を見て「楽しくやろうぜ」と続けた。

 

「私はこの演奏会場(ライブハウス)を愛している。だから利用する御客様にも、良い感情をもってほしい。ここがいい場所だったと、そう感じて帰ってもらいたい」

「そ、そうなんですね」

「それはね。ぼっちちゃんも同じなんだよ」

 

 悪戯っ娘のように目を輝かせてこちらを覗き込んでくる赤リボンに、私は改めて恥ずかしくなる。

 ついと視線を逸らすと、青うらなりが口を釣り上げてこちらを見ていた。

 

 演奏(ライブ)が始まり、曲を重ねるにつれて会場内の熱量が上昇する。

 観客が演者に呼びかけ、演者が観客に応える。

 私が幾度となく妄想の中で夢見ていた光景が、目の前にあった。

 

 常日頃、私は変わりたいといいながら、変わらないための言い訳と努力ばかりしてきた。

 氷風呂など、その最たる例であろう。

 今の自分が、あの煌びやかな場所(ステージ)に立ったとしても、彼らと同じことは出来ないだろう。

 それは全体としての練習量や個々の技術とは異なる、大切な「何か」が欠けているからだ。

 変わらなければいけないものがなんなのか、鈍い私にもようやく思い至った。

 

 演奏が休憩に入り、飲料を希望する観客がこちらへ来る。

 私は意を決して机の下から立ち上がり、初めて相手の目を見て対応をした。

 あまりにも不自然な引き攣り笑いに苦笑をされたが、それは私が恐れていたものではなかった。

 

 「で、出来ました」と私。

 「出来たね」と赤リボン。

 「出来た」と青うらなり。

 

 人並み以下のことがようやく出来ただけだというのに、赤リボンは大層喜んでくれた。

 無表情でわかりにくいが、青うらなりも笑みを浮かべている。

 私は、まだろくに練習もしたことがない彼女達と同じ楽団(バンド)の一員であることが妙に誇らしくなり、なんだか全身がむずむずとした。

 

 帰宅の際、私の口からは自然と「また明日」という言葉が突いて出ていた。

 赤リボンと青リボンの後ろから、気だるげな山嵐が「おう」と手を振っている。

 なるほど。確かに妹が言うように素直な性格ではなさそうだ。

 

 

 翌日、私は高熱と咳に苦しみながら布団に包まっていた。

 

「い、今頃っ……」

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