ぼっちちゃん   作:神山甚六

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サブタイトル元ネタ『韓満所感』(1916年)


酔客所感

 私はその人を「先生」であると思っている。

 だからただ「先生」と書いて本名を打ち明けなくてもよいのだが、要するに廣井(ひろい)きくりさんのことである。

 誤魔化してみたところで、私の狭い交友関係を辿ればわかることだ。

 

 いつも酔気(すいき)を漂わせている廣井さんに、面と向かい「先生」と呼び掛けたことはない。

 如何にもよそよそしい呼び方を廣井さんは好まないだろうし、私も様々な意味で呼ぶ気にはならなかったからである。

 それでも私が「先生」と呼ぶとすれば、彼女を置いて他にはないのだ。

 

 

 私が廣井さんと知り合ったのは、夏の金沢(かねさわ)八景(はっけい)である。

 その時の私はまだ未熟な-今も未熟だけれども-楽団(バンド)の団員であった。

 

 夏季休暇も過半を過ぎた八月の後半、私は絶望していた。

 次回の演奏日時が定まり安堵したのも束の間、切符(チケット)販売の割り当て(ノルマ)を告げられたからである。

 劇場主である山嵐から楽団(バンド)全体で課せられた割り当てが弐拾枚なので、一人頭が五枚。

 たかが五枚と思われるかもしれないが、友人や知人というものが空想上の存在である私にとり、それは珠穆朗瑪(チョモランマ)の無酸素登頂に匹敵する難易度であった。 

 

 私は高等学校の課題を放り出して、誰に売りつければよいかを必死に考えていた。

 

 まずは父。これは間違いない。

 むしろ誘わないと何時までも拗ねるだろうから、誘わないという選択肢はない。

 そして母。こちらも頭数に入れて問題はないだろう。

 家事手伝いでも土下座でも五体投地でもなんでもする用意がある。

 あとは妹。いろいろと面倒を見てあげているので何とかなる、と思う。というか頼む。

 御菓子か、玩具か。どちらが言うことを聞いてくれるだろうか。

 そして犬。私を散歩に連れ…違う。散歩に連れて行ってやる恩義を忘れたとは言わせない。

 上等な餌か、それとも玩具か。どちらなら従ってくれるだろうか。

 

 これで残るは一枚。

 遠方の祖母に御出まし願おうかと算盤を弾いていると。

 

 「いや、犬は無理でしょう」と母。

 「五歳の(ふたり)も駄目だよ。あまり遅くに表を連れて歩けないよ」と父。

 

 四枚の内定が半分になり床へ倒れ伏すが、それで問題が解決するわけではない。

 見かねた母が友達を紹介しようかと聞いてくれるが、妹の手前もあり「友達を誘うから大丈夫」と見栄をはってしまう。

 

 つける薬が見当たらない自分の愚かさに嫌気が差すが、考えてみればいつものことである。

 

 この際、御年玉貯金を切り崩して自爆営業をしてみようかと考える。

 当座は凌げるだろうが、楽団(バンド)活動を続ける以上、劇場で演奏する機会はこれからもある。

 そんな真似が、いつまでも続くわけがない。

 

 他の団員があれよあれよと割り当てを消化していく中、外堀どころか内堀まで埋め立てられた私は腹を決めた。

 

「お、女は度胸!男は愛嬌!*1坊主は御経!」

 

 ちょうどその日は、実家近くの金沢八景で花火大会がある。

 私は演奏会の宣伝広告を手配りし、浮かれ気分で財布のひもが緩んだ観客に切符(チケット)を売りつけることを目論んだ。

 まさに完全無欠の完璧な計画である。

 

「む、無理だぁ」

 

 実行不可能であるという点に目をつぶれば、だが。

 

 そんなことが出来るのなら、とうの昔に学校で友人に囲まれている。

 私は自作の広告を握りしめ、目の前を行きかう人々を悪戯に見送る。

 

 自分から声を掛けることが恐ろしい。

 自分に向けられるであろう視線が怖い。

 自分が否定されたら、耐えられないかもしれない。

 

 結局、私は成長などしていなかったのか。

 赤リボン達に合わせる顔がない。

 堤防の階段に腰を掛けて項垂れていると、嗅いだことがない異臭が鼻を差す。

 

「み、水ぅ……」

 

 地獄の底から漏れ聞こえるような濁声は、階段の下から発せられていた。

 スカジャンを羽織った三つ編みの女性が、俯せのままうめき声をあげている。

 慌てて行き倒れかと思い声を掛けると、酒臭い息のまま具体的な要求事項を連ねる。

 

 その人が、つまり廣井きくりであった。

 

 

「空きっ腹に染み渡るねぇい!」

「そうですか」

 

 買いそろえた要求品を手渡すと、酔女は勢いよく摂取していく。

 二日酔いの薬を含み、簡易みそ汁を啜り、ごきゅごきゅと水を飲み干す。

 

「いやぁ、美味しかったよ」

 

 そう屈託なく笑うと、流れるような仕草で紙パックの酒を取り出す。

 介抱をすべて台無しにしてくれた廣井きくりを名乗る不審者-もとい女性は、自分は音楽活動をして生計を立てていると主張する。

 手ぶらのまま「弦楽器(ベース)と酒は命よりも大事なもの」と胸を張り、次の瞬間には「弦楽器(ベース)を居酒屋に置き忘れた」と慌て騒ぐ。

 私の父は常々「酔客(すいきゃく)に理屈を求めるほど馬鹿げたことはない」と語っていたが、私はそれを真の意味で理解した。

 

「何故苦しくなることがわかっているのに、そんなに沢山の御酒を飲むんですか?」

「訳が分からなくなりたいから、訳が分からなくなるまで飲むんだよ。こうしている間は浮世のことを忘れられるからね。酔いが覚めると思い出すから、また飲むわけさ!」

 

 自分の弦楽器(ベース)に頬擦りしながら「これぞ円環の理(幸せスパイラル)」と豪語する。

 変な女に捕まったものだと途方に暮れていると、廣井さんは私の背負った楽器鞄を指さす。

 

「ところで、ひとりちゃんも音楽やるの?」

 

 最初は適当な言葉を連ねて誤魔化そうとしたが、良心的かつ前向きな配慮をされたことに居た堪れなくなり謝罪に追い込まれる

 仕方なく楽団(バンド)活動の切符割り当てに苦労していることを告白する。

 

「つらい、つらいよねぇ!」

 

 私の境遇にいたく同情して涙を流すと、廣井さんは失った水分を酒で補給する。

 いろいろと台無しである。

 酔客故に感情が安定していないのだろうかと思えば、彼女も楽団(バンド)活動をしており、消化に苦労していた辛い時期を思い出したそうだ。

 「こんな時は飲むに限る!」と紙パックの酒を飲み干し、そして吠えた。

 

「よし、後藤田ちゃ「後藤です」GOTOちゃんね。じゃ、ひとーりちゃん。この私に任せなさーい!」

「いえ、御気持ちだけで十分です」

「いいからぁ、いいからぁ、いいからぁ!」

「いえ、あの、何が?」

「よーし、この辺でいいかなぁ!」

「何がですか!?」

 

 私にしては珍しく明確な言葉で固辞したが、廣井さんには聞こえていなかったようだ。

 聞こえていたとしても、聞き入れてくれたかどうかは怪しいものであるが。 

 私の手を引きずり堤防沿いの区画を確保した廣井さんは、何やら所持していた画用紙に筆を走らせ始める。

 何をするつもりなのかという私の問いかけに、相変らず赤い顔のまま告げた。

 

「路上演奏(ライブ)!あ、安心していいよ。無許可だからさ!」

 

 驚いた。何一つ安心出来る要素がない。

 

 「喧伝活動をしながら切符を販売、まさに一石二鳥」と頷く廣井さんは、途方に暮れる私を置いてきぼりにしたまま、てきぱきと必要な機材の手配をしていく。

 項垂れていた飲兵衛と同一人物とは思えない手際の良さに、私は少しだけ見直す。

 路上演奏は初めてなのだと告げると「不安なら瞼を閉じてやればいいよ」と助言をくれた。

 厚紙箱を被らせた青うらなりと言い、弦楽器奏者(ベーシスト)の発想は似通うものだろうか。

 

 専用の(ピック)ではなく三味線用の(ばち)を取り出すと、廣井きくりは改めて私の顔を覗き込む。

 

「だけどね、ひとりちゃん」

 

 その瞬間、私の全身に悪寒が走る。

 

「瞼を閉じても、敵を見誤っちゃいけないよ。今、君の目の前にいる人たちは、敵じゃないんだから」

 

 そう語る彼女の眼には一切の酔気はなく、ただ醒めたものだけが満ちていた。

 期待も失望も、歓喜も悲嘆もなく、ただ純粋に推し量ろうという意図だけは伝わる。

 何を見せるのか、何を見せてくれるのか。

 お前は何が出来るのか、この私に見せてみろと。

 

 だらしなく地べたに胡坐をかく弦楽器奏者(ベーシスト)が本物なのだと理解させられる。

 この酔客は、自分の音楽で人を刺してきた前科者なのだ。

 刺して、刺されて。自分の心と体が傷だらけになりなりながら、それでも前に進み続けようと藻掻き足掻く本物なのだと思い知らされた。

 

 暑気が満ちる夕暮れの下、私はひとつ大きな身震いをする。

 そこでようやく廣井さんは、その蛇のような眼を閉じて「にかり」と笑う。

 

「いくよ、ひとりちゃん」

 

 そして彼女が撥を弾く。

 

 

 結論から言うと、切符は売れた。

 演奏を聴いてくれた浴衣姿の女子大学生二人組が、いたく感動して購入希望を伝えてきた。

 路上演奏をした上に警察官に注意されるという後藤一人史上最大の事件に茫然自失の私を差し置き、廣井さんが代金の受け渡しを代行してくれた。

 見れば女大学生は、演奏中の私に「頑張れ」と鼓舞する声を掛けてくれた人である。

 その声がなければ、私は片側だけとはいえ瞼を開けれなかった。

 そして廣井さんが伝えたかった言葉の意味も分からないままだっただろう。

 私なりの精一杯の感謝を伝え、彼女達と別れる。

 

「いいねぇ。青春だねぇ。自棄酒だねぇ」

 

 撤収作業をしていたはずの廣井さんは、すでに新しい紙パック酒の口を犬歯で捻じ切っていた。

 前半の私の硬い演奏が破綻しなかったのは、ひとえに彼女の弦楽器(ベース)の支えがあってのことである。

 初見の独自曲(オリジナル)でありながら、廣井さんの撥捌きには迷いというものが感じられなかった。

 力強く、軽やかで、そして何よりも自信に満ちた弦楽器(ベース)

 こんな気持ちで演奏が出来たのは初めてである。

 もう何も怖くないと、そう思えたのだ。

 

「ひとりちゃん」

 

 廣井さんはスカジャンに空の紙パックを押し込むと、私に手を突き出した。

 意図が分からず財布を出そうとする私に、彼女は「違うよー」と笑う。

 

「最後の一枚。私が買うよ」

「い、いいんですか!」

「無論だよ。だって君の演奏を聞きたくなったからね」

 

 彼女の真っすぐな言葉は、動画投稿掲示板のいかなる称賛の言葉よりも面映ゆい。

 廣井きくりに自分の演奏を認めさせたということが、何よりも嬉しい。

 経験したことがない快然たる気持ちのまま、最後の一枚を手渡す。

 相変らず酔気を漂わせながら去り行く廣井さんの背中が、私にはどうしようもなく恰好よく見えた。

 

 そして慌てて駆け戻ってくる。

 

「ひとりちゃーん。帰りの電車賃なくなっちゃった。貸してくれない?」

 

 どこか既視感のある懇願に、私は溜息とともに財布を取り出した。

 

 全く、弦楽器奏者(ベーシスト)という人種は。

 

 

 翌日『スターリー』に出勤した私は、居並ぶ楽団(バンド)団員の前に正座をさせられる。

 自爆営業疑惑を晴らそうと、私は赤リボン達に昨日までの経緯を説明する。

 

 だ、誰って。えーと、お父さんと、お母さんでしょ。

 

 あと地元でやった路上演奏を見て買ってくれた女子大学生二人と先生。

 

 先生?違うよ学校の先生じゃないよ。

 

 うん。一緒に演奏した人。

 

 弦楽器奏者(ベーシスト)の人でね。いつも酔っぱらってて、お金がなくて……

 

 「いつもの妄想劇場かな?」と赤リボン。

 「苦しさのあまり見た白昼夢じゃないかな」と青うらなり。

 「後藤さん!いくら辛くても未成年飲酒は駄目よ!」と喜多。

 

 だ、誰も信じてくれない!

*1
本来は逆であるが、この御時世どちらでもいい。

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