ぼっちちゃん   作:神山甚六

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サブタイトル元ネタ『二百十日』(1906年)


二百十日前

 私は台風が好きだ。

 無意味にテレビ番組を流しながら、慌てふためく大人達を画面越しに眺める。

 日常が非日常へ塗り替えられていく雰囲気に浸りながら、臨時休校の喜びを味わう。

 正直、こんな状況でもなければ喜び勇んで布団に包まっていたかもしれない。

 

 窓を打つ雨音が、私の意識を覚醒させる。

 誰かの不幸を他人事として消費していた罰があたったのだと思った。

 一階の軒先に吊るされた照る照る坊主は、雨垂れに滲んだ眼で私を冷ややかに見下ろしている。

 恨めし気な「彼」から視線をそらし、溜息をつく。

 

「何もこんな時に来なくてもいいじゃないか」

 

 がくりと両肩を落とした父が階段を下りてくる。

 さすがに台風の折に幼い妹を預けて外出するわけにもいかず、父母は欠席を告げた。

 遊びたい盛りの妹は、喜び勇んで父の顔に抱き着いている。

 「心配しなくてもいい」と両親に伝えながらも、今ばかりは無邪気な妹が少しだけ疎ましい。

 

 壁に掛かった八月の暦、第四日曜日は赤い花丸に彩られている。

 

 今日は八月二十四日。

 

 四人組体制の『結束バンド』が迎えた、初めての演奏会である。

 

 

 予想されていた列車の順延はほどんどなく、私は下北沢に到着した。

 本番は六時半からだというのに、私以外の面子も早々と『スターリー』に集まっている。

 やはり皆、天候以外にも浮足立つものがあるのだろう。

 

 全員が集まると、赤リボンが考案した揃いの衣装に着替える。

 黒シャツに白文字で簡素な意匠を施したそれは、私の実家で開催した検討会の内容が全く反映されていない。

 全ては赤リボンの独断によるものである。

 飾り気のない洒落っ気は私も好むところではあるが、やはり私が提案した赤シャツにファスナーを多数縫い付けた衣装のほうが舞台の上では映えるのではないか。

 同じく提案を却下された喜多に同意を求めたところ「あはは」と笑うだけであった。

 解せない。

 

 私の両親の欠席を伝えたところ、青うらなりから「私の追っかけ(ファン)は全滅だぜ」と返される。

 聞けば赤リボンと喜多の友人も難しいと連絡があったそうだ。

 会場を見渡しても、私達の関係者は店長の山嵐と顔馴染みの音響屋以外には見当たらない。

 次第に強くなる雨足に、これは誰も来ない可能性があると全員の顔が曇り始める。

 

「ひっとりー、ちゃ~ん」

 

 がらんと乱暴に扉が押し開けられ、千鳥足の先生(廣井さん)が階段を下りてきた。

 先日と変わらず酒気と連れ立ってやってきた先生は、ずぶ濡れのスカジャンを脱ぐ。

 傘立て用のバケツの上で豪快に雑巾絞りをしながら「きたよぉ~」と叫んでいる。

 私は来店を喜ぶよりも、悪目立ちを避けて屑箱へ逃げ込みたくなった。

 

 顔馴染みだという山嵐に絡んでいる先生を見た赤リボンは「妄想でも白昼夢でもなかったんだね」と私に頭を下げてきた。

 まだ自爆営業を疑われていたのかと喜多を向けば、即座に視線を外されてしまう。

 

 喜多、君もか。君もなのか。

 

 弟子の裏切りに絶句していると、青うらなりが私の肩を叩いて「私は信じていたよ」と囁く。

 私は驚嘆した。

 こんなに堂々と開き直る人間は見たことがない。

 

 そうこうしていると、件の花火大会で出会った女子大学生二人組が現れた。

 ずぶ濡れになりながら「私達はひとりちゃんの追っかけだからね」と指を立てる仕草に、私の士気は俄然と高まる。

 

「「「この度は後藤さんの自爆営業を疑い、誠に申し訳ございませんでした!」」」

 

 三人が同時に頭を下げてきた。

 いいもん。私には追っかけ(ファン)がいるんだもん。

 ふへへへ…

 

 

 この日のために父に改造を依頼していた完熟檬果(マンゴー)仮面を披露すると、赤リボンに一言「脱げ」と告げられる。

 せっかく顔面の観音開きを遠隔操作出来るようにしてもらったのにと弁明するが「努力する方向が違うだろう」と正論で殴られた。

 

 開演が近づき、私たちは舞台袖から観客席を眺める。

 合わせても十人に届くかどうかという聴衆の多くは、自分達以外の演者を見に来た人々である。

 観客席後方に立つ二人組の「知らない」「興味がない」という会話が、私達の耳朶に突き刺さる。

 この中では最も演奏経験が豊富であり、なおかつ神経が縄文杉のように太いと思われた青うらなりですら顔色を変える。

 今にも倒れそうな喜多の肩を赤リボンが抱き「行こうぜ」と告げる。

 その声色も、普段の彼女とは似ても似つかぬ固いもの。

 

 今日の天候悪化といい、嫌な予想ほど的中するものらしい。

 どうか今回ばかりは外れてほしいと、私は切に祈った。

 

 

 奇しくも一曲目は面接試験(オーデイション)で演奏した『弦楽器(ギター)と孤独と青い星』であった。

 演奏を始めた途端、私の脳裏に山嵐の寸評が甦る。

 

鐘太鼓(ドラム)、力が入りすぎだ。演奏全体が固くなるぞ』

弦楽器(ベース)、集中するのはいいが、自分の世界に没頭し過ぎだ』

弦楽器(ギター)二人、下を向きすぎだ。受身で合わせてもらってどうする』

 

 力が入り過ぎてもたつく赤リボンに、経験の乏しい喜多が引きずられる。

 青うらなりは失敗こそ少ないが、赤リボンと調子があわせられないので意味をなさない。

 そうしていると自分の調子を守るために、自分の演奏を守るためだけに自分の世界に閉じ籠り始める。

 両手が重ならない拍手を必死に繰り返すような、そんな演奏とも呼べない不協和音を続ける苦痛。

 

『受身で合わせてもらってどうする』

 

 再び山嵐の言葉がよぎり、私は歯を食いしばる。

 私という人間は、何時だって他人任せに生きてきた。

 赤リボンに手を引かれ、青うらなりに背中を押され、喜多に励まされたから、今私はここにいられる。

 他人任せに生きてきた報いを、舞台の上で受けさせられている。

 

 だけど、それは私だけが受けるべきはずのものだ。

 この三人が受けるべきものでは、断じてない。

 

弦楽器(ギター)と、孤独と、青い星、でした!」

 

 ふと気が付くと苦痛の時間は終わっていた。

 舞台の正面では、冷え切った観客席に向かい喜多が次の曲を紹介しようとしている。

 明朗闊達な彼女らしからぬたどたどしいそれは、決して止まろうとしない。

 

 ふと、視線を少しだけ上げてみる。

 

 強張った喜多の太腿は小さく、そして確かに震えていた。

 

 瞬間、私は狂乱染みた情火に支配される。

 

 許せない、ゆるせない、ユルサナイ

 

 誰だ?誰よりも優しくて強い虹夏ちゃんに、こんな格好悪い演奏をさせている奴は。

 誰だ?変わり者だけど、誰よりも音楽が好きなリョウ先輩を苦しませている奴は。

 誰だ?誰よりも人と関わることが好きだという喜多ちゃんに、こんなことをさせている奴は。

 

 先生は私に教えてくれた。

 敵も壁も、自分が勝手に作るものだと。

 その壊し方を知っている奴はいるのか?

 

 視線を観客席に向ける。

 探すまでもなく、伊地知店長と並んで立つ先生と視線が合う。

 これだけ無様な演奏をした後だというのに、先生は自信に満ちた眼で私を見ていた。

 それで十分だった。

 

 私だ。

 

 皆に壁を壊してもらったから、私は今ここにいる。

 

 今度は私が、皆の壁を壊す番なのだ。

 

 視線を手元に戻す前に、最前列にいた私の追っかけ(ファン)二人組と視線が合う。

 

 不安げな表情をした彼女達に、私は小さく頷いた。

 心配してくれて、鼓舞してくれてありがとう。

 今度は私の番ですと、そう視線で伝えたつもりだ。

 それは彼女達には伝わっていないかもしれない。

 だけど、演奏は届けることは出来る。

 

『そんなことが出来るとでも?』

 

 劣等感の窯の底から、誰かの聞こえてくる。

 それは確かに「後藤一人」の声であった。

 

『自分ひとりじゃ、何も出来なかった癖に』

 

 うるさい。

 

『今でもまともに喋れないし、碌に視線も上げられない』

 

 煩い、五月蝿い、ウルサイ!

 

『人に助けてもらってばかりなお前に、誰かの壁が壊せるとでも?』

 

 どれだけ否定しようとしても『私』の声は心の襞に纏わりつく。

 

『いいじゃないか。ここで駄目でも、お前には動画掲示板があるじゃないか』

『みんなにちやほやされて、誰もお前を否定しない。そんな世界がお前にはあるじゃないか』

 

 居心地の良い元の世界に戻ればいいよと、過去の『私』が私の足を掴む。

 私はそれを振り払う代わりに、右足を膝の高さまで上げた。

 

 これから私がやろうとしていることは、予定されていた演奏内容とは違う。

 私の独断が失敗すれば、その責任は全員で背負わなければならない。

 それだというのに臓腑からせり上がる不快感を感じる余裕すら、今の私にはない。

 

 この足を降ろせば、もう戻れない。

 元の場所にも、この心地が良い居場所(結束バンド)にもいられなくなるかもしれない。

 

 だけど私は、皆と前に進むと決めたのだ。

 

 ペダルを踏み込む瞬間、私は『私』に答えた。

 

「私は、もう戻らない」

 

『どうして?お前に皆の壁を壊せるとでも』

 

「出来るよ。私には出来る」

 

『どうして、そう言い切れる?』

 

「だって私は」

 

『そうだ、お前は』

 

 ようやく気が付いたのかと、過去の『私』が引き攣り笑いを残して消える。

 

「『弦楽器(ギター)英雄(ヒーロー)だ!』」

 

 零れた涙の意味は、今もわからない。

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