天蓋が紐で括られて、薄い布越しに仰向けに眠っているヘルの影が見える。
魔法学校時代に悪い魔女に眠らされる姫の役を演じたことがあるが、まさか本物の眠り姫を見守る立場になるとは思わなかった。劇では母親役のマリスが本当に泣き出しそうになり、お芝居なのに大袈裟だと慰めたけれど、今ならマリスの気持ちが少しはわかると思う。
ヘルが目覚めるのを待つしかないのはひどくやるせない気持ちになる。
薄布を払い、寝台に腰掛けてヘルの額や首筋に触れる。体温や脈に大きな問題は起きてないけれど、相変わらず顔色が悪い。
上掛けの上に出ているヘルの手にそっと触れた。小さくて柔らかな手のひら。白くて細い指。冷たく感じる指先をアルウェスの手で包んだ。
小さな頃、身に余る魔力の暴走に怯えていたアルウェスは常に魔力を吸う魔具に囲まれていた。しかし、突然研究所から外の世界に跳んだとき、ナイジェリーと手を繋いでいたときは、魔具がなくとも魔力を暴走させることがなかった。普通に笑ったり泣いたりすることができたのだ。
ナイジェリーに出会ったときを思い出してヘルの手を握る。すると、奇妙な感覚がアルウェスの体を駆け抜けた。体内の魔力が勝手に動いて、彼女の手に重ねた右手に集まってくる。
「まさか……」
ヘルの手へ魔力が流れ出していくのを感じる。それまでピクリとも動かなかった彼女の瞼や眉毛が小さく動いた。手を握って魔力を流しながら、額にかかる焦げ茶色の髪を掻き上げる。
……魔力を吸ってくれるなら、いくらでもあげる。
「…………ん……」
ヘルの口から吐息が零れて、うっすらと目を開ける。すぐに瞼は閉じられてしまったが、瞳は翠玉のように澄んだ碧色で、焦げ茶色に戻ってはいなかった。
目が合ったように思ったけれど、その無垢な瞳にアルウェスが映っていたのかはわからない。
心の奥底に仕舞い込んでいた記憶がどうしようもなく揺さぶられる。
「……やっぱり、君か」
吐息と一緒に呟きが零れ落ちた。
アルウェス自身も理由がわからないまま、隣の席の女の子にナイジェリーの影を見て、そんなはずはないと否定して、断ち切ろうとして、でもできなくて。
どうしてこの身に芽生える想いはすべて一人の女性に向かってしまうのか。叶わぬ想いは、捨てたつもりでも彼女を前にすれば再び熱く燃え上がる。
「ははっ……」
諦めにも似た気持ちで、アルウェスは笑った。捨てることなんてできないとわかっている。ただ想うだけで、彼女を見守るだけで満足できたらどれほど良かっただろう。
ナイジェリーの言葉に縛られた訳ではない。それ以外の方法がわからなかった。ナイジェリーの言う通りにしていたら、焦げ茶色の勝気な瞳が真っ直ぐに見つめ返してきた。
瞳の色が変わっても輝きは変わることはなく、気がついたときには碧い瞳に捕らわれていた。
この白くて小さな手を握っている男が、強い憧れを抱くとともに、邪な劣情を腹の中に住まわせているなんて、眠っている彼女は知らないだろう。
眠っているヘルの頬にほんのりと赤みが差している。睫毛が揺れて、ときおり身じろぎもする。目が覚めるのも時間の問題だ。
眩しいほどに純粋で、明るく素直な彼女の瞳が恋しい。
*
ヘルの手に自分の手を重ねながら持ってきた書物を読んでいると、お茶の時間だから交代するとエリンがやってきた。寝台に腰掛けてヘルと手を繋いでいるアルウェスを見て目を見開いている。
アルウェスは特に焦ることもなく、数多の女性を魅了する笑みでにっこりと笑い、ヘルの覚醒が近づいていると告げた。
「こうやって手を繋いでいると、彼女が僕の余った魔力を吸ってくれるみたいなんだ。僕の魔力は余裕があるし、これなら魔力の回復も案外早いかもね」
「そのような事例はこれまで聞いたことがありませんけれど……」
エリンは首を傾げて「アルウェス様は特別なんでしょうか」と呟いた。
アルウェスは曖昧に微笑んだ。人が魔具のように他人の魔力を吸い取るなんて普通はできない。特別なのはアルウェスではなく、ヘルの方だ。
「僕も休憩にするよ。しばらく頼むね」
「お任せくださいませ」
魔具の試作を思いついたアルウェスは、赤い装飾品をいくつか手にとって研究室に入った。研究をまとめた冊子をめくり、素材を漁る。
これらの装飾品は魔力を吸う魔具である。アルウェスはやたらと髪が伸びるのが早かったり、裸眼で物を注視していると燃えてしまったり、たえず体内の魔力が飽和している状態である。そのため常に魔力を吸う魔具を持ち歩いている。赤い色が多いのは、アルウェスと相性が良い宝石は赤い物が多いのと、アルウェスの魔力を吸収するうちに赤く染まってしまうからである。
そうやってアルウェスの魔力を溜め込んだ魔具から、魔力を吸収する魔法陣が組み込まれた部品を取り外し、新たに素材を投入して魔力を放出する魔具に作り変えた。
出来上がった魔具の指輪を手で持って握り締める。指輪から魔力が流れ込んでくるのがわかった。今回は急な帰国だったため、この屋敷には魔力が溜まった魔具はあまり置いてない。公爵家にはたくさんあるので取りに行きたい。
ひと段落ついた頃を見計らって、お茶が運ばれてきた。召使いが淹れたお茶を飲みながら、執事のレオンに明日は騎士団と公爵家に行くことを伝える。レオンが頷き、スッと綺麗な封筒を差し出した。差出人の名前はリーナ、母上だ。
すぐに読むようにレオンが笑みを深める。アルウェスはため息を吐いて封を開けた。母上の手紙には、詳細は知らされていないけれどもヘルをとても心配していること、ロックマン公爵家は彼女の治療と今回の事件の解明に全面的に協力すること、彼女の具合が良くなったらでいいので一度公爵家に帰ってくること、彼女のために衣装や小物を揃えてレオンに渡してあること、彼女が回復したらお茶会に招きたいこと……などが流麗な文字で綴ってあった。
「……母上は何かを誤解してないかな?」
「然様でございましょうか? もし行き違いがございましたら、直接奥様とお話しになったほうがよろしいでしょう」
母上がヘルのために用意したという衣装はすでに運び込まれているという。貴族女性向けの服が用意されているのではと危惧したが、レオンによると平民の女性が着る服ばかりだったそうだ。母上は本当はこの屋敷に乗り込んで内装を整えたかったらしい。
頭痛を
レオンを始め、屋敷の使用人は皆ノルウェラ様と同じ気持ちでナナリーを迎えています。
私用で更新が遅れがちになります。ご容赦ください。