魔力供給の魔具をつけたヘルはぐんぐん魔力を取り込んでいった。陽も傾き始めた頃、用意した魔具を半分以上使ったところで彼女はようやく目を覚ました。
焦げ茶色の長い睫毛が上下し、ゆっくりと瞼が開いて碧い瞳が
「…………ロックマン?」
「僕のことはわかるんだね。──君の名前は?」
「……ナナリー・ヘル。ナナリー・ペルセポネ・ヘル」
「よかった。意識はしっかりしてるみたいだ。ヘル、薬師を紹介するよ。僕の薬学の師で、エリン・コーブルク先生」
エリンが挨拶をする。ヘルは女性の薬師を紹介されて安心したように息を吐いた。
「ここ……どこなの?」
「騎士団が手配した療養のための部屋だよ。君は治療を受けている」
「治療って何? 髪の色が戻っているのと関係あるの?」
「詳しい説明は後にしよう。手は動かせる? 足首や膝も動くかな?」
質問を遮られ、しぶしぶといった顔でヘルは手を動かした。手を胸の前に上げて手のひらを見つめ、手を握ったり開いたりする。上掛けの下で足をもぞもぞと動かし、問題ないと頷いた。
「起き上がることはできる?」
「…………っしょ」
昨夜と違って腕や腰にちゃんと力が入り、自然な動作で体を起こして寝台に座ることができる。しかし、起きた途端に側頭部を押さえて「……うぅ……」と呻き声を上げた。
「頭が痛いの?」
「ううん……でも、頭がくらくらする」
「ゆっくりでいいから、少しずつ動かしていこう」
まだ寝惚けているような顔をしている。動きはぎこちないが、昨晩のように自力で体を動かせないということはない。
アルウェスは指を鳴らして筋力強化の魔法を解除した。ヘルは首を傾げるだけで、魔法の解除に反応を示さなかった。他人から魔法を掛けられることに敏感なヘルが、僕が掛けた魔法を感知していない。魔力がかなり減っているのだろう。
ずりずりと這うように寝台の端まで移動し、ヘルは寝台に腰掛けておとなしくエリンの診察を受けた。ひと通りの診察が終わり、出血や炎症などの異常はないことがわかった。神経に問題は見られず、一晩中高熱が続いて体力を消耗したため体の動きが鈍くなっているが、それも体力の回復とともに戻るだろうとエリンが伝える。
「お腹は空いてる?」と訊けばコクコクと頷いた。エリンが心得たように召使いに食事を頼み、白湯をいれた小さな杯を持ってくる。ヘルは自分で受け取ってゆっくり飲んだ。白い喉が上下に動いて嚥下していくのがわかる。
「いま、何時?」
「もうすぐ夕刻だね」
「──ちょっと待って。今日は何日? ハーレに連絡を……」
「ハーレの所長は事情を知ってるから、仕事の心配はしなくていい。君がここに来たのは昨日の午後だよ。すぐに治療を始めて、今日の朝までかかった。それからずっと眠っていたよ」
「だから、その治療って何?」
「君は何も憶えてないの?」
「体が熱くて苦しかったのはぼんやりと憶えてるけど……」
ヘルは首を傾げてうーん、と唸り、怪訝そうにアルウェスを見上げる。さて、どこから話すべきかと思案していると、食事の用意ができたと呼ばれた。
「先に食事にしよう。向こうの部屋まで歩ける? それが無理なら──」
「……歩くわよ」
寝台から立ち上がろうとしたヘルは、「ぅぎゃっ……!」と変な声を上げてふらっとよろめいた。咄嗟にアルウェスは彼女の腰を支えた。悔しそうな顔をして、ペシッとアルウェスの手をはたいたけれど、あまりにも弱々しくて、手を重ねられたようにしか感じない。
「一人で歩けるから」
「威勢が良いのはいいけど、自分の体調ぐらい把握しなよ」
寝間着姿のヘルの肩に暖かなストールを掛けてあげると、ぶっきらぼうに「……ありがとう」と言って、ムスッと唇を尖らせた。その唇は赤みが差し、まだ顔色がいいとは言えないものの、気力は戻ってきているのが窺えた。彼女とのこんなやり取りに懐かしさすら感じる。
病人用の食事を綺麗に平らげるのを見届けると、召使いに彼女の世話を任せてアルウェスは席を外した。
軽い入浴を済ませた後、ヘルは再び眠ってしまったらしい。何かあったときのために、召使いを彼女の寝室に配置して、アルウェスは何度か魔具の交換をしながら彼女の様子を見た。
昼間みたいにこんこんと眠り続けることはなく、たまに魔具の交換をしているときに目を覚ますと、胡乱な目付きでアルウェスに質問をしてくる。でも最後まで喋れずにまた眠ってしまう。こんなときでも呆れるほどに彼女らしい。
寝ている時間が長いだけで、普通に病後の養生をしている状態と変わらない。今夜は不寝番は必要ないと判断し、召使いを休ませることにした。
*
夜半、アルウェスが寝る前にヘルの寝台を窺うと、彼女は毛布にくるまり、上掛けを首元まで引き上げて震えていた。暖炉の火は消えているが、室内には魔法で作動する暖房が点いていて、震えるほど寒くはない。
彼女の額に手を当ててみれば、アルウェスの手よりだいぶ体温が低い。魔具の中身はすでに空っぽで、新しく付け替えるとヘルは薄っすらと目を開けた。
両手で頬を包み込むと彼女のひんやりとした手がアルウェスの手に重なった。
「……ヘル?」
「……あったか……い……」
魔力が欲しいのか、寒いから温かいものに
重ねられた冷たい手の下からアルウェスが手を引き抜くと、ヘルは凍えるようにぶるっと震えて眉を寄せる。
……このまま彼女を放って帰れというのか。
上掛けをめくって彼女の体に巻き付いた毛布を外し、アルウェスは布団の間に体を滑り込ませた。華奢な体に腕を回せば、彼女の方から身をすり寄せてくる。
寝静まった夜、寝台の中で自分の動悸の音がはっきりと聞こえる。
……馬鹿なことをしてしまった。いくら彼女が寒がって震えていても、こんなことをしたら後悔するに決まっている。
残酷にも生体の本能は冷えた体を温め合う
……これを凶悪と言わずして何と言うのか。
彼女は魔力が足りなくて、体力が落ちて、まだ満足に食事もとれていない。帰国して久しぶりに会ったときはもう痩せて顔色が悪く、勝気な瞳が鳴りを潜めていた。
解毒を終えて眠りから目覚め、やっと彼女らしさが戻ってきた。それでもまだ病人と一緒だ。
アルウェスはハーレで彼女と話をしたときを思い出し、夕方に目覚めた彼女の様子を思い浮かべて、どこが変わったか確認していく。さらには過去の記憶を引っ張り出す。──他のことで頭の中を一杯にして、ぴったりと体を寄せ合う柔らかな存在から意識を逸してみたけれども、結局は無駄な努力だと思い知る。
額に、頬に、唇を寄せて。軽く触れるだけの口付けを瞼や頬に繰り返す。鼻と鼻がぶつかってハッと我に返った。吐息が触れ合う距離で必死に理性を総動員する。
もし唇を重ねてしまったら、きっともっと欲しくなる。こんな状態の彼女を一方的に
信頼していた破魔士の男に悪辣な惚れ薬を飲まされ、心と体を蝕まれてしまったヘル。元々細かった体が更に細くなり、強く抱きしめれば折れてしまいそうだ。これ以上彼女を傷つけることなんてできない。
アルウェスの服を服を掴んでいた彼女の手を剥がし、手のひらを重ねる。そこから魔力が流れていくのを感じ、彼女が求めるのは魔力と
重ねた手の指を絡めて小さな手を握りしめる。
アルウェスの頬をくすぐる、癖のある細い髪。碧色の澄んだ瞳そのままの香りを纏ったような、透明感のあるいい匂いがして。その視線に捕らわれれば息苦しいほど胸が苦しくなるのに、気がつけば彼女の瞳を見つめている。その肌に触れたくて引き寄せられていく。
他の女の子に触れるときはこんな気持ちにはならない。女性にはエスコートをして、常に大切にする。それ以上を求められることはあっても、自分から求めることはない。彼女と出会ってしまったから。
下腹部に固く屹立するものがあるのはわかっている。この状況でならないほうがおかしい。
どうせ彼女は気づかないだろう。アルウェスに抱き締められているなんてわかっちゃいない。魔力をくれる魔具と温石があるとしか認識していないのだから。
奥歯を噛み締めて汚れた欲望に抗う。アルウェスの額に汗が滲んでくる。顎を反らして、彼女が息苦しくならないように、柔らかな髪を胸に抱きかかえた。もう彼女の吐息がアルウェスの肌を震わすこともない。喉元に髪が触れるのは無視しよう。
彼女の冷えた素足が温かくなった頃、ようやく健やかな寝息が聞こえてきた。アルウェスは深い深いため息を吐いて、早く自分にも睡魔が訪れることを祈った。
高熱が続くと脳に影響があるのではないかとか、そのあたりはふわっと捉えて下さいませ。魔法世界ですから。
温石……湯たんぽ代わりのロックマン。彼は耐え忍びます。いつ報われるでしょうか?