「ミミリー・ヘルさんは優秀な考古学者だが、その活動期間は十年にも満たない。娘のナナリーさんが魔法学校に入るまでは子育てに専念していたようだね」
「そうですか」
「だがね、ミミリーさんは助手のときから古代文字の解読が得意で、遺跡に刻まれた文字もすらすらと読んでしまうそうだ。──妙だと思わないかね? 古代文字だよ。平民の女性が、子育ての片手間に学べるものではないだろう? 結婚前に相当高い教育を受けていたと考えられる」
「確かに、そうでしょうね」
「どこでそのような教育を受けたのか? 魔法学校を含めてドーランの高等教育機関にミミリーさんの記録はなかった。他国にまで調査の手を広げるのは現段階では難しい。だがね、ミミリーさんの夫、つまりナナリーさんのお父さんは、結婚前に何度もセレイナに行っていたと親戚の話からわかった」
「セレイナ?」
「結婚してからは一度も行っていないらしい。ヘルさんのお母さんとセレイナで出会って、駆け落ち同然でドーランに連れ帰ってきたなら辻褄は合うと思わないか?」
「それは……どうでしょうか?」
もう少し情報を集めないと何とも言えない。しかし、セレイナまで行って調べたとしても二十年近く前にセレイナを出た平民の女性の足跡を探すのは難しいだろう。
アルウェスがそう言うと、父上は「確かに」と頷きつつ、茶色の瞳をキラリと輝かせる。
「セレイナはかつて海の国と国交があっただろう?」
「二十年くらい前の話ですよね?」
「以前、セレイナ王から聞いたことがあるんだよ。海の国の王女が人間の男と一緒に海の国を出奔してしまい、嘆き悲しんだ海の王が領海を閉じてしまったのだと」
「……まさか」
アルウェスは目を見開いた。父上はどこまで本気で言っているのか。しかし、その顔はいつになく真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。
海の国の王女、すなわち人魚が人間となり人間の男と結ばれる。それですら夢物語である。しかもその子どもがヘルの可能性だなんて……荒唐無稽な妄想にしか思えない。
小さなアルウェスがナイジェリーに会ったことのほうがよほど現実的な話だ。
「海の国の調査は難航しているそうだね。お前とゼノン殿下を中心に正式な使節の形で海の国に入る方法がないか、私の名前でセレイナ王に尋ねる書状を出してもいいと兄上から許可をもらったよ。セレイナ王の紹介で海の国に入るほうが近道かもしれないからね」
「……それは助かりますが」
「海の国は大陸とは何もかもが違う。住んでいる者たちも、魔法も、時の流れも、知識も」
ドーランからはるか遠い、深海の王国。世界のすべての海を
「人魚が人間になる方法があるのかわからない。だが、ヘルさんはとても美しい女性だ。彼女が人魚の血を引いていると言われても私は驚かないね」
「……はい?」
最後の一言ですべてを台無しにされた気分になった。身を入れて話を聞いていたのを後悔したくなる。父上は紅茶を飲みながら一人で納得しているが、どこまで本気だったのかわからない。
アルウェスは軽く嘆息し、これ以上付き合う必要はないと判断して、長椅子から立ち上がろうとする。
「セレイナ王への書状についてはゼノン殿下に報告して僕が準備します。父上、ありがとうございました。そろそろ失礼します」
「アルウェス」
茶色の瞳が真っ直ぐにアルウェスを見つめている。アルウェスが浮かしかけていた腰を下ろすと、父上は膝の上で手を組んで、噛みしめるように話し始めた。
「貴族法をどうにかできないか兄上に相談したよ。議会を納得させられるほどの功績が認められれば、褒章として一代限りの婚姻の自由を与えることはできるのではないかとおっしゃっていた」
「…………」
「国を救うほどの功績が必要だとも」
「……そうですか」
「私は、お前ならそれくらいできると思っているよ」
「……父上」
父上にそこまで認めてもらえるのは正直嬉しい。でも、ヘルに関しては、たとえ婚姻の自由を得ることができたとしても、アルウェスの願いは変わらない。
「僕は……ヘルに自由に生きて欲しいと思っています。何か大きな力に振り回されたり、誰かに強要されたりすることなく、彼女が自由に、望む道を進んでほしい」
あの眩しい笑顔を曇らせることなく彼女には生きてほしい。
そして、その笑顔がアルウェスに向けられることは、今もこの先もないだろう。
「あら、ヘルさんが望む未来に貴方がいるかもしれないわよ?」
「そんなことは絶対にありません」
自嘲するようにアルウェスは笑った。両親がどこまで魔法学校時代のことを知っているのかわからないが、彼女の瞳にアルウェスが映るとしたら、勝負や喧嘩をするときくらいだ。
「人は変わるものよ、アルウェス」
アルウェスは真顔になり、
「貴方がカーロラ王女の婚約を受け入れたとき、貴方はわたくしたちの言葉なんか全く聞いてくれなかったわ。何も問題はないから全て任せてほしいと言って……」
アルウェスにはカーロラを説得する自信があった。それまでは事情を隠し通し、カーロラが彼女自身の幸せを選ぶように話を進めたかったのだ。それが間違っていたとは思わない。
「でも、今の貴方はわたくしやミハエルの言葉を聞いてくれる」
「……母上」
「こうやって貴方の将来について一緒に話ができるのはとても嬉しいの。もちろん、ヘルさんが関わる話だからってこともわかっているのよ。──貴方が一人の女の子にこんなに振り回されているなんて知らなかったもの」
口元に手を添えて、ふふっと楽しそうに母上は笑う。途中から大層恥ずかしいことを指摘されたような気がする。
「ねえ、アルウェス。生きていると様々な出来事が起きるわよね。それが人と人を繋ぎ合わせて、新たな出会いがあって、周りの人との関係性も変わっていくの。……聞き分けの良かった子供が親に歯向かうようになったり、仲の良かった友人が
「僕は……ヘルの友人ではありません」
頬に手を当てて母上は小首を傾げた。
「そうなの?」
「そうですよ」
「でも、友人を飛び越していきなり好きになることもあるのよ? 貴方ならわかるでしょ?」
アルウェスはそっと視線を逸らした。母親からこんな話を振られてまともに答えられる訳がない。
「貴方は国でも一番じゃないかと思うくらい優秀で、わたくしたちとは全然違うところから物事を見ることができるのでしょう。それでも、わたくしたちも貴方に人生の助言くらいはできると思うの。貴方よりも長く生きていて、結婚もして、三人の子供を育ててきたのよ」
「うむ。何十年老獪な年寄りに揉まれてきたと思っている?」
頼りにされ、誇りに思える息子であろうと生きてきたつもりだった。貴族の中で上手く渡っていけるように、感情を表に出さず、言質を取らせず、本音を悟らせないように徹底的に。
欠陥品と呼ばれた自分を見捨てることなく受け入れて、愛情をかけてくれた両親には感謝しかない。もう子供ではないのだから、二人の手を煩わせる必要などないと思っていた。
「もっとわたくしたちに頼ってくれていいのよ?」
誰かを頼るのも、弱音を吐くのも慣れていない。そんなことをしなくても自分で解決してきたから。自分の性質がこれから変わるとは思えないけれど。
空離れの季節とは思えないほど、この空間は暖かい。
アルウェスははにかんで微笑むことしかできなかった。
ロックマンと両親との対話はこれで終了です。
実は作中ではまだ午前中です。昨夜もナナリーに振り回されて大変だったのに、朝から両親にいろいろ秘密が曝露されてしまいました。なかなかにハードな一日ですね。
公爵夫妻から見ると、それだけロックマンが自分の屋敷でナナリーを治療しているのが普通ではないということです。