「ハイズの休暇が終わる前にまた来てちょうだいね。──できれば、ヘルさんも一緒に」
「何かあればロウに
そう言って父上と母上はアルウェスを見送った。ヘルも一緒に、というのは無理難題だと思いつつ、頑なに否定するのはやめておいた。
ユーリに乗って公爵家を飛び立つ。王の島は目と鼻の先だが、急いだほうがいい。思いのほか公爵家に長居をしてしまった。団長のグロウブと面会をする時間には間に合ったが、その前に執務を済ませる余裕はなくなった。
時間通りに団長の執務室へ向かう。同席すると思っていたゼノンはいない。グロウブは人払いをすると、アルウェスを応接用の長椅子に座らせて自分も向かいに座った。
「意外と落ち着いてるな」
「何がでしょう?」
アルウェスが軽く小首を傾げる。
「もちろんお前のことだよ。苛立って、最悪ペストクライブで本部を燃やされるんじゃないかと懸念していたが」
グロウブはカラカラと笑いながら失礼なことを言う。自分をどんな人間だと思っているのだろう。
アルバート・ミロナスへの憤りは煮えたぎっているけれども、ペストクライブを起こすほど感情が暴走するようなことはない。
今しがた両親と話した内容に気を取られている自覚はある。早急に手を打たねばならないことも増えてしまった。事件以外の問題にかなり意識が割かれているのは事実であるが。
グロウブにはヘルの解毒が完了したこと、意識は明瞭であるが、まだ記憶に問題があることを報告する。髪の色が焦げ茶色に戻っており、おそらく薬への抵抗と解毒で魔力を使い過ぎたのだろうと推測されることも。
「魔力欠乏か……。たいていは寝て食べれば回復するんだが。とにかくヘルさんはしっかり休ませろ。ハーレには解毒は完了したと報告してある。仕事のことは気にしなくていいと伝えてくれ」
「はい」
ヘルが摂取した新種の魔法薬──毒性の強い惚れ薬──の効用と、彼女の解毒の様子を話すとグロウブは露骨に嫌そうな顔をした。
「テオドアには詳しいことは言えないな」
アルウェスは頷いた。この先もハーレの所長に捜査の協力を頼むことになるだろうが、詳細を伝えるのは避けたい。
「それで、お前が一番気になってるであろうアルバート・ミロナスの取り調べだが。……悪いな、正直言ってあまり進展していないんだ。本人の口からは碌な情報が出てこない」
グロウブは膝の上に肘を置いて頬杖をつき、息を吐き出した。
アルバートの罪状は明白。しかし、肝心の薬物の入手経路がはっきりせず、本人は闇市で魔法使いから買ったと供述しているらしい。その魔法使いの名前や風貌は不明。アルバートは破魔士としてはそこそこの実力があるが、自力で魔法薬を開発するほど薬学の知識はない。
騎士団がアルバートの自宅を家宅捜索したが、封の開いた薬が一本残っていた他は特に怪しいものは出なかったという。……室内にヘルの姿絵が大量に飾ってあったと聞いたときは顔を顰めてしまったが。
「近々、アルバート本人と自宅を記憶探知する。ヘルさんからこの同意書に署名をもらってきてほしい」
「同意書ですか?」
「ヘルさんの意識はしっかりしてるんだろう?」
ゾゾ・パラスタの話によれば、ヘルは毎日のようにアルバート・ミロナスと会っていたという。記憶探知によって彼女の私生活も覗かれるのは確実だ。ミロナスと一緒にいた時間の出来事はすべて騎士団に知られてしまう。つまり捜査のために私生活を見られても構わないという同意書である。
アルウェスは書類を渡される。騎士団の正式な書類である。これに署名してしまったらもう取り消せない。
「彼女がアルバートと出かけていたのはハーレの人間が見ている。どこまで関係が進んでいたのかわからないが……。少なくとも、彼女が奴の部屋に出入りしていたとは俺は思っていない。袖を通してない女性の服は見つかったが、他に女性が使いそうなものはなかったからな。家宅捜索はブルネルにも同行してもらったが、それらの服はヘルさんの趣味とは違ったらしい」
ヘルの姿絵が大量にある家に彼女を招くとは思えないが、自宅でなくとも恋人たちが過ごせる場所はいくらでもある。
「……記憶探知は誰が行うのでしょうか?」
「俺とライアンだ」
「私がやります」
もしも──万が一、ヘルがあの白い肌をあんな男の前にさらしていたとしたら。口付けを交わしていたら。
たとえ厭わしい映像を見ることになったとしても、他の人間に見られるよりはアルウェスがやったほうがマシだ。
「駄目だ。お前が冷静に対処できるとは思わない」
「団長とその副官が直々にやるんだから、文句はないだろう?」
「ですが、ミロナスの記憶探知は長期間に渡るのではないですか? しかも彼の記憶から何を探るのか、対象がはっきりしていないのでしょう?」
「そこなんだよな……」
「長期間の記憶を綿密に調べて怪しいものを見つけ出すには、記憶探知では非効率です。効率を上げる方法を考えたら──私に任せてもらえませんか?」
「つまりお前にしか出来ない魔法を編み出すってことか?」
「結果的にはそうなるかもしれません」
アルウェスは表情を揺らさずに答える。グロウブはやれやれというように両手の平を天井に向けた。
「だが、時間がないんだぞ」
「そうは言っても、ヘルの意識は明瞭ですが、まだ記憶に問題があります。薬を飲まされていた時期のことをはっきりと思い出してから同意書に署名をさせるべきです。それぐらいの猶予は頂けるでしょう?」
「もちろんだ。訳も分からず署名されたら俺たちも困るからな。同意書の件はお前に任せる。──だが、それほど待てないぞ」
「……わかってます」
アルウェスは物凄い速さで考えをまとめ始める。外に意識を向けながらも集中して考え事をするのは得意だ。オルキニスの騎士たちと対峙したときも
グロウブが人を呼んでお茶を頼む。公爵家でもお茶を出されたので口をつけるだけにしたが、少し喉を湿らせると楽になった。思っていたよりも喉が渇いていたようだ。
……少し頭に血が上っていただろうか。もしミロナスの背後に氷の乙女の血を求める魔物がいるのなら、ミロナスがヘルの純潔を奪うことは許さないだろう。その前に魔物がヘルを確保していたに違いない。それでも、あの男がヘルに触れたのかと考えるだけで魔力が体内をぐるぐると巡り出す。
アルウェスは心の中の嵐を外からは微塵も感じさせず、静かに長椅子に腰掛けていた。こうすれば話題は勝手に変わっていくものだ。
*
グロウブは茶菓子をひとつ口に入れるともぐもぐと食べ、紅茶を飲み干して茶器の杯を机に置いた。ヘルに関する報告は済んでいる。それでもお茶を淹れさせたということは、グロウブにはまだ話があるのだろう。その証拠に、人払いを済ませている。
丁度いいので、アルウェスは「王弟」のロックマン公爵からセレイナ王に書状を送る話を報告する。「その手を取られたか」とグロウブは額を押さえて溜め息を吐いた。騎士団の頭越しに王族が動く場合はゼノンからグロウブに命じる方が角が立たないが、ゼノンが忙しいのでは仕方がない。
「勝手に動いて申し訳ありません」
「気にするな。ロックマン公爵が秘密裏に国王に打診したんだろう? 早めに次の手を打っておくのは正しい。たとえ騎士団の力で海の国に入ることができても、勝手に入りましたが魔物を探し終わったので帰ります、というのは海の王に失礼だ。海の国への正式な挨拶はどちらにせよ必要になる」
「はい」
「……そうなるとやはり面倒なのはヴェスタヌか。ドーランが王族の使節を出すならヴェスタヌも、となるだろう。あ〜、悪いが王族関係は俺には無理だ。頼むぞ」
「ええ、わかっています」
アルウェスはスッと背筋を伸ばして口元に笑みを浮かべた。ヴェスタヌの王族の一部には少々、いや、かなり思うところがあるが、仕事ならば私情にはきっちりと蓋をする。国外でドーランの騎士団が問題なく活動するためには王族の威光が必要になることもある。王族と騎士団双方の顔となるのはゼノンが相応しい。
顔を顰めたグロウブが、ガリガリと頭をかきながら「目が笑ってないぞ」と呟いていた。