太ももに腕を載せて指を組み、前屈みになったグロウブは伏し目がちに話を切り出した。
「ヘルさんのことだけどな」
「はい?」
「俺の判断が甘かった。ヘルさんの守りを解いたのは失策だった」
「……団長は全体の指揮を取る立場です。優先順位を考えれば、あの時点では的確な判断をされたと思います」
氷の乙女を守るために第一小隊が目を光らせていた時期は闇市にあんな薬は出ていなかった。オルキニスの女王を倒したと思ったら予想外の方法で次の手を打たれた。この腹立たしさを何と表現したらいいものか。
ヘルを守っていたアルウェスが国外に出たところを狙われた。アルウェスができ得る限りの防御は彼女に施しておいたつもりだったが、さすがに大怪我を治したばかりの体で大量の魔力を彼女に預けるような守りはできなかった。
オルキニスから戻ってすぐに出発したのも早計だったと言えよう。多少無理をしてでも、充分な魔力を込めた守りを彼女に身につけさせる必要があったのだ。
「今回の事件はオルキニスより単純でお粗末だ。だがはっきりとしたことがある。女王を誑かした魔物の次の狙いはヘルさんだ。あのとき手に入れ損ねたヘルさんを標的にしている」
「氷の乙女の血、あるいは優秀な氷型の魔女を手に入れるために、オルキニスの女王の背後にいた魔物が、『組織的』に動いている可能性はあると思いますか?」
「魔物が組織的に動くというのは変な話なんだが……。女王を誑かした魔物か、『シュテーダル』かわからないが、
アルバート・ミロナスがヘルを手に入れた後、闇市で薬を売った魔法使い、あるいはさらに背後にいる魔物がヘルを取り上げる。人間の犯罪集団に似たやり口だ。
チリチリと焦燥にも似た嫌なものが胸に迫りくる。アルウェスは口元を小さく歪めた。
「人間と意思の疎通を図ることができ、言葉巧みに
「魔物が連携するというのも聞いたことがないけどな。魔物に関してはわからないことのほうが多い。これを進化とは言いたくないが、魔物も変化していると認めざるを得ないな」
花神祭の晩餐会で城を襲った魔物の気配は覚えている。だが、あの魔物は氷の乙女を探してはいなかった。
オルキニスに潜入したときは黒幕の魔物には既に逃げられた後で、オルキニスの女王を倒し、側近たちを捕え、大怪我を負ったアルウェスには魔物を追跡する余力がなかった。
魔物など次から次へいくらでも湧いてくる。手当たり次第に焼き払ってしまいたいが、騎士団に所属する以上、アルウェス一人で勝手なことはできない。
「でしたら、国外調査よりヘルの守りを優先しますか?」
「俺個人としては、ヘルさんに張り付いていれば氷の乙女を狙う魔物に当たるだろう。だが、シュテーダルまたは城を襲った魔物が
国外調査に
「ヘルさんが魔物に狙われていることはなるべく他国に知られたくない」
「そうですね」
「今回は平民の破魔士だったが、国内外に限らず、王族や貴族が魔物に誑かされて彼女を狙うかもしれない。権力を持った人間が彼女を手に入れようとすれば、俺たちが手を出す間もなくあっさりと奪われるだろう」
「……はい」
アルウェスの両親が懸念していたこととほぼ同じである。両親の懸念はヘルの美しさに目をつけて手に入れようとする不心得者ども、グロウブの話はヘルを狙う魔物に誑かされた犯罪者。国から見れば両者には大きな隔たりがあるが、アルウェスにとってはどちらも同じ、排除すべき者たちだ。
「だからな、次に魔物が来る前に、お前がヘルさんを手に入れろ」
「…………はい?」
頭の中が真っ白になる。「おい、熱いぞ!」というグロウブの叫びでハッと我に返った。「すみません」と謝り、隠しから眼鏡を取り出して掛けた。手で目元を覆い、忘れていた瞬きをする。目が乾いている。
「一体、何を言ってるんです?」
「どうせ数年早まるだけの話だろ? さっさと自分のものにしろ」
「僕は貴族で、ヘルは平民ですよ」
「ヘルさんに男ができたと知って飛んで帰ってきた奴が何言ってる? お前が彼女の身代わりになって死にかけたのも、力の半分を与えたのも、唯一キュピレットを渡したのも事実だろうが。治療と称して彼女を囲っているのは誰だ?」
「待ってください。……事実を並べれば確かに団長の言う通りですが、僕とヘルの内情は全然違います」
「事実は揃ってるんだろ? ヘルさんがお前をどう思っているのかは俺も知らん。でも何とかなるんじゃないか? お前たちが付き合ってない方がおかしいと思ってる人間の方が多いからな」
憶測で周りが好きなことを言ってるのは知っているが、余計なお世話である。
「身分差は何とかしろ。使える手はなんでも使え。伯父の国王陛下に泣きついてでも婚姻の許可をもぎ取れ。それぐらいの甲斐性を見せろ」
アルウェスは額を押さえた。子供はおろか結婚もしていないグロウブが、結婚に踏み切れない息子を叱咤する父親みたいなことを言っている。
両親とあんな話をした後に、なぜグロウブにまでこんなことを言われなければならないのか。
「国一番の色男、ドーランの恋多き貴公子アルウェス・ロックマンには長年の想い人がいた。彼女は平民、婚姻は許されない。度重なる彼女の危機をお前は救い、身分差を乗り越えて真実の愛を手に入れた。その恋人を
「……そんな話、誰も信じませんよ」
長年の想い人とは何だろうか。女性が好む恋物語ではあるまいに。
落ち着くために冷めてしまった紅茶を口に含んだ。こくりと飲んで息を吐く。一口飲むと喉の渇きを感じた。
「絶対にゼノン殿下がおかしいと思うでしょう」
なるべく音を立てずに、でもごくごくと紅茶を飲む。
「『キュピレットの花まで贈っていたとは知らなかった。素直になったならいいことだ』と感慨深そうに頷いていたぞ」
「……ブフッ」
紅茶を吹き出したアルウェスは慌てて手で口元を押さえた。ケホケホと咳き込むアルウェスを、グロウブは面白いものを見たという顔をして眺めている。
「……失礼しました」
さっと魔法で汚れを落とし、アルウェスが口元を拭って襟元を正すと、グロウブは真面目な顔に戻って話を続けた。
「あのな、アルウェス。これはヘルさんを守ることなんだ。アルバート・ミロナスが逮捕され、違法な薬物を使用していたことが公になれば──ヘルさんの名誉はどうなる?」
未知の危険な薬物についてもドーランで隠蔽はできない。
「たとえ惚れ薬を使ったものであっても、あの二人が付き合っていたことは事実だ。期間は一週間かそこらで、知っているのはハーレの職員や破魔士だが……事件が明るみになったとき、どう噂になるかわからない。ヘルさんは
空気がピリッと震える音がした。グロウブとアルウェスは鋭い眼差しで睨み合う。