次の日、ナナリーは昼休みにアルバートとご飯を食べに行った。アルバートは夜に仕事が入っていて、午後から自宅で準備をして仮眠を取るという。
ナナリーの夕ご飯は久しぶりに自炊するつもりだ。外食続きだから料理の腕が落ちてないといいのだが。
ハーレに戻ると、所内の食事処からゾゾさんとロックマンが歩いてきた。あまり見ない組み合わせである。ロックマンは昨日と違って騎士団の第一小隊のローブを着ている。
ナナリーはまだ口をつけていないホットチョコのカップを机に置いた。昼食の後、デザート代わりにアルバートが買ってくれたものだ。
「ナナリー、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「最近よくホットチョコ飲んでるわね」
「寒いからでしょうか、なんか美味しいんですよね」
ゾゾさんの用は済んだらしく、ロックマンに手を振ってナナリーとカウンターの中に入った。ロックマンは壁に寄りかかり、腕を組んでこちらを見ている。ナナリーが何気なく顔を上げると銀縁の眼鏡をかけたロックマンと目が合った。真顔で睨まれているような気がする。
休憩が終わるまでまだ時間がある。ナナリーは受付の窓口から少し離れた席に座り、ホットチョコのカップに手を伸ばした。
「ねえ、君……」
「ロックマン?」
ロックマンがいつの間にかナナリーの向かいに来ている。
「君、ずいぶん顔色悪いんじゃない?」
「そんなことないわよ。気のせいでしょ」
「…………?」
胸元で腕を組んだロックマンが顎に手をやって小首を傾げた。探るように、ナナリーを凝視している。
「ナナリー! 資料室まで来てくれる?」
「はーい!」
ハリス姉さんに呼ばれて、カップに伸ばしていた手を引っ込めた。
「ちょっと待って、ヘル」
「え?」
ナナリーが椅子から立ち上がりかけたころを、強い力で肩を抑え込まれて椅子に戻された。ロックマンが片手でナナリーの肩を掴み、空いてる手を額に当てて前髪を押し上げる。頭突きをされるかと警戒したが、おでこを全開にされて終わった。それほど
銀縁眼鏡の奥のロックマンの眼差しは、昨日とは違って静かに炎が燃えるよう。この綺麗な瞳は凍った果実みたいかと思えば、炎のようになったりもする。ずいぶん表情豊かだ。
「離してくれない? 資料室に呼ばれてるの」
「青い顔してるよ。自覚ないの?」
「仕事に支障はないわよ」
ロックマンが屈みこみ、顔を覗き込まれた。ふわっと気怠い、眠気を誘う香りがする。お日様に干したお布団のような、暖かい匂い。どこか懐かしく、胸が締め付けられるような感じがする。
この香りはなんだっただろう?
ぼんやりと記憶に靄がかかって、思い出せない。
「ヘル!」
ロックマンの声にハッと目が覚めた。お昼ごはんを食べたばかりで眠いのだろうか。少し意識が遠くなっていたような気がする。仕事が始まるというのに情けない。しゃっきりしなきゃと自分を叱咤する。
「無理しない方がいい」
眉根を寄せて不愉快そうに細めた目が、眼光鋭くナナリーを睨んでくる。正直いい気分ではない。
「ご飯の後で少し眠くなっただけよ。離して。資料室に行かなきゃ」
肩に置かれたロックマンの手を振り払おうとしたら、次は手首を掴まれた。
「痩せたんじゃない?」
「痩せても太ってもいない。いいかげん離して」
腕を振り払おうとすると、なおも強く掴まれる。正直言ってしつこいと思う。
「痛いってば!」
「嫌なら凍らせれば?」
「ハーレで人を凍らせたりしない」
気が抜けたようにロックマンの力が緩んだ。今度こそロックマンの手を振り払って、ナナリーは資料室へ急いだ。
背中にロックマンの視線を感じる。ハーレの職員たちがナナリーとロックマンに注目していて、ちょっと気まずい。
足早に資料室へ入ると、後ろ手に扉を閉めて寄りかかり、深く息を吐き出した。
「何なのよ……? アイツ……」
*
ナナリーが奥に消えるのを確認してから、ゾゾはロックマン隊長と視線を交わした。
やれやれと言った風に溜息を吐いた彼に、「相変わらずね、貴方たちは」とゾゾは苦笑する。彼は軽く手を振ってハーレを出ていく。ナナリーたちに注目していた他の職員たちも自分たちの仕事に戻っていった。
ゾゾは書類を片手に静かにハーレの奥の扉へ向かい、人気のない廊下に出ると素早く制服を透明化させて裏口へ回った。
「はい。これ、持って行って。後は上手くやっておくから」
ハーレの裏庭で七色外套で身を隠していたロックマン隊長に声をかけ、制服の透明化を解いてナナリーのホットチョコのカップを差し出す。突然現れたゾゾに、王宮魔術師長の彼も驚いている。この制服の透明化は魔物にも感知されたことがなく、それでいて他人の七色外套は簡単に見破ってしまう。
「この制服は秘密があるのよ。そんなことはいいから、急いで」
彼は七色外套を解いてカップを受け取る。反対の手の平を上に向けると騎士団の証拠品押収の箱が現れた。その箱にカップを入れて厳重に魔法で封をした。
「協力ありがとうございます。助かりました」
「それはこっちの台詞よ。ナナリーをお願いね?」
「もちろん」
ゾゾに一礼し、彼は足元にいた使い魔の黒いリュンクスを元の大きさに戻して飛び乗った。黒いリュンクスは力強く地面を蹴り、空高く駆け上がっていく。
*
ナナリーが資料室から戻るとロックマンはもういなかった。なんだかホッとしてしまう。
カウンターでは破魔士と職員が話をし、奥では事前調査から帰ってきた職員が机を囲んで話をしている。
「ナナリー、ごめんなさい。ホットチョコのカップ倒しちゃったの。弁償するわ。今買ってきたほうがいい?」
依頼書を作っていたゾゾさんがナナリーに気づき、手を合わせて謝ってきた。ナナリーが資料室に行っている間に誤ってカップを倒して駄目にしてしまったという。
「いいですよ、気にしないでください。もう仕事が始まりますし」
「ごめんね、お詫びと言っちゃなんだけど、後でお菓子あげるわね。美味しいクッキーがあるのよ」
「ありがとうございます」
「そうだ、今日の夕飯はどうするの?」
「今夜は自炊するつもりです」
「そっかぁ。久しぶりに一緒にご飯食べに行きたかったんだけど」
「明日の夕飯はどうですか?」
「ナナリーは大丈夫なの? ミロナスさんは?」
「大丈夫ですよ。ゾゾさんとのご飯が楽しみです」
しばらくすると、ベック君がお父さんと一緒に依頼完了の報告にやってきた。彼は将来破魔士になるためにお父さんの仕事を手伝っているという。まだ子どもなのにとても偉いと思う。
「ベックくん、頑張ってるね」
「ふん、当然だ。俺はものすごく強くなるんだから!」
「うんうん。本当にすごいよ。お姉さんがお菓子あげるね」
「……え?」
「あ、このお菓子嫌いだった?」
「どうしたんだよ! お前!?」
「ベック君?」
「いらねえよ! そんなもん!!」
ベック君は顔を赤くして怒ってしまい、小さな体を
ベック君のお父さんが慌てて追いかけて連れ戻してくれたが、ベック君は怒った顔のまま俯いて、お父さんの後ろにぴったりとくっついて何も喋らなかった。
「ベック君、どうしたんでしょうか?」
「ベック君? ああ、なんか大人しいわね」
「私が怒らせてしまったんですけど、何がまずかったのかわからなくて」
「お父さんが付いてるし、気にすることないんじゃない? 子供なんて小さなことで怒ったり泣いたりするものよ」
「……まあ、そうですね」
「はいはい、そんなことより仕事よ、仕事。明日の事前調査の打ち合わせをするわよ」
「はい。鋼山ですよね?」
「そうなのよ。花の季節は終わったからそんなに大変じゃないと思うんだけど……」
ナナリーはいつも通り仕事をこなして寮に帰った。自分で作ったご飯に満足すると、お風呂に入り、明日に備えて早めに布団に入る。
アルバートと外食に行くことが増えて胃がもたれていたのだろうか、近ごろ重く感じていた胸のあたりがすっきりして、すぐに眠りについた。
次回は明日更新します。
※ゾゾさんの制服の機能は捏造です。