「どうやら君の記憶は大事なところが欠けている。記憶探知の同意書の署名はまだできないよ」
休憩を挟んでナナリーの聞き取りを終えたロックマンが言った。騎士団の捜査を遅らせてしまうのは申し訳なく思うが、隊長のロックマンがそう判断したのだ。ナナリーはそれを覆す材料がない。
不自然に記憶に穴があるのはナナリー自身も気持ちが悪い。どうすれば思い出せるだろうか。
「僕が別の捜査方法を検討してるから、騎士団の方針が変わる可能性もある。それまでこの同意書は僕が預かっておくよ」
「別の方法って?」
「記憶探知でアルバート・ミロナスの行動を追う場合、遡る時間が長期に渡る。君の聞き取りを参考にすると、短くても半月分は必要でしょ? そんなに記憶探知をしたら術者が疲弊するよ」
ロックマンは記憶探知より効率的で高度な魔法を使うつもりらしい。最初からそれをやればいいと思うが、高度な魔法は魔力も多く必要で、扱える人も少ない。話しぶりから、騎士団でロックマン以外はその魔法を使えないような印象を受けた。
「それと……」
ロックマンが顎先に指を当てて言いよどむ。
「何? まだ話があるの?」
「これから話すことは騎士団の捜査とは関係がない。つまり、強制力はないんだけれど」
「うん?」
「君は、欠けた記憶を取り戻したい?」
「そんなの、当たり前じゃない。記憶に穴があって気持ち悪いのよ」
「忘れている記憶を呼び覚ます魔法を掛けることならできる」
「え?」
「これは僕が個人的に行う魔法だ。騎士団とは関係がないし、君が忘れた記憶を見るのは君と僕だけ」
「わかった。わたしはいつでもいいわよ」
「待って、ヘル。よく考えて。反射的に答えちゃ駄目だ」
「だってロックマンがやるんでしょ?」
ロックマンの実力はナナリーだってわかってる。……いや、ナナリーが知っている以上にロックマンは優れていると言った方が正しい。いつか絶対に打ち負かしてやるけど。
ナナリーの即答に一瞬ロックマンが押し黙り、やや困惑した顔をした。
「わかってる? 僕に君の記憶を見られるんだよ?」
「ん? 待って。湯浴みしてるところとかアンタに見られるってこと!?」
「落ち着いて、そういう魔法じゃないから。記憶探知の場合は自動的に時間を巻き戻して見る。つまり入浴とかも術者に見られてしまう。──僕がやるのは追憶の魔法。誰か特定の人物に関しての記憶を思い出す魔法だ」
「追憶の魔法?」
追憶の魔法とは、記憶に関する魔法の中でも非常に高度な古代魔法だ。魔法陣と呪文は知っているが、記憶探知のようにコツがあるようで、ナナリーはまだ成功したことがない。ロックマンは当然のように扱える口ぶりだ。対抗心がむくむくと湧き上がる。
「君とアルバート・ミロナスが一緒にいたときの記憶を僕が見ることになるんだ。何か不都合があるかもしれない。よく考えて」
「不都合?」
頭を捻って考えてみたが、ナナリーには特に思い当たらなかった。子供の頃はお母さんやお父さんと一緒に湯浴みをしたし、同級生の女の子やハーレの同僚なら共同で湯浴みや着替えもしているが、ミロナスさんは関係がない。
「家族や寮で一緒の人たちの記憶だったら困るけど、ミロナスさんなら大丈夫じゃない?」
「…………本当にいいの?」
何か問題でもあるのだろうか。ロックマンの歯切れが悪い。常に自信があって、先の先まで答えを用意しているような奴が珍しいこともあるものだ。
「何でそんなに躊躇してるの? まさか魔法に自信がないとか?」
「そうじゃないよ」
ロックマンがハァー、と長い長い溜め息を吐いた。観念したという意味なのか、手の平をナナリーに向けて両手を顔の前に上げる。
「わかったよ。なるべく早く……と言っても、僕は仕事があるし、君がもう少し体調が整ってからね」
またもや深い溜め息を吐いて、ロックマンは顔に掛かる金色に輝く髪をかきあげる。伏せがちの目にどこか憂いを感じて、ナナリーはあることに思い当たった。
……ロックマンも本当は疲れてるんじゃない?
魔力も体力も気力も常人離れしてるけど、ロックマンだって人間だ。帰国してから解毒薬を作るので大変だったとユーリが言ってたし、ロックマンが他の騎士よりも肩書きが多くて重要な仕事を任されているのはナナリーだって知っている。魔力が多ければやれることは増えるけれど、疲れない訳ではないのだ。
もしかしなくても、ナナリーは早いところ家に帰った方がいいのではないか?
まだ一日の半分を寝ていて、この屋敷内の移動でもへろへろの状態だから家族に迎えに来てもらわなきゃならないけれど。
そもそもロックマンは一時帰国中だ。国外遠征の仕事を放って、ナナリーの記憶を取り戻す手伝いをする暇なんて本当はないだろう。国外遠征のまとめ役が不在でウェルディさんたちも困っていると思う。
追憶の魔法はロックマンの仕事ではない。騎士団はナナリーの記憶は必要としていない。ナナリーは早く記憶を思い出したいが、その為にロックマンの時間を無駄に費やす訳にはいかない。
「ねぇ、わたしの回復は時間がかかるみたいだし、ロックマンじゃなくて、他の人、またはわたしが追憶の魔法を習得して自分に掛けてもいいんじゃない?」
「──は?」
「ロックマンは国外任務があるでしょ? ウェルディさんたちが
何か
「悪いけど、任務の話は君には関係ないよ」
「はあ? そんなこと聞いてないわよ」
ハッ、と息を吐き出して、ロックマンは顔を背けた。ナナリーの気遣いを振り払うかのように顔の前で手を振ると、横目でジロリと睨んでくる。人の心を芯から凍らせるような眼差しで。
なんだ、この冷たい目付きは。いつか見た、凍った果実みたいなロックマンの瞳を思い出す。コイツ、視線で人を凍らせることができるから眼鏡かけてるんじゃないだろうか。
仕事で大変なんじゃないか、疲れてるんじゃないか、他の人に迷惑がかかってないのか……とかとか心配してやったというのに。
さっきまでは存外人間くさいところがあるな、と少し親しみやすく感じたけど、撤回だ、撤回!
「君に話せるのは今回の事件に関してだけだよ」
「そんなのわかってるわよ」
ナナリーは胸元で腕を組み、ツンと顎を反らせた。
「君は呑気だね」
「はいぃぃぃ!?」
脈絡がわからないんですけどぉ!?
「晩餐会に現れた魔物はまだ見つかってない」
さっき国外調査の詳しい内容は話せないとか言ってなかったっけ?
「それで?」
「君は魔物に狙われている可能性がある」
「それって、わたしがオルキニスの間者に狙われていたこと? 氷の乙女だから……」
「オルキニスの女王は氷の乙女の血を集めていた。彼女たちの末路は知ってるよね?」
ナナリーは頷いた。オルキニスの事件の後、ロックマンに魔力が籠められた首飾りを返しに行くときにロクティス所長から聞いている。亡くなった氷の乙女たちの遺族が知らない話をナナリーが知っているのは心苦しいものがあるが。
「オルキニスの女王の側近の証言によると、女王は悪魔、おそらく魔物に
「魔物に取り憑かれたとか?」
「僕が見た限りでは、魔物が女王の体に取り憑いて喋っているとは思えなかった。まあ、正気にも見えなかったけどね」
魔物に取り憑かれた人の話はハーレでもたまに耳にする。本人に落ち度があったわけではなく、強いて言えば、非常に疲れていたとか、悩みを抱えていたとか、心身の状態が万全ではなかったくらいだろうか。そんなちょっとした心の隙間に入り込まれるなんて、魔物はどれだけ狡猾なのだろう。
追憶の魔法はオリジナル(捏造)です。
感情の起伏が激しいかな? と思いましたが、ロックマンは少々ナイーブになってますので……。
原作でナナリーが依頼人に記憶探知の魔法をかける場面があります。依頼人の様子をナナリーとアルケスさんが時間を巻き戻して見るのです(依頼人は夢見の魔物に取り憑かれてました)。記憶探知の視点は第三者視点になるようです。